2012年07月15日

「卵子の老化」の真実と防止策を提示します

今日の朝日新聞朝刊の「声」の欄に「卵子の老化」を知らなかったという33歳の女性からの投稿が掲載されています。

「卵子の老化」による不妊が問題になりつつあり、テレビ番組でもたびたび取り上げられていますと記されています。私はテレビを見ませんのでこの問題を知りませんでした。

「卵子の老化」のメカニズムは放射線でガンになる(極めて確率は低いのですが)のと同じことです。
「老化」とは「酸化」のことです。そして「酸化」とは「サビる」ということです。喫煙や飲酒、ストレスなどにより体内の水の分子が反応し細胞をサビさせる能力を持つ「活性酸素」をつくりだします。つまり、鉄がサビるように、「活性酸素」が人間の体を形成する細胞をサビさせてしまうのです。

「卵子の老化」も同じメカニズムと考えられます。子宮内の卵子がサビていくのです。
では、老化防止方法とは。
一言で言えば、「日本古来の生活習慣に戻す」ことです。
私は以前にこのように記しました。

もうお分かりでしょう。今日の日本民族を健康、健全にする方法を。

そうです。日本民族の本来の姿、健康健全であったころの姿に立ち返れば良いだけです。東洋医学を取り戻せば良いだけなのです。

そして、良性ホルモンを正しく消化吸収する方法さえ手に入れれば、ガンであろうが、PTSDであろうが、すべての病気は完治するのです。そのことを信じる、つまり、「それは正しいからその道を進んでいこうと決意する」「心に願う」ことが、病気にならない体にし、病気を治すのです。
<終了>

6月25日
「ウルトラ人体警備隊」 VS 「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」
http://dream333.seesaa.net/article/277206660.html

もちろん、コーヒーを飲むな、ハンバーグを食べるななどとは言いません。残念ながら、西洋医療の押し付けにより日本人は些細な身体の異常を感じるとすぐに病院にいきます。そうではなくて、身近な漢方医を訪ねる方がはるかに効果的です。

竹エキスの良性ホルモン効果(身体のサビ止め)も実証されています。資格を持った漢方医と竹エキスのような身体のサビ止め剤の活用で、「卵子の老化」は確実に防止できると私は確信しています。


<参考サイト>
老化の原因は、活性酸素だった!?
http://www.health.ne.jp/library/3000/w3000498.html
http://www.health.ne.jp/bknumber/2000084.html

活性酸素と過酸化脂質
http://hosinoburanko.web.fc2.com/sub126.html
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つくしみ深き友なるイエスは

いつくしみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いと とり去りたもう
こころの嘆きを 包まず述べて
などかは下さぬ(おろさぬ) 負える重荷を

二、いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐れむ(あわれむ)
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたまわん

三、いつくしみ深き 友なるイエスは
かわらぬ愛もて 導きたもう
世の友われらを 棄て去るときも
祈りにこたえて 労わり(いたわり)たまわん

私たちクリスチャンにとって神は父であり、カウンセラーでもあります。
イエス・キリストは兄弟であり友でもあるのです。

ところで、キリスト教もイスラム教も旧約聖書を共有していますが、皆さまの中でイスラム教徒が毎日アッラーに祈りを捧げている内容をご存知の方はどれくらいいるでしょうか。

実は「あなた方の上に平安が訪れますように」とお祈りしているのです。日本人の多くは「我が家の平安」「自分の成功」を神仏に祈るだけです。マクロ思想で他人のために祈る、これが宗教観というものなのです。
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2012年07月14日

中国軍高官「沖縄は属国だった」発言とノミのキンタマの8分の1

今日は54歳で死んだ父の誕生日である。生きていれば90歳である。

以前にも書いたが父の祖父【中村家】12代の中村為一郎は明治22年に31歳の若さで元狭山村の初代村長の任に就いている。その後入間郡の郡会議員を四期務め、四期目は郡会議長として実質上の入間郡のトップに君臨した(中央政権下の群長は官選であり、中央から派遣された役人がその任に当たった)

入間郡ウィキペディアより
川越市、所沢市、飯能市、狭山市、入間市、富士見市、坂戸市、鶴ヶ島市、日高市、ふじみ野市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%96%93%E9%83%A1

父は亡くなる前に入間市議を目指していた。温和ではあったが政治色が強く、亡くなるまで「民間行政」ともいえるほどの行動力を示していた。まさに、【中村家】の血統そのものである。

その父は、私に「世界を股に掛ける人間になれ」と常に指導した。私を連れ回し、色々な人たちに会わせてくれた記憶がある。

その父は、私が「せこい」「けちくさい」ことをすると、「ノミノキンタマの8分の1のようなことをするな」と激しく叱った。2歳であった父の父が42歳で亡くなっているので、父親からは【中村家】が何であるか聞いていないが、以前に公開した【中村家】に伝わる褒章状やトロフィーなどから【中村家】の人間は大きな人間にならなくてはならないと自覚したのであろう。

さて、こんなニュースが飛び込んできた。

<引用開始>
沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権問題に絡み、中国国防大学戦略研究所所長の金一南少将が「沖縄は中国の属国だった」との“暴論”を展開していたことが13日までに明らかになった。現役軍高官の発言だけに、波紋を呼びそうだ。

<中略>

 金氏は、日本が1879年以降、「琉球」を強制的に占領し、住民に琉球王室や当時使われていた清国の年号や銅銭を忘れさせるために「沖縄」と改名したと主張。日本の占領を認めるに足る国際条約はないなどと持論を展開した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120714-00000094-san-int

まさに、「はぁー?」としか言いようがない。

幕末に活躍したアメリカ帰りのジョン万次郎の公式ホームページを見て欲しい。

1851年嘉永4年24歳
薩摩藩領の琉球に上陸。
那覇→翁長→島津藩鹿児島→長崎奉行所(白州での尋問は18回に及んだ)
http://www.johnmung.info/john_nenpyou.htm

当時クジラの油を取るためにアメリカ船は基地として琉球に立ち寄っていたのである。(ペリー艦隊も浦賀来航前数回琉球に立ち寄っている。アメリカは何としても沖縄を手に入れたかった。第二次世界大戦の本質も、現在の沖縄問題の本質もここにあると筆者は見ている)

ジョン万次郎とアメリカは今でもつながっており、天皇皇后両陛下も皇太子、皇太子妃時代にジョン万次郎がアメリカ人により助けられた地を訪れている。
つまり、アメリカはこの時代の琉球の「属性」を極めて正しく認識しているのである。

筆者はできることなら「tsunami」「sushi」のように「ノミのキンタマの8分の1」を最も長い、日本語による世界共通語にしたい。

そして、中国軍の金一南少将をどなりつけたい。「ノミのキンタマの8分の1のようなことをするな!」と

「ノミノキンタマの8分の1」とは、かなり強烈なコピーである。いじめ防止に役立たないか、読売新聞の門間順平のようなひきょう者を悔い改めさせる記号として使えないか、世の中に問うていきたい。
posted by M.NAKAMURA at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

狭山神社から地名を考える 「狭山の地」の範囲とは


元狭山村周辺.JPG

◆木蓮寺村から根岸村までが「金子地区」です。

へたくそな写真で申し訳ありません。テーマは元狭山村を中心とした「狭山の地」「牟佐志の地」、つまり天領元狭山村が「管理」した地域はどの範囲なのかを知り、現在の「狭山の地」はどの範囲が正しいかの議論に決着をつけるための資料であるので、新旧の地名が入り交じったこの地図の使用が欠かせません。

私がまだ、答えに行きついていない問題は、東村山市の府中街道西側地域は含まれるのかどうかです。志村けんさんの方言は狭山丘陵南側の現在の瑞穂町、武蔵村山市、東大和市と共通性があります。

鎌倉幕府から徳川幕府まで、時の権力者は道と宿を中心に天領の地、民の地を「管理」してきたことは当たり前のことです。
そう考えると、府中街道までとも考えられるのですが、所沢市の山口地区(西部ライオンズ球場より東)には、鷹の羽家紋ではない、別の「中村氏」の集団墓地があり、この地域から西側は「狭山地域」「牟佐志の地」ではなかったと考える方がリーズナブルです。これを答えにすべきであると考えているところです。

鎌倉幕府は八幡神社と八幡神社間を一つの「管理区域」としていたようです。天領地元狭山村の東は八幡神社のある東大和市であり、そこからまっすぐ北へ向かう道路(当然狭山湖、多摩湖はなかった。狭山湖、多摩湖は「溜池」として活用されていたのではないかと考えられる)を経て、所沢市三ヶ島地区から入間市の藤沢地区、そこから加治丘陵南の東金子、金子地区の木蓮寺までが「狭山の地」「牟佐志の地」であり、「牟佐志の国」づくりの中心であった可能性が高いと考えられます。これが使用していた言葉と鎌倉幕府の法則性から導き出した私の出した結論であり、現在の狭山市は「牟佐志の国」の「入間の地」に属していたものと勘案されます。

こう考えると、牟佐志国造御社の碑が元狭山村の隣村の宮寺村にあるのも納得できます。(元狭山村は臨済宗であり、宮寺村や三ヶ島村は曹洞宗であり天領地ではなく民の地であったと考えられる)

西の青梅地域は何も研究していませんが、禅宗用の梅をつくらせた梅郷地区か現在の青梅市中心部なのか分かりませんが、元狭山村同様な天領地があり、幕府から派遣された「五人組」がその支配地を管理していたのでしょう。そして、桑粥にするための桑葉茶を元狭山村の二本木宿に届けた秩父地方同様に青梅の天領の民も生産品の梅を二本木宿に届けたのでしょう。その証拠として元狭山村の方言を秩父地方同様に青梅地域が共有していることがあげられます。

青梅市の方言で検索
http://blog.goo.ne.jp/grenc/e/844955d173947e0dc61cf065bec6a0b7

ひゃっこい(冷たい)、おっぺす(押す)、「だんべー」言葉は元狭山村の方言そのものです。

さて、面白い見方を披露します。地名の件です。鎌倉幕府から派遣された【中村家】を中心とした「五人組」は、元狭山村を中心に時をかけ東へ北へとその支配地を拡大していったことは間違いありません。

もちろん支配地といっても幕府の命令により民を大事にする「管理」でした。

2012年07月01日
日本史を変えるか、元狭山村の「五人組」と坂本龍馬暗殺@

二本木村では、明治2年8月に「御請書連印帳」を韮山県に提出した。これは品川県から韮山県に支配が変わったが、五人組帳の掟を堅く厳守し、親子兄弟夫婦をはじめ諸親類が相親しくし、また下人を憐れみ、農業を怠らず、全ての面で分限を守り、年貢も滞りなく納付することを誓約したもので韮山県の支配に忠誠を誓うものであった。
http://dream333.seesaa.net/article/278309441.html

入間市最西部の金子地区は金子の十郎家忠から来ていると地域の神社には書かれていますが、明らかに間違っています。
「狭山の地」「牟佐志の地」は北条家支配地の小田原からの発想でないと理解できません。中村原の北方には今でも「金子」という地名や「相模金子」という駅名が残っています。相模金子氏の領地だったのでしょう。入間市の金子地区には根岸という地域がありますが、相模の金子地区にも根岸という交差点名が残っています。

