目立たない報道ですが、朝日新聞に「原発事故文化のせいにするな」という記事が掲載されています。国会の事故調査報告書を欧米メディアが批判したものです。
<引用開始>
「本質見誤らせる」
米ブルームバーグ通信は8日、「不満が残る報告書」という社説を配信。内容の詳細さや「人災」と断定したこと評価しつつも、「誰がミスを犯したのかを特定していない」と指摘。「集団主義が原因」「(責任のある立場に)ほかの日本人がついていたとしても、同じ結果だった可能性は十分ある」といった記載については「責任逃れで陳腐な言い訳」と手厳しかった。
<引用終了>
以前にも書きましたが「和をもって尊しとなす」(「波風を立てずに妥協し調和すること」ではなく、「異見を尊重し調和すること」)を理解できないアメリカ人は、日本の組織運営「システム」が理解できないのです。
アメリカの組織の「システム」は、同じピラミッド型でも三角形を直線で区切るのです。ですから、個人の責任領域がはっきりしているのです。だれがミスしたのかもすぐに分かります。反対に欠点は、他人の領域に決して入ってはいかないことです。
翻って日本の運営組織は三角形の中を大小の丸で埋めていく体系です。直線で仕切るのではないのですから、当然丸と丸の間に隙間が生じます。この隙間を社員(以前は課長職中心でした)が協力して埋めていくというのが、日本式の「和をもって尊しとなす」なのです。
この方式で日本は高度成長を成し遂げたし、基本的には現在も変わっていませんが、リストラという名のもとに課長職が減らされ「社内教育」「人材管理」「組織管理」に企業は金を使わなくなり、隙間が埋められなくなり、まるで油が切れた機械のように組織内部は「うねり音」が響いているのが現状です。
原発事故に関して、無責任ですべてアメリカ型が正しいと強要するアメリカ人が物を申すべきではありません。
現在菅直人前首相がブログで事故当時を振り返った記事を連載しています。
菅直人公式ホームページ
http://n-kan.jp/
その内容と合わせ、筆者の事故報告書を外国人記者クラブを通じて全世界に発信していきたいと思います。
私は、東京ディズニーランドでアメリカ人に対して「通用する」報告書を相当数書いてきました。全世界の人々が納得する報告書に必ずなると確信しています。
2012年06月18日
原発事故の真相を教えます。
真因は、1985年の日航123便墜落事故から類推できます。あの事故の調査結果によると、墜落原因は、伊丹空港で尻もち事故を起こし、羽田空港でボーイング社の専門修理チームが、圧力隔壁付近の部品交換を行った際、ビス止めが甘く、数年後にその部分が破壊され墜落に至ったというものです。
したがって、製造責任、メンテナンス責任のあるアメリカ側に決定的な瑕疵があったのですが、アメリカ側は「寝てしまい」「逃げ切り」に成功しました。
翻って、福島第一原子力発電所の事故を「相対」してとらえた場合、はっきりと同様な原因が浮かび上がってきます。
1971年に稼働した福島第一原子力発電所の原子炉は、GEのマーク1型です。1984年に完成したフィリピンのバターン原発は、メルトダウンによる水素爆発を想定し、原子炉格納庫内の水素を化学処理して水にしてしまい、水素爆発を防ぐというアメリカ製の「安全装置」が設置されていますが、福島第一原子力発電所には、そのような安全装置が「バックフィット」されていませんでした。
バックフィットの大切さは、1981年の5月の第094回国会 エネルギー対策特別委員会で専門家から指摘されていますが、細川護煕元総理や共産党の山中郁子元議員などが、「何もしてこなかった」、つまり怠慢政治をしてきた結果が今回の事故につながったのです。共産党は「わが党は危険性を指摘してきた」と宣伝していますが、まったくのナンセンス、原発問題に口を出せる立場ではないことを思い知る必要があります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/094/1720/09405291720007c.html
(長いです。難解です。しかしながら専門家からの指摘は最もなものばかりであり、この議事録を頭に入れない事故調査はありえません。原発問題の入り口であり、今後への指針もこの中に詰まっています。)
アメリカは、1979年のスリーマイル島原発の事故後の「世論」に屈して、原発の新規建設を凍結してしまいました。つまり、技術革新を放棄したのです。航空機に見るように、技術革新なくしての安全管理などありえません。
日本はこの安全上の鉄則を守り、原発を当面は稼働させていかなくてはなりません。輸出もしていかなくてはなりません。日本は、身勝手で無責任なアメリカと同じ間違いを犯してはいけないのです。