死者満載!!池原のダムを血染めにする、世界の熱きゴルジャーが集う夢の祭り、第一回ゴルジュ感謝祭を開催します!
「死登!その日、遡渓者達(おとこたち)の登攀(たたか)いで池原ダムが血に染まる。」
2012年7月14ー16日、紀伊半島、池原ダム周辺。ゴルジュ感謝祭、参加者募集中!!
参加資格:ゴルジュに魂を捧げられる者
登攀は安全無視、オール冒険の、ゴルジュストロングスタイルでおこなわれます。
主催:ゴルジュ感謝祭開催委員会委員長 世界のkenjiri(京都医科大山岳部、THE NORTH FACE バトゥダヤ遠征隊隊長)
協賛:池原石材店
けんじり開催委員長から皆様へ
初めまして、今回、第一回ゴルジュ感謝祭の開催委員長を務めさせて頂く事になった世界のkenjiriこと、けんじりです。
今年で沢を始めて5年になります。偉大なる先人達に比べると、ようやくハイハイを始めた赤子のようなものですが、未熟なりに「沢登りとは?」「ゴルジュとは何か?」を模索し続け、沢を始めて以降、夏のシーズン中は移動日を除けばほぼ全日ゴルジュに入ってきました。聖地・紀伊半島はもちろん、南北アルプスや四国・中国・屋久島や北海道にいたるまでのゴルジュも遡行し続けました。
それぞれ大きな感動もあり、そこで得たものは決して忘れ得ぬ経験と言えるでしょう。何より素晴らしい仲間達との出会いがありました。しかし、各地の悪絶とよばれるゴルジュを遡行しても、何か引っかかるものがありました。そう、何かが足りないのです。
少し、昔の話をします。中学1年生の頃、夏休みに友達同士3人で自転車でキャンプに出かけた事があります。家から自転車で30分程にある里山にでかけ、林道から少し離れた適当な場所にテントを張り、近くを流れている里山の小川で遊んでいました。
誰が言い出したのかはもう思い出せませんが、「この川の源流見に行こうぜ!」と、その川を上流に向かい歩いて行きました。途中、小滝があったり、倒木渡りがあったりと、ちょっとした冒険隊気分で楽しくなった僕らは時間が経つのも忘れ、その川をさかのぼり続けました。気づけば川の水も少なくなり、ついにここがこの川の最初の一滴!というところまでたどりついたのです。その時の感動といったら、なんといい表せば良いのか・・・
しばらく、皆でその源流の雫を飲んだり、「ここが本当の源流だ!」とその上に小便してみたりと、うだうだ馬鹿な事をやっていると、途端、雲行きが怪しくなり、大雨が降り出したのです。遊びに夢中で気づきませんでしたが、時計を見れば夕暮れも近づく時間、馬鹿ながらに「ヤバい!戻らないと!」と、慌てて川を下り始めました。
当然、沢の装備など持ってはいません。Tシャツにジーンズのみという格好。あっという間に体温を奪われ、体が凍え出します。沢の知識なんてものもあろうものがなく、それ故に「山の川で雨がふるとヤバイ!」というイメージだけが増幅し、「増水して大変な事になる!」と、恐怖で走るように降りました。今にして思えば、増水して溺れ死ぬような雨でも沢でもなかったのに、あの時の恐怖感は忘れられません。
その日は夕暮れまでになんとか無事、テントまで戻り、3人でテント内にもぐりこみ、冷めた弁当とお菓子をむさぼりました。夏だし暑いからいらないじゃんと、寝袋など持ってきておらず、その晩は濡れた体で膝をかかえ、三人で寄り添うように震えながら眠れぬ夜を過ごすことになりました。
翌朝、昨夜の雨が嘘のように晴れ、テントから出てその日差しを浴びたとき、なんとも言えぬ感動を覚えました。山屋である今の僕の表現で言えば、「生の実感」とでも言うのでしょうか。大げさかと思うかもしれませんが、その時は本当にそう思ったのです。
あれから10年。沢を始め、簡単な沢から5級6級と言われる各地の険谷に入ってきても、あの頃に覚えたあの時程の感動はありませんでした。それはそれまで行なってきた私の沢登りは所詮、冒険的であっても冒険ではない。偉大なる先人達の只の後追いにすぎず、事前に情報を仕入れ、行けるという核心を得た上での行為、言うならばただの観光だったからです。「沢屋の本懐とは未知への探求である。」偉大な先人であり、今なお未知への探求を追い求め続けている成瀬氏の言葉が深く胸に刺さりました。
