いじめっ子を憎む心の落とし穴?
同級生らにメールで「死にます」…大津中2自殺
「先生見て見ぬふり」と生徒回答…大津中2自殺
「自殺練習」追加調査しない考え…大津市教委
大津署が父親からの被害届3度受理せず
まず被害者の冥福とご遺族の救いを心よりお祈り申し上げたい。
この事件報道の後で発生した気になる懸念事項。ネットでは、この事件に感情移入してストレスを感じた自分の心を満たすために「いじめた奴らを地獄に落としたい」というリアクションが案の定目立つ。
【自分個人の憂さ晴らしや満足感のために誰かを追い詰めたい。そしてスッキリしたい】
この心理は、実はいじめっ子達と同じだ。
この心理を持った人間が自分の欲求を正当化しやすい環境にいれば、実行するだろう。
実際、2chの住人達が「社会的制裁」という大義名分を得てイジメをやった子供たちの写真と実名、親・親族の職場や写真を割り出し晒した。デマも広がり、無関係な場所や人が標的になることもあった。今頃あちこちに嫌がらせが殺到しているだろう。 殺到する電話等の応対に追われたり様々なとばっちりを受けた人々にとっては、まさにネット住人からいじめを受けた気分になるかもしれない。
また、大津市の教育委員会に爆弾予告をした者まで出たという。その影響で京阪電車が運転を見合わせた。乗客はいい迷惑だ。
ネット住人達・匿名の立場を保てる者達(=自分は罰せられにくいと思える立場の者達)は、「憎むべき悪者への社会的制裁」という言い訳で憂さ晴らし欲求を正当化しやすい環境にある。その欲求は決して被害者・遺族や社会のために役立つものでも、ましてや正義でもない。自分達が満足したいだけだ。心理的にはいじめっ子と同類。彼らは今回のいじめ自殺事件という悲劇を、単なる自分達の憂さ晴らし&正当化の道具にしているだけかもしれないと考えたことはあるだろうか?
自分が本当に救いたい者は、被害者・遺族ではなく、「事件に感情移入してストレスを抱えた自分自身」かもしれないと、考えたことはあるだろうか?
>この心理を持った人間が自分の欲求を正当化しやすい環境にいれば、実行するだろう。
ニュースのいじめっ子達は、自分たちの行動を叱り諭す大人や止めに入る人間と出会わなかった。クラスメイト達からあからさまに顰蹙を買うことがなかった。罰せられにくい環境だった。
「自分の欲求を抑えない」ということを正当化しやすい環境。欲求を抑えずに済みそうな空気。それは不幸だ。
いじめっ子達と、それを晒したり嫌がらせしをして喜ぶネット住人達。
どちらも、自分をそのような欲求に駆り立てた原因と向き合い乗り越え解決する機会が奪われている。よこしまな欲求の支配から己を解放する機会(=本当の満足を得る機会)を奪われたまま。それは不幸だ。
そんな人々が沢山いる社会だって不幸になってしまう。社会にある様々なイジメ問題を解決したいのなら、上に太字で書いた大衆心理を改善し、一人ひとりがそのような大衆心理に流され欲求を正当化しないように己と(欲求の原因と)対話しながら自分をしっかり気高く保つこと、そのような教育を広めることも大事かもしれない。
願わくば、よこしまな欲求に屈した人々が、己を駆り立て支配する欲求の背景と原因を見抜き、その原因と向き合い乗り越え解決できることを。
よこしまな欲求に屈した者が自分の心と向き合い、自分の抱く欲求が間違ったものであることを自覚し、間違った欲求の原因を知ること・向き合うことでその欲求から己を解放して本当の満足を得ることは、救いであり償いでもある。
「本当の救い」ってのは、償いに通じるのかな? 救いと償いが相反するものでないとしたら、とても素晴らしいと思うけど。
◆大衆心理が本当に憎むもの?
あくまで個人の妄想だが、もしかすると大衆の憂さ晴らし欲求の背後には、自分達を集合無意識レベルで支配する「権威・権力への強すぎる恐れと無力感により、やれることすらしなかったり、解決よりも隠蔽や泣き寝入りを優先する癖(権威主義・隠蔽主義を増長させる癖)」への無意識のストレス(憎しみ)が存在してるケースもあるのだろうか。(何かこの癖、暴力的な監禁事件で無気力になる被害者の心理に近い?)
また、「どうせ何も変わらないのだ。勝ち目は無いのだ」という無力感から、「ならばいっそ手段を選ばずこの無念だけでも晴らす!」みたいな泣き寝入り前提の忠臣蔵的発想を好む傾向も日本人にはある。そういうのが憂さ晴らし欲求の背後で密かに動いてるケースは・・・あるのだろうか(妄想)。
「無力感と泣き寝入りの癖」。あの癖は、多分古代から日本の集合無意識に長い間続いた一種の自己暗示だ。だが自分を支配する暗示を自覚できればそこから抜け出せるかも。
古代~近代までは民衆が泣き寝入りしたり強い無力感に支配されることも多々あったろうけど、現代は違う。日本で最大の権力者は民衆だ(※)。もう自分を踏みにじるような古い自己暗示はいらない。
自己暗示から抜け出せれば、「憎むべき暗示」を投影した大津事件(隠蔽体質まみれ)へ憎しみをぶつけ、嫌がらせ・爆破予告といった目先の憂さ晴らし欲求に心を支配されず、より冷静さと広い視野を得て事件の公正な調査・処分を求める世論を作ったり、もっとマクロに日本のイジメ問題や隠蔽体質そのものに対してさえも建設的な世論を作ることだってできる(実際、そっちに向かう冷静な方々も沢山いる)。その方が、憂さ晴らし欲求の充足以上の、「本当の満足」につながりえまいか?
