院長の病院コラム |
その88 |
2012年6月18日(月) |
私は金沢生まれですが、高校卒業後、東京で1年、京都に18年ぐらい、出雲に10年暮らした後今は新宮に住んでいます。どの土地にも色々と思い出がありそれは甘いものあり苦いものも少なくありません。勿論生まれた町金沢には郷愁がありますが、出雲に一番いい思い出が詰まっている気がします。先日久しぶりに出雲に行きました。毎年1月には出雲に行って一緒に仕事をした仲間とお酒を飲む機会を持っていますが、今回はレンタカーを借りてあちこち回ってみました。宿は玉造温泉の新しい宿で界 出雲というところに泊まりました。料理が最高の宿で奥出雲ワインを堪能しました。翌日は出雲大社、多岐の海と大好きだった場所と懐かしい人を訪ね回り、最後にラピタで買い物をして帰りました。まず初めに買ったのは赤天でした。私はこれが大好きで究極のB級グルメだと思います。できればオキュウトも欲しかったのですがこれは浜田に行かないと無理でした。それからこれも大好物のケンちゃん漬けの漬け物を買い、さらにエテカレイの干物を買いと出雲にいた頃毎日食べていた食材をあれこれ買い集めて送ってもらいました。出雲の芋焼酎、奥出雲ワイン、イゲタ醤油も忘れずに入れてもらいました。久しぶりに聞く出雲弁を懐かしく感じながらあわただしく空港に向かい、出発前に割り子蕎麦を味わって出雲の地を離れました。30台後半から40台後半という年齢を出雲で過ごしたからだと思いますが、この地での一つ一つの経験が実に深く自分の今に影響していると思います。出雲で知り合った人に今でも治療で相談にのってもらったり、クリニックのイベントを手伝ってもらったりと色々と助けてもらっています。出雲で指導していただいた教授の背中を今も追いかけて日々の診療、クリニックのマネージメントを行っています。金沢が自分の生まれた地であるなら、出雲は自分が社会人として何とか自立出来た地であると思います。そうそう機会はないかもしれませんが、毎年この地を訪れてみたいと思っています。。 |
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その87 |
2012年5月21日(月) |
昨年末からスタッフが立て続けに辞めることになり、補充がなかなかつかずにてんやわんやの日々を送っています。辞めるスタッフは皆、まだ若い人たちでそれぞれ新たな目標に向かって進みたいというのがうちを辞める理由です。うちにとっては将来のリーダーにと期待していた人たちなので大変残念ですが気持ちよく見送りました。考えてみれば私自身もあちこちに所属を変えています。研修医は内科教室の所属でしたが、通常はその後所属するべき内科には入局せず神経内科に入局しました。神経内科で学位を取った後、通常は神経内科に籍を置くものですが、薬理学教室に籍を移しました。臨床から基礎に移った人はそのまま研究生活を送るものですが、私は内科に再び戻りました。それも神経内科ではなく内分泌を中心にした内科でした。そこで落ち着くべきなのですが、10年後血液透析を行うクリニックに移り今に至っています。さすがにもうこの先変わることはないと思いますが、自分の転々としてきたキャリアを顧みると30代でこのままではいられないと新しい場所に旅立っていったスタッフの気持ちがよく分かります。30代の私は薬理学教室にいましたが、その頃大学構内に桜が満開になる時期がとても憂鬱でした。まぶしいばかりに希望にあふれた新入生が現れる時期だからです。希望にあふれるかれらの姿の象徴の様な桜の花がいやでした。薬理学から内科に戻って過ごした時間は大変有意義で楽しい時間でした。その頃から春の桜がきれいだと楽しめるようにもなりました。今は花見酒飲みたさに桜の開花を待ちこがれています。30台というのは人により様々でしょうが色々と心乱れる時期なのかもしれません。そのときは先が見えない気分でつらい気持ちもありましたが、今は悩んでいる人たちがうらやましい限りです。クリニックを巣立っていったスタッフたちが新しい場所で春の桜を楽しんでくれることを祈っています。チャンスがあれば一回りも二回りも成長した彼らとまた仕事がしてみたいとも思っています。 |
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その86 |
2012年4月19日(木) |
今年も桜が咲きました。私の住む新宮では大体3月下旬から4月上旬が開花時期です。この時期にはクリニックのスタッフとの花見とクリニックの糖尿病友の会の花見を行います。クリニックのスタッフとの花見はクリニックの駐車場で行います。このために植えた小さいしだれ桜と珍しい花を咲かせる桃が開花する時期に花には目もくれずひたすら焼き肉をほおばりビール、酎ハイ、ワイン等々を飲みまくり、時にスタッフの誰かが「院長一曲!」と叫び、条件反射的に酔っぱらって歌詞が出てこないにもかかわらず私は歌います。どうせ誰も聞いていないので歌詞などどうでもいいのです。糖尿病友の会の花見は毎年場所を厳選し、講演をしに来てくれる管理栄養士の先生にレシピを頼んで花見弁当を用意します。毎年マイクロバスで出かけ糖尿病でも楽しめるお弁当を食べる参加費500円のこの企画は大好評で、今年はとうとうレンタルしたマイクロバスに乗りきれない人数になってしまいました。新宮近辺には桜のきれいな場所が沢山あります。懇意にしている方でこういう場所にとても詳しい方がおられるので毎年場所を教えてもらっています。今年の場所も下見に行ってその桜の美しさに圧倒されました。かなり細い山道を結構走らなければいけないので途中の運転がつらくなってきましたが、この桜なら苦労して運転してくる価値はあると納得の場所でした。本番の日の天気だけが気になります。最近はテントも購入したので雨天でも決行の予定ですが出来れば晴天のもとで患者さんたちに食事指導となる有意義なこの行事を楽しんでもらいたいと思っています。新宮近辺は昨年秋の台風による水害で桜の楽しめなくなった場所も幾つかありますが、自然の力はすばらしいと満開の見事な桜を眺めていると感じます。私たちの何倍も大変な思いをして今なお苦しんでおられる東北の人たちも、もうすぐ美しい桜を楽しむことが出来るはずです。どんな苦しいときも桜の美しさを楽しむ気持ちは大切にしてほしいと願っています。
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その85 |
2012年4月19日(木) |
認知症の介護に関して介護保険関連の施設や行政の人と最近よく意見交換をしています。介護保険制度は私個人としては大変ありがたい制度だと感じており、何としても破綻することがないように維持していってほしいと願っています。それは、うちのクリニックが透析を主にするからです。通院で長年同じ人が診療を受ける透析では高齢、独居に加え認知症が出現した患者さんが少なくありません。このような患者さんがうちのような通院のみのクリニックで透析を続けるためには、家での生活を介助してくれる人が不可欠です。さらに老老介護の家庭も少なくありません。患者さんの透析を継続するために、うちのクリニックでは介護担当者と患者さん家族とうちのスタッフによる3者面談が頻繁に行われています。ショックだったことは、生活保護の独居の認知症患者さんが受けられた介護サービスを奥さんと息子さんが同居している患者さんが受けられなかったときでした。なまじ息子さんに収入があるばかりに介護サービスを受けるにはかなりの費用の負担が必要で、その費用負担が困難だったからです。親孝行な息子さんのつらそうな表情が忘れられません。行政の矛盾を強く感じました。私たちの親の世代までは年老いた親の面倒は子供がみるのが当たり前でしたが、今は子供に代わり介護施設が面倒をみてくれるようになってきました。介護度によりますが、経済的な負担がそれほどかからずに親の面倒をみてもらえる介護保険制度はありがたい限りです。介護を受ける人にとっても、昔なら寝たきり状態で床ずれだらけになったかもしれない人が、健康的な生活を送れることも少なくないのでありがたいのではないかと思います。私の母も介護施設でお世話になっています。母と離れて暮らしているからと最初は納得していましたが仮に同じ土地で暮らしていてもやはりお世話になっていたなと最近悟りました。しかも、費用は父が母に残したものからまかなっていますから、何ともふがいないばかりの息子と言えます。
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その84 |
2012年3月19日(月) |
最近しばしば故郷の金沢に帰ることがあり、金沢弁に接する機会が増えました。高校を卒業して初めて金沢を離れた時は、なるべく金沢弁を隠そうと懸命に標準語を話す努力をした覚えがあります。京都の大学に入ったときは金沢弁で通そうと思ったのですが、「○○だね。」にあたる金沢弁の「○○やじ。」という言葉の語尾の「じ」を笑われてからやっぱり金沢弁を隠すようになりました。それでも帰省したときはいっぺんに金沢弁に戻ったものですが、故郷を離れて暮らす年月の方が長くなった今は意識しても金沢弁がぎこちなくなってしまいました。古い友人も私の言葉が関西なまりだと言います。でも、関西人の家内には全然関西弁ではないと言われます。さらに、時折標準語もどきの話し方をすると気取っていると冷ややかな目で見られます。あちこちで生活したために私の日本語は実にけったいな言葉になったようです。少し前のテレビドラマで戸田恵子さんが金沢弁を話していました。あまり上手なのでびっくりしました。今の私よりはるかに自然でした。母と父の金沢弁も全く違っていました。父は上品な言葉でしたが母の言葉はがらっぱちでした。私の言葉は近所の仲間の影響かもっと柄の悪いきたない言葉でセレブの多く通っていた小・中学校では異彩を放っていた気がします。私自身も使ったことのない金沢弁が沢山あるように今の若い人は私たちが使っていた金沢弁を使っていないのではないかと思います。私自身もふと思い出して「ああ、そんな金沢弁があったなあ。」と一人懐かしむときがあります。私が使っていた金沢弁に「いじっかしい」という言葉がありました。今も心の中で時々つぶやいています。方言には独特のニュアンスがあり、標準語でそのニュアンスを伝えることはなかなか難しい気がします。「いじっかしい」のニュアンスを例えるなら、「いじっかしい」という言葉を100万個集めてぎゅっと固めて人の形にするとカミさんになると言えば、世の亭主たちには伝わるのではないでしょうか。
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その83 |
2012年2月19日(日) |
最近の若い人との会話でしばしば腹を立てています。といってもプライベートでの会話ではありません。若者の言葉は私が学んだ日本語とはかけ離れているのでもとより理解することも歩み寄ることも放棄しています。あるサービス施設で施設利用に関して融通をきかしてほしいと頼んだときも無理の一点張りでいい加減な理由すら言うので私も大人げなく声を荒げたのですが「そんな風に言われると僕も不愉快です。」というような返事をしてきました。確かに頭ごなしに怒鳴られたら不愉快でしょう。でもその感情をストレートに伝えていいのは両者が対等の立場の時ではないでしょうか。サービスの提供者とサービスの受給者は対等ではないと思います。「不愉快なのはこっちじゃ。」とまでは言いませんでしたが「こいつと話しても無駄だ。」と思いました。私は不親切な人間なので「そういうことを言うのは違うんじゃないか。」などというアドバイスはしません。最近担当になったばかりの製薬会社のMRが新規に採用した薬のことで「効き目はどうですか。何人ぐらいに処方されていますか。」などとうるさく聞いてきて、いい加減面倒くさくなって不愉快そうに返事したのに空気を読まずにまた同じ質問をしてきたので「うざいな。もう帰れ。」と追い返しました。何故か自分でも制御できないくらい相手不在の自分本位な未熟な対応に腹が立ち名刺に「出禁」と朱筆して事務のスタッフに今後自分に通さないように指示しました。そのことを家内に話すと「それはあまりにかわいそうやで。帰れのひと言だけで済まさずに、なんで腹を立てたか、どうすべきかをアドバイスしてあげればいいやろ。」とMRに同情的でした。私は未熟な応対をするサービス業者をどやしつけることでストレスを発散しているので家内の説教は耳に入ってきません。まだまだ家内の説教が続きそうだったので「いや、『帰れ』のひと言で済まさんかったよ。その後でちゃんと『二度と来るな』と付け加えたよ。」と言うと家内はふっと笑って沈黙しました。
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その82 |
2012年1月17日(火) |
謝罪したり謝罪を受けたりすることが色々な機会にあると思います。サービス業に対してことさら厳しい私は度々切れて謝罪を受けることも少なくありません。つくづく思うのですが謝罪するときは、相手がこちらの落度でないことまで責めても弁解はすべきではありません。配車の予約を忘れていて危うくお客さんが列車に乗り遅れそうになったお詫びにタクシー会社の担当者が来た時も、さんざんこちらが文句を言ったら最初は黙って聞いていたのに最後の最後に「でも一応気がついて約束の時間の直前に会社に電話は入れました。」と言われ、それまでの彼の謝罪の言葉がキャンセルされました。自分たちの対応の何が悪かったのか分からずに「何かご迷惑をおかけして。」などと謝罪してきた保険会社の電話は着信拒否にしました。姪が勤める会社に商品を頼んで間違った領収書を送ってきた時その領収書の返却を頼んできたと聞いて姪にも苦言のメールをしました。すぐさまお詫びの電話をかけてきましたが「着払いで頼みました。」と最後に言ったのはまずいなあと思いつつ姪にはつい甘くなりましたが。自分たちの落ち度以上に相手は色々と指摘してくるものですが、私はクレームを受けて謝罪するときは違法性に関して問いただされない限り一切の弁解をしないことにしています。こちらに不満のある人は興奮してどうしてもオーバーな表現になりますが言い分の中に少しでも該当することがある限り全て受け止める方が結果はいい方に向くと思っています。時間が経てば相手もこちらの落ち度が思っていた程ではなかったことに気づいてくれるはずです。その時には、落度があったこちらのことを「それほどひどくもないか。」と再評価してもらえるチャンスが生まれると思います。お叱りを受けている最中に苦し紛れあるいは腹立たしさで弁解しても火に油を注ぐだけで何も生まれないし相手は余計にマイナス評価を上乗せするだけです。つい最近もお叱りを受けた折、きちんと謝罪したら後から「言い過ぎた。」と言って頂けました。
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その81 |
2011年12月20日(火) |
少し前のドラマでもう消そうと思っていた「犬を飼うということ」というドラマにはまってしまいました。若く貧しい家族の話なのですが貧しくてもとても楽しそうに暮らしている姿が感動的です。私は客観的に見て何不自由なく生まれ育った大変恵まれた人間だと思います。でもそう思えるのは振り返ってみてのことで、子供の頃は色々と不満を感じていた気がします。幼稚園、小学校時代は周囲に裕福な子が多かったので何かにつけてうらやましがってたのを覚えています。私の両親はクリスマスや誕生日の様な時しか欲しいものを買ってくれなかったので、その数少ない機会に何を買ってもらうかあれこれ考えていたことを覚えています。多分、いつでも買ってくれる余裕はあったのだと思うのですが、今から思うとたまにしか買ってくれなかったことに感謝しています。というのも、たまにしか買ってもらえないので、沢山ある欲しいものから何にするかを真剣に悩みそして、ついに買ってもらうまでの期間ずっとわくわくしていました。そのわくわく感やついに手にしたときの満足感はそれまでお預けになっていたからこそ味わえたのではないでしょうか。このドラマの中でも貧しい家族がささやかなものにとても喜ぶ姿が印象的です。心の豊かさを感じます。何でもすぐに手に入ることは便利ですが、人が幸せを感じるのは大きな満足感を得られたときだと思います。満足感は手にはいるまでの過程で大きさが変わると思います。辛抱して辛抱して手に入れる、我慢して我慢して手に入れる、そんな過程であればあるほど満足感は大きくなると思います。それは同時に幸福感も大きくなることだと思います。「もったいない」と感じて辛抱する、節約する、大切にする、そういう心が人をより幸せにしてくれると思います。「もったいない」という言葉があふれていた私の昭和の少年時代は何でも簡単に手に入る平成の今より何事につけ満足感が大きかった気がします。「幸せはお金では買えない」というのは貧乏人のひがみではないと思います。
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その80 |
2011年11月18日(金) |
50半ばを過ぎながら未だに私にはこらえ性がない所が多く恥ずかしい次第です。先日も業者の電話の応対に不満がつのり、切れてしまいました。私はサービス業の業者に対しては極めてハードルの高い期待をしています。それは私の日々の仕事もサービス業であるという認識からです。その視点からこの業者の電話応対のサービスレベルは初歩をクリアしていないものに感じました。私はサービス業の相手にはレッドカードしか用意していないので以後この業者との電話に一切応じていません。この後のこの業者の行動はさらに私を失望させるものでした。私との連絡を取るためにこの業者は私にこの業者を紹介した仕事相手を介して連絡を試みました。しかしいくら紹介者とはいえプライベートマターならともかく仕事上のトラブルに巻き込むのは実に非常識です。さらに、その託したコメントには見当違いな謝罪が述べられていました。つまり私が何に不満を感じたかを理解せず適当に言葉を並べていました。何に対して謝罪すべきかを理解していない人間の謝罪の言葉に誠意があろう筈がないと思います。ほとほとあきれかえってしまい今は憤りもなく名の通った企業でもこの程度のレベルの顧客サービスで満足しているのだと哀れんでいます。この点でこの企業は三流です。私は人並みのレベルを二流と評価しています。うちのクリニックも二流たらんと日々努力している次第です。私が一流と感じている企業に大阪のリッツカールトンホテルがあります。私は時々このホテルのレストランを利用しています。このホテルは忘れ物をしたお客さんに新幹線を利用してその忘れ物を届けたとテレビで報じていました。驚いたことに、これが特別な事例ではなく日常のマニュアルに組み込まれた当たり前のサービスだそうです。このホテルを利用するお客さんは多分宿泊料金を高いと感じないのではないでしょうか。私も利用してくださる患者さんに受診して損したと思われないようにしたいと思っています。
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その79 |
2011年10月19日(水) |
透析のクリニックは日曜日以外休むことが出来ないので、週末に外出することが集中します。日曜日に新宮にいることは殆ど無いと言っていいくらいです。最近は電車より車を利用することが増えました。JRのダイア改正で大阪方面から新宮への最終便が無くなったり不便になったこともその一因です。最近では実家のある金沢にも車で行くことが増えました。金沢までは新宮から490キロ近くありますから往復で約1000キロになります。月に2,3回のペースで帰省しているので月に平均3000キロ位車で走っています。ひょっとしたら新宮の水揚げの悪いタクシーの運転手さんよりよく走っているかもしれません。もう無くなりましたが高速料金上限1000円の恩恵を大変受けました。民主党の政策で唯一支持する政策でした。今でも休日は割引があるのでとても助かっています。只、車が心配で3月に新車を購入しましたが、通常1ヶ月ないしは1000キロでの最初の点検は購入後1週間で受けました。オイル交換は2ヶ月ごとにしています。5年間のサポートサービスを購入時に付けてもらいましたが、車検を受ける3年目に10万キロ以上走っている計算なので大丈夫かなあと不安です。幼稚園からの親友で車にとても詳しい男がいるので今度相談してみようと思っています。若い頃は車の運転スタミナが全くなくて少し走っただけですぐ眠くなっていたのですが、不思議なことに最近は運転中に眠くなることが無くなりました。金沢までの所要時間も最初は7時間かかっていましたが最近では6時間以内になりました。大阪で午後4時からの講演会でも新宮を昼に出発して十分間に合うようになりました。和歌山、大阪へは多分特急より速いと思います。和歌山はなかなか道路整備が進みませんが、三重県は着実に整備が進んでいるので特急で新宮から3時間半かかる名古屋までの所要時間が2,3年の内には3時間かからなくなると思います。健康状態に気をつけてなるべく長く車に乗り続けていきたいと思います。公共の交通機関の不便な新宮では遠出のためにはそれしかないのですから。
