心ある大人は少年心理を正しく理解しよう!
仕事の関係でメールを確認したところ、ブログに対するコメントが数多く寄せられているのに気づき、ついでにアクセスランキングを調べたら第11位となっていることに更に驚愕している。
いじめ問題についての日記が大きな反響を与えているようであるが、これは、あくまで私見を綴っただけの事で、今、話題となっている大津市の中学校、その保護者、学生、また教職員とは全くの無関係の立場であることを申し添えておこう。
昨日、期せずして、東京地方裁判所で、いじめに関する公判が開かれ、埼玉県の中学生であった少年の自殺に関して、両親の訴えが認められず敗訴となったようである。
この件に関しても、全く何の関わりもない立場であるが、マスコミ報道によると、裁判官は少年の自殺といじめの因果関係を認めず、かつ学校関係者の責任も否定し、両親の敗訴となったようである。
このように言うのは、自身が法廷で審理や判決を傍聴していないから、マスコミ報道を信じたうえでのことである。
自身が、マスコミ嫌いであることは、このブログを始めた時から、再三明らかにしている。
マスコミの体質をよく知っているからで、虚偽の内容を報道することはないと信じたいが、特ダネ争いなどマスコミ体質をつぶさにみてきた立場から、よほどのことがない限り、報道のすべては信用しないのである。
しかし、優秀な記者は数多くいることは事実である。(余談)
ところで、寄せられたコメントで、感心しない内容のものが散見される。
前回にもブログに綴ったが、侮辱、脅迫、名誉棄損の内容は、犯罪行為になるという忠告をしたが、列記すると次のような断片的なコメントがある。
「ばか」、「死ね」、「表を安心して歩けないぞ」、「仕事を辞めろ」、「恥や」、「殺人者を育てた糞爺」、敢えて隣国の名称は避けるが、「△◇へ還れ」などである。
誰が殺人者なのかよくわからないし、自身は純粋の日本人であるから、こうした隣国をも巻き込むような内容のコメントは、ブログの精神からして好ましくないと思うが、どうだろうか?
自身が、大津のいじめ問題に全く関係ない人間であるから、誤解も甚だしいし。
コメントの内容には、義務なきこと(謝れとか辞めろ等)を強要うるものもあるが、場合によっては強要罪にも該当するから、コメントされる方はその内容を十分吟味しないといけない。
こうした内容は、まだ許せるとしても、特定の個人の名前(おそらく中学校の生徒やその家族と思われる名前を堂々と掲載し、殺人者呼ばわりしたコメントがあるが、こうした行為は辞めるべきである。
その一方で、共感するとか、楽しく読んでいるとか言った励ましのコメントも頂戴している。
ブログには、それなりの常識的なルールがあってしかるべきで、個人の私見に反対なら、また立腹するなら、それなりの理路整然とした反論を文章でコメントするのが常識でなかろうか。
文章でないコメントと言えない稚拙で下品なコメントは辞めてほしい。
ところで、今回のタイトルは、少年心理についてである。
子供は、基本的には単純である。未熟であるがゆえに簡単に落ち込み、ちょっとしたことに「切れる」ことがある。
法律上も、14歳未満の少年が犯罪行為をした場合、犯罪行為と位置付ないで触法行為として、こうした少年を触法少年と呼んでいる。
何故かというと、今記載したように、未熟であり、大人と比較して善悪の分別能力に劣るとともに、将来の我が国を背負う青少年を健全に育成しようとする目的で制定された少年法等で、刑罰を課さないようになっている。
さて、去る8日の日曜日、仕事の関係でJRのローカル線の列車に乗車した。
梅雨の合間をぬって久しぶりの好天で、多くの中学性がスポーツ大会か練習試合かに参加するため列車に乗り合わせた。
始発駅を出たころは、乗客も多く少年たちはおとなしくしていたが、次第に目的地に近づくと、乗客も少なくなり、少年たちは乗車していることに飽きてきた。
乗客が減ったことを幸いに、10名程度の中学生が、自由気ままな行動にでた。
列車のつり革を体操の器具のようにしてぶら下がり遊ぶ者、座席が空いているのに床に伏し、寝転ぶ者、ボクシングを真似て1名の少年に集中的に暴力をふるう者、大声で奇声を発する者等、列車内が彼らの世界である。
これを注意する大人は一人として居ない状況(自身も注意することを躊躇)で、しばらく少年らの動向を観察した。
ここで注目したことは、特定の1人の少年が、他の多くの少年から乱暴(ボクシングを真似た拳骨を用いて顔面こそ殴らないが腕や背中に暴力を加える。)するものの、その被害を受けている少年は、さほど苦痛な表情をするでなく、むしろ、自身の主観かもしれないが、ライオンの子供がじゃれあって、他のライオンを噛むような光景であって、仲間意識を満たしたような喜びにも似た表情であった。
しかし、これを外形的に見ると、集団暴行(いじめ)そのものである。
少年らは、列車の乗車マナーを知らないし、長い乗車時間をじゃれあって遊んですごしているのである。
ただし、この内容は、大津市の中学校の問題とは、全く関係ないことで、少年の特性の一環を観たまま掲載したにすぎない。
こうした中学生に接する機会はほとんどないが、少年は、単純であり、善悪を教えるだけでなく、何故してはいけないかの理由を理解させて、初めて教育、指導をしたといえるのではないだろうか。
マスコミの報道を鵜呑みにすることなく、いじめの本質を考え、そして事実を正確に把握してからでないと、かえって問題を歪曲してしまう結果になるのでは・・・・・・・
大津絵に再挑戦
多くの人々との巡り合いの機会をいただき、どの人とも”一期一会”の気持ちで接しているが、その中に名前の語尾に翁の称号が最適なご老人がおられる。
過日、お目にかかって実年齢をお聞きしたら、米寿(88歳)と応えられたが、いまだに車を運転され精力的に動いておられるから素晴らしい。
長年、地域において奉仕活動にあたられ、特に、交通安全について大変な功績を残され、また、地元の伝統ある瓢箪生産組合の役員等もされていた。
こうしたことから、瓢箪が縁で知り合い早10余年になるが、最近は疎遠がちで、恐縮している。
自宅を訪れたところ、かの有名は”さかなくん”が、翁宅を訪れたときのお話や写真を拝見した。
”さかなくん”は、瓢箪の取材でスタッフ多数を伴って訪れてきたようであるが、私の要件は瓢箪に大津絵を描いてほしいとの依頼であった。
大きな瓢箪が5個ほど準備されていて、その中で最も形が綺麗で大きい瓢箪を預かることになった。
翁が、平素、通院しているお医者さんにプレゼントする瓢箪に大津絵を描いてほしいとのこと。
長年、絵筆を持っていないし、在職中とはことなり、いつでも大津絵を描くことができるといった甘えから、要望に応え得る絵が描けるかどうか躊躇したが、翁からの依頼であり、断ることもできないから了承して瓢箪を預かることにした。
瓢箪は、高さが50センチくらい、胴回りも50センチくらいの、形のきれいな大瓢箪である。
その後、久しぶりに絵筆をもって、この瓢箪に大津絵を描いているところである。
しかしながら、なかなか筆が進まないのが実態である。
昭和という時代を代表する陽明学者、思想家であられた安岡正篤先生の著書に「一日一言」がある。
安岡先生は、昭和最大の黒幕とも評され、政界、財界、皇室までから頼りにされた学者で、終戦時の「玉音放送」、つまり昭和天皇の終戦とする旨の詔書の原稿に加筆して完成させ、平成の元号発案者と言われている。
帝王学を説き、時の政権に就く政治家や、三菱、住友、近鉄、東京電力などの財界の幹部を指南し、権力を持たない反面、権力者に対して絶大なる発言力を持っていた人物である。
今、政権の座にある大臣の皆さんは、直接、安岡先生の指南を受けていないのなら、少しは、先生の著書を勉強されては如何かと推奨したい。