小田原から見て東北東に位置するのが藤沢市です。同様に元狭山村から東北東に位置するのが入間市の藤沢地区です。
さらに元狭山村の南端の狭山神社から南を見ると箱根ヶ崎、拝島、昭島、そして八王子へと続きます。

面白い見方をしてみましょう。狭山神社を小田原と考え南に目を向けます。箱根ヶ崎は伊豆半島の箱根下の崎(みさきの意)、その先に大島(拝む島 拝島)、特定はできませんが伊豆七島の島(昭島)、はるか遠くの八丈島と考えられませんか。つまり、「ハチジョウ」が「八王子信仰」と相交わり八王子に変化したという新説です。ちなみに小田原市には八王子神社がありますが、八王子市には八王子神社はありません。

八王子神社 
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/jinjya/hachiouji_a.html

鎌倉幕府は、この、天領元狭山村を中心とした「狭山地方」と「牟佐志の地」から広域な「牟佐志の国(武蔵の国)」づくりと、本家小田原を中心とした「相模の国」づくりに丁寧に取り組んでいたのでしょう。

小田原市役所に近い寿昌寺は曹洞宗です。元狭山村二本木の寿昌寺は公家や武家の禅寺である臨済宗です。私には、元狭山村には「源」を受け継いだ北条家の政務官たちが通いつめ、村民となった【中村家】や「五人組」たちと力を合わせて「1192良い国」づくりに励んでいたと思えてなりません。

元狭山村の方言と高尚な文化については、まだまだ書いていきたいと思いますが、そろそろ「鎌倉幕府の政策と元狭山村」「【中村家】と五人組」「狭山茶とは」「狭山の地とは」「残された史跡」などをとりまとめ、世間にリリースしていくつもりです。

歴史が楽しくなって欲しい、日本人の過去を知ることにより、映画などの文化活動に役立てて欲しい、そう願ってやみません。
posted by M.NAKAMURA at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

違う!政府の事故調が信用できないのだ

<引用開始>
政府事故調>「東電解析、信用できぬ」 炉損傷時刻に異論
 東京電力福島第1原発事故をめぐる政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)が23日公表する予定の最終報告書で、東電が公表している事故の進展の解析結果を「信頼に足るものではない」と結論付けていることが関係者への取材で分かった。政府事故調が事故後の炉の状態を実測データに基づいて再現したところ、深刻化する過程が東電の解析結果と食い違っていたという。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20120713k0000e040228000c.html

今月23日に最終報告が発表される予定になっているが、筆者は最初から畑村洋太郎という人物ほど事実をねじ曲げる学者はいないととらえていた。菅直人前首相を厳しく批判するに違いないと思っていたら案の定「東電撤退は菅氏の誤解」などという報告を出そうとしている。

官僚から送り込まれた「委員長」であるが、そもそも論として畑村氏の「失敗学」ほど間の抜けた理論はない。
欧米では、失敗学など全く相手にされていないのである。

相当前の論文であるがまず読んでいただきたい。

失敗学を批判する 横浜国大名誉教授 清水久二
<引用開始>
1. 失敗学は国際的に見て時代遅れ
失敗学は独のクールマン教授に言わせれば「事故研究(Unfahrforschung)」に相当するでしょう。ドイツでは戦前より事故研究が盛んでした。損害保険各社、及び第3者検査機関は競って研究部門を増やし、雑誌を発行しました。例えばアリアンツはMaschinen Schaden(機械の損害研究), TUVはTU(技術検査)を永年発行してきました。しかし何れの雑誌も近年発行業務を縮小、或いは廃刊
に追い込まれています。その理由は単一の失敗事例は活用範囲が狭いことであり、また他社の失敗例はその会社の特殊な事情を反映したものであり、そんな情報にお金は払えない、ということでしょうか?

<中略>

4. 事故から学べ、は正しいか?
「事故から学べ」、は聞こえの良い言葉ですが、発生していない事故や原因が究明されていない事故には無意味です。原発や航空機でこれをやられたらたまったものではありません。ソ連の原発事故の後遺症ニュースを読めば判りますが、無垢の乳幼児が何万、何十万と災害を受けているのです。またこの言葉は品質管理や検査係の仕事を正当化するには役立ちますが、現場の作業員が何かの事実を発見しようとしても、それを設計変更にうまく活かせるかどうか、三菱自工の例をみれば良く理解できます。組織はそれほど甘いものではありません。
<引用終了>
1 http://www.nrec.sakura.ne.jp/sippai.pdf

清水久二名誉教授は「原発や航空機でこれをやられたらたまったものではありません」と明言しているのだ。

さらに、畑村氏にはこのような闇の世界とのつながりがあるとの指摘がある。

論談より
RE:マイクロバスの件で村中様へ
( 平成20年01月22日 )

投稿者: 巷のリスクアナリスト

 >ドイツの回転扉死亡事故の責任がメーカーにあるのは当然です。 しかしながら六本木ヒルズで起きた回転扉による死亡事故は事情がかなり違うと考えております。
その理由は、死亡事故が起きる前に30件以上の挟まれ事故が起きていたからです。 六本木ヒルズからは遠く離れた琉球新聞のこの報道をご覧ください。<

私も情報には敏感な方だと自負していましたが、同じ回転ドアで30件以上の前例があったとは知りませんでした。唖然としています。 そうなると、あえてこの場で、さらにお知らせしなければなりません。

森ビルは事後に、森社長の肝いりで、失敗学で有名な畑中洋太郎氏を中心に安全チームをつくり、安全のための会合に場所を提供するなどの活動を行っています。

チームのメンバーの顔ぶれを見ると、過去に事故を起こした企業で 「 火消し役 」 で貢献した人物が多く含まれています。

森社長が世間に対して安全推進に積極的な姿勢をアピールしたいのでしょうが、今になって本音がわかりました。 畑中氏の失敗学とは 「 失敗した後で有耶無耶にするための学問 」 なのでしょうか。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0801/080122-17.html

これ以上書く必要性はないと思う。少なくともこのブログを読んでくださっている人はだまされないでいただきたい。

「考えることは疑うことからはじまる」 パスカル 
posted by M.NAKAMURA at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

日本人の戦争責任について

「心の旅」2010 8月号「敵を赦す」とは 日本聖書協会理事 大宮 溥

<引用開始>
日曜日、私は市内のある教会の礼拝で説教を担当しました。その中で私は、かつてシンガポールに滞在したときに中国人教会で経験したことを話しました。

それは戦後10年あまりたったときのことでした。その中国人教会での礼拝が終わった後で昼食会に招かれ、牧師から一人の女性を紹介されました。彼女の夫は戦争中に教会の役員でした。ある時教会に日本人がやって来たので応対したところ、突然ピストルで撃たれて死んでしまったのだそうです。それ以来彼女は日本人に対する激しい怒りを抱き続けました。

しかし、クリスチャンであった彼女は心を鎮めるために聖書をむさぼるように読みました。そして、あらためて深く、イエス・キリストが十字架で死んだのは、神が人間の罪を赦すためであったこと、すなわち和解のための犠牲であることを学んだのです。自分もまた神から赦された存在であることを知った彼女は、今度は日本人を赦すことができるようになったのです。

その後彼女は夫の代わりに教会の役員を引き受け、また神から与えられた和解の恵みに応えるために、シンガポールにやってくる日本人の世話を始めたということです。この話を聞いたとき、私は日本人としての戦争責任を強く感じるとともに、人間はまず自分が赦されて、初めて他を赦すことができるのだと強く感じました。以上が私がクアラルンプールの教会で話したことですが、戦後60年たってもアジアの人々の日本人に対する視線が厳しいことを思うと、今も和解の務めが必要であることをあらためて強く感じるのです。
<引用終了>

私の父は第二次世界大戦を戦いました。出兵先は中国満州でした。父の長兄は近衛兵として「外地」で戦いました。父の次兄は日中戦争を戦い、弱冠20歳で戦死しました。
私は、誰からも「殺した」とは聞いていません。「殺さなかった」とも聞いていません。「殺し合い」が戦争ですから、軍人同士が殺し合うのは仕方ないことです。父は満州の人々(特に女性)はやさしかったことと、戦車を埋めた場所に行ってみたいと私に話しました。

私は、大学を休学してアメリカに「遊学」していたとき(終戦30年ころ)、一軒の町中の小さな食堂に入りました。そのとき店主はすごい剣幕でどなりました。

「ジャプ ゲッタウェイ!」(私にはそう聞こえたと記憶しています)

私は逃げ出しました。家族や友人を戦争で亡くした方だったのかもしれません。私はその時、「これが現実だ」と認識しました。ショックでした。

昨年の8月13日の朝日新聞に「真珠湾攻撃70年を和解の契機に」という元ハワイ州知事夫人ジーン・アリヨシ氏の投稿記事が掲載されています。内容はタイトルの通りです。つまり、日米は深部においては和解できていないといいたいのです。

8月18日の毎日新聞はジャーナリストの松尾文夫氏の「菅首相は真珠湾弔問を」というタイトルの記事を掲載しています。

<引用開始>
オバマ政権支持のアジア系市民の間には、オバマ大統領の広島訪問に「アジア各国に対するあの戦争で日本の加害者としての立場を被害者のそれに変えてしまう」との反対の声が上がっている。
<中略>
65年間、あの真珠湾のアリゾナ記念館を日本の首相が誰一人訪れていない事実を思い起こす人物は、政権内にはいないのだろうか。忘れてはならない。菅首相にとって今必要なのは、ルース大使参列を受けて速やかに真珠湾弔問の意思を明らかにすることだと思われる。
<引用終了>

冒頭の悲しいストーリーの通り、「赦されてから、赦す」のです。私は、アメリカの原爆投下を強く非難する論者です。しかしながら、同時に私たち日本人も赦してもらわなければならないと考えます。

私は現在57歳ですが、私の世代や団塊の世代の人々、この世代は戦争を戦った日本人の子どもたちです。この世代が死に絶えるころの「完全に赦し合えている社会」づくりこそドリーム党のポリシーそのものです。

3年後の都知事選ではこのポリシーを明確にし、公人として真珠湾のアリゾナ記念館を弔問できたらと考えます。
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続 北朝鮮ミッキーマウス登場報道の読み方

9日にこのように記した。

北朝鮮ミッキーマウス登場報道の読み方

報道する(ニュースは商品である)共同からすれば、ミッキーやミニーに似てなくてはニュースにならない。よって、遠方斜めからの写真を掲載している。このロジックの方がすっきりする。

ミニーの背丈が大きい、右はじのティガーもなんか変、と感じたのは私だけであろうか。

こういう政治が絡む問題の場合、オリエンタルランドと違い利口なディズニーは何も反応しないという立場をとって来たが、さてさてどのような展開になるか気になる所ではある。
<終了>
http://dream333.seesaa.net/article/279854140.html