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その78 |
2011年10月19日(水) |
台風の被害から完全には復旧していませんが少し落ち着きを取り戻してきて色々と思うことがあります。私たちのクリニックは血液透析をしていますから水と電気が不可欠です。勿論他の診療施設でも水と電気は不可欠ですから断水時は市内の医療機関は休診となっていました。しかし、透析は休診することが出来ません。幸い今回は道路が無事だったので給水車により毎日10トン前後の水を供給していただき何とか透析を継続することが可能でした。それでも患者さんに提供した透析サービスは通常の45%程度だったと思います。そんな状態が1週間続きましたが幸い患者さんで体調が不良になる人は出ませんでした。うちの若い男性スタッフが新宮の中核病院の透析担当医の先生と毎日綿密な連絡を取って透析に当たってくれたおかげです。今回のうちのクリニックの最大の功労者です。彼にとってもとても貴重な経験と自信になったと思います。電気が無事だったのも助かりました。自家発電はありますが1週間持たせるには燃料の問題も出てきます。他の部署での電気まではカバーできないのでこんなに透析を継続できなかったと思います。このクリニックを建てるときは採算の面で取りやめたソーラーシステムを再考すべきかと思っています。9/9のまだ給水が確実でない時期に厨房スタッフは透析食の再開を試みてくれました。私自身も冷たいものばかり食べていると、一番簡単な温かい食事であるカップ麺がとても恋しかったです。患者さんたちも透析食の再開を心待ちにしてくれていたので食の面から患者さんの精神面をサポート出来たと思います。復旧の目処に関しての情報は殆ど入ってこないので不安がいつになっても消えない状態です。情報の大切さを実感しました。そして思った以上にインターネットに依存していることも気付きました。あわててFOMAでネット回線がつなげる手続きもしました。今も断水している地域があるので家では入浴はシャワーで済ませ水の一滴も無駄にしないよう毎日水に感謝しながら節水しています。
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その77 |
2011年9月20日(火) |
台風12号で新宮市にもかなりの被害が出ました。ただ、新宮市は町村合併によりかなり山の中の熊野川町と合併したためにテレビで大々的に報道された新宮市の被害の殆どは熊野川町の様子でした。それでもテレビで見て多くの人からお見舞いのメールや電話を頂き本当にありがたかったです。私も東北の震災の経験者の万分の一程度の思いを共有できたかもしれません。被害の大きかったのは水道と電話でした。9/3の夜から断水し電話回線も携帯は通じますが固定電話がダウンしたのでインターネットが使えなくなりました。断水で一番辛いのが水を身体に入れることが出来ないことではなく水を身体から出すことが出来ないことだと痛感しました。和歌山市の会計を管理していただいている方や同じ新宮市にある業者の方から水を大量に送っていただき本当に嬉しかったです。皆さんの心に感激しました。9/3に降った雨で9/4の朝、通りに出ると堤防まで10メートルはある熊野川が決壊して道路に水が流れ出てきて車が通れない状態に多少パニックとなりました。すぐにシニアスタッフを集めスタッフと透析患者さんの安否を確認しました。奈良県の十津川からの患者さんとは9/3に携帯で話してから数日間音信不通でした。幸いスタッフ、患者さんとも全員無事でほっとしました。物資の補給が途切れる可能性を考えスタッフにクリニックの送迎車と自分たちの車にすぐ給油するよう指示しました。幸い幹線道路が無事だったので物資の補給は途切れませんでした。しかし鉄道は和歌山側三重側両方の橋が破損したので新宮は孤立しました。これは今も復旧の目処がついていません。幹線道路は無事でしたが山間部へ向かう主要道路が寸断されており現在も通院できずよそで透析を受けて復旧を待っている患者さんが数名あります。電話は9/7に水道も9/10には市の中心部では復旧しました。しかし、不安定な状態が続いていたため診療活動は毎日が手探りの状態で明日の約束を患者さんに出来ないような不安な毎日が続いていました。
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その76 |
2011年9月19日(月) |
辞めて欲しいと思うのになかなか辞めなかった総理大臣と辞めて欲しくないと思うのに辞めてしまったお笑いタレントを見ていて引き際について改めて考えさせられました。かつて私は患者さんを診ない基礎医学の研究室に10年近くいました。教室には理学部、農学部等の優秀な学生も多く集まっていて、その輝くばかりの才能を目の当たりにして眩しく感じていました。自分なりの研究活動をしてはいましたが臨床の教室からの誘いがあった折、迷わず優秀な後輩に席を譲りました。とかくクセのある人の多い基礎医学の中では、能力はともかく、とっつきやすい方だった私は後輩たちに惜しんでもらいましたが未練はありませんでした。もう何も産み出せそうにないアイディアが枯渇した状態なのに教授になろうともがいている人も教室にはいましたが、そんな人が教授になったら教室員は地獄です。教授になることはゴールではなく、自分と教室員を開花させるスタートだと自覚すべきです。私は臨床の教室で指導教授から絶大な支援を頂いて自分の基礎医学での経験を臨床の研究室で生かす努力をしました。約10年の研究期間に多少の成果もあり、このままこの臨床の教室に居続けることが自分にはこの上なく居心地のいいことでしたが、ここを去る時も迷い無く決めました。臨床の教室では患者さんを相手にすることが最も大切です。私は臨床の教室で最も患者さんと離れたところで活動していましたから10年近くもいられたことは奇跡です。指導教授には今も心から感謝しています。今でも当時の仲間に会いたくて年に一度は会いに行っています。私をこの教室に呼んでくれた同期の男も私と機を一にして辞めましたが、彼は教授を目指して欲しかった惜しい人材でした。彼には彼の美学があったのだと思います。お笑いタレントの突然の引退会見を見ていて、これは自分の価値観と芸能界の価値観の決定的な乖離に対し自分の美学を貫いた怒りにも似た筋の通し方だなと感じました。胸を張って会見場を後にするこの人に私は惜しむ気持ちを込めて拍手を送りました。
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その75 |
2011年8月17日(水) |
私は電話はあまり好きではありませんが、24時間患者さんからの電話に対応すると公示したためどんな電話にもでなければなりません。うっとうしいのはどうでもいい勧誘の電話です。なかでも不動産関係の電話にはうんざりしています。最近は声を聞いただけでそれと分かります。妙に浮ついた声のトーンや「邦夫先生ですか。」というのはその典型です。身内以外でファーストネームで呼ぶ人はいないし「先生」をつけるのは仕事関係の人に限られる訳で、仕事関係の上にファーストネームで呼ぶと言うことはその人とはかなり親密であることになります。そういう関係になることにやぶさかではありませんが、スタッフは完全に私をスルーしています。いつぞや夜中の2時の勧誘の電話に「何時だと思ってるんや。」と怒鳴ると「2時ですが。」と悪びれた様子もなく呆れたこともあります。一番いやがる対応は何かと考えた末、連中は自分から電話を切ることをとても嫌がることが分かったので最近は電話を切らずに机の上に置いたままにしておくことにしています。私はこれを放置プレイと呼んでいますが、しばらく話し続けた後やむなく自ら切っているようです。電話代と話した労力の無駄に対する脱力感を楽しんでもらえたらと思っています。電話以上に苦手なのが携帯メールです。変換に恐ろしく時間がかかるのでメールは基本PCで打ちます。携帯だとPCの10倍は時間がかかり返事を打っている間にどんどん追伸メールが貯まってしまい、返事との間に「時差」を生じています。迷惑メールにも困ったものでエッチなメールが後を絶ちません。カミさんは「あんたがいやらしいからこんなメールが来るんや。私には来ない。」と罵ります。私がいやらしいことは事実ですからカミさんの言い分を完全には否定できないでいますが、こんなメールが来ることとの間に因果関係は無いと心の中で反駁しています。こちらはほっておくと1日に何十本とメールが来るので辛気くさいと感じながらも来る度にアドレスかドメインの拒否登録を続けている次第です。
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その74 |
2011年7月18日(月) |
早朝から女子サッカ−ワールドカップ決勝を観てとんでもなく興奮してしまいました。日本が優勝するなんて信じられない気持ちです。決勝の相手はランキング1位であり日本が24回戦って一度も勝ったことのないアメリカでした。まず無理だと戦前は思っていました。試合の前半は押されっぱなしで得点されなかったのが奇跡の様な展開でした。後半先制すればひょっとして勝てるかもと観ているとアメリカに先制されてしまいました。これで負けたなと観ていて思いました。この時点でアメリカの勝ちを確信したのは私の様なサッカーど素人とアメリカチームの選手だと思います。先制後のアメリカチームは完全に守りに入った消極的な試合運びとなり日本のボール支配率が急に高まったことが私にも分かりました。一旦こんな心理状態になるとこの後の日本の同点ゴールの後にもとの精神状態に持っていくことは出来なかったと思います。それでも延長で先制したアメリカに底力を感じ、今度こそ駄目だと私は思いました。この後大会MVPと得点王になる日本のキャプテン澤選手の同点ゴールが生まれるのですが、日本チームの絶対に諦めない姿勢に心から感動しました。技術的にも日本の2ゴールの方がアメリカより遙かに難易度の高いものだと感じました。フォワードだけでなくデフェンスの鮫島選手の献身的なプレーが印象的でした。PK対決前の両チームの表情を観ていると勝てるかもと思いました。こわばった表情のアメリカにくらべ「最後まで楽しもう。」いう感じで笑っている日本チームが印象的でした。期待通りキーパーの海堀選手のファインセーブが勝利を呼びました。大舞台を楽しめるたくましさはシドニーオリンピックで優勝した高橋尚子さんを連想させました。スポーツは楽しんだ方が勝つのだと再確認できました。私だけでなく多くの日本人が感じたことだと思うのですが「最後の最後まで決して諦めない。」ということのすばらしさを、そして今私たちに一番必要なことであることを彼女たちはゲームを通して教えてくれました。
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その73 |
2011年6月17日(金) |
数年前に数匹のメダカを頂いて飼い始めてからすっかりメダカにはまり毎年卵をかえしては増やすことに夢中になっています。メダカは小学生の頃の夏休みの自由研究で飼ったことがありますが、それ以来なので色々と試行錯誤の繰り返しで最近はだいぶん沢山親になるまで育てられるようになりました。メダカは文句も言わず餌に無邪気に喜ぶし一緒に住むには最高のパートナーです。私のメダカ好きを知りいろんなメダカを頂いてそれだで結構種類が増えました。ヒメダカと黒メダカを別々に飼って増やしたところ、黒メダカの卵からヒメダカが生まれること、その逆はないことが分かりました。義務教育を終えて幾星霜やっとメンデル先生のお言葉を実感した次第です。さらに何かの拍子で生まれたのかオレンジの地に水玉模様のメダカも何匹か育ちました。そんな話をかみさんにとうとうとしたところ「赤と黒を掛け合わせたら水玉になるのは当たり前ちがう。」とのたまうので「よく考えてみろよ。黒い犬と白い犬から生まれた子犬がパンダみたいになるか?」と言い返したら「パンダって犬やったん。」とどこまでもかみ合わないことが確信できました。寒さ対策に昨年冬に熱帯魚用のヒーターを入れたところ随分冬を越す数が増えました。「メダカには優しいな。」などというかみさんの声などものともせず、そろそろ今年の産卵が始まるので卵の産みつけられたホテイ草の隔離に余念の無い毎日です。意外にメダカ好きの人は多く地デジの工事に来てくれた電気屋さんも鮫でも飼っていそうなルックスですがメダカの話で盛り上がりました。海南市でとても上手にメダカを飼っている家があり、お店をしてるようなのですが、店の前に大きなポリの容器がいくつも置いてあってその中で生まれたばかりの沢山のメダカが育っています。卵からかえすのはたやすいですが育てるのはとても難しくて私は大半を死なせてしまっています。機会があれば是非このお店の方にメダカの育て方を教えて欲しいと思いつつ、いつもその店の前を通っています。
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その72 |
2011年5月20日(木) |
誰にでも居心地のいい場所というものがあると思います。私の場合はクリニックの診察室が今一番の場所です。一応院長室も兼ねているので水屋や冷蔵庫もありテレビ、ビデオもあります。診察用のベッドもあり近くに銭湯もありますからその気になれば住むことも出来ます。PCもバックアップのために2台置いています。毎朝コーヒーを飲みながらメールチェックで一日が始まります。最近は新聞も殆ど読まないのでニュースもこの時間に開くPCからの情報が一番多い感じです。好きなドラマや映画やバラエティまで色々録画してあるので空いている時間には楽しんでいます。さほど外来患者さんが多いわけではないですから、むしろ録画を見る合間に仕事をしているといった方が正確です。休日で外来が休診の時は本当にビデオ三昧の一日です。学生の頃からか医者になってからか定かではありませんが一人で時間を過ごすことがとても好きになりました。出張で夜一人の時もあらかじめ調べておいた店に一人で入って結構楽しく飲んでいます。ただ、一人だと料理が来るまでの間が持たないので最初に一度にオーダーしてしまい一気に食べるので1時間と店にいないことが大半です。短時間で沢山飲み食いするので店にとっては美味しい客なのか大抵とても歓迎されます。漫画喫茶にも以前は時々行きましたが、今はあまり時間があっても行きたいとは思わなくなりました。フリードリンクでPCも本も自由なのに診察室ほど快適ではないのはなぜなのでしょうか。やはり自分の場所という安心感が違うのでしょうか。最近は漫画喫茶を自分の居場所にしている人も多いと聞きましたが、その気になれば確かに自分の場所になると思います。診察室もクリニックの場所であり決して私の私有するものではないのですから同じことです。今回の震災のため避難を余儀なくされた人々にとってはいつまで経っても避難場所や仮設住宅を自分の場所とは思えないでしょう。狭くても不便でも自分の場所にいるときの安心感は何ものにも代えられないと思います。
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その71 |
2011年4月21日(木) |
連日「フクシマ」の問題が取り上げられています。私の大学時代の同級生で福島県在住の人がいて、同級生に向けてメールで色々尋ねてきています。それに対して多くの同級生が励ましのメールを送っているのですが、放射能に関して放射線科の教授をしている同級生を含めそれほど自分たちが精通していないことを改めて実感しました。学生時代に放射線物理学の様な講義があったことをうっすらと覚えていますが「放射能は蓄積効果があってやっかいだ」という一般の人の持っているイメージと大差のない認識しか恥ずかしながらありませんでした。テレビで専門家が話しているのを聞いていると、大量一時被爆と少量持続被爆では被爆総量が同じでも全く生体の反応は違うようですし、単純な蓄積効果というものも今は疑問視されていることを初めて知りました。自分の認識をすんなり修正できるベースは学生時代に習ったことのおかげかもしれません。これもテレビの受け売りですが海外にある日本企業に勤務する外国人は今日本への出張を首になっても断っていると聞きました。たとえそれが関西や九州ですらそうだということです。日本人として内心忸怩たるものがありますが、自分に当てはめてみるとあながち彼らを非難できないと思いました。私はヨーロッパ、アメリカ、カナダには旅行したことはありますが、アジア、アフリカ、中東、南アメリカ等には一度も行ったことがありません。これらの地域で学会が開催されたこともありますが最初から参加する気はありませんでした。それらの国の実情をよく調べることなく、いくつかのテレビや雑誌の情報からそれらの国々の衛生状態、治安状態が極めて劣悪で危険だと決めつけていたからです。大学に勤務していた頃、もし私がそれらの国への出張を命令されたら辞職したかもしれません。世界中の国の人たちに日本は放射能汚染された人の住めない国だと思われる前に、私たちは「フクシマ」を解決しなければいけないとひしひしと実感しています。
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その70 |
2011年3月17日(木) |
大変な災害が日本で起きてしまいました。私の住む所には津波警報は出たものの被害は皆無でした。それでも幹線道路が長時間閉鎖されクリニックへの患者さんの送迎に支障をきたしました。TVの画面には今まで映画でしか見たこともないような津波が空港を覆うシーンや堤防が決壊して係留中の船が堤防を乗り上げてくるシーンが繰り広げられました。かろうじて避難した人たちが壊滅状態の町を避難所のある高台からぼんやり見下ろしている光景が忘れられません。町が完全に消滅したことなど戦争体験者にしか経験がないことだと思います。想像できないような喪失感におそわれているのではないかと思いました。避難されている方々が援助物資が不足してひもじい思いをされていると話されているのを聞いて愕然としました。少なくともマスコミは被災地でその人たちから直接話が聞けているということはその場所に食料を運ぶことが物理的に可能な筈です。避難されている方が仮に1万人だとして一人10個のおにぎりをコンビニで調達しても1千万円位で可能です。物理的にも経済的にも可能なことではないのでしょうか。何もかも失った人たちにせめて満腹感を味わってもらえれば、多少の元気が沸いてくるのではないでしょうか。避難所におにぎりをうずたかく積み上げることはとても意味があると私は真面目に思います。食というのはどんなときも一番に必要であり、いつも食から再出発は始まります。何もしていない私がとやかく言うのはおこがましい限りですが、現在の日本のリーダー達は目の前の惨状にただただうろたえているだけにしか見えません。子供の頃、困ったときに頼りになるのはいつも理路整然と話をする秀才より、とにかく走り出すガキ大将でした。何をしても批判は必ずついてくるのですから、こんな時は自分の信じるままに突き進む行動力がリーダーには必要な気がします。頭が良すぎると行動する前に結果をあれこれ予測してしまい結局何もできなくなります。結果を恐れない人こそ結果を出す人です。
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その69 |
2011年2月20日(日) |
「間違ったことに気がついたら素直にそれを認めて謝りなさい。」と幼稚園で習いました。大人になってもそれを実行することができることは素晴らしいです。けれども「謝って済むなら警察は要らない。」という言葉を大人になって知りました。大人になると立場によっては謝っても済まされないことがあるということを「学びましたか?○○さん!」(一選挙民 K.K.)
焼鳥屋でかみさんがうまそうに手羽先の骨をかじるのを見て釣られて同じように骨をかじったところ差し歯が折れてしまいました。手羽先100本分位の治療費をかけて差し歯の治療のために歯科の診察台に座っているとイソップの牛に張り合ってお腹を破裂させたカエルの話が頭に浮かびました。(一焼き鳥ファン K.K.)
宅急便にその会社の箱に入れて荷物を出す際に箱のサイズを測るのを見た時やクリーニング屋で仕上がった服を受け取る際に服に付けたタグが見にくくて苦労している様子を見た時に私は思わず「自分の会社の箱のサイズなんで計らんとわからんの?」「何で後から見るのに苦労するようなところにタグ付けるの?」とつっこみたくて堪らなくなります。(一つっこみファン K.K.)
