(2001/03)滋賀県大津市、障害者殺人事件
犯人どもの名前は初田昌司、鈴木良
<某所より流布されているメーリングサービスより>
16歳障害児リンチ殺人事件というのは、下半身付随の青木悠君(16歳)を、H少年とS少年が、なぶりものにして殺したというもの。人殺しのH少年とS少年は、「障害者のくせに生意気だぞ」と叫び、ケケケケケと悪魔のような笑い声を上げながら、悠君をバックドロップでコンクリートに叩きつけ、虫けらのように殺した、という。
事件は今年、3月31日におき、悠君は6日後に死亡。H少年とS少年から遺族に謝罪はなく、友人に「ひまだ、ここを出たら遊ぼう」などとふざけた手紙を送っている。事件翌日の4月1日から、新少年法が施行されたが、H少年とS少年には旧少年法が適用されるため、鬼畜同然の犯罪であるにもかかわからず、わずか1年でシャバに出てくるのだという。
2001年5月9日(水) 20時47分
<滋賀>少年犯罪被害者遺族が法廷で陳述 (朝日放送)
少年による暴行事件で我が子を失った母親が大津家庭裁判所で遺族としての心情を裁判官に訴えました。少年審判を前に被害者側が意見を述べることは少年法の改正で初めて実現しました。
意見陳述をしたのは少年らによる集団暴行で16歳の我が子を失った青木和代さんです。青木悠君はスポーツとカラオケが大好きな男の子でした。事件は今年3月31日に起きました。悠君は友達に「カラオケに行こう」と呼び出されます。しかし出先で待っていたのは少年らによる集団暴行でした。悠君は発見された時、既に脳死状態で6日後に息絶えました。その後、傷害致死の疑いで15才と17才の少年が逮捕家庭裁判所に送られましたが、和代さんは加害者の少年の卒業文集にとんでもないものを見つけます。「あなたの10年後はどうなってるでしょうっていうところに『殺人犯で指名手配されている』って書いてある」「絶対に許せないですね!私に体力があったら同じ恐ろしさを加害者にも味わわせたい!」「息子の無念な気持ちをはらしたい」和代さんは裁判所が少年らの処分を厳しくしてくれるよう毎日、街で署名活動を行い、およそ4千人分を集めました。多くの人が自分の考えに賛同してくれたことをきょうの意見陳述で裁判官に見てもらうためです。
これまでの少年法では被害者側が少年審判に参加することは一切できませんでした。改正少年法によって、和代さんが裁判官に意見を述べたことは、被害者側にとって大きな前進です。和代さんは「悠の代わりに『重い罪にしてほしい』と涙で訴えました」と話しました。
[朝日放送 2001年5月9日]
被害者遺族の開設したHP
犯人の初田が塀の外の友人に宛てた獄中書簡
「ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマヒマ、ヒマ・・・オレも出てすぐに、教習行くわ・・・車は20トントラック免許取って、トラックヤローにでもなろうかな〜!早く○○ちゃんとあそびたいわ!只今鑑別所で反省中!」
「あんな、重大発表、少年院って2年以内に出れるらしい。ちょっとヤル気出る話やろ!・・・2年以内ってわかってバリバリさあがんばるぞ〜!オレ早く出て結婚するわ!」
犯人の父親のコメント(被害者宅から自転車で30分の所に居住)
「青木君?そのことには一切答えられません。息子がいつ帰ってくるか?何もお答えできません。公判?青木さんへの謝罪?何も申し上げるつもりはありません・・・」
親子そろって被害者に全然悪かったと思っていないようです!こんなヤツらを野放しにしておいていいのでしょうか!?
皆さんからの情報をお待ちしています。
週刊新潮に、処分を下した裁判官の異常性について報道されていましたので引用します。
犯罪者どもの個人情報
名 前 |
初田昌司ハツダマサシ |
鈴木良スズキリョウ |
生年月日 |
1985年8月26日 |
1983年11月18日 |
親 |
初田忠司、初田豊子 |
鈴木英一 |
住 所 |
大津市竜が丘11−2 |
大津市におの浜1丁目1-57-1018 |
続報
2003年7月、大津地方裁判所にて、被害者遺族と犯人どもとの間で和解が成立しました。その和解条項の一つに、犯人の一人、初田昌司とその家族は、大津市内に居住しないことが盛り込まれています。
いわば、初田一家に対し、大津市所払い(トコロバライ)の判決が下されたわけです。
しかしこういう凶悪犯罪の犯人というものはどいつもこいつも鉄面皮なやつらばかりです。忠実に和解条項を守るとは限りません。江戸時代の本物の所払いの刑ほど、強制力は強くないのです。
その後の犯人の状況について何かご存じの方がいらっしゃいましたら、メールをお寄せください。