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南相馬、相馬の住民5人トーク 原発被災地支援の公演 「日常変わること一番怖い」

(07/03 16:00)

被災地の様子を話す(左から)森田さん、柚原さん、高野さん

被災地の様子を話す(左から)森田さん、柚原さん、高野さん

 福島第1原発事故の被災地支援プロジェクト「マイ・ライフ・イズ・マイ・メッセージ」の函館公演(実行委主催)が6月30日、青柳町の喫茶「想苑」で開かれた。福島県の南相馬市、相馬市の住民が現地の生活について語り、支援活動に取り組むミュージシャン山口洋さんがライブを繰り広げた。

 同プロジェクトは昨年春、南相馬市に隣接する相馬市の復興支援を目的に発足。山口さんは、バンド「ヒートウェイヴ」のギター&ボーカル。プロジェクトの中心となり、被災地でチャリティーライブを開いたり、物販の収益で物資を贈ったりしている。

 はじめに南相馬、相馬の住民5人が参加したトークライブが行われた。南相馬市職員高野真至さん(42)は、震災の際は原発の存在はよぎらなかったというが、事故の知らせを受け「原発は広島、長崎のイメージ。頭が真っ白になり、死という言葉が浮かんだ」と振り返った。

 事故後、人々の生活は一変した。避難先の生活に慣れず戻ってくる人々。避難していた妻子を呼び寄せようとしたが、断られて離婚したケース。避難先をたらい回しにされる障害者―。それぞれが心に深い傷を負った。

 参加者は口々に、子どもへの影響を語った。うつ病にかかった親を見てうつになった子どもや、少女たちが「私たちは子どもを産めない」と当たり前のように話す現実。給食で福島県産の牛乳を飲まなかった児童がいじめに遭うケースもあったという。

 相馬市のCD店経営、森田文彦さん(50)は「日常が変わることが一番怖い。津波、原発事故ときて、いじめなんてたまらない。国は、子どもや障害者をなかったことにしたいんじゃないかと思う」と強い口調で語った。

 事故後、人々の中にはさまざまな思いが生まれている。毎日放射線量を計測している南相馬市職員の柚原良洋さん(43)は「内部被ばく問題もあるが、放射能の知識を持つ医師がおらず、何が正しいのか、来年どうなるかも分からない」。南相馬の自立支援作業所所長佐藤定広さん(49)は「震災は大変だったが、自分にとってプラスの面もあった。沖縄などの問題を、自分の問題として考えられるようになった」と話した。

 第2部は、山口さんのライブ。「音楽でできることもあると分かった。自分にできることを少しずつしていければ」と曲の合間に語りながら熱い演奏を聴かせ、会場からは歓声が上がっていた。

 終了後、函館市内の無職の男性(40)は「放射能が、体だけじゃなく心も侵すと感じた。修羅場をくぐってきた人の話を聞き、自分の価値観や考えを見直すきっかけになった」と話した。会場ではカフェや生産者による物販があり、募金箱も設けられた。収益と募金約19万7千円が集まり、実行委は同プロジェクトに寄付した。(佐藤いく美)

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