すでに国内の多くのゴルジュには偉大なる先人達の踏み跡があり、そこに冒険の余地はほとんど残っていない。そう思うと、すぐに海外に目を向けました。世界にはまだまだ未知の世界がある。すぐに台湾の記録のない沢を遡行しました。そこでの経験は実にファンタスティックで、その感動は計り知れないものがありました。しかし、現実的にはお金もかかり、そうそう海外へも行くことはかないません。それに、記録のない沢を遡行し、未知への探求を行なったといっても、そこでも何か腑に落ちないものを感じたのです。
その違和感は私自身が国内の数々の遡渓により身につけてしまった経験・技術・知識という武器により、たとえ記録のない沢であれ、「死なないように行動する事」ができてしまう事によるものでした。例え記録未見の谷であっても、私はほぼリスクを背負っていない。冒険をしながらにして、冒険をしていない事に気づいたのです。私程度の未熟者が使うにはあまりに大げさな表現ですが、経験を積み重ねてしまったが故に、あれほど大好きだった沢に対して、ある種、虚無感のようなものを感じてしまいました。
そんな時、ある沢でたまたま出会ったのが富山の和田さんです。彼との出会いは強烈でした。沢の常識では考えられないまだ寒い季節に「暖かい!」とゴルジュを泳ぎ、簡単に巻ける滝の流芯を、それもありあえない水量に逆らいながら登っていたのです。ただ人が滝を登っているだけの光景。でもそれは触れられない程熱くて、熱くて、本当に熱くて、僕にまとわりついていた何かを焼き払ったのです。慌てて滝を巻上がり、彼を呼び止め僕の思いを話しました。すると彼は「形而上学的な事を思考するのはゴルジュには相応しくない。」と一喝し、「複製技術時代の登攀」という独自の理論を指し示し、「ゴルジュストロングスタイル」という革新的な遡行スタイルを僕に教えてくれました。涙腺を緩ませざるを得ませんでした。
「この感動を世界に発信せねばならない。」
そこで開催されたのがゴルジュストロングスタイルの実践と拡散、「第0回ゴルジュ感謝祭」です。ゴルジュストロングスタイルによる登攀は、残置無視・オールフリーはもとより、オールパッシブorフリーソロによる過去の常識ではラインとして見られないような沢の「強点」を突破するというものでした。その経験は実にラディカルで、中学の時のあの感覚が蘇ったかのようでした。
しかし、和田さんはさらに付け加えます。
「それだけだとまだトラッドゴルジュスタイルなんだ。価値の反転を基本とし、さらに人間の限界を超えた挑戦、ボーダーラインの先の世界、流血・骨折・低体温症はおろか死亡ですらデフォルトでなければ真のゴルジュストロングスタイルとは言えないんだ。」
あれから1年の月日が流れました。
本物のストロングゴルジュスタイルの追求をする時がやってきました。
「池原に青は似合わない。赤、それもどす黒い赤色がいい。」
そして衆生は観るだろう。人の創る一番紅い夕陽を、心象照らす曙光を。そのことに意義を疑義を。池原に鬨の声を今。
2012年、海の日の三連休。第一回ゴルジュ感謝祭の開催をここに宣言し、決死の芸術を生み出すことを誓います。
集え!野蛮人共よ!!
2012年5月28日 世界のけんじり
*注)
ストロングスタイルとは猪木寛至がたどり着いた境地であり、遡行者こそが無差別最強の生命体であることを主張するファイティングスタイル。蝶のように舞、蜂のように刺すモハメド・アリも脛部静脈に深手を負い、熊殺しウィリーウィリアムスもバックドロップに沈む。
ゴルジュ感謝祭参加者各位
重傷者の取り扱いですが、ヘリ騒ぎにして地元自治体に迷惑をかけても申し訳ないので、自力行動不能に陥った参加者はその場で介錯して焚き火葬にするか、本人の希望があれば生け贄として生きたまま焚き火葬する事にしました。各自、遺骨用の緊急連絡先を書いたスタッフバックを持参して下さい。
死亡者が4割を超えることが見込まれる為、遺骨整理係も募集中です。「沢は自由」とはいえ、最低限、遺族に骨を届ける義務があります。遺骨係の人はストロングゴルジュスタイルでの登攀を自粛していただく形になりますが、ご容赦下さい。
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