実際、山ぐらしは楽しかった。
テレビがないから早々に寝てしまうと、朝は早くから目が覚める。
俺たちは、気のむくまま散歩にでたり、歩いて15分くらいのところにある
朝飯を食ったら、涼しいうちに勉強しろと追い立てられて、それぞれ宿題なんかをする。
隆明叔父さんは、フランスの親のありかたの、いいと思うところを取り入れて実践している人だから、保護者としては厳しいほうだ。
お勉強会が終わったら、俺と詩文は練習タイムだ。
そのあいだ、叔父さんは春海をつれて、塩尻の街まで買い物にでかけたりする。
昼飯が、買い物のついでに買ってきた、マクドナルドのテイクアウトなんてこともあるぞ。
叔父さんにいわせると、都会人が山ぐらしを成功させる
DIYの店にいって、ペンキも大量に買いこんできた。
叔父さんは、なんでも器用だ。
俺と詩文に、目張りのやりかたや、
じつは、詩文のやつは、絵もうまい。
エヴァ叔母さんのお母さん、つまり詩文の母方の祖母という人は、セミプロ級の絵描きさんなんだそうだ。 趣味で植物画ばかりを書いている人なんだって。
やっぱり音楽家が育つ家って、親も趣味人であることが、多いみたいだ。
そのお祖母ちゃんに手ほどきを受けているから、詩文にも絵心があり、絵筆と似たようなものだからなのか、刷毛の使い方もうまいんだよな。
まるで現場監督のように俺の仕事まで仕切られちまって、おもしろくなかったって、ことなんだけれどさ。
そんでもって、午後の仕事のペンキ塗りが終わったら、もうひと練習して。
そのあとは、隆明叔父さんが夕飯の支度をするのを手伝ったり、トランプや水道管ゲームをしたりする。
ゲームは、たいてい春海にせがまれて始めるんだけれど、いつも最後に、一番熱くなってるのは、俺なんだよなー。
ちょっと、兄としては情けない。 反省しとこう。
そして、沈む夕日をながめながら、いろんなことをしゃべって、夕飯を済ませる。
あとかたづけと風呂のしたくは、俺と詩文の仕事だ。
叔父さんは、そのあいだ、ピアノを弾いたり、書斎にこもっていたり、いろいろだ。
ふと、気まぐれにテラスへでていったきり帰ってこなくなって、夜更けまで、ガーデンテーブルのうえに、ゆらめくランタンの明かりが見えていたりすることもある。
夏虫の声を聴きながら、隆明叔父さんは、何を考えているんだろう。
頭のなかで、マーラーのアダージョでも、聴こえているのか。
それとも、大地が鳴らす音楽でも、聴いているのだろうか。
隆明叔父さんの仕事小屋のペンキが、二度目の上塗りも終わって、すっかりいい感じにしあがったころ、俺と詩文の悪友たちが、東京から一週間の予定でやってきた。
須賀さんが大型のワンボックスカーで駅まで迎えにでてくれた。
勢ぞろいした高校二年生男女四人は、元気いっぱい、「お世話になりま〜す!」と大声で挨拶をして、須賀さんを仰天させたらしい。
まるっきり、体育会系のノリだよな。
どうもヒデとリードは、音楽高校の生徒らしからぬ、雰囲気の持ち主だ。
ま、それは、俺もそうだけどさ。
俺たちが連中を出迎えにいかなかったのには、わけがある。
隆明叔父さんの命令で、ちょっと遠い沢まで、自生している
別荘地の管理事務所で借りたレンタサイクルを使っても、小一時間かかっちゃうところなんだ。 春海が、どうしても自分もついていくと頑張ったから、よけいに時間がかかったしな。
その沢の水で
麦茶をごちそうになって、取れたての山葵を買って、
そうしたら、ちょうど連中が須賀さんの車を見送って、手なんか振っているところだった。
「お〜〜〜〜〜い、なつみぃ〜〜〜! しもぉ〜〜〜ん!」
