翌日、学校へ行ったら、吉澤が吹っ飛んできて、堀先輩が学校を休むようだと報告してくれた。
女上位のこの学校で、吉澤はクラスの女王様みたいな存在だから、情報がやたらと早いんだ。
小泉教授のところから喧嘩して飛び出したっていう一連のできごとも、吉澤のことを『お姉さま』とか呼んで慕っている下級生たちを、大喜びさせるネタになったしな。
小雀たちによると、「お姉さまは、教師にだって負けない! 尊敬しちゃう!」ということらしい。
俺たちの年頃って、教師という存在に対して、懐疑的になるもんだもんな。
手抜きサラリーマン教師なんかがいたりしたら、そいつの本音をすぐに見ぬいて、精神的ボイコットを食らわせちゃったりしてさ。
そうやって、俺たちって、大人になっていくんだよなあ。
そんなことを考えながら、ぼーっと俺は、吉澤の報告を聞いていた。
報告を終えた吉澤は、俺の机に手をついて、顔をのぞきこんできた。
「それはそうと、渡辺くんは、休まないの?」
「なんで?」
きょとんと聞き返した俺を見て、吉澤は、あきれたふうだった。
「だって、二次予選まで、あと4日でしょう?
渡辺くんは2日目に演奏順があたっているから、二次に受かったら三次が翌日で、1日目に弾く人たちより不利よ。
堀先輩も、そのことが頭にあるから、追いこみ体勢にはいったんじゃない」
俺は、鼻で笑った。
「俺さ、ひとつ、さとったんだけど。
コンクールって、実力テストみたいに、受けるべきだと思うんだ。
6月から本格的な準備にとりかかって、もう4ヶ月だろ?
いまさらガツガツやって、演奏が、どう変わるっていうんだ?
弾きこんで新境地が開けるなんて、ありえないんじゃねえの?
かえって弾きすぎたら、曲に対する新鮮な感動が、色あせると思わねえ?」
「う〜ん、渡辺くんって、ステージのうえで、いつも感動してるの?」
「そんなん、あたりまえじゃん! おまえは、ちがうの?」
俺は感動の糸口をつかむために、毎回、七転八倒してるのに。
吉澤は口ごもった。
「いつもいつも、といわれると、つらいかなあ。
今日は会心のできってときは、心にずっしりと、くることもあるけど……」
リードが自分の席にすわって、辞書をひきながら怒鳴ってきた。
「夏海ぃ、リーディングの予習、してあるか!
俺、昨日は野暮用でいそがしくて、勉強する暇がなかったんだよ!
鬼村、びくびくしてると、絶対に、あててくるし!」
俺たちの担任の沖村先生は、緊迫した授業が大好きなんだ。
予習していなかったり、宿題をやっていなくてびくびくしているやつを、ねらい撃ちで指名してくる。
リードにむかって、「ほらよ」と、自分のノートを投げてやった。
応答の模範解答は、詩文にてつだってもらったから、完璧だぜ。
常盤音高は、演奏家になるための教育の一環として、英語教育にかなりの力をいれているから、リーディングの授業では教科書と平行して、リーダースダイジェストや英字新聞の切抜きが毎回配られる。
予習していないと、とてもついていけないんだ。
吉澤が、俺のおでこを触ってきた。
俺はあわてた。
「なにすんだよ!」
「だって、熱でもあるんじゃないかと思って」
手を払ったら、今度は自分のデコで熱を測ろうとするから、俺は飛びのいた。
吉澤は、本気で心配そうに、いいつのる。
「渡辺くんが、一次予選の翌日に、きちんと勉強してくるなんて。
ああよかったって、ダレちゃって、勉強も練習もしなかったっていうんなら、わかるけど」
「べつに、なにもねえよ!