日医の方から新宮市医師会のIT化に関する問い合わせがありました。しかし、この担当者はITのIはインターネットのIだと誤解しているようです。ITとは言うまでもなくinformation technologyであり究極の情報伝達手段がface to faceであることは古今東西永劫不滅の真理です。大切な書類を毎回クリニックまで持ってきて下さる事務長を有する新宮市医師会は既に最高のIT化が完成していると思っています。(一事務長ファン K.K. ) |
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その68 |
2011年1月21日(金) |
私は中華料理が大好きよく食べに行きます。中国の女優さんも大好きです。ファン・ビンビンやリン・チーリンはまさに傾国の佳人とも言うべき美女ではないでしょうか。学生時代はおそらく起きている時間の1/3以上を麻雀に費やしていたと思います。高校時代に書道の教科書で見た中国の書家の文字は素晴らしく美しいもので感動しました。中国の陶磁器も素晴らしいと思います。そんな素晴らしい文化・歴史をもった中国人の昨今の行動に私は悲しい気持ちになります。特に耐えられないのは日本の国旗を燃やす行為です。韓国人にも見受けられましたが私は日本人が外国の国旗を燃やす姿を見たことはありません。私は決して国粋主義者ではありませんが、抗議をするにしても相手に対する最低限度の敬意を払うことは人として必要だと思います。国旗はその国の象徴であり、顔でもあるのですからそれを燃やすというのはもはや蛮行としか言いようが無く、そのような行為を平然と行う相手とは冷静な話し合いは不可能ではないでしょうか。「中国という国は殴り合ったあとに話し合う習慣がある」というような言葉を聞きました。古くは儒教の発祥地であり様々な東洋思想の聖地である中国の現在はどうなっているのでしょうか。衣食足りて礼節を知るとはよく言ったもので大多数の中国人は情報操作のもと、自分たちの衣食が足りないのは全て日本のせいだと刷り込まれているのでしょうか。現在の日本の文化・歴史に多大な影響を与えてきた中国に対し敬意を表している私は大変残念だとしか言いようがありません。今後も中国が力ずくの外交をごり押ししてくるとしても、私は最低限度の敬意を払う態度を日本人は持ち続けて欲しいと思います。間違っても中国の国旗を燃やすなど決してしてはならないと思います。中国人にも寿司の好きな人、SMAPの好きな人、カラオケの好きな人は沢山いるはずです。互いの相違点を指摘し合う前に、互いの共通点を探し合うことが理解し合うためには必要だと思います。
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その67 |
2010年12月13日(月) |
今年はクリニックに色々と動きがあった一年でした。患者さんで亡くなった方や移植を受けることになった方や長期入院となった方等がありました。新たにこられた患者さんも数名あり患者さんの動きがかなりあった一年でした。スタッフも産休が数名、治療で休暇を取るもの、家庭の事情で辞めるもの、その他諸々の事情で辞めるスタッフも何人かあり、新たに加わったスタッフも何名かありましたから、スタッフにもとても動きが多かった印象があります。クリニックでのこの様なめまぐるしい動きの中でつくづく思うことは、常に動かないものを持ち続けることがいかに大切であるかということでした。個人もクリニックも常に動かないもの、言葉を変えれば揺るがないものを持っていなければ周囲の様々な動きの中でもみくちゃにされてしまうと思います。個人の揺るがないものとはその人の価値観といってもいいかなと思います。それは、スタッフ個々で異なるでしょう。しかし、クリニックの揺るがないものは一つです。私の思っている揺るがないものとは「クリニックはサービス業であり、患者さんに対して医療サービスを提供してあげるのではなくて提供させていただくことで成り立っている」という認識です。そして、クリニックの責任者としての揺るがないものは、「クリニックは患者さんとスタッフがハッピーになるために存在している」という認識です。揺るがないものを揺るがないように守るために、日々変えていかなければならないことも多々あります。新たな医学の進歩に応じた医療技術の向上、患者さんに対するきめ細やかな対応の改善、施設の利便性を向上させるための改良、等々挙げればきりがありません。勿論私一人の力では到底不可能ですから、日々スタッフと話し合いながら一つずつ進めていっている次第です。「このクリニックはいつ来ても変わらないね。」と患者さんに言っていただけることを目指してがんばりたいと改めて感じています。来年がどのような年になるかは分かりませんが何があっても揺るがないでいたいものです。
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その66 |
2010年11月20日(土) |
前から観たかった映画で「しあわせのかおり」という映画があったのですが最近CSで放送されてやっと観ることが出来ました。頑固一徹の料理人に素人の女性が弟子入りし、やがて本当の父と娘の様な関係になっていく、私の故郷の金沢が舞台となった心温まるとてもいい映画でした。先頃NHKで放送した「天使のわけまえ」というドラマも心温まるとてもいいドラマでした。こちらは婚約者が突然貯金を持ち逃げし、おまけに先妻との子供がおしかけてきて一緒に暮らすうちに本当の親子の様になっていくというお話です。二つのお話の共通点は料理です。「しあわせのかおり」では中華料理店が舞台となり、「天使のわけまえ」ではお料理教室が舞台となります。どちらも料理を通して人と人の心が通じ合うお話です。どちらのお話にも思わず食べたくなるような美味しそうな料理がふんだんに登場しお話をこの上もなく盛り上げます。美味しいものを食べている時は人は誰でも幸せな気持ちになり、人に優しく自分に素直になれる気がします。最近の若い人は敬遠するらしいですが私はお酒を飲みながらスタッフとコミニュケーションをとることが大好きです。うちは女性スタッフが大半なのでスタッフと飲むということは女性と飲むことなのですが、常々私は「女性のハートをつかむ自信は皆無だけど胃袋をつかむ自信はある。」と自負しており、うまくいっていると思っています。新宮で仕事で出会った人に「たべあるき」を読んでますと言われたり、紹介したお店の人に読みましたと言われたりして会話が弾むこともしばしばです。糖尿病友の会「みどりの会」の活動も一貫して食へのこだわりをテーマにしています。今年JTBに入社してうちのクリニックの慰安旅行を段取りしてもらっている姪とその父親、つまり弟ですが、と会食をすることになりました。両親抜きで弟と飲むのは初めてなのでなんだか照れくさいですが楽しみです。私も家内も食べることが大好きなのでこれからも公私ともに食が中心となってまわっていくと思います。
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その65 |
2010年10月20日(水) |
間違いというのは誰にでもあることで決して悪気があったからではないということは分かっていても不快になるのは名前を間違えられたときです。個人的にはしばしば「村越さん」と間違われることがあります。かなり長く話していたり以前から取引していたりしている相手にそんな間違いをされると正直イラッとします。新宮には熊野地という地名があるためにクリニックの名前を「熊野地クリニック」と間違えて郵便物や書類が届くことがしばしばあります。その都度スタッフに言って先方に注意を促していますがなかなか無くなりません。作曲家の團伊玖磨(だんいくま)さんは随筆の中で「郵便物で宛名が‘団伊玖磨’となっているものは開封せずに捨てる。何故なら私は團伊玖磨であって団伊玖磨ではない。私宛の手紙ではないから捨てるのである。」と書いておられました。最近役所からの郵便物で熊野地クリニック 院長宛となっているものが届きました。単なる通達ではなく患者さんに関する公文書の提出依頼の郵便でした。私は書類を全て完成させた後、誤記のあった1枚目の文書作成依頼の書面に「書類不備」と朱筆して役所に電話で「公文書依頼の書類にもかかわらず重大な誤記があったので作製できない。直ちに書類の不備を訂正して欲しい。」と伝えました。朝一番に電話しましたが午後4時頃に担当者が一字を訂正した書類を持ってクリニックに駆けつけてきました。少々意地悪でしたが、日頃些細なことでも書類不備と突き返されることが多いのでうっぷん晴らしをしてしまいました。しかし、たった一字を訂正するのに半日かかったことには驚くというよりあきれました。役所の仕事ぶりに関しては霞ヶ関の官庁から始まって末端市町村役場に至るまでまだまだ無駄が多いのではないでしょうか。かく言う私も患者さんの紹介の手紙でしばしば誤字があるのですが、うちのスタッフは実に優秀でその都度きちんと間違いを指摘してくれます。たとえスタッフであっても、しかもありがたいことであっても間違いを指摘されて気持ちがいいことはありませんが、間違えられたときの不快感を思うと、自分が同じことを患者さんに対してしてしまわないよういつもチェックしてくれるスタッフには心から感謝をしています。
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その64 |
2010年9月20日(月) |
ワールドカップはスペインの優勝で幕を閉じましたが、日本も大健闘をしてとても盛り上がったと思います。本田選手は私の故郷石川県の高校出身ですし、駒野選手は今住んでいる和歌山県出身の選手で何か身近に感じました。ちなみに有名人に関して、ちょっとした共通点(同じ県出身とか)で全く会ったこともないのに親友か親戚みたいに感じるのが和歌山流です。大会前にはスペインが強いかなと思っていましたが大会が始まってからはブラジルとアルゼンチンの決勝になるかなと感じていました。日本は一次リーグ全敗かなと諦めていましたが素晴らしいゲームで2勝を上げました。どちらのゲームも素晴らしい内容でした。パラグアイとの試合も本当に見応えのあるゲームでした。日本は4ゲームでなんと2失点で大会を去ったのですからこれは賞賛に値すると思います。PKのドラマは何ともいいがたいものがありますが、はっきりしていることは駒野選手は次は決めればいいということだと思います。見ていて楽しいチームはなんといってもアルゼンチンでした。マラドーナ監督は絵になります。ゲーム中の喜怒哀楽ぶり、戦術で勝つというより、うまい選手がいる方が勝つんだと言わんばかりの試合ぶりは本当に面白かったです。ドイツの組織力の前に玉砕しましたが次回もこのスタイルを貫いて勝ってほしいと思います。プロのゲームは見ていて楽しいことも大事だと思います。ドイツやオランダの試合は力強さを感じますが南米のチームのようなわくわく感に乏しい気がしました。その点スペインはヨーロッパチームの中ではダントツでわくわくするゲームをしていました。華麗なパス回しはかつてのブラジルを彷彿とさせました。固い守備で最少得点で勝つスタイルはイタリアのようですがリズム良くパスが回るので見ていて飽きませんでした。決勝戦は延長戦にもつれ込んだにもかかわらずあっという間に時間が過ぎました。究極のわくわくする120分を味わわせてくれた両チームに心から感謝です。
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その63 |
2010年8月20日(金) |
参議院選挙は自民党の勝利、民主党の敗北、みんなの党の躍進という結果でした。数多くのタレント候補の大半が落選しました。これは自民党、民主党共に国民の不況に苦しむ生活を理解していない結果だと思いました。国民は今真剣に政治に期待しているのだと思います。この不況を打開してほしいと願っています。そんなとき知名度に頼ってたいした政治的ビジョンも無い人が立候補する姿にふざけるなまじめにやれと怒った結果だと思います。当選した人気スポーツ選手で議員と選手の両立を宣言している人もいますが、輝かしいキャリアに汚点をつけることにならなければいいと懸念しています。消費税増税には私は基本的には賛成です。しかし、民主党は事業仕分けのみならず、国会議員の定数削減、官庁の人員削減を初め徹底した無駄排除をまず実行すべきでした。全ての無駄削減処置を実行後に政策実行のため必要な経費捻出には増税も不可欠という議論をすべきでした。高速道路無料化、育児手当等の支出を伴う政策を拙速に実施したことが悔やまれます。育児手当に関して、実施前テレビで母子家庭で毎日の食事にも事欠く生活ぶりを放送していて育児手当の必要性を訴えていたときは、この政策に意味を感じました。しかし、実施後の街頭インタビューで大半の人が支給されたお金は貯金するとか塾などの教育に当てると話しているのを聞いてこの政策に大きな疑問を感じました。勝った自民党に国民は期待していたわけではなく単に民主党に不満を持った結果だという気がしますし、政治に対しどこに、誰に期待していいのか分からないという閉塞感からみんなの党に期待が集まった気もします。日々の生活には厳しいものがありますが、そのために日本中が政治に関心を深めている今是非民主党には自民党政治では出来なかった何かをしてもらいたいと思います。家庭でも企業でも財政の立て直しは支出の見直しからです。国も同じだと思います。さらに、外交でも国際的に敬意を払われる様な毅然とした姿勢を示してもらいたいものです。
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その62 |
2010年7月20日(火) |
最近クリニックで採用した近赤外線光による温熱治療が好評です。キセノンランプによる光を皮膚に照射して局所の血液に流れを改善させる機械です。実際に自分で初めに試したら光を当てているうちに段々温かくなってきて止めてからもしばらく温かいままでした。メーカーの説明によるとこの機械を導入している透析施設は和歌山ではうちが初ということでした。実は三重県透析研究会で効果があるという発表を聞いて採用しました。最近は情報は耳学問専門で近隣の研究会のみならず、日本透析医学会学術集会総会や日本透析医会セミナーや日本血液浄化技術研究会セミナーにも参加して情報を仕入れています。とても刺激的な話やなるほどなあとコロンブスの卵的な話などメモがいっぱいになることもしばしばです。参加できる土曜・日曜日のセミナーの翌月曜のウィークリーミーティングでスタッフリーダー達に新しい情報を提供しスタッフ全般に彼女たちから伝えてもらっています。その日の透析から新しい情報を生かして色々な試みを行えています。リーダーの理解がすばらしいのでしょう。スタッフ全員がしっかり情報を把握しており回診時には大変手応えを感じています。以前に比べて最近は回診時にも私からの一方通行の指示ではなくスタッフからこうしたらどうかとかこの点をどうしたらいいかといった質問も多く大変楽しく回診をしています。うちでは私は決してオールマイティーの存在ではありませんから、スタッフに頼っている面が多々あります。勿論全ての医療サービスに対する全責任は私が負いますが、スタッフは私より実技面では優れていますからスタッフに任せるところが多々あります。そのためか時にスタッフ任せの無責任と患者さんに思われることもあることを最近知りました。患者さんを不安にさせてしまい申し訳ないと反省しています。もっと患者さんとのあらゆる面での接し方、コミュニケーションの取り方に腐心しなければいけないと改めて反省の今日この頃です。
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その61 |
2010年6月21日(月) |
「二人の男が形の全く異なる二つのコップに酒をつぎ分けています。どちらの男にも納得するようにつぎ分けるにはどうしたらいいですか?」というクイズがありました。答えは「一人の男に酒をつぎ分けさせて、もう一人の男に自分のコップを選ばせる。」でした。ポイントはどうやって正確に酒を二等分するかではなくどうやって二人を納得させるかという点です。沖縄の基地問題を見ていて色々と思うことがありました。私たちの身の回りにもどうしても全員の利害が一致しない問題は多々あると思います。基地の場所として軍事的な観点から沖縄以外の選択はないとアメリカは判断しています。日米安保条約を破棄しない限り基地は沖縄から移設できないと結論づけられます。沖縄から基地をなくすという選択肢は本来なら日米安保条約を継続するか破棄するかという観点から論ずべき問題といえます。破棄すれば沖縄どころか日本中から基地が無くなります。確かに日本には世界有数の兵器が自衛隊という形で存在します。しかし、日本人には自衛隊を含めて武力による自国防衛という意識はありません。現状では竹槍で攻めてこられても侵略されると思います。私は日米安保条約の破棄は現段階ではすべきでないと思います。沖縄の人たちには大変な犠牲を強いることですが基地は沖縄に存続せざるを得ないと思います。今沖縄の人たちの不満・怒りが100としてこれをいかに70なり50なりに減らすかそれこそが日本人全体で考えるべき問題であり政治家がリーダーシップを取るべき問題だと思います。かつて島根医大時代に4内科学教室合同の会議がありました。議長は私たちの教室の教授でしたが見事なリーダーシップを発揮して会議を仕切られました。よその教室のスタッフからは随分強引で自分の意見が一番みたいな仕切りだと思われたかもしれません。しかし会議で何かを決めるには強い意志と明確な考えと全ての責任を取る覚悟がリーダーには必要だと思いました。それら全てが欠如した首相を選んだ責任を今日本人全体で考えるときです。
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その60 |
2010年5月20日(火) |
うちのクリニックのスタッフは今出産ラッシュです。現在1人は出産して育児休暇中です。2人は妊娠中で夏・秋に出産予定です。1人は妊娠のための治療を受けるため休職予定です。妊娠・出産のスタッフはみんなまだ20代ですが既に3人の子持ちです。そうです。うちのクリニックは日本の少子化と敢然と戦っている頼もしい母たちの職場なのです。クリニックの事務長や婦長もうちに勤めてから結婚出産を経験しています。その時は先代の院長の時代でした。私が引き継いでからスタッフが妊娠出産するのは初めてです。以前勤務していて妊娠が分かり辞めたスタッフはいました。しかし、今回妊娠・出産予定のスタッフは皆復職してくれる予定です。うちを働きやすい職場と認めてくれたのだと思い私はとても感激しています。できる限りサポートしていきたいと思っています。医療の現場では女性の力がなければ成立しない場所が沢山あります。うちのようなクリニックは女性でもっています。男性だけでは成立しません。それだけに女性が安心して結婚して子供が産める環境を準備しなければいけないと常々思っていました。しかし、十分な準備もないままに立て続けに出産予定のスタッフが現れて多少焦っています。可能ならクリニックに託児所があればスタッフも安心なのでしょうが残念ながら今も将来にも無理かもしれません。しかし、無理と決めつけずに今後も可能性を探っていきたいと思っています。先代の院長も開院時には若いスタッフと共にスタートしスタッフの成長を共に眺めてきたのだなあと今感じています。事務長や婦長は私と同年代ですから丁度親子のような感じだったのだと思います。そして、いま妊娠・出産しているスタッフの親御さんと私は同年代だと思うので彼女たちと私も親子のような感じなのでしょうか。私の気持ち的には仲間という感じなのですがスタッフは親父みたいに私のことを観ているのかもしれません。どんな風に観てくれてもいいので断絶することなくスタッフとは気持ちはつながっていたいと思います。
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その59 |
2010年4月20日(火) |
バンクーバーオリンピックで浅田真央さんの活躍と涙に感激しました。素直に悔しさを涙で表した姿は実にすばらしく、全力で戦った誇りのあるものだけが流す尊い涙だと思いました。悔しさがある限り次に彼女が勝つ可能性があると思います。負けて悔い無しなんてことはあり得ないし本当にそう思うとしたら引退を意識したときだと思います。メダルの色が何色だろうとすばらしい戦いをしたことに変わりはありません。あのすさまじいプレッシャーの中でしかも目の前でとうてい追いつけそうもない高得点を出されたにもかかわらず、きわめて難度の高い技を成功させた彼女の実力は凄まじいものがあると思います。そしてものすごい精神力の持ち主だと思います。だからこそ、人目もはばからず悔し涙を流せたのだと思います。あの涙に彼女のプライドを感じました。以前オリンピックの水泳で銀メダルを勝ち取ったのに「金が良かった。」とコメントしていた選手がいましたがとても素直で気持ちのいいコメントだと思いました。スポーツに限らずどんな分野でもその道のプロは一番を目指すものだと思います。そして一番になる努力により向上し一番になれなかったときの悔しさをバネに努力を続けるモチベーションを維持するのだと思います。「何故一番でないと駄目なのですか。二番では駄目ですか。」と鼻息荒くのたまっていた国会議員がいましたが初めから二番ねらいで二番になれると思っているとしたら、とんだ見当違いというべきでしょう。一番をねらっている多くのものの中かの一人がかろうじて二番を手にするのです。あんな議員が仕切る政策が国を動かすなんて恐ろしい限りです。かつて大学院時代に学位を取るために研究をしている先輩がなかなか結果が出ないとき、「日本で一番、世界で二番。」と自嘲気味に言っていた言葉を思い出します。初めから二番を狙うというのは、いじましい猿真似を意味するということです。そんな姿勢ではどんな分野においても本当の成果が出ることはないと断言できます。
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その58 |
2010年4月20日(火) |
桃の花が咲きました。2年前まで見事な花を咲かせていた桃の木に2年ぶりで花が咲きました。クリニックが現在の場所に新築移転する折に前のクリニックの敷地内にあったこの桃の木を移植しました。移植1年目の昨年の春には花が一輪咲いただけでした。その後再度敷地内で移植したので今年の春も諦めていたのですが、今年は見事に咲いてくれました。うちの桃はしだれ桃です。しかも濃いピンクと淡いピンクの2種類の花が同じ木で咲きます。さらに一つの花でも花びらが濃いピンクと淡いピンクが混ざっています。とても複雑な色合いの大ぶりの八重の花で実に美しいのです。そのとなりには新築移転時に新たに植えたしだれ桜があります。こちらも桃と同じ時期に敷地内で移植しました。これも昨年は花を咲かせませんでしたが今年は蕾が沢山あり、かすかに開きかけています。この2本の木の後ろにはお隣さんの桜の木があります。その木も交えて3本の木の花を眺めながら今年は念願のクリニックの敷地でのお花見ができそうです。クリニックも今年の6月で新築移転して丁度2年になります。まだまだ甘いなと痛感することが最近もいくつもあります。何故もっと早く気がつかなかったのかと悔やみますが失敗して初めて気づくことの連続です。スタッフはみんなとてもよくやってくれています。後は私がどれくらい自分のモチベーションを維持できるかが鍵だと自覚しています。思うようにいかないことがあるとわりとくよくよと考えてしまうのですが、きれいに咲いた桃の花を見て勇気をもらいました。前の敷地で見事な花を咲かせていた桃の木でも新しい場所で再び花を咲かせるのに2年かかったのですから、元々見事な花を咲かせていたわけでもない私が花を咲かせるにはそれ相当の辛抱の時間が必要なのだと教えてくれて気がします。その感謝の意味も込めて今年はこの桃の花ととなりの桜の花を眺めながらうちのスタッフたちと美味しいお酒を飲みたいと思っています。