この私の見方は正しかったようである。報道する側からすれば「ディズニーは許可していない」という追跡記事が書けるのであるから、最初から「にせもの」と分かっていてもそうは報道せず、読者を惑わせ二重のビジネス効果を狙うのである。読売新聞もそうだったが、報道側は「疑い=惑わす」という、イブを惑わしたヘビの罪(聖書創世記)などどうでもいいと考えているのである。

続報の写真を見て本物のディズニー・キャラクターによく似ていることに驚いたのと、私にしか書けないディズニーの本当のことに気付いた。
こちらを見て欲しい。

出雲平田祭り
http://www.rurubu.com/event/detail.aspx?ID=13095

2008年の11月、私は平田祭りの主催者である平田青年会議所で講演をした。その際役員の方から素晴らしい話を聞いた。それはこういうものだった。

私たちは、平田祭りにミッキーマウスを登場させたい(ぬいぐるみを製作したい)とディズニー社にお伺いしました。答えはノーでしたが、最後にこう言われました。「子どもたちの夢を壊さぬように作るのなら本物そっくりにして欲しい」と。その言葉に感動するとともにディズニーの桁違いの大きさを再認識しました。

この話を聞いた私もやはりディズニーは偉大であると感動した。

このディズニーの偉大さから類推すると、北朝鮮にミッキーやミニーが登場したインサイドストーリーが見えてくる。

キリスト者を中心とした民間外交家が北朝鮮政府と接触し(あるいはその逆かもしれない)、ディズニーをひそかに訪れ「平和国家づくりに貢献したい。平和の象徴ディズニー・キャラクターを音楽祭に登場させてくれないか」と。

ディズニーはこう答えた。「許可はできない。強行するのなら子どもたちの夢を壊さないように本物そっくりにして欲しい」

著作物の販売ではないから、著作権が侵害されても実害は発生しない。反対に、このディズニー・キャラクターたちの「象徴能力(天皇陛下が出されるオーラのようなもの」により、国民の平和への意欲が高まり、結果的に北朝鮮が先軍政治から民主政治に移行すれば、ディズニーの果たした役割はすこぶる大きいと言えるのであり、ディズニーへの評価はさらに高まる。

平田青年会議所が私に教えてくれた意味は大きい。アメリカはもはや日本を相手にしていないと思われる。アメリカと北朝鮮間の民間外交とキリスト者によるさまざまな支援が加速度的に進んだ場合、日本は取り残され、北朝鮮からも相手にされなくなる恐れがあることを、この国の為政者は知らなくてはならない。
posted by M.NAKAMURA at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

赤ちゃんパンダの本当の死因


母乳が気管支に詰まり肺炎…パンダ赤ちゃん死因
<引用開始>
東京都は11日、上野動物園(東京都台東区)で同日死んだジャイアントパンダの赤ちゃん(オス)を解剖した結果、気管支に母乳が詰まって呼吸不全となり、肺炎を起こしたのが死因と断定した。
<引用終了
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120711-OYT1T01126.htm



漢方 日本人の誤解を解く 劉大器著には母親の授乳について警鐘をならしています。私はこの悲しいニュースを聞き、すぐにこの本が頭に浮かびました。

こういうことです。

胃腸が崩れたら、「肺」ばかりでなく「心」「腎」「脾」まで影響がおよび、幼児の体質が全面的に崩れてしまう可能性がある。このことは中国でははるか三千年も昔から母親に対し警告されていた。

「幼児の胃腸は未成熟である」→傷つく前に保護しなくければならない。

◆授乳者の食事管理
辛いもの、香辛料を避け極端に満腹にしたり飢えたりすることを禁ずる。

◆授乳者の精神管理
激怒、興奮などした直後に授乳してはいけない。
長期に渡って憂鬱状態に陥る者は授乳に適さない。

これだけのことですが、実に深い内容です。
あかちゃんパンダの死因は母親パンダの健康状態にあった、というのが私の見方です。

以前にこのブログにこのように記しました。

東洋医学では、良性ホルモンを食事という「胃腸から消化吸収させる内科作業」により、「ウルトラ人体警備隊」に「戦闘力」をつけ、「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」をやっつける作戦をとります。
http://dream333.seesaa.net/article/277206660.html

お母さんの健康状態、精神状態が赤ちゃんの「胃腸から消化吸収させる内科作業」を正常化させるのです。

翻って、死んでしまった赤ちゃんパンダの場合、お母さんパンダシンシンの健康状態、精神状態はどうだったのでしょうか。私には、精神状態は決してよくなかったと思えて仕方ありません。

常に見られているというストレス、初めての出産、初めての育児。誰も教えてくれるわけではありません。本能だけでこの育児に取り組まなければならないのですから、顔は穏やかでも内心は不安いっぱいではなかったのではないでしょうか。

この死を無駄にしないためにやらなくてはいけないことがあります。

◆交尾後からメスパンダの一般公開を取りやめる
◆メスパンダに出産経験のある(痛みを知っている)女性スタッフをつける
◆赤ちゃんパンダの胃腸の健康を維持するために出産後2ヶ月くらいは良性ホルモン入り人工ミルクで育てる

先に記した母親への警告をもう一度記します。中国漢方5000年の知恵の結集です。どうか、友人、知人に教えてあげてください。

◆授乳者の食事管理
辛いもの、香辛料を避け極端に満腹にしたり飢えたりすることを禁ずる。

◆授乳者の精神管理
激怒、興奮などした直後に授乳してはいけない。
長期に渡って憂鬱状態に陥る者は授乳に適さない。
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2012年07月12日

最後のパレード事件とは何だったのか@

3年目の7月12日を迎えました

3年前の今日、読売新聞の讒言(ざんげん 他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪しきさまに告げ口をすること)報道により、病気にされ、人権を失い、名誉を失い、仕事を失い、家族を失い自殺直前の私は、神に導かれたかのように教会に立っていました。その後のことは最後に示した過去記事をご高覧ください。

最後のパレード事件とは何だったのか。全体像を示したいと思います。

結論から書きますと「読売新聞の門間順平記者は、中村を目の敵にしていた2ちゃんねらーに利用された」というものです。利用した2ちゃんねらーは結果「勝利の美酒」に酔うことができたのです。

◆2007年の統一地方選で小倉まさこ氏を市長候補に担いだ似非市民派の佐藤まさたか市議と薄井正美市議(2011年市議選で落選)のとりまき「匿名人間」たちは、「トトロの里にふさわしい市長をつくる会」という会名や、実際にまかれたトトロのイラストを載せた法定ビラが著作権法に違反するという、中村のスタジオジブリへの通報により使えなくなり、結果は最下位に終わったことに「うっぷん」を溜めました。

◆当選した渡辺尚市長は、「市長のブログ」を再開しました。中村は「匿名人間」たちに自身のブログ「東村山四丁目」を荒らされた経験から、市長に対し再三「ブログを閉鎖したほうがいい」と警鐘を鳴らしています。(資料市長のブログ参照)

当時中村になりすました「匿名人間」たちが「東村山4丁目」のブログに「もう死にます」と投稿したり、以下のようにコメントしたりしています。

命を絶つのは、本人の勝手なのでその事に対して何も言うことはありません。
ただ、その言葉を書き込みすることで他の方たちの意見から逃げるのはどうかと思います。逃げたいのであれば、このブログを閉鎖してしまえば良いと思います。
Posted by るぅ at 2007年07月08日 15:42

◆結果的に市長のブログは閉鎖されました。その理由は中村の個人情報が2007年7月16日に現職市長のブログから全世界に公開されるという法律違反が行われたことによるものです。後日、この件について渡部市長は中村に対し「申し訳なかった」と真摯に謝罪されています。

◆中村を攻撃する「匿名人間」たちとは誰でしょうか。
【盗作】最後のパレード 中村克と草の根@東村山【疑惑】という2ちゃんねるのスレッドがあります。「最後のパレード」事件から3年経った現在でも中村を誹謗中傷し続けています。投稿数は5万に近づいていますが、このエネルギーはどこから来てるかをこのスレッド名は端的に表現しています。「草の根」とは東村山市議の会派です。こちらのページを覗いてみてください。

http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page295.html

そうです。彼らはセックス産業を批判する草の根会派の議員が憎くてしかたないのです。そして、中村が提出した辞職勧告請願(資料参照)の紹介議員が草の根会派でしたので、中村を草の根とみたてて今日まで追いかけているのです。

◆読売新聞の門間順平記者は愚かにも「匿名人間」たちにはめられました。「最後のパレード」の発売は2009年の2月28日でした。その後、2ちゃんねるに読売新聞が問題にした「あひるさんありがとう」と酷似しているという書き込みがあることは知っていました。中村を攻撃したくてしかたない、成功をやっかむ「匿名人間」たちは、読売新聞に情報を流しました。「中村は地元では評判の悪い人物であり、ベストセラー作家の資格はない」というものです。「市長のブログを荒らし閉鎖に追い込んだ人物」「市役所地下食堂の手打ちうどんと手打ち風うどんの表記でどなりこんだ人物」、「たたけばいくらでもホコリが出てくる人物」と「匿名人間」たちは、門間順平記者にウソの情報を流したのです。門間順平記者はその情報を調べもせずに信じ、中村を貶める商品記事を書くことを決意したのです。

◆門間順平記者が狙った「満塁ホームラン」
「感動のベストセラー本」「ディズニーランド」「盗作」このキャッチフレーズを並べられて興味を抱かない人間はいないでしょう。
そして、4月19日の日曜日の闇の中に門間順平記者が現れました。そして、一言二言の会話で帰っていきました。19時30分頃のことでした。門間順平記者は21時に再びやってきました。同じ質問をしても同じ答えが返ってくることは新聞記者なら心得ているはずです。何を言いたかったのか容易に類推できます。「中村さんは市長のブログを荒らして閉鎖に追い込みましたよね」、つまり「第二の矢」があるぞと脅しに来たのです。

◆なぜ、日曜日の夜の取材か
2ちゃんねらーからの情報により、酷似しているという「あひるさんありがとう」の著作権を持つ人や公益社団法人「小さな親切」運動本部の取材は平日にすませたのでしょう。そして、月曜日の朝刊で報道することにより、世間を「アッと」言わせることに成功するという「褒美」を期待したのでしょう。
通常の会社の営業時間に取材してしまえば、中村もサンクチュアリ出版の編集部も「あひるさんありがとう」のエピソードとは接点がないことを明確にされる、だから一番大事な著者と出版社への取材を確信犯的に「はしょった」のです。