隆明叔父さんの練習法をとりいれたら、暇がけっこうあるんだよ!」
「隆明おじさまの?」
吉澤の瞳が輝いた。
巨匠の練習法なんて、俺たちピアニストの卵には、もっとも関心があることだもんな。
どうやったらああなれるかって、思うもん。
ちなみに、ルービンシュタインは疲れるからって1日2時間しか練習しなかったし、アシュケナージはピアノを見つけると、どこでも練習をはじめちゃうくらい、弾きっぱなしだって話だぜ。
俺は、まじめに語った。
「成長期のピアニストが闇雲に弾くのは良くないっていうのが、隆明叔父さんの持論でさ」
「ふーん」
「激しい運動にさらされた筋肉は、細胞レベルで破壊されるんだって。
そのとき、疲労物質も、細胞のまわりに放出される。
疲労物質が血液の循環によって取り除かれるのには4時間、破壊された筋肉が再建されるのには、何日かかかる。
再建される筋肉は、壊れたものより丈夫なものが作られる仕組みらしい。
だから、スポーツ選手が肉体を鍛えるためには、毎日激しい運動をするより、1日か2日おきに、必要な分だけ運動するほうが、より効率的に質のいい筋肉を養えるんだって。
でも、演奏家が練習を一日おきにするのは、あまり現実的じゃないから、叔父さんなりに作ったルールが、一回の練習は4時間まで、それ以上練習したいときは、あいだに4時間以上の休憩をはさむっていうルールなんだ。
確かに、やってみると、調子がいい。
単に気分転換がはかれる効果なのかもしれないけれど、休憩をいれると、ひっかかっていたところが、すんなり通るようになったりするし。
根拠がある強制ルールっていうのは、心理的にもけじめがついて、やりやすいみたいだ」
「うわー、すごい。 スポーツ医学ね。
隆明おじさまって、なんでも物知りねえ。
渡辺くんのパワフルな最強音には、そういう秘密があったのね。
どうしてあれだけの大きな音が、絶叫にならずに出せるのかしらって、不思議だったのよ。
鍵盤をたたく瞬間に力加減がコントロールできる、体の成長とともに鍛えられた、ピアノのための筋肉なんだ。
ねえ、ちょっと、腕を見せてよ!」
「やっ、やめろーぉ!」
上着をぬがされそうになって必死で抵抗しているところへ、鬼村が入ってきた。
「あー、これこれ。
そういうことは、よそでやるように。
といっても、奨励しとるわけじゃないんだよ。
あんた達には、まだ早すぎます。
清く正しい交際を、心がけなさいよ?」
教室中が爆笑した。
くっそー。
吉澤め、覚えてろよ!
それから俺は、学校と自宅を、規則正しく四往復した。
正確には三回だ。
4日目には、学校帰りに、谷崎先生の御宅へ、ホームレッスンにうかがったから。
先生は俺に、二次と三次の曲をひととおり弾かせて、特になにもいわなかった。
今日は早く帰って寝るようにと、いっただけだ。
なんだか俺は、とても満足な気分だった。
4ヶ月間、いろいろと悩んだり、つらい思いもしたけれど、充実していたと思うんだ。
てきとうに、友達や家族と、遊んだのもよかった。
ピアノを弾いていただけでは得られないものが、きっと、たくさん、あったんだ。
野末さんから貴重なアドバイスをもらえたのだって、野末さんに、友情をかけてもらえているからだし。
俺って、幸せだなあ。
好きなことにうちこめて、周囲の人がみんな、損得ぬきに、がんばれっていってくれる。
みんな、いい人たちばかりだし。
じつは、音楽家をめざす人間にとって一番大切なのは、周囲の理解なんだ。
たとえば、あるのかないのかわからない子供の才能に金を注ぎこむことに対して、母親は夢中で、父親はこころよく思っておらず、夫婦仲が、いま流行の仮面夫婦状態だったとしたら、勉強させてもらっている子供に、いい影響があるわけないだろう?