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その57 |
2010年3月20日(土) |
クリニックが新築移転して2年が経とうとしていますが、一つ不満があります。それは、クリニックに花が少ないことです。建築時にクリニックの敷地で花見がしたいと言って植えてもらった桜は未だ咲く気配もなく、前のクリニックの敷地から移植した桃の花は今年も咲きませんでした。植木屋さんにお願いしてハナミズキの木を植えてもらったり今色々とてこ入れを考えています。四季折々に花が咲く光景を見ることでスタッフも患者さんも心が和み会話も弾むと思うのですが。今まで住んでいた色々な場所で花の思い出がそれぞれあります。故郷の金沢には兼六園という庭園があり、そこのカキツバタやツツジは桜以上に見応えがありました。京都にいたときには平安神宮の池のアヤメや丸山公園や祇園歌舞練場の桜が見事でした。滋賀県の比叡平に住んでいた折の庭のハナミズキやサルスベリの花やキンモクセイの甘い香りは懐かしく覚えています。家内の好きなクチナシの花もありました。出雲にいた頃は緑の桜を観に出かけたり桜の名勝は沢山ありました。クリニックの移転前には四季折々で鉢植えを買ってきてクリニックの前に並べていました。特にパンジーが好きで色々買ってきていました。私は育てるのが下手で、すぐ枯れたり大きな花が咲かなかったりするので店の人に色々アドバイスをしてもらいました。新宮では僅かなスペースで上手に花を咲かせている家が大変多く、暇なときはそんな花を眺める散歩をしています。クリニックでもっと花を咲かせられたらと思います。冬には水仙がすがすがしくてきれいだし、梅雨の頃のアジサイの鮮やかな紫も大好きです。夏にはヒマワリの黄色がまぶしいですし、秋にはなんといってもコスモスが最高です。とはいっても毎日ちゃんと世話をしないと花は自然に咲いてはくれませんので、ずぼらな私には自分で世話をすることができません。スタッフもみんな忙しそうで花をまめに植えてくれそうにもありません。今度スタッフを採用するときは花が好きかこっそり聞いてみることにします。
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その56 |
2010年2月21日(日) |
知人がリストラにあったと聞き、少なからずショックを受けました。長く会っていませんが大変優秀な人で人格者でもありました。何故そんな人材を企業は切り捨てるのでしょうか。企業の経営改善のためにリストラをすることが常套手段となっていますが、短期的には経営は改善するでしょうが長期的に見てこれは自らの首を絞める行為でないのでしょうか。第一に余剰人員というものが本当に存在するのでしょうか。いなくてもいいスタッフなど組織に存在するのでしょうか。本当にいるとすれば何故そのようなスタッフを採用したのでしょうか。人が減れば自ずと企業の活力は低下するのではないでしょうか。スタッフには給与を支払わなければなりませんが、スタッフはまた一消費者でもあります。もしリストラされ収入を絶たれたら企業は同時に自らの企業の利用者も失うことになり景気の低下に拍車をかけることになるのではないでしょうか。もし人件費を30%カットすることが必要になったとき人員を削減する代わりにスタッフの給与をカットすることでまかなうことは無理なのでしょうか。もしうちのクリニックで経費節減が必要になったら私はスタッフに迷わずリストラではなく給与カットを提案します。みんなで痛みを分かち合って窮地をしのぐことで組織の連帯感も強まりピンチをチャンスに変える活力にもなるのではないのでしょうか。リストラというのは人の生活を脅かすことです。それは一歩間違えば人の命を脅かすことにつながります。そういう意識を経営者は持つべきだし命を粗末にする組織に明日があるとは思えません。大胆なリストラにより企業を再生させたとマスコミに評価されている経営者が何人もいますが、3年、5年といった短期ではなく10年、20年先を見据えた時、組織や日本経済に本当にプラスとなっているのでしょうか。私は経済に疎いし経営者としての経験も浅いですが人を大切にしないで何を大切にするのでしょうか。命の大切さと皆口を揃えて言いますがその言葉とリストラは相容れないものに思えます。
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その55 |
2010年1月22日(金) |
私はこれまで一度もスタッフを解雇したことがありませんでした。クリニックの最大の財産は人だと信じているからです。最も貴重な財産を自ら失うようなもったいないことは出来ないと考えています。しかし、初めてスタッフに退職を求めることになりました。詳しいことは個人の人権を尊重してここで書くことはしませんが、退職を求めた理由は私の理念を理解してもらえなかったことです。「命に対して誠実であれ」ということが私の理念であり、うちのクリニックの理念だと考えています。透析室で実際に患者さんに医療行為を行うスタッフは当然のことながら、事務スタッフも厨房スタッフも送迎スタッフも皆等しく命に対して誠実であってもらいたいと願っています。それは24時間そうであってほしいと思っています。仕事を離れてもけんかして暴力をふるうなどは問題外ですが、交通規則を守らず安全運転を怠ることも命に誠実ではありません。うちのクリニックには飲酒運転をした者は依願退職とする規定があります。
禁煙の場所で煙草を吸うことも命に誠実ではありません。本音を言えば喫煙自体が命に対して誠実ではないと思っています。私は決してストイックな生活を送っていません。むしろその逆の生活態度かもしれません。しかし、命に対していつも誠実でいることを心がけようと常々思っています。人は必ずミスを犯すし、誰しもが極みに達するほどの技量を持ち合わせているわけではありません。私の医療技術、知識などお恥ずかしい限りのものす。しかし、命に対して誠実であれば、うかつなミスや取り返しのつかない過ちは避けられるのではないかと思っています。精一杯やった結果が不幸な結果であれば、それはいずれは患者さんにも受け入れてもらえるのではないかと信じています。クリニックの全ての責任は私にあります。私は全ての責任を担うと同時にスタッフ全員に命に対して誠実であることを求めています。私の理念を理解してもらえていないことを理由に退職を迫り受諾してもらいました。
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その54 |
2009年12月25日(金) |
2009年もあと僅かとなり何かと気忙しくなってきました。今年も色々のことがあり順風満帆とは言えない一年でした。しかし、年末近くに嬉しいことが二つありました。一つは和歌山透析研究会で発表した論文が優秀論文に選ばれたことです。もう一つは婦長が優秀勤労者として和歌山県から表彰されたことです。研究会で発表した論文は認知症の透析患者さんに対する取り組み方を報告したものです。特に新しいことをしたわけではありませんが、透析室の看護師のみならず事務スタッフ、厨房スタッフ、送迎スタッフがそれぞれの持ち場で出来る限りのサービスを積み重ねて認知症患者さんの透析を行っていることを報告しました。私のふるさと石川県の伝統工芸である輪島塗の漆のごとく何層にも何層にもサービスを重ねていって作り上げたクリニックの医療サービスを評価されたことは何ものにも勝る喜びでした。若い男の看護師が発表しましたが彼の名前で頂いた表彰状をクリニックの勲章として飾りました。婦長は長年うちのクリニックを支えてきた仕事ぶりが評価され和歌山県から表彰されました。手前味噌かもしれませんが、婦長が長年積み重ねてきた努力が評価された結果であることは疑う余地がありませんが、その評価をうちのクリニックの医療サービスが陰で支えていたと思っています。婦長の背中を追って他のスタッフも負けじとがんばってくれたおかげで現在の医療サービスが提供できているわけで、その医療サービスに一定の評価を頂いた結果が婦長の表彰に結びついたのだと私は思っています。表彰されたのは若い男の看護師と婦長ですがこの二つの表彰は表向きは個人賞ですが、私は熊野路クリニックスタッフ全員により成し遂げた現在提供している医療サービスに対する評価だと考えています。厳しい医療経済環境の中、うちのクリニックの手間ひま惜しまない医療サービスがこの先どれくらい改善させられるか、さらに、継続させられるかは分かりませんがこの喜びを大切に張り合いとしてがんばりたいと思います。
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その53 |
2009年11月24日(火) |
インフルエンザが流行してワクチンが追いつかず毎日患者さんに説明するのに四苦八苦しています。春頃に流行したときは丁度大阪の学会に参加していて町では見事に皆マスクをしていました。学会会場でも全員がマスクをしていてマスクをしていないのは私だけでした。島根で一緒に仕事をした若い人たちと会った時も彼らは皆マスクをしていました。「先生はマスクをしないのですか。」と聞かれたので「周りが皆マスクをしているということは自分はしなくてもいいということと違うか?」と返事すると苦笑いしていました。私はインフルエンザに根拠無く驚異を感じていないのです。新型インフルエンザの医療従事者向けのワクチンが配給になることが決まりましたがスタッフ全員分が配給されるわけではありません。二次配給もあるとの話ですが確証はありません。スタッフ内の優先順位をつけなければなりません。看護師は最優先で幸い全員分カバーできました。しかし看護師以外にもスタッフは全て患者さんと接します。ワクチンが回ってこなかったスタッフの気持ちを考えると辛いものがあります。本来なら私は真っ先にワクチンを打つべきなのでしょうが私は二次配給分に回りました。しかし、それがいいことなのか悪いことなのか判断出来ずにいます。医師として無責任と非難されるかもしれません。とにかく予防に細心の注意を払いインフルエンザにかからないように努めることで無責任という避難にさらされないようにしようと思います。私の住む町でも既に新型と思われるインフルエンザ患者は出ていますし私も診療しています。インフルエンザにより不幸にして亡くなった患者さんも報道されています。しかし、医師としては亡くなった患者さん個々の詳しい病状を知らなければどう評価していいか分かりません。報道するなら許される範囲内でもう少し個々の病状を知らせてもらわなければ今の報道ではいたずらにインフルエンザのパニックを誘導しているだけのような気がします。
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その52 |
2009年10月26日(火) |
私は自分の仕事が気に入ってます。だから毎日楽しく仕事をしています。いやなことがあってもこの仕事を辞めたいと思ったことはありません。私はスタッフにも同じ気持ちで仕事をしてもらいたいと思っています。かつて大学に籍を置いていたとき、若い人たちに研究の面白さを分かってもらい研究に熱心になってもらおうとして私が初めにしたことは、学会で発表した折に美味しいお店に連れて行くことでした。さらに、海外の学会ではツーリスト顔負けのプランを立てて添乗員に徹しました。若い人たちは大変喜んでくれてそれなりに研究へのモチベーションの高まりにつながりました。しかし、これは馬の目の前にニンジンをぶら下げただけで、走ること自体を好きにさせたわけではありません。クリニックの院長となり、やはり初めにしたことは花見やバーベキューや慰安旅行や忘年会を盛んにすることでした。スタッフはそれなりに楽しんでくれていますが、一番楽しんでいるのは私であり、ひょっとすると冷ややかに私を見ているスタッフがいるかもしれません。うちの仕事自体を楽しいと思ってもらえれば、それがクリニックの空気となり患者さんに必ず伝わると確信しています。勿論リーダークラスのスタッフは仕事に張り合いを持っていてくれると思うのですが、他の人たちにどうやって仕事の面白さを感じてもらうか悩んでいました。勿論給料をなるべくアップすることも忘れていませんが、同じ給料でもうちの仕事を選んでもらいたいのです。そんな折、各部署のリーダーがメンバーに自分たちの役割を任せるようになってきました。すると不思議なことに心もとなそうに初めは見えたメンバーがだんだん自信を持った表情に変わってきました。自分に任されているということがプレッシャーから心地よい緊張感に変わってきているのかなと思っています。リーダー以外のスタッフも自発的に仕事に取り組む姿が見えてきました。仕事を楽しみ始めてくれたようです。やっぱり私はスタッフに支えられ助けられていると実感しました。
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その51 |
2009年9月24日(木) |
どのような業種でも同じでしょうが医学界でも自分たちの専門分野に関する研究会があります。全国レベルの学会から地方の研究会まで規模は様々です。私たちの施設は地方の透析サテライト施設ですから、中核病院で透析導入されて安定した患者さんの維持透析を行っています。試験的な試みや最新の技術導入の試みなどの先端研究は大学や中核病院で行われ私たちはそのような施設が行った先端研究の成果を研究会や学会で勉強してきて毎日の臨床の場で実践しています。それでも毎年一つは自分たちの施設でのいろいろな試みや臨床成績を和歌山県や三重県の研究会で報告しています。報告の出来ないときもなるべく多くのスタッフに研究会に参加してもらい自分の知識を深めてもらうようにしています。毎回研究会にはスタッフがかなりの人数参加してくれているので内心喜んでいました。もうすぐ研究会があるのでミーティングで参加を促した折、「参加費くらいしかクリニックから負担できなくて申し訳ないけどなるべく参加してください。」と話すと事務長が「交通費、休日手当も出しています。」と教えてくれました。それを聞いてふたつの感情が同時に心にわき上がりました。それは「スタッフに経済的な負担をかけずに勉強してもらえていて良かった。」という経営者としての感情と「自分の勉強のために行くのだからたとえ手弁当でも参加してほしい。」という医学関係者としての感情でした。落語に大店の旦那さんが自分の下手な謡を長屋の連中に披露するために豪華な弁当で誘う咄があります。なんだか自分が独りよがりな旦那さんになったみたいで少々へこんでしまいました。大学時代も学会出張の折には旅費が支給されましたが足が出るのが当たり前でした。それが正しいとは思いませんがクリニックの研究会への参加もサラリーマンの出張と同様の扱いなのだと知って正直カルチャーショックでした。今度うちなど比べものにならないくらい大きな病院を経営している同級生にスタッフの研究会参加について聞いてみたいと思いました。
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その50 |
2009年8月24日(月) |
クリニックは新築により銀行からの借り入れは増えましたが、現在は患者さんも増えスタッフも増員され何とか落ち着いてきたかに思えていました。しかし、最近これまでで一番の危機を迎えたと感ずることがありました。先日中核病院から紹介していただきクリニックを見学に来られた透析患者さんがおられました。一通り見学され帰宅された後当院での透析を希望されている旨の電話を中核病院から頂き喜んでおりました。しかし、数日後返事を保留したいとの連絡が入りました。新宮市内にはうち以外にも透析施設はありますから患者さんには選択の自由があります。うちが透析患者さんを独占できるなど毛頭考えてはいません。私が危機だと感じたのは患者さんが保留にされたのは私を含めたうちのスタッフの対応に問題があったからではないかと危惧したからです。最近患者さんが増えてスタッフ各自の業務は確実に増えています。休みもなかなか取りづらいのが現状です。そんな状況からくるスタッフの心の隙が空気となって見学された患者さんに伝わってしまったのではないかと不安になりました。蟻の一穴という言葉がありますが、些細な隙からあっけないほど簡単に崩壊が始まります。私はすぐにシニアスタッフを集めて私の危惧に関して話しました。「私たちは気がつかないうちに上から目線で患者さんと接していなかったかもう一度見直してほしい。」と伝えました。数年前クリニックが経営危機にあった時、見学に来られた患者さん一人一人に接したときの気持ちが今の私にあるのかと自分に問うてみました。恥ずかしながら私には慢心も隙もあったと思います。スタッフは敏感にそれを感じ取っていたと思います。だとすれば自ずとそれが態度にも現れるものです。幸いにして保留とされた患者さんはうちへ来て下さることになりました。うちへ来て下さることとクリニックの慢心・隙を知らしめて下さったことの二重の意味で心から感謝している次第です。
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その49 |
2009年7月23日(木) |
クリニックが新築移転して早いもので1年になります。当初透析患者受け入れ予定数を70名に設定して建築しましたが、ありがたいことに多くの患者さんに利用していただくこととなり設定人数を遙かに超えて現在は限界人数に近づきつつあります。紹介元の中核病院の先生から「まだ受け入れ大丈夫か?」と心配いただきましたが私はスタッフには決して否定的な返答をしないように厳に戒めています。信頼関係というものはどのようなときも構築するのは大変困難で解消するのはきわめて容易です。島根大学時代にそれを学びました。私はだれかから何かを頼まれたときは自分に対する試験だと考え常にベストを尽くして依頼に応える努力をしました。「今忙しい。」とか「来週なら可能。」とか一度でも返事をしたら二度と自分に依頼は来ないと思っています。「頼み事は忙しい人に頼め。」という言葉がありますが、これは「忙しい人は決して依頼を断らないし、いい加減な仕事をしないから依頼が殺到して忙しい。だから信頼できる。」という意味だと思っています。ですから、「うちのクリニックは患者さんが今はいっぱいなので他を当たってほしい。」と一度でも答えたら二度と紹介してもらえないと思っています。現在ベッドを増やしたりスタッフを増員したりしてやりくりをして中核病院からの紹介患者さんの受け入れに応えています。勿論物理的な限界数はあるわけですが、そんなに患者さんの数が右肩上がりに増え続けるはずもなく、いずれは一定の線で落ち着くはずです。いや、いつ減少に向かうか分かりません。クリニックの運営責任者としては先々の不透明な状況に対して細心の注意を払いながらも今の状況に忠実に対応していくことも必要であり、気の休まらない毎日といえます。機械なら要らなくなれば倉庫に入れておけばいいですが、スタッフは余剰が出来たからクビにするというわけにはいきません。常に必要最少人数を維持していくことが理想だと考え、多少の無理をスタッフに強いていることに心の中で手を合わせています。
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その48 |
2009年6月23日(火) |
先日4-5年ぶりで一人でぶらりとお店に行きました。その店は美味しかったのですが、若向けのメニューになったり接客に難があったりで足が遠のいたのですが久しぶりに覗いてみたくなって入りました。「お久しぶりですね。」といわれるかと思いましたが、「おひとりですか?」と一見扱いでした。それはそれで楽しいかなと一見のふりをして食事を楽しむことにしました。あれこれ頼んでお酒もいろいろと飲んでいるとさすがに一見ではないと感じたおかみが探るように声を掛けてきました。その第一声が「沢山召し上がりますね。」でした。そのあとおずおずと「前にもお見えになったこと有りますよね。」と聞いてきました。「前に来てること知ってるならどんな食べ方したか分かるのじゃないの?」とつっこみたいところですが曖昧に笑ってごまかしました。素材も味も以前よりグレードアップしていたのですがやはりサービスも味のうちだなあと痛感しました。一見みたいに気楽に飲めていいかと思わないこともないのですが接客はいまいちのままでした。一方東京で数年ぶりに入った渋谷の有名中華レストランでは、ほとんど一見みたいなものなのに丁重に迎えてくれて、食べ終わる頃にはテレビでしばしば拝見する有名シェフが挨拶にまで来てくれました。料理一品一品が大変美味で厳選された食材であり、珍しい食材も多々あったためひと皿ごとにサーブしてくださる方に質問していましたがそのたびに大変丁寧に説明して下さいました。店の味を決めるのはシェフの力でしょうが、店の味を伝えるのはシェフだけでは無理なのだとつくづく思います。東京で中華料理を食べるときはまたこの店にしようと思います。私たちのクリニックでも私の役割はほんの一部に過ぎず患者さんにクリニックのポリシーを伝えるためにはスタッフ全員の力が必要なことを改めて認識しました。
新宮のお店にはまた気が向いたら一人で行こうと思います。今度お店で気持ちのいい接客を受けたら是非「院長のたべあるき」のコーナーでお店を紹介することにします。
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その47 |
2009年5月25日(月) |
少し前になりますがスタッフの一人がうちを辞めました。スタッフの出入りはこれまでにもありましたし、私は基本的に「来る者拒まず去る者追わず」というスタンスなのですが、今回は少し応えました。このスタッフは若いけれど仕事はよくできるし私としては大変期待していました。しかし、仲間内でどうもいろいろとトラブルようで「あの人とは働きたくない。もう辞めたい。」というスタッフまで現れてしまいました。原因を聞くと、挨拶をしない、目上の人に対しタメ語であったりきついものの言い方をしたりする、人に対する好き嫌いが激しい、等の声が聞こえてきました。私に対しては全くそんなところが無いし、むしろ一緒に仕事をしやすいと感じていましたので、このギャップには正直愕然としました。私の管理能力の無さがものの見事に露呈したわけです。とにかく本人と話をしてみることにしました。私はお酒を飲むと最近は説教くさいことをすぐ言いたがりますが、職場では自分でも情けないほど何も言えません。このスタッフともしどろもどろになりながら「あなたには期待しているので何とか自分を向上させる努力をしてほしい。」と自分なりの思いを伝えたつもりでした。しかし、事態は変わることが無く、ついに、スタッフ全員の前でもう一度説教めいた話をすることになりました。極力個人攻撃にならないよう苦心して話したのですが、結局「辞める。」と即日返事がありました。価値観が違うのでしょうか、最近の若い人は世代の違う人から異なる価値観で意見を言われてもそれを受け入れて斟酌してみようという姿勢は感じられません。「うざい」ということに尽きるのでしょうか。幸いこのスタッフはうちよりレベルの高い職場に転ずることが出来ました。腕はあるのですから是非新しい職場では自分がうまく機能するようにと祈っています。私もこのスタッフの直属のリーダーもかなり精神的にダメージを受けました。チームを機能させることの難しさをまた一つ思い知らされました。
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その46 |
2009年4月27日(月) |