「『隠蔽体質の改善』というテーマへの取り組みや隠蔽されていた問題への取り組み」という運気の気配は、去年の節分の辺りから感じられていたが、震災以降、どんどん本格化していくような気がする。そうあってほしい。
【余談】
今回の中2自殺事件、現場となった大津は古代に作られた近畿の星型結界の中心部に近い。京都の鬼門だ。(図参照)。
日本に巣食う「解決よりも隠蔽を優先する体質(隠蔽のために意義ある忍耐と泣き寝入りを混同させる風潮の源?) 」はあの結界が作られた時代からあったのだろう。
この国は、忍耐力は強くても問題解決能力が低い。問題解決能力が抑圧されている。
解決抜きの忍耐or隠蔽。そしてそれらが限界を越えれば、取り返しのつかない破綻をもたらす。そんなこの国の悪癖を、去年嫌というほど思い知ったはずだ。
※ゆえに、民衆が愚かであれば権力は愚かな動きをする。それを是正する能力が民衆にあるかどうかが重要。
24時間いじめ相談ダイヤル←困っていたり身近に困っている人がいたらどうぞ
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うん、そんなことを言った所で意味が無いんだ。
いじめは一人、もしくは少数の人間に言えば解決するけど、
そのことが広く世間に広まった以上、それは誰にも止めることができない。
大きな流れになってしまったものは、その行き着く先まで行ってしまう。
その流れをつくりだしたのは、犯罪者であるいじめた奴らだ。
犯罪の方をどうにかしないことには、
犯罪者を助ける方法はないんだ。
誰が何を言おうとね。
投稿: a | 2012年7月 7日 (土) 14時42分
>aさん
コメントありがとうございます。
犯罪をどうにかするには、そのような犯罪が生まれる社会の心理的背景にも目を向けると何かプラスになるんじゃないかと思うのです。
特に、その社会独特の体質が反映された事件であれば、なおのこと・・・
投稿: AYA | 2012年7月 7日 (土) 15時58分
ネットで晒し行為が行われているのは私も見てます。
爆弾予告の件もあわせて正直どうなの?っておもいます。
でも、こんな事態になるまで市ぐるみで隠蔽が行われていたのは事実です。
悪いことをして、何の裁きもないのでは、自分が被害者になったとき恐ろしいですし、
泣き寝入りするはめになるぐらいなら自分が罰してやると思う方がでてもおかしくないのでは。
加害者が適切な時期に徹底的に調査され、真実が明らかにされ、
適切な処罰が与えられていればここまでの事態にならなかったでしょう。
逃げ隠れせず真実を明らかにすること、適切な司法の罰を受けることが、
被害者だけでなく加害者の身の安全にもつながるんではないでしょうか。
投稿: nanashi | 2012年7月10日 (火) 13時37分
>nanasiさん
>泣き寝入りするはめになるぐらいなら自分が罰してやる
この私刑心理、多分大きな落とし穴です。これは、「◆大衆心理が本当に憎むもの?」の部分に書いた「無力感と泣き寝入り」の弊害です。この心理の中には、「何をしてもムダなのだ」という暗示がかかった前提で、「何をしてもムダなのだから、いっそ手段を選ばず報復だけでも!(=解決ではなく憂さ晴らし優先)」という発想が働いています。
私刑発想というのは、「公正で適切な調査と処分」というものを諦め、無いものとして否定しないと成り立ちません。いわば泣き寝入りなしには成立しえない発想です。
私はむしろ、泣き寝入り前提の私刑を求めることよりも、今からでも公正で適切な調査と処分がきちんと行われ全てが公表されるよう文科省や警察庁など各機関に求め監視する世論の流れを作ることが大切だと思います(被害者の死を無駄にしないためにも)。
国民主権国家の場合、最大の権力者は民衆であり、各機関のトップは国民(世論)によって任命されているので、決して封建時代の権力者とは違います。
古い時代に民衆に刷り込まれた「何をしてもムダ」という強い思い込み(暗示)は不適切で問題解決の妨げになる感じ。
以上の理由から、私個人は泣き寝入り発想が背景となった私刑発想・憂さ晴らし発想は、事件やイジメ問題や隠蔽体質に対して建設的な世論を作っていく方向とはズレているように感じます。
自分が満足さえ出来れば根本解決になど興味が無いかのようで・・・・
投稿: AYA | 2012年7月10日 (火) 15時21分
そのとおりだとおもいます。
投稿: めー | 2012年7月13日 (金) 03時14分