これが、悪質きわまる読売新聞「最後のパレード」報道の経緯です。

市長のブログ記事が残っていますので、読んでみてください。中村は市長からどのように思われていたかが分かります。

忙しさにかまけて、自分のブログのチェックを怠っておりました。誠に申し訳ございません。それにしてもずいぶん凄いことになっており、驚いております。
<中略>
以前も申し上げましたが、多くの方がこのブログにご参加 いただき、ご自身のご意見を自由に書き込んでいただき、議論が盛り上 がることは、管理人としても望むところですが、表現等については出来るだけ冷静かつ品位ある議論になるよう努めていただければと存じます。宜しくお願いします。あまりに不穏当かつ不適切なコメントについては削除させていただく場合もあることをあらかじめお断りしておきたいと思います。
<中略>
さて、東村山4丁目さんのコメントでは、地下食堂の件で直接所管にご指摘いただいたことにより「うどん」の表記が改善されたとのこと、食品の安全性が問題になっている昨今ですから、なおさら見過ごせぬ問題であると感じました。誠にありがとうございました。また、小中学校の耐震工事につきましては、子供たちが落ち着いて勉強に励み、元気に遊べる教育環境にするためにも、また、不幸にして地震などの自然災害が発生した場合には、住民の避難場所として活用されることを考えてみても、耐震補強工事ならびに学校トイレ等の改修、施設の修繕は行政の最重点課題として取り組む必要がある、と認識しております。今年度は八坂小、一中の耐震補強工事を夏休みに行います。完成は来年度になりますが、今後も出来るだけ早く市内の小中学校の校舎が耐震化されるよう、極めて厳しい財政状況ですが頑張ってまいります。
さらに、このブログを閉鎖するようお求めがございました。前にも申し上げたように、ブログは匿名性による問題点もありますが、それゆえにある程度自由に双方向のコミニュケーションが行えるメディアであると認識しております。行政の長と言う大きな責任があり、また時間的な制約もあり、候補者のときのように記事は書けませんが、出来るだけ続けていきたいと思います。
<以下略>
• 2007-07-05
• 投稿者 : わたなべ たかし


読売新聞門間順平記者同様に「匿名人物」の情報に飛びついた「サイゾー」の記事

『最後のパレード』回収騒動 悪評飛び交う作者の行状
2009年05月16日08時00分 / 提供:日刊サイゾー

 実はこの中村克氏、地元の東村山市では一部で「よく知られた」人物であるらしい。その特徴のひとつが、「我こそは正義で真実」を絵に描いたような行動だという。例えば、同市庁舎地下の食堂で、ショーケースには「手打ちうどん」との記載が、自動販売機には「手打ち風うどん」とされていたのを見つけ、市役所に「怒鳴り込んで」改めさせ、それを市長のブログに自慢げに報告。その様子に良識ある市民が苦言を呈すると、「投稿者の政治レベルが低すぎます」などと、自分に批判的な意見を見つけては、他人のブログのコメント欄で執拗に非難。ほかにも自分の意見が通らないと、「『荒らし』を続けます」と宣言して粘着を続ける有様。そうした中村氏の暴走によって、市長のブログは閉鎖に追い込まれた。
(文=橋本玉泉/「サイゾー」6月号より)
http://news.livedoor.com/article/detail/4155774/

提出したにも関わらず審議されなかった中村の請願

東村山市議会議長
丸山 登 様

薄井政美市議への辞職勧告についての請願

表題の件、下記の通り請願する。


1、請願内容
東村山市市議会議員に当選した薄井政美氏に対し、東村山市議会が自発的議員辞職を求めるための辞職勧告を行うよう請願する。

2、請願の背景 
「地方選で争われる政策は生活に直結するものが多く身近で切実だ」「有権者みんなが多かれ少なかれ政策の利害関係者だ」(朝日新聞4月16日社説より引用)
東村山市の将来を決定する政策の形成と政策の決定に携わる市議会議員は、まさに私たち市民の運命を担っていると言ってよい。今般、夕張市の財政破綻や政務調査費の不正使用問題で表顕した地方議員の議員活動や議員としての資質の問題は、住民からの信頼を大きく失墜させる結果となっている。

3、請願理由
@経歴詐称の疑念
薄井政美氏の選挙公報のプロフィールには「毎日新聞社記者などを経て前職は出版社社員」とだけ職歴が記されているが、大手新聞社勤務はわずか1年8ヶ月であり、さらに前職は性風俗レポーターである。選挙公報において「徹底した情報公開」を二大公約の一つに掲げながら、「市議候補」「市議」としての自分に対する疑問や批判に対して、意図的に説明責任を果たそうとしてこなかった薄井政美氏の行動はまさに、「経歴詐称」にも値する大問題であると断じざるを得ない。
また、青少年の健全な育成を責とする薄井市議の「出版社社員」としての前職が、ソープランドなど性風俗業界の女性求人誌を発行している出版会社の社員であることを知った市民は、薄井議員に主権者としての権利を信託するであろうか。答えはノーであり、多くの市民が「信託できない」と声をあげていることは紛れもない事実である。
結論として、薄井政美氏は「人物」「経歴」を「詐称(偽り)」と言えるほど美化して当選したものであり、民間であればまさに「クーリングオフ」の対象であることは明白なる事実である。

A薄井政美氏の「異論の封殺行為姿勢」は市議としての適格性に欠ける
薄井政美氏のブログや住民投票を求めた市民連絡会のブログにおいて、薄井政美氏は一貫して氏の意見と異なる言論を封殺してきた。その行動姿勢は公人となった現在も同じであり、「少数意見の尊重」「表現、言論の自由」をうたった日本国憲法の精神に反する卑劣な行為であり断じて看過することができない。
薄井政美市議のこのような行為こそが、長崎市長が殺害された事件や加藤紘一元自民党幹事長の実家放火事件など、自由闊達な言論活動を封殺する蛮行へつながっていくのであり、氏の倫理感、道徳感の欠如はまさに市議としての適格性に欠けていると断じざるを得ないのである。

B的財産権侵害を奨励する姿勢はコンプライアンス精神を無視する愚行であり市議として甚だ不適任である
薄井政美氏のブログや住民投票を求めた市民連絡会の公式ブログにおいて、薄井氏は当方からの再三の忠告にもかかわらず、違法投稿された「You Tube(ユーチューブ、11月7日に放映された報道番組の海賊版)」を見るよう勧める記事投稿を何回も行ってきた。米国が中国の著作権侵害をWTOに提訴した記事や日本でも著作権をめぐる法改正への検討が始まったという記事を目にするとき、元新聞記者の経歴を有する薄井政美氏のこの確信犯的行為はまさに断罪されるべきものであると言わざるを得ない。
著作権侵害の可能性のある行為や知的財産権侵害を奨励するという、コンプライアンス精神に欠けた行為を繰り返した薄井政美氏には、市議候補として立候補する資格すらないと断じざるを得ないのである。

このような理由により、東村山市議会が薄井政美氏の市議会議員辞職勧告を行うよう請願するものである。 

4、提出日
平成19年7月  日

5、請願者および紹介議員

以上


クリスチャンとして教会で証したこと
http://dream333.seesaa.net/article/275512635.html
posted by M.NAKAMURA at 14:29| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の「原発事故原因」が正しい


目立たない報道ですが、朝日新聞に「原発事故文化のせいにするな」という記事が掲載されています。国会の事故調査報告書を欧米メディアが批判したものです。
<引用開始>
「本質見誤らせる」
米ブルームバーグ通信は8日、「不満が残る報告書」という社説を配信。内容の詳細さや「人災」と断定したこと評価しつつも、「誰がミスを犯したのかを特定していない」と指摘。「集団主義が原因」「(責任のある立場に)ほかの日本人がついていたとしても、同じ結果だった可能性は十分ある」といった記載については「責任逃れで陳腐な言い訳」と手厳しかった。
<引用終了>

以前にも書きましたが「和をもって尊しとなす」(「波風を立てずに妥協し調和すること」ではなく、「異見を尊重し調和すること」)を理解できないアメリカ人は、日本の組織運営「システム」が理解できないのです。

アメリカの組織の「システム」は、同じピラミッド型でも三角形を直線で区切るのです。ですから、個人の責任領域がはっきりしているのです。だれがミスしたのかもすぐに分かります。反対に欠点は、他人の領域に決して入ってはいかないことです。

翻って日本の運営組織は三角形の中を大小の丸で埋めていく体系です。直線で仕切るのではないのですから、当然丸と丸の間に隙間が生じます。この隙間を社員(以前は課長職中心でした)が協力して埋めていくというのが、日本式の「和をもって尊しとなす」なのです。

この方式で日本は高度成長を成し遂げたし、基本的には現在も変わっていませんが、リストラという名のもとに課長職が減らされ「社内教育」「人材管理」「組織管理」に企業は金を使わなくなり、隙間が埋められなくなり、まるで油が切れた機械のように組織内部は「うねり音」が響いているのが現状です。

原発事故に関して、無責任ですべてアメリカ型が正しいと強要するアメリカ人が物を申すべきではありません。

現在菅直人前首相がブログで事故当時を振り返った記事を連載しています。
菅直人公式ホームページ
http://n-kan.jp/

その内容と合わせ、筆者の事故報告書を外国人記者クラブを通じて全世界に発信していきたいと思います。

私は、東京ディズニーランドでアメリカ人に対して「通用する」報告書を相当数書いてきました。全世界の人々が納得する報告書に必ずなると確信しています。

2012年06月18日
原発事故の真相を教えます。

真因は、1985年の日航123便墜落事故から類推できます。あの事故の調査結果によると、墜落原因は、伊丹空港で尻もち事故を起こし、羽田空港でボーイング社の専門修理チームが、圧力隔壁付近の部品交換を行った際、ビス止めが甘く、数年後にその部分が破壊され墜落に至ったというものです。

したがって、製造責任、メンテナンス責任のあるアメリカ側に決定的な瑕疵があったのですが、アメリカ側は「寝てしまい」「逃げ切り」に成功しました。
翻って、福島第一原子力発電所の事故を「相対」してとらえた場合、はっきりと同様な原因が浮かび上がってきます。

1971年に稼働した福島第一原子力発電所の原子炉は、GEのマーク1型です。1984年に完成したフィリピンのバターン原発は、メルトダウンによる水素爆発を想定し、原子炉格納庫内の水素を化学処理して水にしてしまい、水素爆発を防ぐというアメリカ製の「安全装置」が設置されていますが、福島第一原子力発電所には、そのような安全装置が「バックフィット」されていませんでした。

バックフィットの大切さは、1981年の5月の第094回国会 エネルギー対策特別委員会で専門家から指摘されていますが、細川護煕元総理や共産党の山中郁子元議員などが、「何もしてこなかった」、つまり怠慢政治をしてきた結果が今回の事故につながったのです。共産党は「わが党は危険性を指摘してきた」と宣伝していますが、まったくのナンセンス、原発問題に口を出せる立場ではないことを思い知る必要があります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/094/1720/09405291720007c.html

(長いです。難解です。しかしながら専門家からの指摘は最もなものばかりであり、この議事録を頭に入れない事故調査はありえません。原発問題の入り口であり、今後への指針もこの中に詰まっています。)

アメリカは、1979年のスリーマイル島原発の事故後の「世論」に屈して、原発の新規建設を凍結してしまいました。つまり、技術革新を放棄したのです。航空機に見るように、技術革新なくしての安全管理などありえません。

日本はこの安全上の鉄則を守り、原発を当面は稼働させていかなくてはなりません。輸出もしていかなくてはなりません。日本は、身勝手で無責任なアメリカと同じ間違いを犯してはいけないのです。
posted by M.NAKAMURA at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月11日