WBCを観ていて野球ってこんなに面白かったんだと実感しました。多分子供の頃長嶋や王の活躍をこんな気持ちでわくわくしながら観ていたのだと思います。延長でイチローが打席に立ったとき、もしイチローでダメだったら仕方がない。と不思議と静かな気持ちで観ることが出来ました。あそこで結果を出すからスターなのでしょう。まさに幼い頃あこがれた長嶋の姿が重なりました。彼が試合後のインタビューの言葉で「必要なのは向上心であり、メンバー各自にそれがあればリーダーなど要らない。」という言葉にもいろいろと考えさせられるものがありました。チームというものには強いリーダーシップを持った人が必要だと思いがちです。それは間違いではないと思いますが、もっと大切なのはリーダーに従うメンバー各自が、リーダーに近づく努力をしたりリーダーと同じ目標を持つことにより成果が上がるのではないかと思いました。それが、イチローの言う向上心かなと思います。私たちのクリニックでもそれぞれのメンバーが向上心を持ってくれているからクリニックが評価され維持されているのだと思います。ある研究会でうちの若いスタッフの発表に対して「そのように医療サービスを提供するのはスタッフには負担が多いのでは?」という問いかけに、すかさず「いえ、患者さんのためですから苦になりません。」と答えてくれました。長年一緒にやってきたスタッフだけでなく若いスタッフもこんな気持ちで働いてくれていると思うと俄然やる気がわいてきました。イチローは優勝した後ストレス性の胃潰瘍で休養を余儀なくされました。おそらく大会中から痛みをこらえて戦っていたのでしょう。リーダーとしての彼の並々ならぬ覚悟をかいま見た思いがします。しかし、私はこれほどまでの無理をすることなくスタッフになるべく任せて無事これ名馬という言葉のように仕事を進めていこうかと考えています。最後にWBCで日本とすばらしい試合を幾度となく繰り広げてくれた韓国チームに心から拍手を送りたいと思います。
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その45 |
2009年3月24日(火) |
今住んでいる新宮市は以前住んでいた出雲市に比べてクリーニング代が格段に高いと実感しています。新宮に引っ越してきた当初はまとめて出雲のクリーニング店へ送って洗ってもらおうと考えた程です。でもそれも大変だしとこちらで結局クリーニングをしてもらっていますが極力抑えるようにしています。ところで、クリニックが新しくなってからは毎日自転車で通勤しています。夏は強い日差しに冬は寒風に晒されての通勤ですので、生理的にも過酷な環境に対応しきれなくなってきた頭部を保護するために帽子を被るようになりました。スーパーで帽子を探すと1000円位するので100均で調達しました。冬場はニットの帽子とマフラーを100均で調達して利用しています。大変気に入っているので毎日使っていますが、さすがに汚れてきたのでクリーニングに出すことにしました。お店の人に「カシミアですか。」と聞かれて動揺のあまり思わず「いえいえ100均です。」と答えてしまった自分が悲しかったですが、さらに悲しいことに「帽子は400円、マフラーは250円です。」と言われてしまいました。確かにとても気に入っている帽子とマフラーなのですが、総額200円で購入した品物に650円の維持費を掛けることはどうなんだろうと悩んでしまいました。これが胸ときめかすような美人からの贈り物なら何の迷いもなくクリーニングをマメにしますが。家内にこの話をすると笑いながら「私は100均は使い捨てにする。」と言われました。多分私はこのお気に入りのマフラーと帽子を2度とクリーニングには出さないと思います。同じものを買う方が遙かに安いのですから。理屈の上では疑う余地のないことなのですが、私の世代の多くの人がもつ「なんかもったいない。」という感覚が使い捨てに対して違和感を感じさせてしまいます。最近よく言われているエコという観点からするとどうなんでしょうか。たかが100均のマフラーと帽子で結構悩んでいる今日この頃です。
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その44 |
2009年2月22日(日) |
テレビドラマが大好きな私は大抵のドラマはチェックしていますが最近はインパクトのあるドラマが少なくなった気がして寂しい感じです。ただ、NHKのドラマは見応えがあり面白いものが多いと実感しています。外資の投資ファンドをテーマにしたハゲタカはドラマを見てあまりのおもしろさに原作の小説を続編まで全て読んで二重に楽しみました。会社会計をテーマにした監査法人、実在の自動車セールスレディをモデルにしたトップセールス、躍進する中国経済の中でカルチャーショックと戦う女性を描いた上海タイフーンと経済をテーマにしたエンターテイメントは大変楽しくワクワクする内容でした。いずれも希望に満ちたエンディングが、「よし自分も頑張ろう。」という気にさせてくれて元気の出るドラマばかりでした。キャットストリートは旬の若手女優の演技の冴えもあり、とてもさわやかな作品でした。フルスイングは実話をもとにしたストーリーですが実に感動的で涙ながらに見入りました。朝の連続ドラマも面白いものが多いと思います。どんと晴れはヒロインが美人だしサクセスストーリーが何とも快感でした。ちりとてちんは軽妙な味わいが最高でした。落語がまた聞きたくなりました。だんだんは以前住んでいた土地が舞台であることもありヒロインの歌声が大変素晴らしいので毎回楽しみに見ています。もしあるのならヒロインの歌うCDを是非買いたいと思っています。NHKはドラマ以外にも面白い番組がいくつかあります。ルソンの壺では成功した会社社長のユニークな発想がいつも大変刺激になります。プロフェッショナルでは最先端を行く人のすごさをじっくりと見せつけてくれます。NHKに対して感じていた堅苦しい、くそまじめで面白みがないという印象は随分払拭されました。中には寒いだじゃれを連発する勘違いアナウンサーもいますが、総じてNHKは今とても面白い番組を作っていて視聴料に値すると思います。
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その43 |
2009年1月21日(水) |
クリニック新築移転を機に、かねてから考えていた糖尿病患者さんの友の会を結成しました。会の名称は「みどりの会」です。日本糖尿病協会に会の結成を申請し無事受理されました。和歌山県では県北部には友の会はいくつかありますが、県南部では新宮市立医療センターの友の会のみです。殆どの友の会が公立病院が主催するものですから、私たちの結成する友の会は二重の意味で存在意義があるのではないかと自負しています。私の考えですが糖尿病治療が成功するための9割は食事管理の成功にかかっていると思います。従来からうちのクリニックでは島根大学時代の同僚だった管理栄養士の先生に食事療法に関する試食・講演会を行ってもらい啓蒙活動に努めてきました。友の会結成を機にさらに食事療法に関する理解を深めてもらいたいと思い、友の会で行う行事は全て食事管理をテーマにしていこうと思っています。楽しく美味しく食事管理を行うがモットーです。初回の行事は歩こう会を企画しました。そして講演をしてもらっている管理栄養士の先生にレシピを作ってもらいクリニックの厨房で行楽弁当を作って昼食に食べてもらいました。皆さん大変喜んで頂き十分な手応えがありました。これからの行事としてお花見、フレンチのランチを楽しむ会等を色々な方の御協力を頂いて行っていきたいと考えています。食事療法というか食事管理は一番難しいものです。人間の本来の欲望である食欲とうまく折り合いをつけていくことはなかなか容易ではありません。私は患者さんにストイックな自己管理を求めようとは思いません。自己管理において最も大切なことは継続です。そして継続を達成するために必要なものは快楽だと思います。ですから、食事により得られる快楽を無視しては決して食事管理の継続は達成されないと思います。自己管理と快楽という一見相反する二つの要素を如何にうまく折り合いをつけて両立させるかをテーマに友の会を運営していきたいと思います。
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その42 |
2008年11月29日(土) |
この夏に島根大学時代の増原看護師長と娘さんが新宮に来て下さいました。増原師長から「熊野古道の散策をして新宮に行く」とメールで知らされました。でも、日程がとてもタイトでしたので私はご一緒出来なかったので色々と情報を集めてプラン作りに協力しました。そういうことが好きな私はあれこれ考えて一泊二日「熊野古道歩きと熊野三社詣でと温泉の旅」を提案しました。そして、〆で「新宮で味わう南紀の海鮮」を企画しました。私も時々行くお寿司屋さんで色々な地元の旬の味を堪能してもらいました。私はその日は車で移動しなければならず一緒にお酒が飲めなかったのが心残りでした。又来て下さると別れ際におっしゃってたので次回は是非そうしたいと思います。島根大学時代ちょうど私が病棟医長の折に増原婦長が来られました。私の無理難題のお願い(その大半は実は教授の無理難題な指示なのですが)にいつも快く応えて下さいました。私のお願いに対応するのは看護師スタッフも大変だったと思うのですが、スタッフが増原師長に不満をもったり反発したりしなかったのは一重に増原師長のお人柄の賜物だと思います。増原師長は率先して動かれました。「私ミツバチマーヤならぬミツバチばーやと呼ばれてます。」と笑いながら動き回っておられました。私同様チーズとワインがお好きですので、時々気に入ったチーズを師長に差し上げたことがありました。すると、教授回診でみんながピリピリしている中、私を見つけると教授をほったらかして私の所へやってきて「先生。この前頂いたチーズ美味しかったわ。」と嬉しそうに話されるので私は生きた心地がしませんでした。あれやこれやと懐かしい話や近況を語りながらの昼食は時間があっという間に過ぎてしまい、駆け足で三社詣での最後となる速玉大社を参拝して新宮駅に駆けつけました。加藤先生ご夫妻、増原師長親子に再会し出雲での10年間が珠玉の時間であったとあらためて感じました。
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その41 |
2008年10月29日(木) |
クリニックが新築移転して最初の夏に島根大学時代の恩師の加藤名誉教授ご夫妻と増原看護師長親子に訪問して頂くことができました。10年間お世話になりずっとご迷惑をかけっぱなしで大学を辞した私ですが、送別会の席で加藤先生は「越村君は開業医には向いていない。海外の学会でワインを飲み歩いてる方が似合っている。」とおっしゃって下さいました。10年間お世話になった先生に「君ならきっと成功する。」と言われて送り出されていたら全く自信のない医療経営の分野でいきなり大きなプレッシャーを感じなければならないところでした。でも加藤先生の言葉で「僕は全く期待されていない。失敗して当然なんだ。」と気が楽になったし、失敗した時にも「先生やっぱりだめでした。」と笑って先生に会えると思え、ほっとしました。加藤先生にクリニック内をくまなく見て頂き、昼食をご一緒した折、まがりなりにも5年目を迎えた今の私に加藤先生は「僕の予想ははずれたね。おめでとう。」とおっしゃって下さいました。しかし、今の私があるのは間違いなく加藤先生が「君には向いていない。」とおっしゃって下さったおかげです。最近色々な場面で「がんばれ」と不用意に励ますなということが言われています。「叱咤激励」という言葉がありますが、最近はむしろ「褒めて伸ばす」ことが推奨されています。不安いっぱいで一歩を踏み出す者にとっては「がんばれ。」と励まされるより「無理すんな。つらかったら帰ってこい。」と言って送り出してやる方がいい場合も沢山あると思います。大学を辞めて新宮へ来て一ヶ月目に同級生に愚痴った時にも「食べていければいいじゃないか。」と言われた言葉でとても救われました。
加藤先生。この先「やっぱりだめでした。」と会いに行くかもしれませんが笑って迎えて下さい。そして、私の話を肴に先生のお好きなワインを是非ご一緒させて下さい。
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その40 |
2008年8月29日(金) |
急を要する病気として心筋梗塞、脳梗塞がよく知られています。この様な病気では正しい治療法が病気が発症してからの時間により刻々と変わっていきます。病院の経営においても正しい経営方針というものにはタイミングがあるということを最近痛感しました。経営の専門家にとっては当たり前でしょうが、私のような4,5年前から急に経営に関与した者にとっては体験して初めて理解したことでした。私たちのクリニックは平成20年6月に新築移転したのですが、このタイミングが実に際どいものであると移転が決まってから痛感しました。移転のメリットは多々あり移転することは随分前から考えていたのですが、費用もかかることですので経営体力が十分に付いてからと考えていました。たまたま、病院用地の紹介を受けたのをきっかけに移転計画が進み始めたのですが、当初は経営体力が心配でした。しかし、透析医療を取り巻く環境の変化は私の想像をはるかに超えるスピードで進んでおり、移転に伴うメリット無しでは将来的に経営困難をきたすことが明らかとなりました。しかも、移転は早ければ早い程いい。可能なら平成19年度内が望ましいということが分かった時には既に着工時期からそれが不可能でした。それでも何とか平成20年度当初に移転出来たことでぎりぎり間に合ったかなと考えております。経営というものも診療と同じくいかに方法が正しくてもそのタイミング逸してしまえば何の効果もないものになってしまう。つまり、経営にも手遅れがあるということを新米院長として痛感した次第です。勿論、移転によるメリットをまだ生み出していませんからこれから期待されるメリットを生み出すための正しい経営方針をタイミングを逸することなくとり続けなければいけない訳です。「まだ早いかな。と思う時にはもう遅い。」くらいの気持ちで私のような素人経営者には丁度いいのかもしれません。これからもブレーンとなってくれている周りのスタッフとがんばっていきます。
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その39 |
2008年7月25日(金) |
最近、小学生が宿題を忘れても先生の注意に対してお笑い芸人のギャグで受け流してしまう風潮があると聞きました。小学校の先生はこのお笑い芸人のテレビ番組を見ないように指導していると聞き嘆かわしく感じました。真夏の蝉の様に今一時しか聞くことの出来ない泡沫お笑い芸人のギャグに簡単に屈してしまう先生の指導力には大いに問題があると思います。「なぜ宿題が必要か。」と真剣に自分に問いつめて確固たる答えを持っていれば生徒に宿題をさせることが出来るはずではないでしょうか。うちのクリニックは先代の理事長時代に正職員のアルバイト禁止を就業規則に定めました。しかし最近、若いスタッフで遊びたい盛りの世代の人がアルバイトをしているところを先輩スタッフに見つかり厳しく注意されることがありました。その報告を受けて先ず最初に思ったことはうちの給料は規則を破ってもアルバイトをしたくなる程度なのかということでした。経営責任者として大いに反省した次第です。次に思ったことは注意された若いスタッフは「どうしてアルバイトしてはいけないのだろうか。」と不満をくすぶらせはしないかという心配でした。「どうしてアルバイトをしてはいけないのか。」と私は自問してみました。真剣にしばらく考えた末出した私の結論は「リスク回避のために必要なルールだ。」というものでした。私たちの仕事はミスが人の身体に重大な影響を及ぼす危険のあるものです。従って常に注意力・集中力を高めた状態を維持しながら仕事をしていなければいけません。このため、うちのクリニックでは一日2クールの透析を行う際も同じスタッフが1クールのみしか行わないようにしています。もしまた誰かがアルバイトをしたら「スタッフは仕事の終わった後の時間、休みの時間は休息を取り仕事の時の注意力・集中力を切らさないようにコンディションを整えておく必要がある。それが、医療事故を0%に近づけるためには不可欠だ。」と注意し説得します。
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その38 |
2008年7月25日(金) |
経営者として人件費をどううまく抑えていくかが経営上の大きなポイントである。ということはしばしば耳にします。うちの経理を見て頂いている会計士の方にも言われます。私は医師で経営のノウハウを学んだ経験はなく、これまでの自分の価値観を基に経営をしています。利益が上がったらそれを基にしてさらに事業を拡大していくというのが正しい経営者のあり方なのでしょう。日本の多くの優良企業は小さなお店からそのようにして今日の大企業に成長したのだと思います。では、うちのクリニックも利益が出たらそれを基にクリニックを大きくする、分院を増やすということが経営者としては目指す道なのでしょうか。私はクリニックは患者さんとスタッフがハッピーになるために存在すると考えています。収益に関する価値観も、日本の正しい経営者より、給料が倍になったら一日おきにしか会社に来なくなる南米の現地社員に近いものがあります。「病院がつぶれないならそれでいい。収益が上がったらスタッフの給与に還元しよう。」というのが私の考えです。スタッフが経済的に豊かになり、ゆとりが出来ればその分患者さんに今まで以上に優しく出来る筈です。その結果患者さんもより快適な医療サービスが受けられると思います。つまり私の目指す患者さんとスタッフがハッピーになれる病院が実現すると考えてます。透析医療では全自動の透析機械の導入が注目されています。スタッフの省力化、人件費の節約につながる画期的な機械です。慢性的なスタッフ不足の解決策でもあります。でも、かつて理髪店で全自動の洗髪機で頭を洗ってもらった時のちっとも快適でなかった思い出と重なってしまい私は導入に躊躇してます。世の中がどんどんデジタルになっても人間自体は限りなくアナログな存在です。人の手が一番です。つまるところ、私の目指すクリニックは日本一患者さんへのサービスとスタッフの人件費に経費を賭けている経済効率の日本一悪いクリニックです。
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その37 |
2008年6月27日(土) |
テレビドラマでつぶれかけた病院を天才医師が再生するというようなストーリーがあった気がします。うちのクリニックでスーパーナースが閑古鳥の鳴いている外来診療を建て直すというストーリーが起こりました。新しくうちに来てもらった外来のパートのナースの方のお話です。うちでは珍しい20台の女性です。でも、3児のママさんで、出産育児のために前の病院を辞められたのだと思います。今回仕事へ復帰するタイミングとうちのスタッフ募集のタイミングが合ったおかげで来てもらえました。驚いたことに来てもらった最初の月の売り上げが外来開業以来の新記録でした。カルテ枚数がそれほど増えていないので、同じ患者さんの来院回数が飛躍的に増えたということです。とにかくきびきびと動くし、朗らかで可愛らしく、手技も上手なため患者さんが痛くないと喜んでおられます。いい人が来てくれたと喜んでいましたが収益的にこれほどの効果があるとは夢にも思いませんでした。「笑顔でてきぱきと仕事をするということだけでスーパーナースは言い過ぎでしょう。」とナースの方なら思われることでしょう。確かにおっしゃる通りかもしれません。本人に「あなたが来てくれたおかげで先月の売り上げは新記録でした。ありがとうございます。」と言ったら「そんな、そんな。」としきりに照れてました。彼女の患者さんに与えた劇的なインパクトの秘密はこの「そんな、そんな。」にあると思います。彼女は自分のことを「そんな、そんなナースでしかありません。」と思っているのです。経験を積んでくると自分に対する評価がどうしても甘くなってきます。「なんやかや言ってもこれまでやってきてるんだから。」と自分に不必要にご褒美を与えがちです。若い彼女のような素直な謙虚さこそが患者さんに強烈なインパクトを与えるのだと思います。「初心忘るべからず。」という言葉を彼女のきびきびとした働きぶりから改めて学んだ次第です。
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その36 |
2008年6月27日(土) |
最近の医学関係のカタカナでよく耳にする言葉にエビデンスがあります。医学界ではエビデンスという言葉は治療や検査などで確かな裏付けのあることを意味します。確かであることは統計学で定義しています。例えばある薬を試験的に投与した患者さんに95%以上の確率で効果があれば効果ありと統計学では定義します。この様に効果ありとされた薬を実際に1万人というような相当数の患者さんに使った上で95%以上の確率で効果があった時その薬の効果に関するエビデンスがあると定義します。現在はエビデンスのある検査、治療を行うことが常識となっています。より効果のある医療を目指す上で正しい方向だと考えられています。そのことに疑問はありませんが、日常の診療で95%という数字は実感できないというジレンマがあります。目の前の患者さんに実感できる数字は0か100なのです。つまり効くか効かないかしかないということです。眠れないという患者さんに睡眠薬を処方する時に95%のエビデンスを基に薬を処方して効かなければ別の薬に変えるという治療を日常的に行い患者さんにも納得してもらっています。血圧や血糖やコレステロールに関しても同様に納得してもらっています。しかし、これが抗ガン剤治療や手術を受けるか否かの選択となるとそう簡単にはいきません。つまり、95%という数字はやり直しがきく時には頼りになりますが、一発勝負で後がないときには無力なのです。たとえ5%の成功率でもそれに賭けることで助かるとしたら、そちらを選ぶ患者さんもおられるでしょう。統計学無しには医学は成立しませんが、統計学だけでは日常診療は前に進まないことがしばしばあるといわざるを得ません。患者さんに決断の助言を求められた時、単純に確率だけで助言しても助言にはならないと思います。日頃から患者さんと接していて、その病状に関して感じたことを加味して自分の考えを伝えた上で、その結果を真摯に受け止める覚悟が必要だと思います。
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その35 |
2008年5月31日(火) |
ビル・クリントン合衆国大統領の奥さんであるヒラリー・クリントンさんに関するこんなジョークを聞いたことがあります。”ある日夫婦でヒラリー・クリントンさんの故郷をドライブしていた時、立ち寄ったガソリンスタンドにヒラリーさんが昔付き合っていた人が働いていたそうです。ガソリンスタンドを出てからご主人のビル・クリントンがヒラリーさんに「もし君が彼と結婚していたらガソリンスタンドを手伝っていたんだよ。」と言うと、ヒラリーさんは笑いながら答えたそうです。「もし、彼が私と結婚していたら今大統領になってるわ。」”私の妻はヒラリーさんと比べようもありませんが、私がまがりなりにも、今クリニックの責任者として何とかやっているのは多分に家内のおかげだと思います。今だけではなく医師として何とかキャリアを重ねてこられたのは家内の助言・助力の賜物だと心の中で感謝しています。世の多くの男性が結婚したとたんに奥さんに頭が上がらなくなるのは何も後ろめたいことをしているからだけではないと思います。家内を見ていて思うのは思考回路が実にシンプルなのです。本音でものを考え判断しています。世のしがらみや体裁などで妥協してものを考えない。正論なのです。「いやならいやとはっきり言えばいい。」「悪いのはこちらなのだからきちんと謝るべきだ。」等々家で愚痴ったりするとズバリと言われます。「そんなこと分かってる。」「それが出来れば苦労はしない。」などと言い返せば「何で出来ないの。」と返されます。体裁も見栄も世のしがらみも考えなければ確かに出来るはずです。そんな、まっすぐな正論を通せる相手に対して、次第に立場が弱くなっていくのは当然なのではないでしょうか。まして、どうしようもない閉塞感を酒や女性やギャンブルで紛らわそうとしたら亭主の立場など無きに等しくなります。奥さんにやられっぱなしでいるのは正論を忘れた生き方に馴れてしまっているからと戒めるべきかもしれません。