この先生の著書の中に、「一日一言」があり、その中に、「某中閑あり、苦中楽あり」という言葉があり、自らの人生の座右の銘としてきた。
在職中は、仕事にあけくれ、団塊の時代の申し子のように「暇」なんて体験していないように思う。
しかし、そうした忙しい中にあって、勉強したり、絵を描いたりすると、何故か充実した内容の良い結果が得られたように思う。
つまり、忙中につかんだものこそ本物の閑であり、苦しい中で掴んだ楽こそ本当の楽であるということであって安岡イズムは後世にまで生き続けてほしいと願う。
さて、瓢箪であるが、完成時にカメラで撮影して映像を披露しようかどうか迷っている。
絵が完成すると、翁の手元で、美しいふさがかけられ、座布団を敷いて全てが完成し、そしてお医者さんのもとに届けられるのである。
多くの人々との巡り合いの機会をいただき、どの人とも”一期一会”の気持ちで接しているが、その中に名前の語尾に翁の称号が最適なご老人がおられる。
過日、お目にかかって実年齢をお聞きしたら、米寿(88歳)と応えられたが、いまだに車を運転され精力的に動いておられるから素晴らしい。
長年、地域において奉仕活動にあたられ、特に、交通安全について大変な功績を残され、また、地元の伝統ある瓢箪生産組合の役員等もされていた。
こうしたことから、瓢箪が縁で知り合い早10余年になるが、最近は疎遠がちで、恐縮している。
自宅を訪れたところ、かの有名は”さかなくん”が、翁宅を訪れたときのお話や写真を拝見した。
”さかなくん”は、瓢箪の取材でスタッフ多数を伴って訪れてきたようであるが、私の要件は瓢箪に大津絵を描いてほしいとの依頼であった。
大きな瓢箪が5個ほど準備されていて、その中で最も形が綺麗で大きい瓢箪を預かることになった。
翁が、平素、通院しているお医者さんにプレゼントする瓢箪に大津絵を描いてほしいとのこと。
長年、絵筆を持っていないし、在職中とはことなり、いつでも大津絵を描くことができるといった甘えから、要望に応え得る絵が描けるかどうか躊躇したが、翁からの依頼であり、断ることもできないから了承して瓢箪を預かることにした。
瓢箪は、高さが50センチくらい、胴回りも50センチくらいの、形のきれいな大瓢箪である。
その後、久しぶりに絵筆をもって、この瓢箪に大津絵を描いているところである。
しかしながら、なかなか筆が進まないのが実態である。
昭和という時代を代表する陽明学者、思想家であられた安岡正篤先生の著書に「一日一言」がある。
安岡先生は、昭和最大の黒幕とも評され、政界、財界、皇室までから頼りにされた学者で、終戦時の「玉音放送」、つまり昭和天皇の終戦とする旨の詔書の原稿に加筆して完成させ、平成の元号発案者と言われている。
帝王学を説き、時の政権に就く政治家や、三菱、住友、近鉄、東京電力などの財界の幹部を指南し、権力を持たない反面、権力者に対して絶大なる発言力を持っていた人物である。
今、政権の座にある大臣の皆さんは、直接、安岡先生の指南を受けていないのなら、少しは、先生の著書を勉強されては如何かと推奨したい。
この先生の著書の中に、「一日一言」があり、その中に、「某中閑あり、苦中楽あり」という言葉があり、自らの人生の座右の銘としてきた。
在職中は、仕事にあけくれ、団塊の時代の申し子のように「暇」なんて体験していないように思う。
しかし、そうした忙しい中にあって、勉強したり、絵を描いたりすると、何故か充実した内容の良い結果が得られたように思う。
つまり、忙中につかんだものこそ本物の閑であり、苦しい中で掴んだ楽こそ本当の楽であるということであって安岡イズムは後世にまで生き続けてほしいと願う。
さて、瓢箪であるが、完成時にカメラで撮影して映像を披露しようかどうか迷っている。
絵が完成すると、翁の手元で、美しいふさがかけられ、座布団を敷いて全てが完成し、そしてお医者さんのもとに届けられるのである。