いじめ防止システム「IBS」の導入を新聞社に提案します

<引用開始>
浜松の中2転落死も…校長「塾帰りにいじめ」
読売新聞 7月11日(水)11時53分配信
 浜松市中区の中学2年生の男子生徒(当時13歳)が6月12日に自宅マンション屋上から転落死し、生徒が通う市立中学の校長が保護者会で「生徒はいじめに遭っていた」と発言していたことがわかった。

 同中は「いじめと生徒の死因は直接結びつけられない」としている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120711-00000538-yom-soci
<引用終了>

いじめ防止システム「IBS」の中核をなすものは7月9日のブログのダニエル論法です。

バツ1起こったことはこういうことです。あなたが私にしたことはこういうことです。
バツ1私が感じたのはこういうことです。
バツ1私の生活に与えた影響はこういうことです。
バツ1私はこういう弱い人間です。
バツ1私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
バツ1そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。

私に当てはめれば、「自覚なき殺戮者」読売新聞がしたことは・・・・になります。どうなったかはこのブログでお伝えしている通りです。

私はこの論法をダニエル論法と呼び、日本人に欠けている雄弁学の道具にしていきたいと考えています。

そして、すべての子どもたちに、この論法を身につけさせ、いじめたり、「こころ傷つけ言葉」を発したりする者へ、紙に書いて手渡す。返事を待つというシステムをつくれば、いじめはなくなるはずです。

勇気を持って全員で全員を守るシステムをつくること、ドリーム党の使命だと考えます。

自殺する前にしなくてはならないこと
http://dream333.seesaa.net/article/279864847.html

「IBSいじめ 防止 システム」の概要を記します。

月に1度、全校生徒にテンプレート化された「告白文」「要望文」を提出させます。
いじめがあれば、先生がその生徒に提出された「告白文」を手渡し、先生二〜三人対生徒一人の面接を実施し、叱責指導します。
以後、改善が見受けられない場合には、教育委員会と連携し、いじめを行っている生徒を他校へ強制転校させます。

テンプレートの内容はこのダニエル論法に準ずればよく、「我慢すると自殺に追い込まれるほど苦しんでいます」ということを強調することです。

やってみませんか。いじめる者は必ず通報され、改善しないと強制転校になるこのシステムが怖くなり、「あそび」と違う自殺につながる極端な「いじめ」は激減すると思います。

さっそく、読売新聞社以外の新聞社にこの情報を提供したいと思います。
posted by M.NAKAMURA at 13:15| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秩父っ言葉と元狭山村ことばの文化性


秩父神社に向かう道を歩くといくつかの秩父の方言に出会えます。


秩父方言@.JPG


秩父方言A.JPG


「秩父っ言葉 あちゃむ詩だんべ絵」石橋城呉著は、桃太郎(創作)を秩父の方言で表現して見せています。

<引用開始>
いとおしねえたって 赤の せっちょうなんざあしてらんねえや
朝づくりに あにも食わずに ひとっ働きしたもんでひだるくって
まんまのかありに でっけい桃を お婆あと かたけに くったんでがんすよ
腹さんざ こげえたまま くちくなるほど きりゃねえ
<引用終了>

元狭山村の方言
「こどものころ聞いたことば 話していたことば」関谷和著より
<引用開始>
A 「いいあんべーだねー」
B 「でーぶぬくくなってきたー。こんじゃー花もじきに咲くベー」
A 「そーよなー、あと2〜3日ちゅーとこだんべかな。花が咲くのもいいけんど忙しくなんかんな」
B 「あにがよー、忙しいのは年中だーよー。おらがなんか びんぼーひまなしだからよー」
A 「そーは云っても、茶ぐれー飲むひまはあんべ。ちょっくらよってからっしょーよ」
<引用終了>

<引用開始>
あか(あかっこ) (名詞)赤ん坊
あさづくり (名詞)朝食前のひと仕事 「桑くれはあさづくりにやっちまーだ」
<引用終了>

秩父では「がんす」と言うように書かれていますが、元狭山村では使っていなかったようです。その理由は、鎌倉街道沿いの元狭山村の方言はおもに当時の小田原公家ことばに東海道沿いの武家ことばが多用され、東北の方言とも広島の方言とも言われている「がんす」は入ってこなかったものと考えられます。

それ以外はよく似ています。秩父の方に聞いた話によれば、かつては八高線で生糸を八王子経由で横浜に送っていたとのことです。

八高線 ウィキペディアより<引用開始>
当路線はもともと、東海道本線方面と上越線方面の軍事輸送を都心から迂回する目的で建設された。また、生糸生産地の群馬県と海外輸出港である横浜港とを結ぶいわゆる「絹の道」の近代化や、すでに幹線として輸送量があった高崎線のバイパスとしての役割があった
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%AB%98%E7%B7%9A

八高線の開通は昭和6年ですから、それ以前の何百年もの間、秩父から飯能、元狭山村、八王子というルートで、秩父で産出された生糸が各地に届けられたことでしょう。

茶祖栄西は桑を茶同様に桑の葉を上薬と捉えていました。

『喫茶養生記』に見られる道教文化の影響に関する試論
浙江工商大学 江静 呉玲
<引用開始>
道教が説く養生の手段はさまざまあるが、仙薬の服用はその重要なもののひとつである。服せば老いが童に戻り永らえて仙人となる薬が仙薬である。『抱朴子内篇』第十一『仙薬巻』に神奇作用をもたらす薬の数々が紹介されている。栄西はこれを引いて茶を「養生の仙薬」とし、「桑木もまた仙薬なり」、「服す者は仙者にして、種々の薬を服して久しく命を保つ」とした。また、桑木を服す方法を「仙術」とし、茶を服することを「妙術」と呼んでおり、ここにも道教の影響が明らかである。周知の通り道教は「術」を重んじる宗教であり、「寓道於術」「道無術不行」はいずれも道教の説法である。
<引用終了>
http://www.japanology.cn/japanese/paper/ch/02%E6%B1%9F%E9%9D%99%EF%BC%88%E5%96%AB%E8%8C%B6%EF%BC%89.htm

桑の効用について記載されたブログを見つけました。
<引用開始>
 京都 最古の禅寺 建仁寺に行ってきました。
  ”喫茶養生記”を著し 桑茶を広めた 栄西禅師が開山(1202年、建仁2年) 開基は源頼家の
お寺です。 その境内の一角に ”桑の碑”があります。
説明書きに 病の相は 一に飲水病 二に中風 三に不食 四に瘡病 五に脚気 そしてこれらの諸病を治する妙薬は”桑”であり これを服すれば長寿無病を得られる。
 諸病を治するには 仏教に順じた生活をすることが肝要であるが 桑樹は妙薬であり 諸仏菩薩の樹であると 喫茶養生記の一文が書かれてあります。
<引用終了>
http://www.kuwachahonpo.co.jp/nikki_kuwanohi.html

この記事の表題は「秩父っ言葉と元狭山村ことばの文化性」です。

なぜ同様の言葉の文化を共有するのか。答えが見えてきました。

鎌倉時代の文化は、禅の文化です。禅宗の朝食は「粥」に決まっていますが、公家も武家もあるいは天皇家も、健康のために上品(じょうばん 上薬)である桑粥を食し、茶を飲んでいたのでしょう。

秩父でつくられた茶葉を桑茶に加工し、秩父の天領の民が「牟佐志の地」の天領の民に届け、狭山の地で生産された茶とともに鎌倉幕府の使者が受け取り、鎌倉や小田原、関東の禅寺、そして各地に散った武家や公家に届けられたものと容易に類推されます。

狭山の地元狭山村の方言を話せないとコミュニケーションできないわけですから、この推論は外れていることはないと思います。

歴史を知ることは、ジグゾーパズルを完成させるようなものです。マクロの視点で各自が有している情報を「ここに当てはまる」と提供していけば、NHKが生み出すような「野蛮な日本人像」ではなく、宮崎駿監督の歴史観である「最近の歴史学、民俗学、考古学によって一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を持っていたことが判っている。」「武士と百姓の区別は定かでなく、女達も職人尽くしの絵にあるように、より大らかに自由であった。」全体像が「見える化」してくるのです。

江戸時代までは、日本人は気品高き民族でした。それをこなごなにぶち壊したのが「和魂洋才」という外国から強制注入された日本人愚民化プログラムだったのです。
posted by M.NAKAMURA at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

アメリカ兵に強姦され自殺した母の同僚教師

母は元狭山村の元狭山小学校の教員をしていました。現在の瑞穂第三小学校であり、米軍横田基地から北へ数キロのところにある農村の小さな小学校でした。

母から聞いた話です。同僚女性教員が終戦後駐留したアメリカ兵に強姦され、その後自殺した、と。そして、それを知った母の父は以後母を幽閉し、一歩も外に出さなかったそうです。他人で良かったとは思いませんが、母が強姦されていたとすれば・・私は生まれてこなかったと思います。

もう一つ母の同僚と戦争の話を。
皆さんは、「私は貝になりたい」という映画をご存知でしょうか。妻と映画館で観た最後の映画です。

私は貝になりたいウィキペディアより
<引用開始>内地の日高中隊に所属した豊松は、厳しい訓練の日々を送る。ある日、撃墜されたアメリカ軍B-29の搭乗員が大北山山中に降下。軍司令官の矢野中将による「搭乗員を確保、適当(2008年の映画版では「適切」)な処分をせよ!」という命令が、尾上大隊を経て大北山の最寄にいた日高中隊に下り、山中探索の結果、虫の息であった搭乗員を発見。そこで豊松は、小隊長から滝田二等兵とともに銃剣でその米兵を刺すよう命じられた。
終戦後、豊松は無事に復職するも戦犯として特殊警察に逮捕され理不尽な裁判に人生を翻弄されるのであった
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%B2%9D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84

関谷和著 「子どものころ聞いたことば 話していたことば」より
<引用開始>
H先生の想い出

 H先生に教わったのは昭和18年、4年生の時だった。先生は実業学校を卒業したばかりの18歳で学校の宿直室に寝泊まりされていた。何もかもが軍国調一色に染まっていく学校の中で、この先生は今考えてみると他の先生とはすこしちがったところがあった。
<中略>
 2学期のある日、先生は大学の予科への入学が決まり学校をやめた。でも、その直後に軍隊への入隊が決まった。私たち10数人は、となり村のその向こうの村にある先生の家まで歩いて会いに行った。そのとき、当時はもうめずらしくなっていた白米のごはんをごちそうになった。
<中略>
 その後私は、ひとりだけで先生に会う機会があった。そのとき先生はなんだか淋しそうで、「俺は捕虜を殺した。」と云った。塹壕の中に集められた新兵たちに、隊長は柱に縛り付けられている捕虜を銃剣で殺すよう命令したのだ。「かかれ!」の号令に誰も身動きできない。不気味な沈黙のつづく中で先生はとび出していってしまったと云うことだった。
 先生は大学に復学されて通学していたがその2年後に心臓麻痺で急逝された。私たちは誰も葬式に参列できなかった。申し訳ないことだが、その後墓参りにも行く機会もないままになっている。
<引用終了>