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その34 |
2008年5月31日(土) |
仕事に私情持ち込むことは望ましくありません。しかし、神ならぬ身ではそれは無理というものです。特に私は人一倍好き嫌いの激しい方です。仕事仲間に関してもどうしても好き嫌いが出来てしまいます。上司に関しては上に弱く下に強い上司はどうしても尊敬できません。その人についていけば出世できるとしても私はお断りです。自分が尊敬できない上司とは仕事が出来ません。私はそんな理由で職場を変えたことがあります。反対に上に楯を突いて冷や飯を食わされそうな上司でもその人の筋の通った生き方に感銘を受けてついていきます。そんな上司であれば一緒に喜んで冷や飯を食べたいと思います。そんな気持ちで付いていったこともありますが、皮肉なことに今のような不安定で先が不透明な時代には確固たる信念を持った人が必要とされるため私の上司は組織から大切にされましたので私も冷や飯を食わずに済みました。部下というか一緒に働く仲間では骨惜しみせず働く人が好きです。やる前からなんやかやと理屈をつけて労を惜しむ人や帳尻だけ合わせて仕事の完成度に無頓着な人は好きになれません。私は女性のスタッフと仕事することが多いですが、外見は誰もが振り返るような人であっても仕事仲間としては筋の通った仕事をしない人は、むしろルックスがよければなおさら腹が立つ程嫌いになってしまいます。仕事を小気味よくこなす人は美しいです。内面の充実感が表に現れてくるからでしょうか。そんな人は姿勢が良く、笑顔がさわやかで、周りの人をうきうきさせるオーラを出しています。手前ミソですが、うちのクリニックにもそんなスタッフが何人もいて患者さんから大変喜ばれています。私はそんな「好きな」スタッフ達と仕事が出来ることをとても幸せに思っています。さらに手前ミソの極みですが、前にスタッフと飲んでいる時に私のことを院長として好きだと言ってくれたことを誇りに思っています。「loveではなくlikeです。」ときっぱりとした注釈付で。
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その33 |
2008年4月29日(火) |
私は常々スタッフに私たちは患者さんに医療というサービスを提供するサービス業だと話しています。従ってサービス業に必要な丁寧で親切な応対を忘れてはいけないし、安心して信頼してもらえる医療サービスを提供しなければいけないと考えています。しかし、それだけで十分でしょうか。いつも生き残るためには次を見据えていなければいけないと思います。レストランやホテルといったサービス業は丁寧で親切な応対や安心して信頼できる食事や部屋の提供だけで評価されていません。必ず価格の評価があります。そうでなければ、誰もが常に最高級と評価されるレストランやホテルしか利用しないはずです。価格を考慮して妥当な価格であると評価されて初めてその施設を利用することになるのではないでしょうか。これは医療サービスにも当てはまることではないのでしょうか。かつて、クリニックの受付で80歳を過ぎた患者さんが「○○さん、今日は7000円です。」と言われているのを聞いてびっくりしたことがあります。恥ずかしながら、私の財布には必ずしも7000円入っていないからです。むしろ、入っていないことの方が多いかもしれません。この様な金額が当たり前に支払われていることに愕然とした私は以後患者さんの医療費負担を軽くすることを意識して診療するようになりました。確かに医療保険により7割は補助が出ますが、3割とはいえ1万円近い金額を80才を過ぎた方が当たり前に要求されることを普通だとは思えません。破綻しつつある医療保険制度を維持するためにも、「安い」というファクターは医療にも必要だと考えています。仲間の医者に相談して信頼できるジェネリック薬品を積極的に使用したり、検査項目を必要最小限にしたり、余分な投薬をしないよう注意したりして、「丁寧で親切な応対と安心して信頼できる医療を安い料金で提供する医療サービス機関」を目指して毎日診療内容を吟味しています。
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その32 |
2008年4月29日(火)
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最近はコンピュータによるオンライン操作で色々なことが出来るようになりました。私もコンピュータにそれほど強い訳ではありませんがオンライン操作を利用して列車の切符予約、ホテル予約、レストラン予約、コンサートのチケット予約、銀行からの送金などをしています。オンライン操作は馴れればそれほど難しいものでもなく、24時間可能で大変便利です。しかも、オンライン予約だと電話予約などより安くなる場合が多いのです。特にホテルの予約などは驚く程割引価格であったりします。オンラインの取り扱いはおそらくコストが低くなるため、利用率を高めたいという意図があるのではないでしょうか。出張などでホテルを利用する機会が多い私は大変ありがたくいつも利用しています。しかし、この様な割引料金はコンピュータを扱うことが出来ない人には利用できないことを考えると若干釈然としないものがあります。定年退職された方がたまの旅行を計画した折、列車の切符もホテルの料金もコンピュータを使えないばかりに正規料金で割引が利用できないのはどんなものでしょう。ホテルに関してはトラベルエージェンシーを利用すればオンラインと同様な割引料金が利用できる場合が多いです。これは、いわばトラベルエージェンシーがオンラインを利用した予約を代行してくれると考えれば納得がいきます。コンピュータが利用できない人のために様々なオンライン操作による予約を代行してくれる様なサービスがあってもいいと思います。コンピュータの利用者面をしている私ですが、実はしばしば悪戦苦闘しております。東京へ出張した折には、電車に乗ることが多いですが、切符の自動販売機の前で脂汗を流しています。最近の機械は行き先までの料金のボタンを押すだけでいい単純なものではなく、色々な選択枝に対してボタンを押していかないと切符にたどり着けないものがあります。不慣れな私は後ろの人の列のプレッシャーを感じながらうろたえる今日この頃です。
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その31 |
2008年3月30日(月) |
列車に乗って検札に車掌さんが来て、「○○までですね。」と声に出して切符の行き先を告げられることにとても抵抗感があるのですが、私だけでしょうか。「別にやましい場所へ行く訳ではなし、いいでしょ。」と言われればそれまでなのですが、これも個人情報ではないのかなとも思うのです。私の切符が私の座っている席と一致していることを確信するだけなのですから別段声に出して確認する必要はないと思うのです。宅配便の人で、「誰それさんからの○○です。」といちいち送り状を読み上げて手渡す担当者がいるのですが、これには私も家内も何となく腹が立っています。別に近くに他人はいないし、変な物を送ってもらっている訳でもないですが、これも個人情報ではないのかなと思うのです。クール便かどうかだけ伝えてくれればいい訳で誰からのどんな品物かは自分で送り状を見て確認するから余計なことは言うなと怒鳴りつけたくなる時もあります。個人情報とかプライバシーとかいったものは大半が知られても自分に不利益にはならないことが多いと思いますが、だからといって、むやみに人に聞かれるのはいやなものです。デリカシーの問題でしょうか。こんな車掌さんや宅配便の人のことを今の言葉で言えば「空気読めない。」というのではないでしょうか。機会があったら車掌さんや宅配便の人の業務マニュアルを聞いてみたいものです。こんな風に声に出す人ばかりではないので、きっとマニュアルには記載されていないと思うのですが。私が日常扱っている個人情報はその人の健康状態に関することですか勿論トップシークレットであり、法的に守秘義務が決められています。ただ、患者さんの中にはお子さんやお孫さんの話をすると自分に関心を持っていてくれると喜ばれる人もあり、個人情報も当人に対して開示する分にはいい時もあるようです。人と人との関係は、なかなかマニュアル化することは困難であるということなのでしょうか。
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その30 |
2008年3月30日(月) |
私はお酒を飲むのが好きなのでしばしばいろんなお店に飲みに行きます。新宮はタクシーが流していないので、必要な時に電話で呼びます。だからといって特に不便は感じていないのですが、お店に行ってたまたま満席で入れなかった時には困ることがあります。そんな訳で最近は車で店に行くことが多くなりました。帰りはいつも運転代行を利用しています。タクシーと同じように電話するとすぐに来てくれます。それにお店に行く時にタクシーを待たなくていいのもせっかちの私にはありがたい限りです。うちのスタッフにも厳しく言っていますが、飲酒運転だけは絶対にしないようにしています。クリニックのスタッフには飲酒運転をした場合は辞表を書いてもらうと言ってあります。飲酒運転は最も恥ずべき行為だと思います。私も過去において何度か経験があります。随分無茶な行為をしたものだと今は思い出す度に恐ろしくなります。なかんずく、私は今、人様の健康に関わる仕事をしていますから、そんな立場にありながら人の生命を脅かすような行為をすることはあってはならないと心に戒めています。もし自分の身内が飲酒運転事故に遭うようなことがあったら、私は事故を起こした人を許せないかもしれません。交通事故自体は勿論過失があるにせよ起こそうとして起こしたものでないはずです。しかし、飲酒運転事故は起こさなくて済んだはずの事故です。その、心の隙、自分だけは大丈夫という心のおごりを私は許せないかもしれません。お金のことを言うのは変ですが、運転代行料金は驚く程安価です。幸い私の住んでいる新宮というところは小さな町なのでタクシーでお店に行ってもいくらもかかりませんが、運転代行ならさらに安価です。都会で仮に数万円タクシー代金がかかる距離だとしても、飲酒運転の罰金は車が買えるくらいであることを考えれば安いものです。もし事故を起こして相手から一生許されずに生きることを考えればもはや金額など関係ないと思います。
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その29 |
2008年3月1日(土) |
私はかつては喫煙していましたが、30才頃に上司が禁煙すると言い出したので自分も禁煙しました。以来ずっと禁煙しています。ちなみにその時の上司は禁煙しませんでした。今は煙草の煙が苦痛です。島根大学時代は会議でヘビースモーカーの議長の教授に向かって病院の全館禁煙を訴えました。
その時総看護師長が「病棟で隠れて患者さんが煙草を吸って火事になったら困るから。」という理由で私の提案に反対しました。私は大学病院の総看護師長としての余りの見識の低さに絶句したのを覚えています。その島根大学病院も今は全館禁煙とのことです。島根大学時代は私の煙草嫌いを知って若い人たちは酒の席でも私の前では煙草を吸いませんでした。
食事中に煙が流れてくる程不快なことはありません。石原都知事がミシュランの星候補の店に対して煙草を許す店ではどうかと疑問を呈したと聞き拍手しました。
最近は禁煙の店が増えてきて嬉しい限りです。かつてアメリカで学会に参加した時会議場内は全て禁煙で煙草を吸うためには屋外に出なければいけませんでした。サンフランシスコだったかで店の予約をする時禁煙席を希望したら「カリフォルニア州はレストランは全て禁煙です。」という答えが返ってきました。
日本でも条例で飲食店の禁煙を決める県が出てきてほしいものです。願わくは今住んでいる和歌山県がそうなってほしいものです。煙草は有毒です。しかもその煙は食事の味、香りを台無しにするし、私の喉を痛くさせます。極めて不快な存在です。
うちのクリニックも原則として禁煙にしてあります。原則というのは透析患者さんの更衣室とスタッフの休憩室は禁煙エリアから除外しているからです。喫煙を許容するのは医師として問題なのではと常々自問しておりますが、恥ずかしながら禁煙を強くスタッフにも透析患者さんにも指導できずにいるのが現状です。これからは少しずつ自分の周りにいる人たちから禁煙してもらえるよう医師として努力するつもりです。
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その28 |
2008年3月1日(土) |
私は押しも押されもせぬ中年のくたびれたオヤジなので女性のハートを捕まえることなど叶いません。妻のいる身でそのようなことを考えること自体が問題かもしれませんが。でも、女性の胃袋を捕まえることには自信があります。
島根大学時代にも若い人たちとよく飲みに行きました。飲みに行ったのは決して女性とだけではありませんが少なくとも女性のスタッフも私の誘いを(多分)喜んで受けてくれていました。私は飲みに行ったら店のメニューに集中していましたから、一緒に行った女性に例え少なからずフェロモンを感じていたとしても食べることが優先していました。
飲みに行ったら自分が一番料理もお酒も楽しむことをモットーにしていました。そんな人畜無害さが評価されたのだと思います。最近東京へ一人で出張することが時々あるのですが、そんな時は一人で夕食を取ることになります。大抵は定宿にしている品川のホテル近辺で済ませます。
この辺りには大変お店が多くインターネットのガイドを頼りに店を選ぶのですがまずまず当たりの店が多いです。お店には若くてとても綺麗な女性スタッフがいることもしばしばです。田舎の中年オヤジはそんな女性スタッフにおそるおそる注文をするのが精一杯なのですが、いざ、料理とお酒が来て飲んで食べているととても気持ちが良くなってしばしば女性スタッフに「これ美味しいですね。」と声をかけてしまいます。
するといかにも都会の女性といった感じの人が私に向かって嬉しそうに微笑んでくれて「これは私もおすすめのメニューです。」とか、「ワインがお好きなのですね。」とか「どちらからですか。」とか一人でいることを忘れさせてくれるくらいにうち解けて話してくれて大変楽しく食事をすることが出来ます。私は食事を介してなら公私ともに結構女性とうまく接しられるなあと密かに思ってます。若い人は「それがどうしたの?」と感じるでしょうが、おじさんはそれで十分なハッピーなのです。 |
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その27 |
2008年1月30日(水) |
職場において一番頼りにしているパートナーとの関係が時とともに少しずつ変化することを経験したことはないでしょうか。以前島根大学にお世話になっていた頃私を呼んでくれた同級生とペアを組んで研究活動を開始しました。
最後までそれは変わらなかったし、私はずっと彼に助けられていました。しかしながら、試行錯誤で始めた研究が少しずつ目鼻がつくようになると、研究方法や若い人たちに対する指導方法で少しずつ私と彼との流儀の違いを感じるようになりました。
結論から言えば彼のやり方が正道であるのですが、悲しいことに私にはそんな道が取りづらく自分の方法を取るようになりました。彼はとても大人で許容力のある人で私のやり方を認めてくれました。私たちがともに同じ目的に向かっていたことに疑いがなかったのでうまくいったと思っています。
今、うちのクリニックでもシニアスタッフ間で同じような微妙なずれが起こりつつあります。クリニックが赤字で青息吐息であるときにはそんなずれなど感ずる余裕は無かったのですが、少しずつクリニックが安定してスタッフも増えてくるとこういう問題が起こるべくして起きてきました。
クリニックの医療サービスの向上ということで同じ方向を向いていることに変わりはありませんが、リーダーとしてスタッフを指導していく方法や患者さんとの接し方といった人と人との関わり合いという点でどうしても個々の個性が出てきてしまいます。
かつて私と私の同級生の間での問題に関して教授は特に何も言わずに静観されていました。今私はあのときの教授の立場にあるわけですが、ただ静観するだけで良いのか、それとも優秀なシニアスタッフ個々がうまく機能するように関与するべきなのか難しい問題に直面しています。
私は思いきってこれまで以上にシニアスタッフ個々に独立して仕事をしてもらうようにしようと考えています。今回は得意のアルコールミーティングだけでは解決しそうにありません。 |
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その26 |
2008年1月30日(水) |
先日和歌山のホテルのフレンチレストランに食事に行きました。そんな機会はたまにしかないので、行った時はいろいろと我が儘を聞いてもらうことにしてます。そのせいか、その時行ったレストランも数回しか行ったことがないのに顔を覚えていてくれました。ただ、私たちのテーブルに付いたスタッフは初めての人でした。
コースを頼むことにしたのですが、メインのステーキを別のメニューに変えて欲しいと頼みました。すると、そのスタッフは黒毛和牛ステーキのどこが不満なのだと言いたげにさも心外そうに詰問口調で色々と問いかけてきます。
私はステーキは炭火で焼いて味付けは塩胡椒だけでしかも、霜降り和牛ではなく赤身の多い欧米の牛肉が好みです。フレンチのステーキは私には退屈なのです。でもそんなこと言っても通じそうに無い相手です。かなりイライラしたのですが、何とか厨房に取り次いでもらい、煮込み料理に変えてもらうことが出来ました。
このスタッフはもてなすことの意味が分かっていない、黒毛和牛ステーキ以上の料理はないという確信を持っている、柔軟に臨機応変に対応する能力に欠ける、レストランが厨房とフロアのコンビネーションで成り立っていることを理解していない等々の致命的な欠陥を持つ人でした。
家内は色々説明して理解してもらおうとしましたが、私は止めました。この人には無駄だと思えたからです。「鳴かぬなら忘れてしまえホトトギス」が私のモットーです。今度このスタッフがテーブルに付いたら、マネージャーに頼んで変えてもらおうと思います。丁度、ワインのテイスティングで傷んだワインに会った時取りかえてもらうように。
ちなみに料理は大変美味でとても満足しました。帰り際にマネージャーに挨拶すると「前もってご連絡頂ければジビエも用意できます。」と言って下さいました。次回予約する時はジビエとお気に入りのスタッフを予約してから行こうと思います。 |
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その25 |
2007年12月28日(金) |
言葉は時代とともに変化していき使われなくなってしまう言葉も少なくありません。「ナウい」なんて今は死語です。新しい言葉に眉をひそめる人もいますが、中にはこれいいなあと思う言葉も結構あります。
少し古くなりますが、ロングバケーションというキムタクの伝説のドラマで「地雷踏んだ?」というのがありました。「逆鱗に触れる」といわれても触ると怒り出す鱗のある動物なんて見たことないしぴんと来ないですから。心の中の触れて欲しくない地雷のボタン踏んだという方がしっくりなじみます。
最近では「へこむ」という表現が好きです。がっくりと落ち込んだ時の心の感じが伝わる気がします。昔よく遊んだブリキのおもちゃで押すとペコンとへこんで「プピッ」というもの悲しい音を出すやつがありました。がっくり落ち込んで心がへこんで「プピッ」と音をたてるというイメージが私にはあって、「へこむなあ」という表現は大好きな言葉です。へこみたくはありませんが。
私の家内は訳の分からない造語をよく作ります。沢山あったものが、毎日少しずつ食べていくうちにいつの間にか無くなってしまった時「塵も積もれば無くなった。」と言いました。「なんやそれ。」と突っ込んでみたものの「ほななんて言うの。」と言われると「チリも積もれば無くなった。」と私も思わず言ってました。
「これ良さげや。」「これ好きそげや」とか言うのも何となく感じが伝ってます。「お尻のあぜ道」とか「肘の膝小僧が」とか医者の妻なのにと思う表現を平気でしますが、妙に理解できてしまう自分がいます。「風光明媚なところやなあ。」とか「危急存亡の時や」などと私が言うと「漢字でしゃべらんといて。」と返してきます。
決して世間で受け入れられることは無いですが私たちの間では他に表現しがたい言葉がいくつもあります。これは関西のノリなのでしょうか。それとも家内が特別なのでしょうか。よく分かりませんが分からない方がいい気がしてます。 |
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その24 |
2007年12月28日(金) |
私は医師になってから、何人かの世界的に高名な教授に師事してきました。どの先生も学問的にも人間的にも大変素晴らしい方ばかりで今も心から尊敬しています。開業医となって4年目を迎えた現在私が師と仰いでいるのは先輩の開業医の先生方や大学の教授の先生方は勿論なのですが、いつも少しでも近づきたいと心から思っている人は「みのもんた」さんです。
みのもんたさんがテレビで「○○が体にいい」と言うとその商品がスーパーで売り切れになるのはもう常識化しています。あれほど短時間に人の心をとらえることの出来るみのもんたさんの話術こそ、今の私が渇望してやまない才能です。
もしあの才能の100分の1でも私にあったら、いまうちのクリニックを受診しておられる100数十名の糖尿病の方の大半が薬のいらないくらいの良好なコントロールを得られるだろうと確信するからです。
糖尿病は自己管理の病気です。「先生に診てもらうと良くなると聞いて来た。」とおっしゃる患者さんに私は「それは誤解ですよ。私の話を聞かれて納得されて、私の説明した通りに食事療法を守られた方が良くなられるのです。」と話します。
私は糖尿病の何がやっかいでどうすればそれを克服できるか、自分では精一杯分かり易く心に響く様に話しているつもりですが、なかなか結果が出ません。自己管理の完璧な患者さんは例えインスリンが必要なくらい膵臓が疲れていても3ヶ月で飲み薬すらいらないくらいに良好なコントロールとなります。
うちでも十指に満たない患者さんですがこの様な理想的な経過をたどられました。2割くらいの患者さんはインスリンが必要な状態から内服薬で済む状態になられています。でも、ついつい食べてしまい、飲んでしまい血糖コントロールが良くなったり悪くなったりを繰り返す方が半分以上です。「自己管理が出来たら糖尿病になってないですよ。」と言われる患者さんの心をとらえるような話術を身につけることが目下の私の最大のテーマです。 |
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その23 |
2007年11月20日(火) |
NHKの朝のテレビドラマで「どんと晴れ」という番組がありました。最後の一月くらいだけでしたが私は大変面白く観ていました。山形の老舗旅館が舞台で、老舗の伝統・格式を守りながら時代の流れの中で変革を試みる若女将が主役のドラマです。
