博報堂が持っていたFIFAワールドカップのマーケティング権セールスの奪取を目指す電通は、ユベロスを通じて、ホルスト・ダスラーとの接近を図る。
偶然にもダスラー側は、ウエスト・ナリー社の共同経営者、パトリック・ナリーの不透明な金銭支出に疑義を抱き、ナリーとの関係清算を考えていた。同時に、次のワールドカップ、1986年メキシコ大会のマーケティング権取得のために、資金の手当てをする必要があった。FIFAへの多額の権利料支払いを目前に控え、アディダスが拠出する資金だけでは賄えないダスラーは、新たな投資パートナーを求めていた。
電通とダスラーの“電撃的”合意
スペイン大会を数カ月後に控えた1982年初頭、服部局長を代表とする電通とダスラーは、パリで初めての会合を持つ。新たな投資パートナーと、アジアでのセールスエージェントを求めていたダスラー側と、博報堂からの権利奪還とワールドカップ・ビジネスへの進出を希求していた電通の利害は見事に一致する。
交渉は驚くべきペースで進んだ。ダスラーは、権利管理会社SMPIがウエスト・ナリー社と結んでいたFIFAとUEFAに関するマーケティング権セールスエージェント契約を破棄。ほぼ同時に、SMPIが保持していた全権利を、スイスに設立する電通との合弁スポーツマーケティング会社に移管した。これが、冒頭に触れたISLである。
電通はISLに2500万スイスフランを出資して同社の株式の49%を取得。ISLに出資する見返りとして、日本企業への独占セールス権を得た。しかし、取締役5人のうち、過半数に満たない2人を選任する権利しか持てなかった。つまり、経営の主導は51%の株式を持つダスラー側が握った。
後年判明した事実だが、1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会のマーケティング権を取得するため、ダスラーがFIFAに支払った権利料は、電通の出資額と同じ2500万スイスフラン。つまりダスラーは「FIFAへの権利料支払いを電通に肩代わりしてもらった上に、合弁会社の51%の支配権も掌握した」(ジャック・坂崎氏)のである。
このISLは、1980〜90年代を通じて、スポーツマーケティング業界の一大勢力となっていく。
次回はISLの黄金時代について書く。
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