私も「私は貝になりたい」とブログに書いたことがあります。
こちらの方が引用してくれ、当時の私の状況をかなり的確に表現してくれています。

にゅーすななめよみ
http://renuranus.blog25.fc2.com/blog-entry-329.html

「私は貝になりたい」とは、海底の奥深くに暮らす貝なら人間にいじめられなくて済む、という本物の「苦し紛れ」の言葉であり、接点もない、盗用の証拠も持たない新聞社や日本テレビにより取材も受けずに「悪者」と全国報道され苦しんでいる時、私も本当に「今度生まれてくるとしたら貝になりたい」思いました。

今から思えば、東日本大震災ですべてを失った被害者の精神状態と同じくらいの「自分自身では回復できないほどの精神的ショック」を受けたのですから、私が病気にされ、自分をセルフコントロールできない状態に陥らされたことを疑う人間は数少ないと思います。

H先生も同じでしょう。人を殺したことで、自分で自分を傷つけ、病気にさせ、限りなく自死に近い「心臓麻痺」で亡くなったに違いありません。

会えない老母にもうこのことを尋ねることはありませんが、後世に伝えていかなくてはならないことだと思っています。
posted by M.NAKAMURA at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝日新聞をたぶらかしたサンクチュアリ出版


7月8日の記事「悪質なサンクチュアリ出版のウソ」に朝日新聞の記事を引用したところ、ある方からその記事は現在も公開されているとの情報を頂きました。

http://book.asahi.com/news/TKY200905010259.html

<引用開始>
 盗作疑惑が持ち上がってから回収決定まで時間がかかった理由については、「執筆当時の資料が破棄され、著作権者の確認作業に時間がかかったため」としている。鶴巻社長は「謝罪文掲載についても誠意を持って対応していきたい」と話した。
<引用終了>

執筆当時の資料は著者である私が持っている必然性、つまり、鶴巻社長は虚偽の説明をしていることに疑問を抱く人はどれだけいるでしょうか。極めて悪質な行為であり、偽計業務妨害罪(虚偽の風説を流布し、または偽計を用いて人の業務を妨害する罪)に該当すると私は考えます。

朝日新聞は現在でもこの記事を公開しているということは、事実と異なることを報道していることになります。そもそも論として、なぜ著者にインタビューを申し入れなかったのでしょうか。このブログに記している通り、著者である私はあの汚い江川事件から読売が大嫌いになり、以後朝日新聞しか購読してこなかったというまぎれもない事実があります。朝日新聞の取材であれば著者の私は喜んで取材を受けたと思います。おそらく、鶴巻社長が「中村は病気で動けない」くらいのウソをついたのでしょう。

すべてが「中村外しという策略」のもとで進められていたようです。読売新聞の報道から10日ほどでサンクチュアリ出版は私からの電話にでなくなりました。私には一切の情報を与えないという策略でした。しかしながら私は、当時私を後方支援してくれていた東村山市議矢野穂積議員からのアドバイスで、サンクチュアリ出版に以下のような文書を送っています。

平成21年5月2日
サンクチュアリ出版
代表取締役
鶴巻謙介様

「最後のパレード」回収等措置の撤回について(申し入れ)

株式会社 外部の専門家
中村 克


表題の件、下記の通り、ただちに対応されるよう、著作権者として強く申し入れます。



1要望内容
「最後のパレード」の回収、謝罪文公表を即刻中止するとともに、5月1日付で発信した「最後のパレード」回収についての声明文書の内容を撤回して頂きたい。

2理由
取り交わした「出版契約書」の遵守事項(7条、13条、28条)に抵触しており、著作物の内容にまで立ち至って、報道発表が一方的になされることは、発行者の権限を逸脱するものであって、著作権法が定める著作権者たる中村克の著作権全般を侵害するものであり、認められない。
とりわけ、第三者に権利侵害が発生しているか否かについては(第7条)、さまざまな見解がなされているところであり、判断の定まっていない現在にあって、著作物「最後のパレード」の自主回収、謝罪文公表を行うことは、当方に、回復し難い多大な不利益が発生する恐れがある。

3 今後の対応
前記「出版契約書」に基づき、信義をもって協議し、速やかに両社間で合意を形成していきたい。

以上
<転載終了>

朝日新聞は、著者である私にインタビューをしないという公正性を欠いた記事を今でも公開しています。朝日新聞に直接抗議の文書を出したいと思います。
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紀藤正樹弁護士の「資格商法」記事について


今朝の朝日新聞のリレーおぴにおんに「権威」への弱さが狙われている、というタイトルの記事が掲載されています。
<引用開始>
そもそも資格を取っただけでうまく行くなんて、人生それほど甘いもんじゃありませんよね。資格なんか持っていなくても、役に立つ人は世の中に大勢います。人は結局、人柄であり、実力です。化けの皮はすぐはがれる。弁護士という資格も同じですが。
<引用終了>

私は紀藤先生から「良い仕事をして信用を取り戻しなさい」というアドバイスのもと、ブログに知財を残すという「生産消費」活動を行っています。(トフラー博士は「生産消費」は本来有料のものと指摘しています)

私の資格取り体験を示します。
5年ほど前でしょうか。高齢の母の介護に備えるためにある会社でホームヘルパー2級の資格を取る講座を受けはじめました。受講した会社だけではないのでしょうが、すぐに資格を取っても「使えない」と判断できるほど、内容は薄く、国の決めに則って資格だけを与えているということが分かりました。

最初に10万円ほど支払ったと思いますが、受講した会社に「時間とお金の浪費にしかならない」と申し出たところ、6万円ほど戻ってきました。

なぜ、私が「だめだ」と判断したか、その答えは簡単です。私は講演でディズニーランドは「デビュー教育」、学校や資格取り教育は「ところてん教育」とその違いを明確に分けて説明していました。
「デビュー教育」とは、デビューできるまで教育するという意味です。自動車教習所を考えてみてください。一人前の仕事(運転)ができるようになるまで、決して卒業させません。ディズニーランドも同じです。

拙書「すべてのゲストがVIP」より
■徹底した教育を受けています

 ディズニーのキャストの仕事は、来園していただいたゲストに最高のサービス、最上のホスピタリティを提供することです。パート、アルバイトのキャストもたくさん在籍していますが、コンビニエンスストアやファミリーレストランのスタッフと、何がどのように違うのでしょうか。

 ディズニーランドでは、教育を受けていないキャストがオンステージに立ち、ゲストに接することは一〇〇%ありません。
 例えば、「シンデレラ城ミステリーツアー」のガイドになるには、すべてのスピール(台詞)を覚えなくてはなりません。アトラクションの仕組みやポジションごとの職責、非常時の対応まで多くの訓練を受けます。
 大切なキャストですので、一対一のマンツーマン教育です。認定を受けたトレーナーが、キャストがゲストの前に立てるまで付きっきりで教えます。こんな相談もあります。
「中村さん、播磨さんのトレーニングですが、スピールが完全でないので後二時間延長してよいでしょうか」
 スーパーバイザーは聞き返します。「どこがまだ不十分なの」
「はい、トレーニーはやる気はあるのですが、最初の城内ツアーの説明とホーンドキングと闘うシーンのスピールがもう一つなのです」
<終了>

対して、ほとんどの資格取り学校は入学してカリキュラムを修了すれば「免許」が与えられます。つまり入口から入り出口へ向かうフィードバックトレーニング(振り返りトレーニング)の無い「ところてん教育」なのです。

決定的であったのが、利用者(介護を受ける人)のパジャマ交換の作業でした。身体の動かない寝たきりの利用者を安全に車いすに移動させ、上下の着衣を交換し、再びベッドに戻す重労働です。興味がありましたら、以下のサイトをご覧ください。

老人 介護 着衣交換・洋服やパジャマなどのかぶり式の上衣の着替え
http://01kaigo.seesaa.net/article/167678262.html

事故があれば責任を取らされる介護現場で働く人への教育です。このパジャマ交換作業も他の多くの作業同様にたった一度の練習体験で次のカリキュラムへ進んでしまいます。これでは介護の仕事の世界へデビューできるわけがありません。

実際に、講演をした介護施設の責任者に話を聞くと、案の定どこでも「使いものにならず、再教育を施している」という話でした。

ニートと呼ばれてしまっている人たちも同じです。「ところてん教育」により社会に押し出されたため、自信がないのです。自信がないから怖くて社会にデビューできないのです。

秋葉原連続殺傷事件もニート、引きこもりの問題も個人の問題ではなく、社会問題としてとらえ、教育から変えていかないと日本社会に平安が戻ることはない、そう断言いたします。
posted by M.NAKAMURA at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

立教大学の建学の精神と香山リカ


建学の精神について
<引用開始>
キリスト教に基づく教育とはいったいどんなものでしょうか。キリスト教は大学の持つ本来的な姿勢に対して何らそれを束縛し、規制しようとするものではなく、ましてや信仰を強制するものではありません。キリスト教本来の姿は、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場へ導こうとするものです。そこに求められるのは、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢です。
<引用終了>
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/spirit/foundation/

香山リカ教授
http://cp.rikkyo.ac.jp/prof/prof_kayama.html

これから、私がここに記すことは真実です。

2009年の秋の日、私は東村山駅東口の府中街道に面した牛丼店で昼食をとりました。そして、いつものように府中街道を図書館の方向に歩いていたところ、突然神の啓示がありました。

「右に曲がりなさい」

私は、金物屋の角を右に曲がり駅方面に向かいました。すると。

「本屋に入りなさい」

私は本屋に入りました。「あゆみ」という小さな書店です。神はどの本を読めとおっしゃっているのか、その答えは分かりませんでしたが、積まれていた香山リカ著の「悪いのは私じゃない症候群」を購入しました。
http://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%A6%99%E5%B1%B1-%E3%83%AA%E3%82%AB/dp/4584122393/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1341799998&sr=8-1

家に帰り、読み始めてすぐに神の啓示の内容が分かりました。本のタイトル通り、香山リカ氏は最後のパレード事件を取り上げ、あたかも私がホームページからコピペした論文を提出する低レベルの学生のように「悪いのは私じゃない症候群」の代表者のようにイメージづけています。読売ホイホイ人間の香山リカ氏は読売新聞の記事をそのまま頭にコピペし、私に取材することなく私を誹謗・中傷し侮辱しています。

キリスト教関係文書より
<引用開始>
加害者(傷つけた人)が自分の犯した悪事を認識するのを拒むとき

これは最も難しく、ケアカウンセリングにおいては最も取り扱う頻度が多いケースです。違反(侮辱)は、傷や悲しみをかきたてたり、生じさせたりします。このときの悲しみや怒りが表現されるのは正常なことです。
ひどい侵害に対して反応(または対処)しないのはおかしなことなのです。不当な仕打ちを受けた苦しみに対して怒りを感じ、加害者(傷つけた人)の行為が私たちの人生に与えた悲しみを感じることは正常で理にかなったことなのです。
一般に怒りよりも悲しみを認識するほうが容易いでないようです。怒りに対しては問題を感じる人が(とくにクリスチャンは)多いからです。しかし、痛みを否定するというのは自分自身に対する敬意を欠いていることであり、怒りを否定することは自分自身を大切にしないことなのです。
認識され、適切に表現された怒りは必要なものであり、正当で、自然なことです。怒りをどのように表現すればいいのかを知り、怒りの持つ役割を理解しなくてはなりません。
<引用終了>