先ず何が良かったかというと主役の比嘉愛未さんがとても綺麗だったこと。そして興味深かったのがドラマのテーマがおもてなしの心であったことでした。
「来る人帰るが如し」つまり、来客が家に帰ってきたように感じられる安らぎを提供しようというのがその旅館のコンセプトでした。
私は常々スタッフに「医療はサービス業だ。」と話しています。特に私たちのクリニックは透析を主として行っているため同じ患者さんが週に3回受診されます。まさに「帰るが如し」の気持ちになってもらえることこそ理想だと思っています。
透析をよく理解していないある医師が「透析なんて患者さんを寝かしておいたらいいだけ。」と言ったと聞き愕然としたことがあります。それは患者さんのセリフなのです。
私はうちのクリニックを見学に来られる透析患者さんに「透析なんてただ寝ていればいいだけ。」と患者さんに言ってもらえる透析を目指していると話しています。患者さんが何にも心配なく床屋さんでスヤスヤとうたた寝をするように時間を過ごしてもらえるような医療サービスを提供したいと思っています。
そのためにスタッフには一瞬も気を抜くことなく患者さん一人一人を注意深く見守ることを求めています。そして、さらに言うならそんなスタッフ一人一人の努力が患者さんに全く感じられない位にさりげなく、あたかも空気の様に心地よい医療サービスを患者さんに提供したいと思っています。
医療費の問題から省力化が図られ人件費の圧縮が必要不可欠となってきていますが、その中にあってドラマの老舗旅館のおもてなしの心に通じる医療サービスを守り通していくことがうちのクリニックの存在意義だと私は確信しています。
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その22 |
2007年11月20日(火) |
誰にでも座右の銘とでも言うべき人生の道しるべとしている言葉があると思います。私の場合は「投げられた所で起きるダルマかな」という言葉です。私が入局した神経内科の教授であった亀山正邦先生から頂いた言葉です。
亀山先生からは実に多くの教えを賜りました。私の生涯にわたる恩師です。いつのお話の時の言葉か覚えていませんが、医局員の送別会であったかもしれません。初めて聞いた時とても心に強く響きました。
亡くなった父がよく口にしていた言葉に「流れに逆らわずに生きる」というものがありました。今年の誕生日には家内から「流れのままに」という文字の書いてある色紙を貰いました。
人の生き方はそれぞれですが、自分の信念を曲げることなく生きようとすれば、色々と壁にぶつかることも多いと思います。その時に、私は流れに逆らわずにいようと思っています。その流れの中でベストを尽くし求める結果を得られればいいと思います。
大学に籍を置いている時は、自分の研究活動が出来ればいいと割り切っていました。決して出世しようとは思いませんでした。「教授を目指さなければ大学程居心地のいいところはない」と友人に話す度に複雑な目で見られました。
クリニックの責任者になった時も色々な不安でいっぱいになりましたが、「食べていければそれでいいと思えば」という友人の言葉に救われました。「儲けようと思わなければクリニックのマネージメントは面白い」と今は友人に話しています。
流れの中ではすぐに結果が出てこないことが多いですが、ひたすら目指す医療を心がけると神様が時々ご褒美をくれます。つい最近、別の病院を薦められた患者さんが「こちらのクリニックの方がずっといいと知り合いの看護師に言われたので是非お願いします」と言って来られました。
私にとっても毎日がんばってくれているスタッフにとってもこれ以上のご褒美は無いと心から嬉しく思いました。流れの中で一歩前進できた気がしています。
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その21 |
2007年10月30日(火) |
最近読んだ小説で大変感銘を受けた作品に「孤高のメス」があります。どうしても医療関係のものを読む傾向がありますが、この作品は著者とオーバーラップする半ばドキュメンタリー的な要素を含んでいることもあり大変面白く読みました。
是非テレビでやって欲しいと思いました。医龍も面白いドラマですが、こちらの方が絶対に面白いと思います。主役は私の中では木村拓哉以外あり得ないです。天才的な外科医が素晴らしい手術で命を助けるシーンは快感ですが、この小説では旧体制の日本の医学会の矛盾を鋭くえぐっているところに共感が持てます。
そういう世界とは無縁の人には意外かもしれません。ただ、白い巨塔などで医学会の内幕はかなり知られているので驚かないかもしれませんが。最近私の同級生で優れた技術により同期で最初に母校の教授になった人が大学を去ることになりました。
新聞にも取り上げられたので名前を出せば御存知の方も多いかもしれません。大学卒業後はずっと欧米で活躍していた人でその優れた技術が認められ母校の教授に若くして招聘されました。多くの患者さんから今も尚熱い支持を受けているにもかかわらず彼は大学を去らざるを得なくなりました。
私は大学の外にいますから、内部の詳しい事情は知りませんが、かつて大学に籍を置いていた経験から何となく事情は分かります。彼は実にストレートに自分の信ずる道を進もうとして様々な大学内のシステムと衝突しました。その都度、圧倒的な彼の技術に対する患者さんからの支持が彼を支えていましたが、僅かなほころびをつかれて追いつめられたのです。
その根本にあるのは大学教授の「嫉妬」だと私は信じます。彼の優れた技術と患者さんからの絶大な支持により看板教授となった彼への嫉妬です。
大家として世間に認められている教授たちの嫉妬の犠牲になりました。孤高のメスの主人公も同じように大学教授達の圧力により日本を追われます。悲しく情けない現実が医学会には存在します。
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その20 |
2007年10月30日(火) |
平成15年に父が亡くなって随分時間が経った気がします。晩年父は糖尿病性腎症の為透析を受けていました。好きなビールもすっかり止め、足腰が弱くなったため、外出することも殆どありませんでした。
旅行好きで美食家であった父にとってそれは大層味気ない毎日であったと思います。たまに帰省すると居間の椅子にかけたまま私の近況を聞いてくれていました。
父は決して饒舌ではありませんでしたが、飲みながらぽつりぽつりと話したことが不思議と心の中に蓄積されて行ってます。医者という職業について、親戚付き合いについて、車の運転について、病気について、折に触れ私に語りかけた父のさりげないひと言ひと言が積み重なり現在の私の価値観を形成していると言っても過言ではありません。
ふと気が付いたら、私は父を尊敬し父を誇りに思っていました。亡くなる前に父が病床で思いの外強い力で私の手を握りしめた感触が今も忘れられません。若くして亡くなった家内の従兄弟の葬儀の折、息子さんに思わず語りかけた言葉があります。
「私は父を亡くした後も、父の言葉が心の中に蓄積していて、何か困った時にはその言葉が呼び戻されて私を助けてくれます。父親というのは息子にとって観念として心の中でずっと生き続けていると実感しています。だから、会えなくなった今もそれほどさみしくありません。」と。
彼は私の言葉にとても喜んでくれました。私の中では、父親と母親の絶対的な差異は、母親は実際に触れていなければ安心できない存在であるのに対し、父親は観念として心の中で存在し続けるものだという点です。
最近父親はうざい、汚い、だらしない、等と散々に子供から思われているやに報道されています。
私の父のように名もない一個人であっても、自分の思うままに信念を持って仕事をし、家族のことを思いやるのであれば、若い時はどうであれ、中年を過ぎる頃になり息子は必ず父を尊敬し誇りに思うようになるのではないかと確信します。
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その19 |
2007年9月25日(火) |
私はすぐにかっとなる方ですが、特に我慢できないのが「知りません。」あるいは「分かりません。」と言うべき所を「出来ません。」とか「ありません。」という店の人間です。
以前新大阪のミドリの窓口で、新入社員に「これは出来ません。」と言われたことがありました。きのくに回数券といって、新大阪と新宮を結ぶきのくに線で通用する割引切符があります。別料金を払うとグリーン席を購入できる切符です。当時毎週出雲と新宮を往復していた私は毎週この券を利用してグリーン席を購入していました。しかし、特定の区間だけの割引切符のため新入社員は知らなかったのです。
「私の知らない切符なので上司に聞いて参ります。」と言ったなら気持ちよく待っていたのですが、自分の無知を棚に上げて客の私が間違ったことを言っているかの様な応対は実に失礼千万です。大声でクレームをつけている私に驚いて上司が出てきて平謝りしていましたが、収まらない私は上司にも「自分の所の商品を知らないで扱うとはどういうことや。」とまくし立ててミドリの窓口が異様な空気に包まれました。
あるスーパーに電話で「シェリー酒は置いてありますか。」と聞いたところ「清酒ですか?中国の酒ですか?何から造る酒ですか?」と自分がシェリー酒を全く知らないことを私に確信させた後、ろくに探しもしないで「うちには置いてないです。」という答えが返ってきました。
すぐにその店に出向いてシェリー酒を見つけたのですが、残念なことに電話に出た店員は見つかりませんでした。客相手の仕事では「知りません。」「分かりません。」と詫びた上で対処することで失望はさせても少なくとも信用は保てると思います。
「出来ません。」「ありません。」とその場をとりつくろうのは傲慢以外の何物でもないし、無知に対する反省も無い、向上心のかけらも無い人間のすることです。うちのスタッフには決してこういう対応をしないように厳重に注意しています。
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その18 |
2007年9月25日(火) |
数年前に中学の同窓会がありました。そこはとても居心地のいい場所でした。高校の同窓会もしばしば開かれるのですがどうにも足が向きません。高校が大変な進学校であったためでしょうか思い浮かぶ面々の性格が画一的です。
その点中学の仲間は実に個性的でした。私は成績も良く部活も良くやってましたが、そんなことは仲間の中では全く評価されてません。久しぶりであっても今の仕事や地位にもみんな全く無頓着です。
唯一、私が仲間との時間を大切にしていたことのみが評価されています。だから、久しぶりであってもとても居心地が良かったのです。テストで○をもらっているのに0点をつけられても、文句も言わず平気でいた奴。僅かばかりの小遣いをもらうとすぐ仲間にごちそうして一日でスッカラカンになる奴。毎朝私の親友が登校する時、屋上で君が代を歌いながらお迎えさせられていた奴。ちなみにお迎えさせられていた奴のニックネームは「番長」でした。
私の親友は学年一の人気者で、彼のファンの一人が「番長」に君が代のお迎えを命じたのでした。冬のある日、私の親友はいつもと反対の入口から登校してきました。その朝は、朝礼が始まっても「番長」の姿が見えません。慌てて屋上に行くと「番長」が凍えながら私の親友の登校を待っていました。
でも、これはいじめではないのです。何故なら、「番長」も私の親友のファンだったので、このお迎えの儀式を苦にしていなかったのです。私の親友は誰よりも仲間との時間を大切にする男でした。中学の同窓会もこの親友が声をかけたので、何十年ぶりかであったにもかかわらず僅か数日で半数以上の仲間が集まりました。
先日もこの親友に会いに故郷の金沢に帰ったのですが、彼の呼びかけでかつて同じバスケット部に所属した同級生と数十年ぶりに会うことが出来ました。彼には及びませんが、私も仲間との時間を大切にして、私といる時間を居心地のいい時間だと思ってもらえるようにしたいと思います。
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その17 |
2007年8月29日(水) |
うちのクリニックを支えている最も重要なスタッフの一人が看護師長の大谷ひろ子さんです。私は以前からの婦長という呼称が好きなので今も院内では婦長で通しています。私は婦長には頭が上がりません。事務長にも頭が上がりません。副看護師長(院内では副婦長と呼んでいます)にも何となく頭が上がらないので、「私はクリニックのナンバー4だよ。」とスタッフや業者に宴会で言いますが、それを聞いてみんな笑っていますが誰も「そんなことないですよ。」とは言いません。
つまり、みんな笑顔で肯定しているのです。うちのクリニックは一時期存亡の危機にさらされていました。その数年間、文字通り体を張ってクリニックを守ってくれたのが婦長でした。ですから、私はクリニックの責任者として婦長には大恩があり、院長として頭が上がらないのです。
プライベートに頭が上がらないのではありません。そんな女性は一人で十分です。婦長はとても弁舌さわやかな人です。毎月事務長、婦長、副婦長と行っているミーティングでもそれはいかんなく発揮されます。婦長が議案に関して意見を述べ始めたのを聞いて、「なるほどもっともだ。しかし、私はこう思う。」と心の中で意見をまとめて彼女に向かって発言しようとして、言葉を発するために大きく息を吸い込んだのでしたが、彼女のマシンガントークの前に言葉をはさむタイミングが見つからず息が吐き出せなくて窒息しそうになりました。
その話を飲んでいる時に婦長に話したことがありました。私は覚えていないのですが酔った勢いで「婦長に言い返そうとしたけど言葉が挟めず窒息しそうになった。」と6回も繰り返したそうです。翌日事務長に教えられ青ざめました。でも、その場では婦長は何も言わず私のくり返しを黙って聞いていたようです。婦長は寛大な人なのでしょうか。それとも彼女も酔っていたのでしょうか。それとも・・。今度ミーティングで同じ場面で私が窒息したら真相が明らかになるでしょう。 |
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その16 |
2007年8月29日(水) |
うちのクリニックの事務長は女性です。多くのクリニックの事務長は男性ですが津田千里さんというチャーミングな女性が事務長です。今は、立場上事務長か、津田さんと呼びますが、彼女は私がクリニックに来る前から事務をしていましたし、家内の両親である前理事長夫妻とは公私にわたり懇意にしているので、「ちーちゃん」という愛称で呼んでいました。
今もスタッフ間ではちーちゃんと呼ばれていますし、家内や家内の両親もそう呼んでいます。事務長というと堅苦しい響きがありますが、私からすると彼女はうちのクリニックの「看板娘」と呼ぶ方がぴったりします。以前病院の受付に「看板娘のちーちゃんです」という写真入りのポスターを貼ったのですが、彼女の強硬な抗議により撤去せざるを得なくなりました。
とても残念です。いつか、ホームページで公開したいと考えています。ちなみに事務長の写真はホームページのスタッフの中にあります。病院の経理一般全てを私は事務長に任せています。毎年変わる保険請求等の手続きに関する勉強会も全て彼女にお願いしている次第です。おかげで私は苦手な経理を殆どする必要が無く大変助かっています。
彼女は一緒に仕事をする上でとても助かる長所を持っています。それは思っていることが全部顔に出ることです。何か相談事があって彼女を呼んで話すとその表情だけから「ああ賛成だな。」「これは駄目だな。」とすぐに分かるのでとてもやりやすいと言えます。電話でもすぐに分かります。やや語尾を上げるように「そうですかー。」と返事をする時は駄目な時です。
こんな日本一分かり易い女性なのに、彼女の旦那さんは表情を読み切れていないみたいです。ご主人は宴席で彼女が「お酒はもうそれぐらいで。」と私を含め誰しもが分かる表情をしているのに、上機嫌で飲み続けています。宴席を先に辞する際、この後の展開を案じ、ご主人に手を合わせ「おだいじに。」と心でいつもつぶやきます。 |
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その15 |
2007年7月29日(日) |
私はテレビが大好きでドラマは大抵録画してつぶさにチェックしています。うちのクリニックのスタッフもドラマファンが多く、今やってるドラマで好きなのはどれかなんていう話題で盛り上がったりします。
大学に入って一番嬉しかったことはテレビのチャンネルが増えたことでした。当時実家のある金沢に民放は2局しか無かったのです。一日中テレビを観ていました。「越村は朝6時の明るい農村からテレビを観ている。」と噂されました。
そんな私がこれまでに観たドラマで印象に残ったものを順不同に独断で選んでみました。
「前略おふくろ様」、「岸辺のアルバム」、「時間ですよ」、「太陽にほえろ」、「3年B組金八先生」、「初体験」、「ハートに火をつけて」、「すてきな片想い」、「熱中時代」、「ふぞろいのリンゴ達」、「正義は勝つ」、「あぶない刑事」、「男女7人夏物語」、「王様のレストラン」、「東京ラブストーリー」、「ロングバケーション」、「振り返れば奴がいる」、「ひとつ屋根の下」、「ランチの女王」、「私を旅館に連れてって」、「恋のチカラ」、「古畑任三郎」、「ブランド」、「妹よ」、「女子アナ」、「高原へいらっしゃい」、「ヒーロー」、「やまとなでしこ」、「離婚弁護士」、「女王の教室」、「トリック」、「101回目のプロポーズ」、「Dr.コトー診療所」、「ごくせん」、「踊る大走査線」、「グッドラック」、「白い巨塔」、「ビーチボーイズ」、「元カレ」、「救命病棟24時」、「瑠璃の島」、「みんな昔は子供だった」、「キラキラヒカル」、「ケイゾク」、「さよなら小津先生」、「ずっとあなたが好きだった」、「ビギナー」、「めだか」、「プライド」、「真夜中の雨」、「アネゴ」、「美女か野獣か」、「トップキャスター」、「結婚できない男」、「花嫁は厄年ッ!」、「GTO」、「相棒」、「渡る世間は鬼ばかり」、「ハケンの品格」等々視聴率に関係なく面白いと思うドラマは尽きません。 |
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その14 |
2007年7月29日(日) |
私は野球はジャイアンツのファンです。でもここ数年優勝から見放され応援にも力が入りません。ジャイアンツファンとタイガースファンの絶対的な違いは成績に関係なく応援し続けるかどうかだそうです。納得のいく意見です。
日本シリーズではジャイアンツなど足元にも及ばなかったセリーグの覇者がパリーグの覇者に無惨に負けるシーンが続いてます。私にとってこれは、結構痛快な場面です。
チャンピオンになったチームは偶然なのか外人が監督をしているチームが続きました。もし、これが偶然でないとしたら、何か勝利のためのヒントがあるかもしれません。
言葉も習慣も異なる人がチームを率いることで、日本人が見過ごしてきた、チームを監督する上で致命的な欠陥が補われたのかもしれません。是非その秘密が知りたいものです。そういう意味で外人の監督がどんどん出てきてそのチームがどんどん優勝すると面白いと思います。
ジャイアンツもクロマティ(知らない人も多いかも)を監督にしたら優勝するかもしれません。
外国の映画を見ていると、すごいピンチで平気でジョークを言うシーンがあります。気まずい場面でもさらりとジョークを飛ばして場をやわらげたりするシーンもあります。私たち日本人は真剣な場面には笑いはあってはいけないものという意識が強すぎるのではないでしょうか。
緊張感は集中するために必要ですが、筋肉がこわばってしまうと肝心の力が出ないことになります。マリーンズやファイターズの選手はシーズン中から緊張するシーンでも監督にジョークを飛ばされていたとしたら、どんな場面でもそうそうは動じないしたたかな集団になっていたとしても不思議ではありません。
元々選手個々の力量はそれほど大きくは違わない筈ですから、80の力の選手がリラックスして90の力を出したら、100の力を持っていても緊張のあまり80の力しか出すことが出来ない選手に勝つことは容易いことなのかもしれません。 |
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その13 |
2007年6月26日(火) |
最近医師の研修システムが変わり現場は大変混乱しています。私はシステムが変わる前に大学を辞めましたが、私が教官をしていた時の学生や研修医は自分たちの頃とは随分違っていました。
自分が将来専攻しようと思う診療科を選びその医局に入局する者が私たちの頃はほぼ全員でしたが、最近は大学の医局に入局する者は極端に減ってきました。特に私が在籍した様な地方の新設医大ではその傾向が顕著です。
教授が厳しい、研修カリキュラムがしんどそう等の理由で私のいた教室は敬遠されていました。情けない限りです。「私は大学のような先進医療ばかり追い求めるところではなく無医村のようなところで役立ちたい。」と胸を張って言う学生もかなりいました。
こんなセリフは医師になって5年か10年位してから是非言ってほしいものです。大学を卒業したばかりの何も身に付いてない医者が、先進医療機器の助けも何もなしに、患者さんの診療をすることが出来るはずがないからです。先進医療を身につけるには知識、技術両面で大変な努力を積まなければいけません。
そういう技術を身につけてこそ何もないところでも何とかなるのです。だから、無医村に行くことが絶対的な美徳のように考えている学生は私からしてみたら単なる怠け者でしかありません。
大体、そんなことを言っている人に限っていざとなると一番楽な科を選ぼうとするものなのです。今も大学から遠い地域は医師不足が深刻です。私のいるところも開業医はそこそこの数がありますが、中核病院は医師の確保がままならず、医師会に協力を求めてきています。
大学で先進医療を身につけた上で是非私のいる所のような地域で腕をふるってほしいものです。そんな医師が増えるためには何か魅力がないといけません。中央にはない魅力、それがなんなのかまだ分かりませんが、私を含めた医師も行政の担当者も魅力ある地方を作り出す努力をすべきなのではないかと考えています。 |
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その12 |
2007年6月26日(火) |
医学部で学び晴れて医師となり研修医を始めた頃、大抵の者は将来教授になることを夢見るものです。かく言う私ですらそんな夢を持ったことがあります。教授の任期は概ね10年から20年位ですから、10年から20年に一人しか教授にはなれないということです。不思議なことに学年により教授を多数輩出する学年とそうでない学年があります。
私の学年は120名の内20名くらいが教授になっているので教授を多数輩出する学年だと言えます。おかげで今、難しい患者さんを大学病院に紹介する時大変助かっています。教授は大学病院で唯一定年まで勤務する医師です。他のポジションの医師はしかるべき年齢になるとしかるべき病院のしかるべきポストに就いていくのが慣例となっています。
また、そういう風にポストをあてがうことが教授の大きな仕事のひとつでもあります。教授は激務ですから人並みはずれた体力を要求されます。私が師事した教授は皆人並みはずれた体力を維持するためか旺盛な食欲の持ち主ばかりでした。
そしてとてもせっかちで、結論を出すのがとても早いことが共通していました。教授になる人は大変優秀な人材ですが、学生時代から秀才の誉れ高い人で教授になった人も勿論ありますが、「えっ。彼がっ。」と絶句するような人もいました。
学生時代しか知らない私には想像も出来ないようなその後の更正ぶりを見せた結果なのでしょう。私の母校は、かつては研究論文のみで教授を選出する傾向がありましたが、今は臨床能力を重視して選ばれることが多くなりました。
患者さんの立場からしたらネズミやウサギのことに詳しくても人の身体となるとさっぱりなんて教授じゃ安心して診て貰えませんから大変いい傾向だと思います。
同期の優秀な人材で、なぜ教授を目指さないのだろうと思うような人もいますが、何が何でもなるという決意を持った人でないと教授にはなれないし、そんな人でないと務まらないポジションに違いありません。
かすことなく、身の程知らずに営利主義の病院を作ることなく、謙虚に真面目に医療に専念するなら病院は維持できるはずです。 |
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その11 |
2007年5月28日(月) |
私が大学病院を辞めて今のクリニックに移ることを決めた時、送別会で指導教授から「越村君はクリニックの経営より大学で好きなことをやっている方が向いている。経営者には向かない。」と言われました。
私も全くその通りだと思って聞いていました。その私が経営責任者となった現在も、このクリニックの経営は決して楽ではありませんが何とか経営を維持しています。これは私に優れた経営手腕があったからではなく、日本の医療保険制度のおかげだといえます。
一般の商売と医療経営は大きく異なります。第一に薬や手術や処置は全て金額が定められており、値引きは一切ありません。従って他業種のような価格競争をする必要がありません。しかも、保険制度のおかげで患者さんは実際にかかった費用の7割引で大体の薬や手術や処置が受けられるのです。つまり医療の世界ではライバルと全く同額で、毎日7割引のバーゲンが行われているのです。
ですから、よほどのことがない限り患者さんは最寄りの医者にかかるので、開業医は他の業種のように倒産することなく運営できるのです。この点を私達医師はよく自覚して、医療に真面目に取り組むべきです。病院の経営が何とか軌道に乗ったからといって他の業種に手を伸ばすと必ずしっぺ返しを喰うと思います。
もし、他業種で成功したとしたら経営手腕があるのですから医療以外のもっと収益性の高い事業に専念する方がいいと思います。マネーゲームにうつつをぬかすことなく、身の程知らずに営利主義の病院を作ることなく、謙虚に真面目に医療に専念するなら病院は維持できるはずです。
私は今のクリニックの経営責任者になり色々と悩んでいると同僚が「食べていければいいじゃないか。」と言ってくれました。その一言でどんなに気持ちが楽になったかしれません。もしこれでも病院が倒産するなら、それは医師の責任ではなく国の責任と言うべきではないでしょうか。 |
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その10 |
2007年5月28日(月) |
今のクリニックでおよそ10年位外来をしています。大学病院の外来と一番大きな違いは1週間で答えを出さなければならないことでした。大学病院では大抵の患者さんは月1回のペースで受診します。
しかし、個人のクリニックでは翌週に受診してこられることも珍しくありません。私は一般内科外来をしていますが主な対象疾患は神経疾患と生活習慣病すなわち糖尿病を主とし、高血圧、高脂血症等です。外来を始めた頃は神経疾患の方が多く受診されました。
神経疾患は糖尿病、高血圧、高脂血症等と異なり薬物により確実な治療効果が得られるか分からないことが多いのですが、患者さんは1週間後に受診されて薬が効いたか効かなかったかを結論づけられます。こちらとしては、仮に1週間で効果が見られなくてももう少し薬を続けてみて欲しいのですがなかなか許されません。そんなことを繰り返していたらあそこの薬は効かないとレッテルを貼られてしまいます。
勢い大学病院とは異なる処方を余儀なくされました。つまり、原因を治療する薬物のみでなく症状を素早くやわらげることを常に考えて処方するようになりました。その結果として、患者さんからは薬が良く効いたと喜んで貰えることが増えました。でも、こちらも少し心苦しいので、「症状は和らいだかもしれませんが、病気の原因そのものが無くなったわけではないので薬は続けて下さい。」と説明します。
しかし、中には症状が和らぐと原因を取り除くための薬まで止めてしまう患者さんもおられ治療がはかばかしくいかないこともあります。大先輩の先生に「開業医に来る患者さんは良くも悪くもならない位で丁度いいと思って貰え。」と言われました。
名医の大先輩ならではのお言葉です。反対に「せっかく良いお薬を頂いているのに良くならず申し訳ありません。」と患者さんに謝られた時は「滅相もございません。」と患者さんに向かって最敬礼をしました。 |
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その9 |
2007年4月28日(土) |
国立大学病院は私が辞める数年前から様々な改革を断行するようになりました。収益性をチェックするために民間の経営コンサルタントに数千万円をかけて経営分析してもらいました。
開口一番「こんな赤字の病院で堂々とボーナスをもらっていることはおかしい。」と一喝されたことを鮮明に覚えています。彼らの意見には多々異論はありますが、コスト意識は持てました。
もう一つ大学に欠けていたのが責任の認識です。ある教授の提案で総合診療科が設立されました。しかし、設立趣旨、具体的な運営等々に関し現場の医師に何も諮らずスタートしたため散々な結果に終わり早々に閉鎖されました。 にもかかわらず、この無意味な初めから失敗することが分かっていた企画の責任者には何のペナルティも無かったのです。
民間企業では考えられないことですが、コスト意識同様責任という認識もないのが国立大学病院でした。また、チュートリアルという新たな教育システムを導入しました。実際に携わってみて学生の反応が極めて鈍く学習効果は期待できないと感じました。
このシステムの効果は数年後の医師国家試験で明らかになるでしょうが、結果がどうであれ導入を推進した教授には何の責任も問われないでしょう。新たな企画をスタートさせてもその結果に関する十分な分析、責任の所在等を曖昧にしている限り大学の運営の改善は見込めないと思います。
この病院でがんばっているある人は、自分の企画を提言して実現させ結果として病院の収益の増加につなげているそうです。この人は緻密な計画と確かな実行力を持っています。机上の空論というか提案はするが、実行は現場任せの教授の企画がことごとく失敗していたのと対照的です。
この人の企画が成功したのは自分が実行することを前提に計画したことにつきると思います。でもこの人より、自分に実行能力がないのに美味しいところ取りばかりする教授の方が大学病院での地位ははるかに上なのです。 |
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その8 |
2007年4月28日(土) |
大学にいた時には、会議や教室のミーティングで色々と議論をしてきました。意見が対立する時も論理的に議論を進めてそれなりの成果を得てきたと思っていました。今もスタッフと色々と意見を交換する際に相手の意見を尊重しつつこちらの考えも理解してもらうよう議論してうまくまとまっています。
それなのに、妻との議論はなぜか思うようにいきません。私は元々声が大きい上によく通ります。妻と話していて興奮してくるといっそう声が大きくなります。すかさず妻は「そんな大声で怒鳴らなくても分かる。」と指摘します。
決して怒鳴っているつもりはなくてもそういわれると反論できないので声のトーンを気にすることになります。当然議論のトーンも下がります。それでもくじけずに、妻の言い分の矛盾をついて言い募っていくと、「大の男が女子供相手にムキになるなどみっともない。」と私の人間性に疑問を投げかけてきます。
議論の終盤私の意見の正当性を妻に認めさせられると確信した瞬間に私の人間性に対するクレームがつくわけですが、こんな不当なクレームなど怖くないと踏みにじれば、後にはとても気まずい沈黙が待っていることを私は身体の隅々まで自覚しています。
この議論の発端が、私が牛乳の注文を忘れたことか、はたまた、私が食器棚の戸をいつもきちんと閉めないことか、既に定かではありませんが、このままいくと私には気まずい沈黙という価値のない勝利しかありません。
しかも、その勝利には私の人間性を代償にしてまで得るべき価値など見当たりません。そこで、私は長年蓄積されたノウハウを駆使して妻に対する絶対的な武器を迷わず繰り出します。いくぞ覚悟しろとばかりに言葉を発します。
「さっきはごめん。すみませんでした。」すると妻は「こちらこそすみませんでした。」と素直に頭を下げてきます。この最終兵器には絶対的な効果があります。これがある限り私に敗北はないのです。そして、勝利もありません。 |
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その7 |
2007年3月30日(金) |
Dr.コトー診療所というテレビドラマがあります。私はこのドラマを録画して何度も繰り返して見ています。そして日常の診療で自分が忘れがちな真摯な気持ちを取り戻そうと努力しています。
私にとってはこのドラマは医者としての心のリハビリに欠くことの出来ないものです。私はこれまでに腕のいい医者には何人も出会ってきました。患者さん思いの優しい医者にも何人も会ってきました。
しかし、このドラマの主人公のような腕が良くて患者思いの医者はなかなかいない気がします。腕がいい医者はあちこちから引っ張りだこで時間がないのです。ですが、1人この主人公のような医者を知っています。私と同じ内科医でかつて共に研修医をしていました。医者の1年目で私のような横着者でもそれなりに熱心に仕事を覚えようとしていましたが、彼は本当に生活全てを患者さんの為に投げ出しているかのようでした。
白血病の若い女性患者の担当をしていましたが、本当に熱心に診療を行っていました。当時は今のように骨髄移植が出来る環境ではなく、またその患者さんは特に難しい症例でした。3ヶ月毎のローテーションで患者さんの受け持ちを変わりましたが彼は担当をはずれた後も亡くなるまでずっと関わっていたようです。
大変陽気で愉快な人で明け方まで飲み明かしたことも度々ありました。その後それぞれ別の道を歩く様になり、たまに顔を合わせるくらいでした。最近彼は母校の教授になりました。彼の母校は私のクリニックと比較的近いところなので、メールのやりとりをし始めました。
彼は聞くところによると研究業績もめざましいものがあったそうです。臨床に優れ、研究にも優れ、尚かつDr.コトーの様に患者さん思いの教授に指導して貰える彼の教室員は実に幸福だと思います。実際に存在するのですから私もDr.コトーを見て心のリハビリに励み、少しは患者さんに喜ばれる医者にならなければと日々反省する毎日です。 |
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その6 |
2007年3月30日(金) |
戦国の武将の生き様を表す歌に「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」、「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」という信長、家康、秀吉を例えたものがあります。
さて、なら私はどうだろうかと考えてみました。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」なんて何でもかんでも自分に合わないものを切り捨ててしまうと周りに何もなくなることは私でも分かります。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」とじっくりと待つことは医療には欠かせません。薬物にせよ何にせよ患者さんに施した処置が効果を現すには時間が必要なことがままあります。それは、理解できますが、人間関係でもとなると話は別で私には無理です。
「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」の句はその生き様を褒める人が多いですが、「何が何でも思い通りしてみせる」という傲慢さにもつながる句ではないかと思うのです。私は人生ならぬこともあるという折り合いをつけることも大切ではないかと思います。特に人間関係においてそう痛感しています。
私は大学の教官時代「大学院は義務教育ではないから脱落することも本人の選択肢として認めるべき。」とやる気のない学生にも無理矢理にでも学位を取らせる方針に反対して睨まれました。
「医学博士は足の裏の飯粒。取らないと気持ち悪いけど取っても食えない。」と揶揄されるような、博士の中で最も取り易いものであっても、私は教官としての最後のプライドを捨てたくない気持ちでした。
そんな私の考えを句にするなら「鳴かぬなら忘れてしまえホトトギス」でしょうか。いくら指導しても理解してくれない学生、いくら話し合っても理解してくれない相手には私はこの句の様に折り合いをつけ以後当たらず触らずで接しています。人間叱られるうちが花といいます。私も叱ってくれる人は今は唯一妻でしょうか。でも、あれは殆どが叱ってくれているのではなく怒っているのかも。 |
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その5 |
2007年2月26日(月) |
今のクリニックに来る前の大学病院時代から私の仕事場での環境で大きな変化が起きました。それは、仕事仲間が圧倒的に女性が多くなったことです。それ以前は大学の実験室で7年間ネズミとネズミ以下の下らない人間と素晴らしい若者たちと過ごしていましたが、皆男性でした。唯一の女性は若い美人の秘書さんでしたが、口紅を唇の形に合わせずまっすぐ横に塗るので口が漢字の「二」になっている人でした。
しかし大学病院では、秘書、看護師、そして、私が指導した研究員も殆どが女性でした。私は自分の頭の中を警官が見ることが出来たら即刻逮捕される様なみだらな男ですが、セクハラで首になることだけはいやだと思っていたので極めて紳士的に接しました。
慣れると、女性に囲まれた環境は実に快適で「適度な」華やかさもあり大変楽しく仕事をしました。今のクリニックも男性スタッフはひと握りで、彼らは文字通り女性スタッフに簡単にひと握りにされる存在な為、今も女性に囲まれる環境で仕事をしています。
大学病院で10年間女性に囲まれて仕事をしてきたせいか、やはり、とても快適で楽しく毎日仕事しています。しかし、ここでも、とりあえず自分の邪悪さを知ってもらうために、酒の席では「私と二人きりになって背中を向けるということは何が起こっても構わないということだよ。」と言ってます。
宴席でそれを聞いていきなり背中を向けるスタッフがいました。「あのね、大勢の前でテーブル越しの女性が背中を向けたからといって行動を起こしたとしたらそれは『スケベ』の範疇には収まらないでしょ。」と心の中で叫びながら酔いつぶれたのでした。
男の医者は男のスタッフとは同じ目線で相手と対等の立場で接することが出来ても、女性のスタッフとはなかなかうまくできない人もいるようです。私は医者になると同時に結婚し、公私ともに「女性」の怖さを実感しており、妻公認の「人畜無害」の為か毎日が楽しい職場です。 |
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その4 |
2007年2月26日(月) |
私は元々映画が好きですが、出雲にいた頃はもっぱらビデオばかりでした。新宮に来てから大変立派な映画施設が出来たおかげで封切り映画を見に行く機会が増えました。もともとアクション映画やサクセスストーリーが好きなのですが、家内の影響で社会派の映画も最近は見るようになりました。
仕事にも絡んでいますが、「私の頭の中の消しゴム」や「明日の記憶」のようなアルツハイマー病を扱った作品には作品自体の完成度の高さから来る感動と医師という職業から来る思いが複雑に重なり合って大変強い感銘を受けます。
これまで見た日本映画で、最も感動した作品は「幸せの黄色いハンカチ」です。全ての作品を見た訳でもない私がおこがましいですが、日本映画史上最高の作品だと言ってもいい作品だと思います。
そして、最近この作品に匹敵する作品に出会いました。「武士の一分」です。初め、私はこの映画を見ることに気が進みませんでした。それは、主人公が盲目になるというストーリーを聞いてとても悲劇的なやり場のない結幕を連想したからです。
ストーリーを書くことはルール違反ですから触れませんが、「幸せの黄色いハンカチ」の山田洋次監督は「武士の一分」でも夫婦愛、男の不器用な優しさの表現、男のシャイな一面を見事に描いていました。
それが、見ている人の心をじわーと暖かく包んでくれる映画になっています。寒い冬に凍えた身体をじっくりと暖めてくれるお風呂の様な映画でした。登場人物それぞれが実にきめ細かに描かれていて何度でもみたいまた、見るたびに新たな感動を与えてくれる映画でした。
思春期の私たちが高倉 健さんに憧れたように、木村拓哉さんは若い人たちから憧れられる俳優になる予感がしました。この映画を見る独身の人は結婚に夢を持つでしょうし、長く結婚生活を送っている者は夫婦というものはいいものだなと、映画の後嫁さんと手をつなぎたくなるでしょう。 |
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その3 |
2007年1月29日(月) |
私は元々そんなに出来た人間ではないし、短気だし、愛想のいい方でもありません。医者になって一番良かったと思うことは、殆ど人に頭を下げる必要がないことだと思っているような人間です。
大学病院に勤務している時も、出世したいと思わなければ、実に居心地のいいところだと感じていました。常に本音でしかも正論をまくしたて、相手が教授であろうと平気で食ってかかっていました。
私の指導教授はおそらくあちこちでよその教授に謝っておられたことでしょう。出世欲も金銭欲もさしてなく、首にしたければいつでもどうぞと言いたい放題の私は、廊下でよその講座の見知らぬ先生から挨拶されたりしました。
関わってはいけない人間ナンバーワンだったのでしょう。医局でMRが声をかけてきても返事をしたことがありませんでした。アポを取らずに医局に来て私に声をかけるということは、誰でも良いということであり、ならば私でなくて良いということであり、それなら相手をしなくて良いと考えていました。
私が今のクリニックでMRと談笑していると聞いて信じられないと大学のMRは皆驚いたそうです。私にも状況判断くらいは出来るのです。しかし、昨年末にやってきて、新製品を紹介するや、サンプルも提供せず採用をせがみ、今日が年内に自分が来られる最後の日だからと即断を求めた初対面のMRに対して、今のクリニックに来て初めて「あんたのような行儀の悪いMRは二度と来るな。」と声を荒げてパンフレットを投げつけました。
このクリニックに来て4年、努めてにこやかに応対してきたのに、三つ子の魂百までもとはよく言ったもの。眠っていたものが一気に目覚めた瞬間でした。そのMRは二度と来ることはなく、そのMRを紹介した薬問屋の担当者(MSと呼びます)も担当替えとなりました。
この地においても関わってはいけない人間ナンバーワンの地位を不動のものにしていく実感がひしひしとしている今日この頃です。 |
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その2 |
2006年12月25日(月) |
製薬会社から病院へ派遣されてくる人を昔はプロパーと呼び、今はMRと呼んでいます。医者になって25年位になりますが、すごいと思った製薬会社の人が4人います。
1人目は医者になって2年目に会った方です。医局の宴会の幹事に当てられた時のことです。何をしていいか分からず上司に相談すると、「あの人に頼め。」と指名された人が当時ベストセラーとなった抗生剤の製薬会社の人でした。私が宴会の日時を言っただけで、5分で二次会の会場まで準備してくれました。
2人目は今のクリニックに来る前にいた大学病院のMRの人です。朝6時頃から夜9時頃まで病院に詰めて、痒いところに手の届く気の使いようで製品を売りまくり、瞬く間に本社勤務になりました。
3人目は新薬の開発会議で1000人位の大学の医者を相手に30分くらいで分厚い資料の内容を簡潔に説明してのけた人です。さすが日本一の製薬会社には人がいるものだと感心しました。
そして4人目は今うちのクリニックを担当しているMRさんです。この人は2人目のMRさんのライバル製品を担当しています。私は2人目のMRさんの会社の製品が好きで採用していましたが、4人目のMRさんは短期間で自社の製品に鞍替えさせました。しかも、このMRさんは私に一度も自社の製品を採用して欲しいと言ったことがないのです。
驚くことにこのMRさんの担当するうち以外の病院も揃ってこの会社の製品に鞍替えしました。あたかもオセロゲームの様です。
どうしてそうなったか詳しいことは書く余白がありませんが、私がすごいと思った人は共通して人間観察が鋭く、相手がどう感じ、何を望んでいるかを素早く正確に見抜くことが出来る人たちでした。おそらく私には全く備わっていない資質であり、もし、私がMRだったら、他社に乗り換えられてから大慌てで毎日のように押しかけて、うざったく製品の採用をせがむ芸のないMRとなっていたと思います。 |
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その1 |
2006年11月26日(日) |
クリニックのホームページという場所が出来たので、せっかくだから医療以外のことも載せようと思い色々と考えていたのですが、自分が一番言いたいことを載せることにしました。ひょっとしたら、これを読んで共感してくださる方もいらっしゃるかもしれません。そんな切ない願いを込めつつ書いてみることにしました。
私の好きな漫画の「じゃりんこチエ」の中で、はちゃめちゃなチエの父親テツがチンピラをぼこぼこにする場面で、チンピラが「頼むさけ、最後まで話を聞いてくれ。」と言うと、テツはどつきながら「最後から話さんかい。」と返すシーンがありました。
私はここがとても印象的で大好きです。作者特有のユーモアセンスが好きなだけでなく、たまらなくテツの言葉に共感するのです。せっかちな私は、日常でしばしば「最後から話さんかい。」と心の中でつぶやきます。
確かに切々と心に訴えるために言葉を選んで相手に思いを伝えることはあるでしょう。しかし、悲しいことに日常でそんな情感溢れる場面は殆どなく日常の業務連絡、事務連絡等々の場面が大半です。スタッフは私の性格が分かり易いせいか、手短に簡潔に報告してくれます。
それは、私とは長く会話したくないからかもしれませんが、それにつては考えないようにしています。業者の人の中にはそれが礼儀だと思ってか、毎回必ず時候の挨拶を長々とする人がいます。「そうね。」と一応は相づちを打ったりもしますが、私は「失礼します。」のあとにはすぐに用件を言ってくれる人が大好きです。
丁寧に挨拶をする人に心の中で「僕もあなたと同様に決して友達になりたいと思っていないから安心して用件を済ませてくれ。」とつぶやく毎日です。私の親も言葉少なく用件をすぐ切り出す方なので電話は大抵1分とかかりません。しかし、家内は正反対なので同じ調子で会話すると大変なことになりました。幸い紙面がなくなったのでこれ以上は書かないことにします。 |
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