WEB特集
小沢氏新党結成 その狙いは
7月12日 22時45分
民主党の代表を務めた小沢一郎氏は、民主党を離れ、新党「国民の生活が第一」を結成しました。
新党の代表に就任した小沢氏は、消費税率引き上げ法案の成立阻止を掲げて、民主党の鳩山元総理大臣ら、消費増税に反対する勢力の結集を目指す方針です。
さらに小沢氏は、次の衆議院選挙で一定の勢力を確保することを目指し、大阪維新の会など、地域政党との連携も模索する考えですが、地域政党の側からは連携に否定的な声があがっており、今のところ展望は開けていません。
小沢氏は、なぜ新党立ち上げに踏み切ったのか、小沢氏の狙いは。
小沢氏を2年近くにわたって取材している、政治部・与党クラブの小口佳伸記者が解説します。
消費税の火種は菅政権
小沢氏が離党に至るきっかけは、菅政権の誕生でした。
菅総理大臣は、鳩山総理大臣のもとで幹事長を務めていた小沢氏について、「しばらくは静かにしてもらった方が、日本の政治にとっていいのではないか」と述べ、小沢氏と距離を置く「脱小沢路線」を推進します。
しかし、おととしの参議員選挙の直前に、消費税率の引き上げに前向きな発言をし、民主党は、参議院選挙で惨敗。
参議院で野党が多数を握る、「ねじれ国会」になりました。
小沢氏は、消費税率の引き上げを打ち出し、国政選挙で大敗しながら責任をとらないとして、菅総理大臣を厳しく批判し、復権を懸けて、直後に行われた代表選挙にみずから立候補。
党内の「親小沢」対「反小沢」の戦いが、やがて消費増税の賛否を巡る対立に結びついていくことになります。
小沢氏ら胎動
菅総理大臣に代表選挙で敗れた小沢氏は、しばらく表だった政権批判を控えます。
しかし菅総理大臣が退陣し、野田総理大臣が消費税率の引き上げを目指す姿勢を鮮明にすると、再び党内対立が再燃し始めます。
去年の年末に行われた、社会保障と税の一体改革を巡る党の素案の決定の際、対立は1回目のピークを迎えます。
連日、深夜に及ぶ会議で、党内最大の小沢氏の議員グループは数の力を背景に、マニフェストに掲げていない消費税率の引き上げを進めるべきではないと、素案の決定阻止に動きましたが、野田総理大臣は、年末ぎりぎりの段階で、みずから会議に出席し、素案を決定。
これに反発して、小沢氏に近い議員9人が離党。
「新党きづな」を立ち上げます。
小沢氏は、この時点では、次の代表選挙で主導権を奪還することを目指し、離党を思いとどまるよう説得しましたが、小沢氏に近い議員は、消費税の増税を目指す野田総理大臣に反発を強め説得は功を奏しませんでした。
対立激化
小沢氏は、党内対立が激化し始めた去年12月、みずからが会長を務める新たな勉強会「新しい政策研究会」を発足させました。
勉強会への入会を働きかけ、参会者は100人を超える規模となり、週に1回、勉強会を開いて、その力を誇示しました。
しかし、野田総理大臣は、こうした小沢氏の行動を意に介すことなく、消費税率の引き上げ法案の提出に向けた動きを加速させ、ことし3月、法案を閣議決定し、国会に提出しました。
これに対して、小沢氏に近い議員は、2回目の実力行使に出ます。
牧厚生労働副大臣など小沢元代表に近い政務三役4人と、鈴木幹事長代理ら党の役職に就いていた29人の議員が、一斉に辞表を提出したのです。
党内対立は、抜き差しならない状況に陥っていきます。
閣議決定後
消費税率引き上げ法案が閣議決定された後、野田総理大臣は、自民・公明両党の協力を得るため、両党に接近していきました。
そして野田総理大臣は、法案の成立に政治生命を懸けると明言。
一方、小沢氏も法案に反対する姿勢を一層強めることになります。
小沢氏にとって、法案の成立阻止に向けた頼みの綱は、輿石幹事長の存在でした。
小沢氏に近い輿石幹事長も、党内融和を最優先に考えました。
野田総理大臣と小沢氏が会談する機会を設け、輿石幹事長も加わった3者会談が2回にわたって開かれましたが、議論は平行線をたどりました。
離党届
輿石幹事長が事態打開を探る一方で、小沢氏は、法案の採決を見据えた備えも着々と進めていました。
民主・自民・公明の3党の協議が大詰めを迎えると小沢氏や小沢氏に近い議員は、連日、都内のホテルに集まり、結束固めを図りました。
このなかで小沢氏は、法案の採決に至った場合について、「次善の策も考えないといけない」と述べるなど、離党に踏み切る考えを示し始めました。
さらに、法案に反対すれば、党を除名に当たる除籍になる可能性が高いとして、離党の腹を固めようと小沢氏も含めた会合の出席者で離党届に署名をする、いわば「覚悟を示す儀式」も行いました。
そして、最終的に野田総理大臣も小沢氏も考えを変えることはないまま、法案を採決する衆議院本会議を迎え、小沢氏らは集団で反対票を投じることになりました。
最終局面
小沢氏らが法案に反対票を投じてからも、輿石幹事長は「けんか別れはよくない」と述べ、最後まで事態打開の道を模索しましたが、野田総理大臣が譲歩する姿勢を見せないなかで、小沢氏の離党の考えは揺るぎないものになっていました。
離党に慎重な議員は、衆議院の選挙制度改革が進んでいないことから、衆議院の早期の解散・総選挙はないという見通しを示し、離党を思いとどまるよう訴えました。
しかし、小沢氏の考えは変わりませんでした。
小沢氏は、人数は少なくても結束できるメンバーで離党し、その後、徐々に勢力を拡大していけばいいという考えもあったようです。
そして今月2日、小沢氏は、預かっていた52人分の離党届を提出しました。
離党に慎重な議員が、勝手に提出されたとして、離党届けを取り戻しに行くなど、グループ内の亀裂も決定的なものとなり、民主党の分裂とあわせて、党内の最大勢力を誇った小沢グループも分裂する結果となりました。
小沢氏の戦略
こうした紆余曲折を経た小沢氏の新党「国民の生活が第一」ですが、新党を取り巻く現状は厳しいものがあります。
小沢氏は、次の衆議院選挙での政権奪還を目指し、消費税増税への反対に加え、「脱原発」、それに「地域主権」などを掲げて、民主・自民・公明の3党の対立軸として支持拡大を目指していく方針です。
さらに、大阪市の橋下市長が率いる「大阪維新の会」など、地域政党との連携も模索していく考えです。
ただ、地域政党の側には連携に否定的な態度や、慎重な態度がみられ、小沢氏の狙いが実現するかどうかは不透明です。
また、政権を奪還するためには、反増税や脱原発といったスローガンだけでなく、どうやって、増税をせずに社会保障制度を安定させるのか、国民が納得できる具体的な政策を示すことが求められます。
小沢氏にとって4回目となる新党結成。
その先行きは、これまでのなかで、最も厳しいものとなりそうです。