ブログへの反応に驚愕
滋賀県大津市の中学生が、昨年10月、自殺した件で警察の被害届出不受理という批判記事として大きく取り上げられて話題となっていることに関してブログしたところ、読者?から多くのコメントやトラックバッグによる批判を頂戴した。
ブログを初めてまだ間がないが、これだけの反応があることに驚いている。
あくまで、日記コミュニティーとして心に思うことを素直に、自然のまま文章にしたが、多くの読者から批判が寄せられたのである。
この話題となっている中学生の自殺問題で、滋賀県知事が、「知事は説明すべき」との批判のメール100通以上があったこと等を踏まえて、滋賀県会内に緊急対策チームを設置すると発表したが、ブログに寄せられた批判数はこれを凌ぐ。
ただ、残念なのは、あくまで個人の考え方を日記として綴り、これをインタネット上に公開したものであるのに、その批判の内容(すべては読んでいないし読む価値もない。)は、関係のない個人名を掲載し、侮辱、名誉棄損、脅迫まがいの内容が多いことである。
ブログを始める段階から、批判を受けることは覚悟していたが、その内容があまりにも犯罪まがいであることを残念におもうのである。
インターネットの普及により、インターネット犯罪と呼ぶ犯罪領域が生まれ、多くの被害者がうまれているが、ブログやフェイスブック、ツイッターが、犯罪行為とならないように願っている。
最近、不正アクセス禁止法の改正等、取り締まりが厳しくなってきたが、捜査する側が、これまでは不慣れ、知識不足であったところ、捜査技術や有能な捜査員の育成により、次第に機能してきたことは喜ばしい。
多くのブログファンはご承知だろうが、インターネットはアクセスすることにより、相手方に情報を提供することになり、偽名を使ってもすぐに判ること、そしてメールやブログへのコメントは記録として残るから、犯罪行為とみなされたときは、証拠となることを自覚する必要がある。
さて、あくまで「自殺問題」としてとらえ、「いじめによる・・」と形容詞をつけないのは、いじめが原因なのかどうか不明であるから、このように頑固に筋を通している。
いじめが原因と断定できる者はだれ一人いないのであって、マスコミ記事がそうしているだけのこと。
自殺した両親は、いじめが原因として訴訟を起こし裁判所の判断がくだされていない段階でのマスコミフィーバーである。
何故、昨年10月発生した自殺事故が10ケ月も経過した今の時期に、マスコミが取り上げ、関係者が慌てふためくのかという素直な疑問を持ち続けている。
「大阪の橋下市長が涙を流したのに、頑固親爺でなく”糞親爺はアホか」といった内容のコメントまで寄せられたし、「加害少年の祖父だろう」と決めつけられたりしているが、芸人でないし、自殺した少年のとのかかわりは一切ない、ごく平凡な老人である。
よくあるケースとして、民事裁判を有利にするために敢えて警察等に被害届出をすることがある。
民事裁判は、訴訟を提起した原告側に証明責任があるが、刑事事件の場合は警察や検察が事実を解明してくれるのである。
また、学校のいじめ問題は、今に始まったことではない。程度の差こそあれ、自身が若かりし頃にもいじめは行われていた。
いじめの加害者にも被害者にもなった経験はないが、昔と今との違いは判らない。
そして、最近では、こうしたマスコミ扇動により社会問題化すると、対策の必要性が叫ばれ、教育関係者、機関は、対策を講じるが、この対策が功を奏していじめがなくなったことはない。
対策が功を奏さないから、時代が変わろうといじめ問題が続くのである。
パフォーマンスのすきな知事やそれを真似た大津市長が、全国に先駆けた、これまで誰もが成し遂げなかったいじめ撲滅対策をとってくれることに大いに期待したい。
批判する人は、対策に関して有為な提言をしてほしい。
そして、そてが実現したときに、批判を素直に受け入れることにしたい。