子供に平穏無事な人生を歩んでもらいたいと思っている親には、将来の保証なんかなにもない音楽家なんて職業は、とんでもないものに見えるだろうし。
クラシック音楽家になるためには、『環境と、金と、才能』、その三つがそろっていないとな。
俺んちは、金はないけれど……。
そうでもないか。
大金は、隆明叔父さんが、ぽんと、だしてくれる。
お袋だって、俺が月謝の日だっていわなくても、いつもきちんと、金の準備をしてくれていた。
常盤の高等部にはいってからだって、「明日、ホームレッスンだ」といっておくだけで、翌日、朝飯の茶碗のわきに、白封筒が置いてある。
えらいのは、隆明叔父さんだよなあ。
三つの条件のうち、金は完全に、欠落していたはずだぞ。
強い意志があったから、行くところまで行けたんだよなあ。
俺もその『意志』を、受け継いでいきたいよ。
第二次予選の出場者は24人だった。
一人の持ち時間が、ほぼ30分になるように、課題が決まっている。
バッハの平均律から任意の一曲、モーツアルトのソナタの指定作品から一曲、リストのエチュードから任意の一曲、というのが、今年の課題だ。
俺の演奏順は最後だから、午前中は練習にあてて、自分の演奏の時間が、ちょうど4時間後になるころ切り上げて、親父が作ってくれたチャーハンを食ってから、家をでた。
二次、三次が土日にあたったもんで、お袋や婆ちゃんは、応援に来られない。
本選は月曜日で、しかも夜7時開演の本格的な演奏会になるから、応援にいける。
だから、なにがなんでも最終まで残るようにと、お袋からいわれた。
「でなきゃ、あたしと、お婆ちゃんは、夏海の演奏を聴けずじまいだよ〜、あはははは!」
だってさ。
普通は、もう少し、プレッシャーをかけないようにとか、気を使わないか?
うちの家族はよお、まったくもう。
けっきょく、つきそいは詩文だけに頼んだんだ。
コンクールの会場で、親父や爺ちゃんにつべこべ思いやりなんか発揮されたら、神経がぶっちぎれそうだもん。
詩文なら、演奏前の緊張感をわかってくれるから、そばにいられても、平気なんだ。
いてくれると、ありがたいし。
緊張しているとき、何か大切なことを聞きもらしたりしたら、まずいもんな。
爺ちゃんは他の連中の演奏を偵察してきてやるといって朝からでかけ、親父は俺の出番のころ、春海をつれて、ゆっくり来るといっていた。
わかってるさ。
本当はみんなが、それぞれのやり方で、俺を気づかってくれていることくらい。
サンキュウだ。
みんな、俺は最高に幸せだよ。
で、予選の話の続きだ。
コンクールの二次予選では、テクニックのほかに、バッハはバッハの音、モーツアルトはモーツアルトの音、リストはリストの音で演奏できるって、証明しなくちゃならない。
様式感ってやつだな。
しかも、そのうえに、自分の色がのせられたらベストなのだけれど、これがなかなか。
とにかく、このピアニストを残して他の曲も聴いてみたいと思わせた者が、三次に進めるわけだ。
俺は、谷崎先生に申し渡されていた。
思いきって、好きなように弾いてみろって。
いわゆる教科書的な内容はおさえて教えたから、プラスアルファは、ステージにかけてみてもいいだろう。
きみは、まだ17歳だ。
自分の感性をおし殺してまでして、審査員にこびる必要はない。
今年がだめなら、来年がある。
『毎コン』には、大学を卒業する歳まで毎年挑戦している常連もいるんだから、なんていわれた。
でもさ、本当のところは、一次でリサイタルみたいなショパンを弾いてしまったから、いまさら基本にもどった弾き方なんかしたら、かえって印象が悪くなるっていうのが、先生の本音なんじゃないのかなーと、思うんだよね。
先生にまで気を使わせて、俺ってばホント、不肖の弟子だよなあ。
師匠、すみません!
ゆえに俺は、俺の感性に、すべてを投じた演奏をした。
バロックの合奏に、その音楽の真髄を見たと信じるバッハ。
モーツアルトは課題曲のなかから、ガキのころのお気に入りだった、ヘ長調のソナタを弾いた。
第二楽章のシンプルなアダージョと、第三楽章のフィナーレの活気が、なんともいえず、好きだったんだ。
中江先生の教え方が物足りなくなりだしていて、自分なりに一生懸命考えて弾いて、これを聴いた爺ちゃんが、俺をえらい先生につけようって、いいだしたんだっけ。
いわば、谷崎師匠との、出会いのきっかけになった曲。
うーん、これは一生の思い出の曲になりそうだあ。
そして、リストの『ラ・カンパネラ』、――『鐘』という名を持つ名曲。
印象的なテーマが、さまざまに姿を変えて、くるくると舞い踊る、心が浮き立つような、華やかな曲だ。
俺、体の成長にともなって、レパートリーが飛躍的に広がったのが嬉しくて、一時期、リストばっかり弾いていたことがあるんだよな。
あのころは、リストの響きが耳に新しくて、自分が弾きたいように弾き飛ばしていたけれど、いまはもっと深く楽譜を読むようになったから、ちがう表現ができる。
リストの音楽には、確かにショパンのような精神性ともいうべき哀感はない。
でも、ピアノのパガニーニだとでもいうように、あっけらかんと弾いてはならないものだ。
作曲技法は、たくみで複雑。
のちに素晴らしい管弦楽作品へ世界を広げていく、リストらしい響きが、ピアノ作品のなかにもあふれている。
喜ばしきかな!
