さて、俺、渡辺夏海は、世田谷区立桜ヶ丘小学校に入学した紅顔の美少年のころより、試験と名のつくものに、会心の成績というものを、とったことがなかった。
中学校で毎週おこなわれていた英単語五問書き取りテストなんて、0点記録を更新しつづけた、つわものなのである。

それがさ、不思議なもんで、毎日の予習と宿題をやるってえのを習慣にしていたら、コンクールの最終選考会で弾くコンチェルトの練習を最優先にしていて、たいした試験むけの準備もしていなかったのに、なんだか問題が解けるんだよ。

世界史なんか、たまたま試験範囲が、ナポレオンの台頭から、その後のヨーロッパの動向だったもんで、ベートーヴェンとシューベルトが生きたウイーン、ショパンが活躍した19世紀のパリの事なんかを調べるために山ほど文献を読んでいたから、正確な年号がうろ覚えなだけで、人名や、事件や、政策なんかが、すらすらと出てきたんだよね。

これは、奇跡だ。

そうに ちがいいない。

おかげで、コンチェルトの練習も、気分よくできたしさ。

ベートーヴェンのコンチェルト『皇帝』については、俺には、ひとつの理想があった。

爺ちゃんのコレクションのなかに、大切にしまわれている、隆明叔父さんの若かりしころの演奏ビデオ。

これは、叔父さんが有名な国際指揮者コンクールに優勝して、すでに指揮者としてのキャリアを華麗にスタートさせていた、20歳ごろの演奏だ。

そのころの叔父さんは、天才児の名を欲しいままにしていたんだよね。

その後、紆余曲折があったのは、ごぞんじの通りなんだけれど。

たぶん、いまなら、もっとちがう演奏に なるんだろうと思う。

でも、この古い演奏ビデオには、隆明叔父さんの20歳の息吹が、脈々と感じられる。

新進気鋭の指揮者として、このコンチェルトをどうとらえているのか。

オーケストラと対等に書かれた堂々たる音楽のバランスを、ピアノで、どう表現するのか。

隆明叔父さんの回答がこもったピアノに、オーケストラが巻きこまれて、音楽は躍動して、命をえたようで。

これは、20歳の青年にしか表現しえない、生命感と喜びにあふれた音楽なんだ。

俺は、聴くたびに、感動する。

俺も、いまの自分にしか弾けない『皇帝』を、弾きたいと思う。

 

 

中間試験の最後の日、俺はコンクールの伴奏指揮をしてくださる有吉寛治先生と、M響の事務所でおめにかかった。

本当は昨日が指定された日だったんだけれど、じつは中間試験のまっさいちゅうでと申し上げたら、こころよく日にちを変更してくださったんだ。

有吉先生は、アメリカで勉強されて、有名な指揮セミナーを優秀な成績で終了し、ドイツのオーケストラで研鑽をつんできた方だ。

現在は地方オーケストラ高崎交響楽団の音楽監督で、都内の団体にも、たびたび客演する、実力派の中堅指揮者なんだ。
楽曲の読みこみの深さと、研究熱心さには、定評がある。

M響の事務所でおめにかかったのも、明日の夜にひかえた演奏会の練習のあとで会ってくださるというご好意で、俺は、おおいに恐縮していた。

有吉先生は小太りで、黒縁眼鏡がトレードマーク。
あまり溌剌とは見えない様子をしている。

しゃべり方も、どことなくおどおどしていて、あまり人付き合いは得意ではないように見えた。

でも、ベートーヴェンのことを話しはじめたら、立て板に水だった。

俺も夢中になっちゃって、すっげー楽しい打ち合わせだったよ。

だって、有吉先生は、俺が持ちこんだ疑問点を、つぎつぎに明快に解いてみせてくれたんだ。

最初、俺がスコアを広げて打ち合わせをはじめようとしたら、「それは叔父さんの楽譜ですか」ときかれた。

きっと、赤鉛筆の書き込みで、楽譜がぐちゃぐちゃだったからだろう。

「いいえ」と答えたら、先生は満足そうなお顔をされて、「勉強にスコアから入ることは、オーケストラの共演者としてのソリストに、わたしがいつも要望したいことです」と、おっしゃった。

それって、あたりまえのことじゃねえの?

