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(22時間11分前に更新) |
「葬式ごっこ」という言葉に絶句したのは、今回が初めてではない。思い出すのは今から26年前の東京の中学生が自ら命を絶った、中野富士見中学のいじめ自殺だ。
中学生は、花や線香を机に置く「葬式ごっこ」といういじめに遭っていた。「追悼」の色紙にはクラスメートが言葉を記したほか、担任ら教師も署名するという信じられないニュースだった。
大津市の中2男子が自殺した問題で、学校が生徒を対象に実施したアンケートの中にも「葬式ごっこ」といういじめが推測される記載があったが、13日に公表されたアンケート結果には、言葉を失ってしまった。
「死んだスズメを口の中にに入れろと言われていた」「昼休みに自殺の練習をさせられていた」「むりやりごみを口に入れられたりしていた」など、教育現場で起きたこととは思えないような陰惨な内容が並ぶ。
「先生が(加害生徒の)いる前で『大丈夫か?』と聞いたら『大丈夫』と軽く答えていたらしい。いじめている人の前で聞くのはおかしい」と学校の対応のまずさを示す証言もある。
「一度先生は注意したけれど、その後は笑っていた」。結果としていじめを助長するような教師の言動も明らかになった。
生徒たちはいじめがあったことをかなり詳しく認知していた。にもかかわらず学校側は、いじめの通報を受け学年主任らと協議し、最終的に「生徒同士のけんかでいじめではない」と結論付けた。
学校側は一体、何をしていたのか。
最近になって教育長は「いじめも(自殺の)要因」と認識を変えているが、この問題では、深刻ないじめがあったにもかかわらず、それを放置し続けた教育現場のいいかげんな仕事ぶりと、問題にふたをしようとする市教委の保身が目に付く。
いじめ自殺をめぐっては、子どもに寄り添うべき先生の対応に問題があったり、教育委員会の指導が不十分であったりするケースが少なくない。それは教育現場に漂う独特の雰囲気と無縁ではないと思う。
学校は教員だけの仲間意識が強い組織だ。半面、外に対する閉鎖性が「悪い情報は隠す」という体質を生み、変化に対する柔軟性や自主性を十分発揮できずにいる。
教育委員会もまた、形骸化が指摘される組織である。定期的に開かれる委員会で実質的な議論が展開されることは少なく、ほぼ事務局の追認機関となっている。
文部科学省の調査によると、2010年度に自殺した全国の小中学生は156人。うちいじめがあったとされたのは中学生の4人だった。この数字は警察庁の発表より大幅に少なく、死亡理由も半数以上が「不明」とされている。
文科省調査と警察庁発表に著しい乖離(かいり)があるのはなぜなのか。文科省の数字は果たして現実を反映した数字といえるのか。学校も教委も、いじめ問題への対応を再検証すべきである。