小さき鐘を、打ち鳴らせ!
みなさん、リストの曲にたくされる、俺の歌を聴いてください。
俺はこんなに、ピアノが大好きなんです。
演奏後の客席の反応は、今日も冷ややかだった。
というより、人がいない。
三次は明日だ。
出番が早かった人のなかには、結果の確認を家族や友人に頼んで、自宅へ帰って練習している人もいるんじゃないかな。
右手に、やけに熱心に拍手をしてくれている集団がいる。
げげー、親父に、爺ちゃんに、妹の春海。 それから、詩文と、吉澤と、俺の悪たれ仲間。
これだけ人がまばらだと、連中、目立つなあ。
あっ、谷崎先生だ。
爺ちゃんと、楽しそうにくっちゃべってる。
てことは、まあまあいい演奏だったってことかなあ。
控え室で荷物をまとめてロビーへでていったら、連中が俺を待ちかまえていた。
詩文が真っ先にしゃべった。
「よかったよ!
リストが最高だった。
夏海らしくて、明るいトーンだけど、音のバランスが計算しつくされていて。
技法と音楽の骨組みと、それに歌が、おしよせてくるみたいだった」
こいつはヴァイオリン弾きだから、パガニーニのヴァイオリン曲に主題を借りた『ラ・カンパネラ』が大好きなんだ。
詩文がしゃべりおわると同時に、吉澤がわりこんでくる。
「わたしは、モーツアルトがよかった。
あの曲、ピアノをやっている人なら、かならず一度は弾く曲じゃない?
小さいころ、一生懸命練習したなあって、思い出しちゃった。
懐かしさといっしょに、子供のころの思い出が、ぶわーっと目の前に広がったわあ。
曲としても、しっかり弾けてたしね」
へー、吉澤も、子供のころのことを、思い出したのか。
ヒデが吉澤をおしのける。
「俺は、バッハが気に入ったね。
今度さあ、リコーダーアンサンブルで、バッハやろうぜ。
ブランデンブルグ協奏曲。
俺、編曲するから」
ヒデはすでに、編曲の構想にはいっているらしい。
ブランデンブルグ協奏曲のなかの有名な一節を、鼻で歌っている。
俺たち、ずいぶん他の人たちに、迷惑をかけたと思うな。
結果が発表になるまで、ずっとこの調子で、しゃべり続けたもん。
俺の気をまぎらわせてくれるつもりだったのか、たんに連中の地だったのかは、よくわからないけどさ。
でも、おかげで不安な時間をすごさずにすんだ。
やがて、結果を持った女性がやってきた。
プロとしての演奏水準に達していないと判断された人が振り落とされて、合格者は全部で12人。
名簿が張り出される。
俺の名前は……。
「あった!」
うれしい。
メチャうれしいぞ。
だって、今日は意識して『自分』を前面におしだした演奏をして、よしと感じてもらえたんだ。
「やったー!」
「当然よね」
「こいつめ〜」
友達連中に、もみくちゃにされちゃった。
でも、谷崎先生だけは、騒ぎに参加してくれなかった。
先生は俺たちがはしゃいでいるわきで、黙って名簿を見つめていた。
「岡野くんが、だめだった。
電話を待っているから、連絡してくるよ」
昨日、ひと足先に演奏した、大学院生のお姉さんだ。
大学院生で、24歳。
そろそろ、演奏家として身を立てるには、時間的なリミットがちらつく年齢だ。
ピアニストとして売り出したいなら、24歳で国内コンクールの『毎コン』予選敗退じゃ、絶望的といえるだろう。
将来の才能を見いだすのが、コンクールの目的なんだ。
25歳を越えると、将来性の名のもとに、新人登竜門のコンクールでの評価は、格段に不利になる。
そのころまでには、腕試しを終了して、次のステップである国際コンクールや、海外留学にチャレンジする力をもつことが、いまや職業演奏家たる条件なんだ。
岡野さんは、どうするんだろう。
タイトルはあきらめて、海外へ勉強に出るのか。
伴奏ピアニストや教師に、方向転換するのか。
どちらも将来性は不透明。
音楽の仕事は、がんばり続けたら、結果が伴うという性質のものではない。
音大に近い場所にいると、演奏家への未練が断ち切れなくて、無給の助手をつづけたり、海外を転々としたあげく、自宅の立派な音楽スタジオで無聊をかこつだけになっている人の噂を、山ほど聞く。
気の毒だとは思う。
でも、なにもかも承知のうえで、岡野さんも今回の『毎コン』に懸けていたのだろうし。
それを知っていて、応援した谷崎先生の気持ちを思うと、俺は、はしゃぐのが申し訳ない気分になってきた。
詩文も俺と同じような気分なんだろう。
話を上手に、そらしてくれた。
「ねえ、お爺ちゃんは、全員の演奏を聴いたんでしょ?