俺は、ガキのころからオーケストラのなかにいるから、合奏の縦の線を確認してからじゃないと、怖くて音が出せないけどな。

先生は、楽譜を指さす。

「前奏のオーケストレーションを、調べてみましたか?」

「はい、長いですねえ」

俺が笑いながら頭をかいたら、先生も おだやかに微笑まれた。

だって、ベートーヴェンは、交響曲の大作曲家だもん。

そのせいか、五曲あるピアノコンチェルトのどれにも、オーケストラだけでたっぷりと主題を提示する部分があって、ここを細かく見ていくと、なにをいわんとしているのかが、手に取るようにわかるんだ。

先生は俺のスコアの書き込みを、ページをめくって追ってゆき、「だいたい、合奏のツボは、わかっていらっしゃるようです」と、おっしゃった。

そして、「この丸囲いはなんですか? 周囲との関連性が、わかりませんが」と。

俺は、一生懸命、答えた。

「あの、俺、じゃない、ぼくはどうしても、そこの音の運びが、納得いかないんです。
ベーレンライター版でも、誤植ってあるんでしょうか?
ぼくが、まちがっているんでしょうか?」

先生は、なんだか、うれしそうだった。

「いいえ。 すべての楽譜は、謎に満ちているものですよ。
よく気がつきましたね。

この部分はすでに、この音で演奏するように慣習化していて、直すのにはたいそう勇気がいるということで、音楽学者たちも迷っている箇所なのです。
他にもそういう箇所が、ベートーヴェンには沢山あります。

でも、今回はコンクールですから、慣習どおりに演奏しておきましょうね。

いつかまた、きみとわたしで、この曲を演奏する機会をえたら、悪戯をしかけることに いたしましょう」

そして有吉先生は、この曲を初演したのは有名な高弟のチェルニーなんだと、教えてくれた。

あの、ピアニストの卵なら だれでも弾いたことがある、練習曲を山ほど書いた人だよ。

チェルニーは、ベートーヴェン先生が気難しいことを、よく知っていた。

だから、初演のときも、すでに耳の疾患があらわれだしていた先生のミスだろうと、自分の判断で勝手に直して終わらせてしまい、まちがいがうやむやになったんだろう、なんて説があることまで話してくれた。

まちがいがそのままになってしまったのは、先生の耳のことを憂いていた弟子が、先生の気持ちをおもんぱかって、そっと、ないしょで直した結果なのか。

それとも、たんに、まちがっているなんて指摘したら、カンシャク持ちの先生に、また叱られちゃうしなー、なんて考えたチェルニーのお茶目のせいなのか。

空想は、はてしなく広がって、有吉先生とのおしゃべりは、最高に楽しかったよ。

音楽を自分のライフワークに選んだおかげで体験できる喜びを、俺は、またひとつ、発見してしまった。

先をいく先輩たちは、俺が一生懸命勉強して質問すれば、みんな喜んで答えてくれる。

先輩たちも、そうやって先をいく人たちから、教えてもらってきたからだ。

優れた先輩たちから、あらゆる知識をたくさん受け取って、自分のものにしていきたいと思う。

そのためには、先輩たちが教えたいと思う、後輩にならなくちゃな。

そしていつか、俺もあとにつづく後輩に、自分が受け継いだ財産を、渡せるようになりたいな。

いい演奏会になりそうな予感は、すでにそのときからあった。

俺は、オーケストラとは、いつだって真剣勝負でやってきたつもりだ。

コンクールだからって、特別なにをするつもりもない。

いつもどおりに、やるだけだ。

なーんて、プロのオーケストラと合奏した経験なんて片手に余るのに、俺って生意気!

でも、午後7時開演の演奏会形式のステージは、まちがいなくコンサートだ。

俺は覚悟を決めて、今度は燕尾服も作ってもらった。

東都響の豊島事務局長さんに紹介してもらった仕立て屋で、仮縫いまでした、本格的なやつだ。

その仕立て屋さんは、演奏家むけの衣装を長年手がけていて、肩の動きをさまたげない袖つけとかいったような、独特のノウハウを持っているんだってさ。

『毎コン』に入賞したら、まだ勉強中の言い訳は、通用しなくなる。

演奏を求められれば、ギャラも取れる。

プロとして扱われるようになるんだ。

 

 