著書「悪いのは私ではない症候群」で香山リカ氏は、「上司から突然にプレゼンを指示され失敗しても、失敗の責任は上司にはなく、上司のせいにするな」という意味のことを書いています。(原文:会議でうまくプレゼンできないのは、私のせいじゃない。突然、指名した上司や家庭で何かとプレッシャーをかける妻、そしてこのいつ起きるかもわからないパニック発作のせいのだ。6ページ)

クリスチャンには全く通用しない思想であり、危険です。失敗の原因を上司と部下が共有することなくして、前には進むことはできないからです。部下管理の鉄則が理解できない香山リカ氏。そして、精神病理学を専門としながら、平気で他人を侮辱する香山リカ氏。

こういう人間であるということを立教大学に教えてあげたいと思います。

侮辱罪ウィキペディアより
2006年9月11日、侮辱罪の法定刑のうちで最も重い「29日間の拘留」とする最高裁判決(上告棄却)がなされ、後に確定している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%AE%E8%BE%B1%E7%BD%AA

建学の精神について
<引用開始>
キリスト教に基づく教育とはいったいどんなものでしょうか。キリスト教は大学の持つ本来的な姿勢に対して何らそれを束縛し、規制しようとするものではなく、ましてや信仰を強制するものではありません。キリスト教本来の姿は、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場へ導こうとするものです。そこに求められるのは、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢です。<引用終了>
posted by M.NAKAMURA at 11:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自殺する前にしなくてはならないこと

門間順平さん、あなたの讒言(ざんげん 他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪しきさまに告げ口をすること)報道により、私は、今でもこのように脅されているのです。あなたに良心というものが少しでも残っているのなら、悔い改めなさい。

547 :朝まで名無しさん:2012/06/18(月) 04:00:15.50 ID:JDsiuaMw

抗議の自殺 抗議の自殺 抗議の自殺
死をもって無実を証明すべき。

そうでなければブログなどは無意味。だれも信用しない
最大の勇気をもって自殺することだけが無実の証明となる。

それもできないヘタレ臆病者はやっぱり盗人だ!
やってみろ! 犯罪者の前科者!
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1331702037/501-600

3年前の今ごろ、私は苦しみ喘ぎまわっていました。そんな私を神は教会へと導いてくださいました。

フランス系日本人のダニエルは私にこのようにしなさいと言いました。

人間の脳は三つに分かれます。「本能脳」「感情脳」「理性脳」です。あなたの「感情脳」は、憎しみや恨みでいっぱいになっています。だから「理性脳」が働かないのです。それを吐き出しなさい。あなたの上の黒い雲が晴れることはありませんが、雲の上に立つことができるかも知れません。教会のドラムスをたたき、物に当たってください。あなたが恨んでいる人の名前を出してもいいので、とにかく、「感情脳」に溜まっているものを外に出しなさい。

私は、イスをたたいたり、ティッシュボックスを床にたたきつけたりしながら、「鶴巻の裏切り者!」「門間順平のひきょう者!」などと叫びながら、15分ほど暴れまわりました。

すると、ふと「哲(さとる)」という言葉が頭に浮かんできました。私を谷底へ突き落した読売新聞の門間順平記者やサンクチュアリ出版の鶴巻謙介社長に「哲」を与えたいと思いました。頭が軽くなったようで、まさにダニエルが言った「雲の上に立つ」ことができたのです。

後にダニエルから聞いた話では、ドメスティック・バイオレンスに苦しむ夫婦が、この方法により「帰るときは手をつないでいた」そうです。

以後、私は今日まで「感情脳」に恨みを溜めることはありません。

さて、皆さんの中で雄弁学を学んだ人がどれだけいるでしょうか。

まずこちらをお読みください。「友愛ギフト読本」に記したものの一部です。

右矢印1「これまで」と「今から」を分けて考えましょう。
残念ながら人類はまだタイムマシンを持っていません。ですから「これまで」つまり「過去」は絶対に変えられないのです。

コンピュータや携帯電話に「記憶装置」があるように、人間には、「はーとディスク」という「心の記憶装置」があると考えられます。人間一人ひとりの「はーとディスク」には、過去の記憶がたくさん書き込まれています。書き込まれた記憶は「良い記憶」「悪い記憶」に分かれます。

「これまで」は、変えられない過去の「悪い記憶」が、人の性格形成や暴力行為や犯罪の「意思決定」に影響を及ぼしてきました。それだけではなく、変えられない過去の「悪い記憶」は、個人だけではなく、集団の「意思決定」や、国家の「意思決定」にも影響してきたことは誰も否定できないでしょう。

あの人は過去に麻薬事件で逮捕された、あの会社は過去に事件を起こした、あの国は過去に日本に原爆を落とした。事実であっても、過去は絶対に変えられないのです。

変えられないものを追いかけたり、変えられない過去の犯罪者にレッテルを張ったりすることは、決して幸福の生産性を高めるものではなく、人と人、人と集団、人と国家の間に悪いストレスを生み出すだけです。

■心を軽やかにしましょう
私たちが選択した「今から」は、「これまで」の悪い記憶に影響されてはいけません。なぜならば、過去の悪い記憶は、私たち一人ひとりのギアを前に進む「前進」ではなく、後ろに進む「バック」の状態にしてしまうのです。
私たちが選択した「人を大切にする国づくり」に向かって力強く前進するする妨げになるのです。

これからは変えることができる「今から」だけを考えましょう。変えられない過去の清算は、立法、行政、司法の権力者に任せて、私たち国民は前だけを見ていくことが大切なことです。

原爆の投下や消えた年金問題も同じです。過去は変えられません。官僚や公務員の過去の仕事ぶりに対して注目が集まっていますが、過去を批判してもこれからの幸福の生産性は高まりません。過去の過ちは水に流してあげましょう。

原爆投下も大きな過ちではありますが、二度と原爆が使用されることがないよう前だけを見た行動が必要なのです。

■「許し」と「赦し」を分けて考えましょう

私たちの心の「はーとディスク」に保存されている悪い記憶を生み出した犯人も分けて考えられます。真の犯人は「自分」と「他人」です。

「許し」とは、excuseです。エクスキューズミーのexcuseであり、これは礼儀作法やマナーの欠如に関するものです。一方、「赦し」はpardonです。「赦し」は重大な違反に対して与えられるものです。

軽い間違いや悪意のないミスは人を傷つけたり、感情を害したりするものではなく、「申し訳ない」という表明をすればよいことです。このようなささいな間違いに対しては、人は他人を「許す」べきなのです。

「赦す」の意味は「許す」より深いものです。暴力を受けたり、名誉を傷つけられたり、悪意のあるいたずらをされたりした「被害者」が「加害者」の事後対応に納得して、「水に流す」行為が「赦す」ということなのです。

「赦す」「赦さない」という決定は感情ではなく、自分自身の頭脳が決める行いです。憲法の精神に則した変わることのない人間としての「正義」と適合するか、しないかを自分自身も頭脳で判断し、自らが決定しなくてはならないのです。

加害者の反省なき姿勢は傷つけられた被害者に苦しみを与え続けます。
私たちは、被害者を苦しませる後悔なき加害者を心からの反省なしに赦してはいけません。

日本では「赦す」でも、「赦さない」でもない「(怒りの感情を)押し殺す」ことが美徳のように言われますが、この「押し殺す」という行為ほど危険なものはありません。なぜならば、心の「はーとディスク」に溜まった、押し殺された怒りの気持ちは、いずれ爆発するからです。

「はーとディスク」という記憶装置から消去されない「押し殺された怒り」は、30年、40年後に爆発することさえあります。(厚生次官殺害事件の犯人は、少年時代に愛犬を保健所で殺されたという感情から犯行に及んだと供述しています。)

怒りを「押し殺す」「我慢する」という行為は、一見正しいようですが、爆発以外にも個人の心の動きに大きな影響を与えてしまうのです。それは、自分自身に怒りを向けてしまうという動きです。「原因をつくったのは私かもしれない」「自分はダメな人間なのかもしれない」など、自分が自分自身を崩壊させてしまう基となる不要な「自己嫌悪感」を生み出してしまうのです。

ほとんどのうつ病の主な原因は、この「自らに向けられた怒り」だそうです。「自らに向けられた怒り」はうつ病だけでなく、高血圧症や潰瘍、偏頭痛などの異常も生み出す実に恐ろしい感情であることを私たちは、再認識しなくてはならないのです。

■心を軽やかする友愛武具
「被害者」になってしまった場合には、以下の手順で、事実関係や感情を整理してみましょう。

バツ1起こったことはこういうことです。あなた方が私たちにしたことはこういうことです。
バツ1私が感じたのはこういうことです。
バツ1私の生活に与えた影響はこういうことです。
バツ1私はこういう弱い人間です。
バツ1私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
バツ1そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。

自分や他人を「赦す」ことができるかできないかが、このテキストの最大のテーマと言っていいでしょう。ぜひもう一度手順を読み返してみてください。何となくでも「赦すこと」は自分の心を軽くすることにつながることに気がつくことでしょう。

この項目をまとめます。

◇他人が加害者の場合、加害者が心から反省して、心からの謝罪を行い、以後の行いを改める約束をするまでは、加害者を決して赦してはなりません。加害者が後悔しなくても、決して私的な制裁(リンチ)を行ってはなりません。加害者の心からの謝罪を引き出すためには、「友愛武具」などを使い、感情ではなく加害者の理性に訴えていくことが大切です。

◇他人への怒りを自分の中で「押し殺す」行為は、自分を崩壊させることにつながります。同時に真実を覆い隠すことにもなりかねません。我慢せずに「声を上げる」行動が自らを助けます。

<参考;理性的な加害者へのアプローチ方法>

以下の友愛武具を用い加害者にアプローチすることが有効です。「こういうこと」を分けて教えることで、相手に分からせる効果が期待できます。(英国人女性の死体が遺棄された事件の容疑者の家族が実際に受けたと推察される被害状況を参考にしてください。)

◇これが起こったことで、あなた方が私たちにしたことはこういうことです。私たちが感じたのはこういうことで、私たちの生活に与えた影響はこういうことです。そして、私たちがあなた方にして欲しいことはこれです。


英国人死体遺棄の容疑者である息子の事件とは関係のない、病院や自宅に対する匿名の集団的な私的制裁行為(集団リンチ)が起こったことで、「匿名テロリスト」たちが、私たちにしたことは、憲法に保障された基本的人権の侵害です。

私たちが感じたのは、ゆるしがたい「怒り」の念と、「ラケット感情(自分が自分自身を崩壊させていく自己嫌悪感)」であり、私たちの生活に影響を与えたのは、@電話に出られなくなった。A外出時に身の危険を感じるようになった。B仕事を失い、将来的な不安を抱えるようになった。などであり、さらに、診療中の患者にも多大な迷惑を掛けることにもなりました。

