2012年07月13日

日本人の戦争責任について

「心の旅」2010 8月号「敵を赦す」とは 日本聖書協会理事 大宮 溥

<引用開始>
日曜日、私は市内のある教会の礼拝で説教を担当しました。その中で私は、かつてシンガポールに滞在したときに中国人教会で経験したことを話しました。

それは戦後10年あまりたったときのことでした。その中国人教会での礼拝が終わった後で昼食会に招かれ、牧師から一人の女性を紹介されました。彼女の夫は戦争中に教会の役員でした。ある時教会に日本人がやって来たので応対したところ、突然ピストルで撃たれて死んでしまったのだそうです。それ以来彼女は日本人に対する激しい怒りを抱き続けました。

しかし、クリスチャンであった彼女は心を鎮めるために聖書をむさぼるように読みました。そして、あらためて深く、イエス・キリストが十字架で死んだのは、神が人間の罪を赦すためであったこと、すなわち和解のための犠牲であることを学んだのです。自分もまた神から赦された存在であることを知った彼女は、今度は日本人を赦すことができるようになったのです。

その後彼女は夫の代わりに教会の役員を引き受け、また神から与えられた和解の恵みに応えるために、シンガポールにやってくる日本人の世話を始めたということです。この話を聞いたとき、私は日本人としての戦争責任を強く感じるとともに、人間はまず自分が赦されて、初めて他を赦すことができるのだと強く感じました。以上が私がクアラルンプールの教会で話したことですが、戦後60年たってもアジアの人々の日本人に対する視線が厳しいことを思うと、今も和解の務めが必要であることをあらためて強く感じるのです。
<引用終了>

私の父は第二次世界大戦を戦いました。出兵先は中国満州でした。父の長兄は近衛兵として「外地」で戦いました。父の次兄は日中戦争を戦い、弱冠20歳で戦死しました。
私は、誰からも「殺した」とは聞いていません。「殺さなかった」とも聞いていません。「殺し合い」が戦争ですから、軍人同士が殺し合うのは仕方ないことです。父は満州の人々(特に女性)はやさしかったことと、戦車を埋めた場所に行ってみたいと私に話しました。

私は、大学を休学してアメリカに「遊学」していたとき(終戦30年ころ)、一軒の町中の小さな食堂に入りました。そのとき店主はすごい剣幕でどなりました。

「ジャプ ゲッタウェイ!」(私にはそう聞こえたと記憶しています)

私は逃げ出しました。家族や友人を戦争で亡くした方だったのかもしれません。私はその時、「これが現実だ」と認識しました。ショックでした。

昨年の8月13日の朝日新聞に「真珠湾攻撃70年を和解の契機に」という元ハワイ州知事夫人ジーン・アリヨシ氏の投稿記事が掲載されています。内容はタイトルの通りです。つまり、日米は深部においては和解できていないといいたいのです。

8月18日の毎日新聞はジャーナリストの松尾文夫氏の「菅首相は真珠湾弔問を」というタイトルの記事を掲載しています。

<引用開始>
オバマ政権支持のアジア系市民の間には、オバマ大統領の広島訪問に「アジア各国に対するあの戦争で日本の加害者としての立場を被害者のそれに変えてしまう」との反対の声が上がっている。
<中略>
65年間、あの真珠湾のアリゾナ記念館を日本の首相が誰一人訪れていない事実を思い起こす人物は、政権内にはいないのだろうか。忘れてはならない。菅首相にとって今必要なのは、ルース大使参列を受けて速やかに真珠湾弔問の意思を明らかにすることだと思われる。
<引用終了>

冒頭の悲しいストーリーの通り、「赦されてから、赦す」のです。私は、アメリカの原爆投下を強く非難する論者です。しかしながら、同時に私たち日本人も赦してもらわなければならないと考えます。

私は現在57歳ですが、私の世代や団塊の世代の人々、この世代は戦争を戦った日本人の子どもたちです。この世代が死に絶えるころの「完全に赦し合えている社会」づくりこそドリーム党のポリシーそのものです。

3年後の都知事選ではこのポリシーを明確にし、公人として真珠湾のアリゾナ記念館を弔問できたらと考えます。
posted by M.NAKAMURA at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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