そして、10月28日。

俺は、ご機嫌で『毎コン』最終選考会会場へゆき、リハーサル入りした。

たぶん夕方のニュースで全国に流れると思うけれど、野末さんがパリ・ロン・ティヴォー国際コンクールに、二位で入賞したんだ。

我が家へは、隆明叔父さんが最終選考会場から直接、真夜中に電話してくれた。

パリとは、8時間の時差があるからね。

電話に出た詩文は、家中をたたき起こしてまわり、興奮した渡辺ファミリーは、さっそくお祝いを寄せ書きして、叔父さんの家へファックスで送信した。

帰宅した野末さん、読んでくれたかな。

有吉先生はリハーサルで、俺との打ち合わせで申しあわせたことを、ひとつ残らず きっちり守って伴奏してくれただけでなく、そのうえにプラスアルファを乗せる、示唆に富んだ棒を振ってくださった。

コンクールの指揮は、きっと大変だろう。

今回は掘さんが棄権したので、本選に出場するのは三人だけれど、同じ曲を三人の解釈にあわせて、公平に、しかも音楽が生きるように、演奏しなければならないんだから。

俺は、指揮者との出会い運がいいぞ。

磯山先生、マエスロト・エルミニ、そして今度が有吉先生だもんね。

そしてなにより、俺の人生の師でもあり、叔父である大巨匠、渡辺隆明。

いつか叔父さんの指揮で、コンチェルトを弾けるようなピアニストに、なれたらいいな。

もっとも、叔父さんは、名手としかやらないからな。

はたして、その日は、くるのやら。

出番が迫ってきたとき、その大巨匠の一人息子が、俺の支度を手伝ってくれた。

だって、俺、燕尾服なんか着るの、初めてなんだもん。

演奏直前の緊張する楽屋へ、お袋を入れるのも嫌だったし、詩文は演奏家としては、くやしいけれど俺の一歩先をいく、先輩だったりするしな。

鏡の前で、詩文は俺のチョッキのしたに手をつっこんで、最後の仕上げとばかりに、シャツの皺をひっぱってのばしてくれる。

「苦しくない?」

「オッケー、オッケー。
さすがだなあ、おまえ。
サスペンダーのぐあいも、ばっちりだぜ」

「ぼくは小さいころから、フォーマルウエアを着なれているから。
ヨーロッパじゃ、お客もネクタイをしていないと肩身が狭いコンサートって、けっこうあるんだよ」

「そんなところに、ガキのころから出入りしてたのか。 いいなあ」

俺は、ぶんぶん腕をふりまわす。

肩のまわりが少し着崩れているくらいのほうが、ピアノを弾くとき、いい感じになりそうだからな。

詩文は、あきれたみたいだった。

「ぜんぜん、あがってないんだ。
予選のときは、あんなにナイーヴに なってたのに」

「気楽、気楽。
今日は悪くても三位って、決まってるんだからさ」

「馬鹿。 あんまりリラックスしすぎて大失敗したら、
三位なしに されちゃうぞ」

「やなこと いうなあ。 少しは遠慮しろ」

「じゃあ、ぼくは客席へいくから。 てきとうに緊張して、がんばれ」

「うぎゃあああああぁぁぁっ!」

おでこに、キスしていきやがった!

詩文が出ていったドアにむかって、地団駄をふむ、俺だったりして。

ちっきしょー、あいつ、また背がのびたんじゃねえのか?

荒くなった鼻息をおさめ、ふうと、ひとつ息つく。

だいじょうぶだ。

あんまり緊張してない。

お守りも、持ったし。

学問と芸事の神様だっていって、婆ちゃんが湯島天神から、もらってきてくれたんだ。

じつは、このお守り袋のなかには、吉澤の着物の切れ端も、入ってたりして。

べつにさあ、吉澤が俺のどうのこうのっていうんじゃなくて、俺がうまれて初めて、聴衆との交流を、はっきり感じ取ることができたステージの記念でさあ。

これ持ってると、いつでも、あのときと同じ境地に入れるような気がするというかさあ。

まあ、なんていうか、一種のジンクスでさあ。

ジンクスといえば、今日の演奏会が終わったら、規則正しい生活からも、足を洗えるぞ。

もう俺、限界。

やめたら すべてがダメになるって、びびっていたから、つづけられたんだよなあ、あんな生活。

明日っから 思うぞんぶん だらだらできると思うと、涙が出るくらい嬉しいや。

扉の外から、声がかかる。

「5分前です。 ステージ下手に、お願いします」

「はい!」

よし!

気合じゅうぶんだ!

元気いっぱい、いまの俺にしか弾けない、ピアノを弾こう。

そして音楽を聴いた人が、少しだけでも この会場で癒されて、心の重荷を軽くして、帰ってくれますように。

楽屋から出て、俺は、ステージにむかって歩きだす。

目指すステージは、まばゆい光の中で輝いて、俺を待っていた。

 

―End―