そして、私たちがあなた方「匿名テロリスト集団」にして欲しいことは、思考停止状態から抜け出し、行動を自分の頭で考えて欲しいということです。感情を司る脳を刺激し続けるマスコミにマインドコントロールされることなく、理性脳で行動を律して欲しいということです。

■友愛社会を築き上げるために「私憤」と「公憤」を分けて考えましょう
まず怒りを「悪い怒り」と「良い怒り」に分けて考えてみましょう。
「悪い怒り」とは、暴力的で激しかったり逆上したりします。「分別」を失ったものであり、元々道理にかなっていないもので、動機は個人的な「ストレス発散」や「ねたみの気持ち」などから生まれたものです。

友愛社会を築き上げるために大切なことは、この「悪い怒り」を「正当な怒り」であると誘導する行為を見破ることです。
ある有名女優は薬物使用がきっかけで悪者とされ、別荘を焼失してしまうことになりました。これが放火によるものだとすれば、「悪い怒り」に正当性を抱かせるような報道があったのかなかったのか、私たちはもう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

次に「良い怒り」です。「良い怒り」は社会の幸福の生産性を向上させるものです。貧困への怒り、差別への怒りなど、デモ行進や反対集会など、民主主義をさらに進化させるための怒りが「良い怒り」です。「良い怒り」は「良い不満」と言いかえられます。

私憤(しふん)」と「公憤(こうふん)」の違いは字の通り、「個人的な憤り」と「公(おおやけ)の憤り」の違いです。ほとんどの「公憤」は道理にかなった「良い怒り」であり、幸福の生産性を向上させる、民主主義社会には必要不可欠な「憤り」です。

これまでの私たちは、「私憤」を中心にした競争社会に生きてきました。そして今、多くの人々の「公憤」により、これまで進んできた道を「チェンジ」し、新しい道を選択することに成功しました。

新政権が目指す「新しい公づくり」とは、人と人が支え合う社会づくりです。「私憤」や「公憤」といった「憤り」のない社会づくりは、お金を豊かさの中心とする社会から、心の豊かさを実感できる社会へこの国を転換させます。
そのためには、誰もが、良い私憤、良い公憤なのか、それとも悪い私憤、(テロリストや過激な環境保護団体が抱く)悪い公憤なのかを見分ける力をつけることが大切なのです。
<終了>

バツ1起こったことはこういうことです。あなた方が私たちにしたことはこういうことです。
バツ1私が感じたのはこういうことです。
バツ1私の生活に与えた影響はこういうことです。
バツ1私はこういう弱い人間です。
バツ1私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
バツ1そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。

私に当てはめれば、「自覚なき殺戮者」読売新聞がしたことは・・・・になります。どうなったかはこのブログでお伝えしている通りです。

私はこの論法をダニエル論法と呼び、日本人に欠けている雄弁学の道具にしていきたいと考えています。

そして、すべての子どもたちに、この論法を身につけさせ、いじめたり、「こころ傷つけ言葉」を発したりする者へ、紙に書いて手渡す。返事を待つというシステムをつくれば、いじめはなくなるはずです。

勇気を持って全員で全員を守るシステムをつくること、そうすることにより自殺者をなくすことこそがドリーム党の使命だと考えます。

posted by M.NAKAMURA at 10:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北朝鮮ミッキーマウス登場報道の読み方


北朝鮮:ミッキーマウスそっくりの着ぐるみ登場
<引用開始>
北朝鮮で6日、最高指導者、金正恩第1書記も出席して開催された音楽公演に、ミッキーマウスなどディズニーの人気キャラクターそっくりの着ぐるみが登場していたことが分かった。ラヂオプレス(RP)が9日までに報じた。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20120709k0000e030058000c.html?inb=tw

アメリカ政府は日本と違い北朝鮮との対話姿勢を見せている。

Daily NK - オバマ米大統領訪韓…グランドバーゲン支持を表明
<引用開始>
2009年11月19日 ... 特に、オバマ大統領はアジア訪問の前に、「李大統領と私は北朝鮮の核とミサイルの拡散問題について『包括的な解決(comprehensive package)』をする必要性について意見が一致した」と述べ、グランド・バーゲンへの支持を間接的に示した。
<引用終了>
http://japan.dailynk.com/japanese/read.php?num=7426&cataId=nk00100

このグランド・バーゲンから類推するとアメリカ政府がディズニーに何かを依頼したとも思えるが・・・・
報道する(ニュースは商品である)共同からすれば、ミッキーやミニーに似てなくてはニュースにならない。よって、遠方斜めからの写真を掲載している。このロジックの方がすっきりする。

ミニーの背丈が大きい、右はじのティガーもなんか変、と感じたのは私だけであろうか。

こういう政治が絡む問題の場合、オリエンタルランドと違い利口なディズニーは何も反応しないという立場をとって来たが、さてさてどのような展開になるか気になる所ではある。
posted by M.NAKAMURA at 09:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月08日

中村が読売の「ひれ伏せ」に屈服しない理由


この記事を読んで頂ければ理解いただけるはずです。ヤメ検の郷原信郎氏は「思考停止社会」にこう書いています。

<引用開始>
食の偽装、建築の強度偽装、ライブドア事件、厚生年金記録の「改ざん」問題。取り上げられる事例に共通することは、コトが表面化した途端に企業、組織がメディアや世の中からバッシングされ、事実や背景、原因は無視される構図だ。

「法令遵守」「偽装」「隠蔽(いんぺい)」「改ざん」「捏造」バッシングに使われる言葉の数々を、時代劇になぞらえ「印籠(いんろう)」と呼ぶ。

日本人は「印籠」を出されるとひれ伏してしまう。メディアも世の中もバッシングに加担。思考停止です。
2009年4月19日 朝日新聞
<引用終了>


朝日新聞、2000年3月5日の「天声人語」から

<引用開始>
「私は心の底では責任があるとは感じていません」
彼は、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。ユダヤ人虐殺にかかわった戦犯として、一九六一年にイスラエルで裁判を受け、死刑になった。

その法廷の未公開記録映像をもとに作られた映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』が、東京と大阪で上映されている(名古屋などでも上映予定)

なぜ罪を認めないのか。「私は命令に服従しなければならず、それを実行しなければならなかった」と、彼は言い募る。上官に忠実だっただけであり、同じ立場なら、だれもが同じ事をしただろう。だから人道的にはともかく、法的な責任はないのだ、と

この弁明に、裁判を取材したユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレントは当時、『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)を書いて反論した。

<君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性とのあいだには決定的な相違がある>。事情はどうあれ、実際に「服従」したことそのものに罪があるのだ、と

<引用終了>

服従するのは無責任であると断罪しています。私もそう考えます。
しかしながら、日本人は服従を可とします。

<引用開始>
<新入社員>「良心に反する仕事でも行動」 初めて4割超に

 社会経済生産性本部が26日まとめた04年度新入社員意識調査で、「自分の良心に反する仕事でも指示通り行動する」との回答が43.4%に上り、初めて4割を超えた。給与や昇格で年功序列を望む傾向も過去最高に達しており、同本部は「厳しい就職活動を背景に、滅私奉公的なムードが強まっているのではないか」と分析している。
毎日新聞 2004年4月26日
<引用終了>

秋葉原事件を起こした加藤容疑者と同年代の思想です。例え他人を傷つけようが、自分のためならなんでもするという読売新聞特有の「エガワる思想」と言えると思います。
posted by M.NAKAMURA at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売新聞を読むとバカになるB

福島第1原発 「国民性が事故拡大」 英各紙、国会事故調報告に苦言
<引用開始>
 【ロンドン=内藤泰朗】東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120708/dst12070811130003-n1.htm

マクロの発想を身につけるとこのような結論に必ず至る。筆者の見方も先の7月06日「国会事故調の最終報告を笑う 」通りである。人間が決めた法律を守らなければ処罰されるという硬直化した国民性が事故を生むのである。

読売新聞は昨年の7月24の一面二面に「不足する安全管理の専門家」という竹森俊平慶大教授の主張を掲載している。
<引用開始>
雑誌で英国のジャーナリスト、ビル・エモット氏と対談した時に、英国人が福島の事故に比較的冷静なのはなぜかと尋ねると、英国政府主席科学顧問の説明が適切だったと答えたのだ。原発事故の最悪のシナリオを明示し、その場合でも事故現場から30キロ以上離れていれば健康に問題なはいと完璧な分析をしたのだという。
<中略>
高度な科学知識を持つ安全管理専門家がいて、真実を包み隠さず語れば国民は信頼する。
<中略>
「安全管理の専門家の不足」、もう新興国でもないのに依然として日本はこのアキレス腱を抱える。深刻な問題だ。
<中略>
日本にはなぜ、一流の安全管理の専門家がいないのか。おそらく安全管理という仕事が、これまで重視されてこなかったためだ。
安全管理とは、危険な融資、危険な原発に「待った」を掛ける仕事だ。しかし「待った」を掛ける行為自体は目に見える利益を生まず、むしろ利益の発生を妨げるネガティブなものと認識されやすい。
<引用終了>

筆者は講演活動をしていた頃、ダイセル化学工業(現在は株式会社ダイセル)の役員対象の講演をした事がある。
ダイセル化学工業は、タバコのフィルターでは日本独占、世界で二位のシェアを持つ超一流会社である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%AB

朝日新聞の社説にも登場している。

ダイセル化学工業ノウハウの継承企業若返りのテコとして朝日新聞 2008年7月29日
<引用開始>
 団塊世代の大量退職を迎え、その知識や技能を継承しつつ組織を若返らせることが企業社会の課題になっている。ノウハウの継承をどう企業の革新に結び付けるか。その取り組みを一つご紹介しよう。
 兵庫県姫路市にあるダイセル化学工業の網干(あぼし)工場。液晶画面の部品の素材などを生産している。ここで96年から若返り作戦を進めた結果、生産性が3倍へと飛躍的に向上したという。
<引用終了>

生産性を3倍に向上させた理由は「マニュアル化」である。知識を属人化せず共有することで生産性が3倍になったのである。
この出来事は筆者の講演の前であるが、良いものは何でも取り入れることこそが、企業の成長の「肝心要」である。

翻って、一般の企業は筆者の講演を聞いても「丸ごと取り入れる」ことはない。東京電力がその良い例である。なぜならば、筆者の講演内容を「丸ごと受け入れる」ということは、「道場破り」されたことを意味してしまうのである。

過去の延長上でしか物事を捉えられないミクロ人間は、新しい何かにチャレンジしたがらないのである。

安全管理の問題も同じである。読売新聞はこのように的を射た投稿記事を掲載しているのに、「英国政府主席科学顧問の説明」とはどんな内容なのかを追いかけていない。確か8月の初旬だったと記憶しているが、原発問題のこれからを独自にとりまとめ、大々的に報道していた。

読売新聞が、掲載した「不足する安全管理の専門家」問題に対し、読売新聞は極めて無責任と言わざるを得ない。筆者は安全管理の専門家の一人と自負するが、読売新聞にそのノウハウや理論が掲載されることはない。高い購読料を支払っている読売新聞読者が哀れに思えて仕方ない。
posted by M.NAKAMURA at 13:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする