飛んで火に入る夏の虫
ブログを始めてから間もなく二か月になろうとしている。
動機は、退職前に、自らの半生を綴った自叙伝、自叙伝となるとまだ時期尚早だから、それに代わる「回顧録」なるものを自費出版しようと考え、在職中に体験したことを短編でまとめておいた。
しかし、この思いが達成できない中、ある人と会話中にブログを勧められた。
言葉は聞いたが、どのようなシステムになっているのか全くしらない。
芸能人が、自身のブログを開設し、ファンに情報を提供する手段として活用しているらしい程度の知識だけ。
その一方で、社会奉仕の一環として、解決できない難問で困っている人や企業の手助けをしたいと考えで立ち上げたオフィースの存在を多くの人に知っていただく手段(宣伝)がないかと模索し、ホームページの立ち上げも検討した。
この二つの目的を、達成できるかもしれないシステムとして勧められたのがブログである。
ブログは日記コミュニティーであって、実名を明かしているブロガーもおられるが、愉快で楽しいネーミングで登録し、顔を会わせたことがない者同志が、主義、主張を綴り、コメントするなどするインタネット上でのコミニュケーションの場であることから、少し様子を窺いながら参加することにした。
誰に教わることなく、インターネットで勉強し、有料のドメインを取得し、金儲けで利用する意思はないが、インターネットで知ったA8.netにも登録した次第である。
回顧録を綴るには、もう少しブログ世界を体験してから判断することにして、思いつくまま日々の生活の中で感じたことを徒然なるまま掲載してきた。
そして、この二か月間で、このブログが29篇目となる。
この間に、いじめ問題が社会の耳目を集めることとなり、それに関して綴ったところ大きな反響となった。
将来ある尊い人命を軽視しているわけでもなく、いじめが原因で自殺しているのであれば、実に不幸なことであって、これまでから機会あるごとに取り上げれれてきた「いじめ問題」が解決することを願っている。
昨日の捜査幹部との会話でも、こことは話しておいた。
しかし、残念だが、いじめ解決の処方箋となる対策はないだろうと思う。
学校におけるいじめ問題は、今に始まったことでない。これまで幾度となく、問題とされておりながら効果ある対策は取れないで、忘れた頃に発現してくる。
コメントしてきた者の中には、いじめの被害を体験した人、また、若気の至りで、いじめをしたことのある人もいるのではないだろうか。
学校や教職員、教育委員会、警察の責任だけではないだろう。親にも責任があるだろう。
そして、もっと他に根本的に解決しなければならないことがあるだろう。
マスコミに扇動されて、騒いでも何の解決策も得られない。
でも、将来において、いじめはなくならないと考える。
ロボットのように同じ姿、形をしていて、同じ考えの子供であれば、いじめはない。
しかし、神は人間に大きな試練を与えた。
子供だけでなく、人間は「十人十色」全て同じ人はいない。クローン人間ができても同じでないし、人間以外の動物の世界でも同じことである。
暴力的・体力的に強い、弱いの差があり、価値観、能力、育った環境、好き嫌いなどの感情はみんな違う。
こうした者(人間=動物)が学校、会社、地域社会などにおいて、共同生活をする中、必ず、いじめは発生する。
いじめは、中学校だけでない。保育園や小学校、また高校や大学、そして会社や地域においてもいじめはある。
今回、いじめについて綴ったが、異論あるだろうか。
さて、前置きが長くなったがタイトルの話に戻そう。
これからは、また批判を受けるかもしれないが、「飛んで火に入る夏の虫」という言葉がある。
本格的な夏の到来で、昆虫や害虫が飛び交う。
快適な生活をしたい人間にとって、害虫は邪魔だから、昆(害)虫の光に向かって飛ぶ習性を利用して、誘蛾灯などで虫を誘き寄せ退治する。
そこで、今回のいじめ問題における「いじめ」については先に日記に綴ったから重複は避けて、この問題を今の時期(発生後10か月経過)に記事に取り上げたマスコミとマスコミを仕掛けた人物の話である。
もっと、極論を言えばマスコミの特質を知りつくし者が、マスコミを誘い寄せて仕掛けたセオリー・・・・
「蛾の火に赴くが如し」で、愚人は夏の虫、手を出して火傷する。「飛蛾が火に入るが如し」
この、「飛蛾が火に入るが如し」とは、感情の赴くまま、正確な事実をしらないで、いじめとは関係のない人の名前を名指ししたインターネット上での犯罪行為者であるし、爆破予告や殺害予告、刃物や薬液を市役所に送り付ける行為をした者の様子に合致する。
そして、マスコミ取材が過熱し、中学校の生徒を対象として取材活動されているが、高校受験を目指して勉学に励んでいる生徒等、学生に及ぼす影響は計り知れない。
教育員会の責任、学校(教職員)の責任、警察の責任・・・・・擁護もしないし批判もしないが、これらは責任が皆無とはならないだろう。
しかし、よく考え欲しいし、現実を直視してみてはどうだろうか。
教職員に学校で発生するいじめに対して、正面から取組み解決する能力があると思うことが誤りである。
また、発生したいじめを調査して正確に事実を掴むこともできないし、する能力や気力がない。
仮に、いじめ生徒を特定しても、事情聴取できますか。「こら!先公、何の用事や」程度の言葉が返ってきて、教職員は、それ以上何もできない。こんなことは、周知の事実でないのだろうか。
ここで、ノンフィクションかフィクションかの判断は、ブログを読む人にお任せすることにして物語を綴ることにしよう。
湖のある街に、中学校に通う子供を持つ夫婦が住んでいた。
子供は、元気に学校に通学し勉学やスポーツに励んでいると思っていた。
いじめにあっている気配も感じない。(感じていたなら、ゆっくり会話するこtろが望まれた)
ところが、ある日、この最愛の子供は、何の理由か告げないまま自ら命を絶ってしまった。
夫婦は悲しみに明け暮れた。
こどもの自殺の原因を知りたい。
しかし、自ら調査することができないが、いじめが原因しているのではないかと思うようになった。
自ら捜査や調査できない夫婦は、警察訪れたが、具体的な被害事実が明らかでない理由で被害届出は受理できないと断られた。
しかし、子供の自殺原因をしりたい。いじめが原因であるとしか言いようがない。
再度警察を訪れるが、事実が特定できないとの理由で被害届出は受理されなかった。
警察は、被害届出の不受理の理由を説明するだけでなく、被害届出の有無に関係なく、捜査することを告げるなど、夫婦の立場で親切な対応をするべきである。
夫婦は、困り果て、周囲の助言や紹介のもと、然るべき法律関係者の門を叩いた。
当然、この者は、学校(大津市)を相手取っていじめによる自殺として裁判所に損害賠償を訴える方法を教示し、訴訟を提起した。
法律関係者は百戦錬磨・・・・
自ら苦労しなくても、警察の被害届出不受理を逆手にとって警察に捜査させる最良の方法として、マスコミ関係の1社だけに、警察が被害届出を受理しない旨の情報提供した。
少年の両親は、言われるまま藁をもつかむ思いでマスコミの取材に応じクローズアップされた。
一社のみに情報を提供するテクニックは、他社からみて「特ダネを先行された」と慌てふためき取材に走り、結果的には、全社に平等に情報提供するより記事のボリュームが大きくなるのだ。
マスコミの取材合戦である。記者諸君は、火に向かって飛び交う蛾・・・・
少年の親を前面にだし、警察の落ち度を訴え、読者を扇動する。最も安全な報道手段である。(文句が来ない)
この訴訟の損害賠償請求額はしらないが、法曹関係者には、仮に請求額が7000万円としたら、裁判で勝訴すると、概ね850万円から1000万円の報酬が手に入る。敗訴したら報酬は0円である。
汗しないで、飛んで火にいる夏の虫(マスコミ関係者、ブログで熱くなっている者、脅迫状を送りつけて逮捕されている者など、踊らされている蛾は多種に及ぶ。)を冷静に眺めているようでならない。
私が両親なら、最愛の子供の命を7000万円とはしない。両親も言われるまま従っているのだろう。
地球より重い命に値段をつけないが、法曹界とはこんなところである。(徒然物語完結)
暑い夏の夜、哀れな虫を眺めながら、自らが何をなすべきかを考えてみよう。
それまでに、いろいろな忠告に真摯に耳を傾けて、問題の日記は削除することにした。
それは、コメントを頂戴した者の数(最高位で9位、今は22位に後退)もさることながら、頑固親爺の徒然日記を訪問していただいたブロガーの数が6000人となったことも考慮してのことである。
ブログを楽しみ、有効に活用されている人が多いことに安心したし感謝するが、金儲けのためなどに悪用する、また、ブログを批判して熱くなりすぎ勇み足をする人など、心無い人が多いのも事実である。
あるブログには、「ブログのコメントは、ばか、死ね、アホ、お前・・・等が当たり前の世界」と忠告があったが、本当にこんなことでいいのだろうか。
ブログの世界を楽しい、有意義な世界に変えるという難問が解決するよう願っている。