時論公論 「"いじめ自殺"の真相解明は」2012年07月10日 (火)

早川 信夫  解説委員

 大津で起きた男子中学生の自殺の背景に注目が集まっていますが、7年前にマンションから飛び降り自殺した埼玉県北本市の女子中学生の両親が、自殺はいじめが原因だったとして北本市と国を訴えた裁判の判決がきのうありました。裁判所は「いじめとは認められない」として訴えを退けました。この裁判を手がかりにこどもの自殺の背景にある真相解明の課題について考えます。

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 大津の場合も、その後の真相の解明が問われています。飛び降り自殺をした中学校2年生の男子生徒に関して学校が行ったアンケート調査に複数の生徒が「男子生徒は自殺の練習をさせられていた」と答えていました。しかし、市の教育委員会は「確証が得られなかった」として、十分な調査をせず、その内容を公表していませんでした。こうしたケースのたびに、こどもの自殺の背景に何があったのか、真実が知りたいと願う遺族の心情とあくまでも過失の有無にこだわる学校や教育委員会の姿勢とがぶつかりあい、対立する構図が繰り返されてきました。大津の越(こし)市長は外部の有識者による調査委員会を設けて、改めて調査する意向です。将来ある若者の命が絶たれた結果の重大性を踏まえ、徹底した究明を求めたいと思います。
 
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 北本の裁判も真相の解明が争われました。2005年の10月、中学校1年生だった中井祐美(なかい・ゆみ)さんは、朝学校に行かず、通学路から離れたマンションから飛び降りて自殺しました。その後見つかった遺書には「死んだのは…クラスの一部に勉強にテストのせいかも」と書かれていて、直接いじめがあったとは書かれていませんでしたが、クラスの一部に問題があったことをほのめかせる内容でした。佑美さんは小学校時代から同級生にいじめを受けていて、中学校でも続いていた、それが自殺の引き金になったとして、両親が北本市と国を相手取って損害賠償を求めたのです。
判決は「クラスで悪口を言われたり、上履きが靴箱から落とされたりしたことはあったが、それが『いじめ』と認めることができない。今回のケースでは多感な中学校1年生が自殺した原因を具体的に特定するのは極めて困難だ」と判断し、両親の訴えを退けました。
 
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 文部科学省の調査では、毎年、小学生から高校生まで100人以上が自殺しています。教育委員会からは、原因として、一部、進路や異性の問題が上がっていますが、多くが「その他」として扱われています。2005年までの7年間はいじめがゼロと報告されていました。当時、文部科学省が再調査したところその間に14件あったことがわかりました。あいまいさが残るために、残された家族は真相が知りたいと、裁判に訴えるのです。
 
 争点は2つです。

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一つは、学校の先生がいじめに気づき、学校がきちんとした対応をしていればいじめをやめさせられたのではないか。もう一つは、学校や教育委員会は、先生や生徒たちから聞き取り調査を行うなどして自殺の原因をすみやかに究明すべきではなかったか。

 両親は「小学校時代からいじめが続いていて、担任との交換日記でいじめを受けていることを訴えたのに対策がとられず、中学校に引き継がれなかった。中学校では、引き続き同級生から「きもい」とか悪口を言われ、上履きを靴箱から落とされるなどのいじめにあったのに学校は必要な手立てをしなかった」と主張しました。これに対し、北本市は、小学校時代は先生に相談しながら自力で問題を解決したし、中学校でもいじめと言える内容のものではなかった。いじめが原因で自殺したとは言えないと主張しました。

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 原因の調査について、両親は「いじめがあったかもしれないと学校に調査を求めたが、こどもたちが何を書いてよいかわからないような形式的なアンケートをしただけで、原因究明がなされなかった」と主張したのに対し、北本市は「遺書を読んでもいじめはうかがえず、こどもたちの動揺を考慮しながらやるべき調査はやった」と対立しました。

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 判決は、北本市の言い分を認め、両親の訴えはことごとく退けました。北本市の小尾教育長は「主張は認められたが、生徒が自ら命を絶ったという悲しい出来事は変わらない」というコメントを出しました。両親は「いじめはコップに一滴一滴水がたまっていって最後にあふれ出すようなものなのに判決は一滴をみていじめがなかったとした。これではいじめに苦しんでいる全国のこどもたちが救えない」として控訴する意向です。判決でいじめと言えるほどではなかったと否定された悪口や靴隠しは、当時の文部科学省の定義でもいじめにあたるもので、それを覆す判断を示したことは今後の教育現場への波及が心配です。
 
 今回のケースは、北海道の滝川や福岡県筑前町でこどもたちがいじめを苦に自殺し、社会問題になった時期におきました。当時、文部科学省は対応の方針を変更しました。

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いじめの定義を「一定の関係にあるこどもから攻撃されて精神的な苦痛を感じればいじめととらえる」とそれまでの「弱い立場にあるこどもが受けるもの」という前提を見直しました。また、自殺については、背景を知る手がかりを得るために、できるだけ早く先生とこどもたちから聞き取り調査を行うよう全国の教育委員会に指示しました。情報のすり合わせをする暇を与えないためです。北本の場合、生徒たちへのアンケート調査が行われたのは2週間後でしたから、決してすばやい対応とは言えません。反省すべき点は反省して今後に生かすことが必要です。
 
 学校や教育委員会には、不都合なことは隠したいという心理があるようです。こちらは、文部科学省が行っているいじめの統計です。

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東京・中野区の男子中学生が「このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」と遺書を残して自殺したのをきっかけに始まりました。見てわかるように波線のあとに増え、再び減る傾向があります。波線の一つは94年に愛知県の男子中学生がお金を脅し取られるなどのいじめを苦に自殺した事件、二つめは滝川や筑前町の事件のあと。いずれも、文部科学省がいじめの定義を見直し全国的に総点検を求めたことを示しています。直後には高い件数になるものの、ほとぼりが冷めると減る。問題にさえならなければ、黙っているという学校や教育委員会の体質がうかがえます。

 では、どうすればよいのでしょうか?
 これだと決め手になる方法を示すことはできません。しかし、命をかけて訴えたこどもたちの心の叫びを汲みとる努力はできるはずです。今回のように裁判で教訓が導き出されることは多くありません。また、学校や教育委員会、文部科学省にその役割を期待することもできそうにありません。そうなると、航空機事故などと同じように「学校事故調査委員会」のような公的な第三者機関を設けることを検討することが必要です。当事者の責任追及を目的とするのではなく、先生の指導がどう及ばなかったのかなど今後への教訓を引き出す。学校の事情に詳しい弁護士や医師、臨床心理士などがチームを組み、調査する権限を与える。大津で問われていることを考えますと、もうそこまで現実は差し迫っています。そうすることがこどもたちの命を救うことになるからです。
 
(早川 信夫 解説委員)