明日の参考に、お爺ちゃんの入賞予想を聞かせてよ」
「んふふふ。 よくぞ聞いてくれた。
爺ちゃんは、採点表をつけたんだぜ」
爺ちゃんはプログラムにはさんであったチラシの裏に、一覧表を書いていた。
技術点、芸術点、将来性。それぞれ10点で30点満点。
これでまた、爺ちゃんの新しい趣味が増えたな。
きっと、毎年『毎コン』にやってきて、この採点表をつけては、実際の入賞者とひきくらべて楽しむにちがいない。
「俺が聴いたのは、今日の出場者の12人だけどよ。
ずば抜けていたのは、こいつだね、堀省吾。
バッハは正統派のお手本みたいな演奏だったし、モーツアルトは、ちょっとピリスに似てたな。
そりゃもう、粒ぞろいのタッチで、ゾクゾクきたぞ。
リストは『鬼火』を弾いたんだけど、クールな音でさ。
熱さをぜんぜん感じさせない、燐光みたいな演奏だったぜ。
まさしく『鬼火』だな」
爺ちゃんは、顎をなでなでいった。
「いわば、夏海とは、正反対のタイプだ。
緻密で、なんでも細部まで計算しつくしていて、冷静で、自己抑制がきいていて」
俺は、むっとする。
「どういう意味だよお。
それじゃー俺が、がさつで、能天気で、感情的で、衝動的って、聞こえるぞ」
「ちがうのか?」
みんながいっせいに、爺ちゃんが正しいとわめきやがった。
ちくしょ〜っ!
しかし、やっぱり実力筆頭で、堀先輩の名前があがってきたか。
まいったなあ。
ライバルなんて、おこがましいかもしれないけれど、入賞を視野に入れようと思ったら、堀先輩は無視できない存在ってわけだ。
「三次予選の出場者は、こちらで書類を受け取って、演奏順のくじをひいてから、お帰りください」
準備が整ったデスクから、声がかかった。
参加者の中から10分の1に絞られた、わずか12人が、机に歩み寄る。
代理らしい、母親や、教師の姿も、ちらほら。
書類を受け取り、商店街の福引でよく見かける抽選機を、からりとひと回りさせる。
何人目かが1番を引き当て、係員が数字を読みあげると、コンテスタントのあいだに、ため息がもれた。
1番は、どうしても不利だ。
審査員の耳が音楽を聴く体勢に入ってないし、あとのことを考えると、どんなに公平な人でも、点が辛くなるから。
俺の番だ。
抽選機は商店街の福引みたいに、じゃらじゃら景気のいい音を立てたりはしなかった。
玉が残り少ないから。
「渡辺夏海くん、9番」
げー、苦しみぬきますの9番かよ。
いかん、いかん。
こんなつまらないことで、辛気臭くなってどうするんだよ。
ちょうど4分の3の、いい位置じゃんか。
となりの係の人が、書類袋のうえに、マジックで9と大書してくれ、自分の手元の名簿にも数字を書きこむ。
そのあいだも、抽選機はまわる。
「堀省吾くん、8番」
俺は書類袋を受け取ろうとしていた手を止め、思わず、となりを見た。
むこうも俺を見ていた。
俺の背筋に、寒気のような震えが走った。
堀省吾の面相はひどくやつれていて、うっすらと唇に笑みを浮かべた表情は、まるで燐光を放つ鬼火をまとった幽鬼のようだったんだ。