テラスから代表で怒鳴ったリードは、肺活量が大きい。
クラリネットより、ラッパむきの体だと、みんなによくからかわれる。
俺も、浮かれ気分に誘われた。
持っていた芹の束をふりまわしたら、水しぶきが、そこらじゅうに飛んだ。
そのしぶきを、春海がもろにかぶって、ケタケタ笑った。
山荘生活のハイライトが、いままさに、はじまろうとしていた。
隆明叔父さんは、俺たちの友人を迎えるにあたって、特別なご
だけど、叔父さんは、凝り性なんだ。
油蝉の鳴き声が
まずは家の裏へまわって、外の水道で材料の下洗いをする。
農家や直販場で仕入れる材料は、どれも泥だらけだから、いきなりキッチンではあつかえないんだ。
それに、明るいうちに済ませておくのも、大切なポイントだ。
ここの水道は、別荘地の管理組合で管理している共同井戸からくみあげた、地下水の簡易水道なんだ。 別荘地の人口がもっとも増えるお盆の前後なんて、みんなが風呂の水を張りだす時間帯は、水圧が下がって
そしたら、いきなり吉澤が、悲鳴をあげて飛びのいた。
「なにかいる〜〜〜〜っ!」
「なんだ、なんだ?」
男たちで、芹を広げた
おお、いるいる、三匹も。
倉庫から野外調理用に使っている大きなまな板をだしてきた叔父さんが、騒いでいる俺たちを見て笑った。
「都会っ子だなあ。
蛭を見るのは、はじめてかい?
きっと、もっといるから、よく見て洗ってくれよな。
いっしょに
それを聞いた女の子二人は、硬直した。
ヒデとリードは、大喜びで、蛭を取りだした。
ヒデなんか、実験とかいって、蛭を自分の腕にくいつかせて観察しているんだから、悪趣味だ。
血を吸った蛭が赤黒く膨れていくのに、あまり痛くないんだってさ。
蛭には血が固まらないようにする分泌物を口から出して、食いついた動物や魚に、それと気づかれないように美味しく血をいただいちゃう習性があるんだって。
19世紀までは、うっ血した部分に蛭を吸いつかせて血をぬくなんて治療法が、大真面目でおこなわれていたんだとか。
ヒデって、なんでも物知りなやつだぜ。
「そら、本日のご馳走だ!」
隆明叔父さんは、大げさに、トンビにやられないように
なかで泳いでいたのは、詩文と春海が、須賀さんの農場の近くの溜め池で釣ってきた、でっかい
泥臭さをぬくために、一週間、きれいな水のなかで生かしてあったんだ。
「うまそう!」といったのは、ヒデだ。
ショックを受けたのは、女の子たち。
叔父さんは、昼間研いでおいたのだろう出刃包丁を、おもむろに取り出して、気合一発、暴れる魚に、とどめを刺した。
いったい、どこで叔父さんは、こんなことを覚えたんだろう?
コツがいるだろうにさ。
大きな鯉の
ごぼうや人参といっしょに、味噌仕立てで煮ると、ご馳走なんだ。
しあげに芹を、たっぷりと投げこみ、野趣豊かにいただく。
そりゃもう、うまいぞぉ!
そして、本日のメインイベントは、
粉が飛び散るからめんどうだと、いつも庭のガーデンテーブルのうえでおこなわれる、年中行事なんだ。
毎年、これをしきるのは、俺の仕事ということになっている。
小学生のときに塩尻のイベントで蕎麦打ち体験に参加してから、毎年打って、奥義を極めたもんね。
いまじゃ、叔父さんより上手いと、いわれているのさ。
みんなで大騒ぎして蕎麦を打っているあいだに、叔父さんが鯉を煮ながら、
俺が驚いたのは、美奈さんが、とても気が利くってことだ。
使いおわった調理器具を、いつのまにか洗いあげてくれていたり、隆明叔父さんのところへいって、料理をきれいに盛りつけてくれたりしてさ。
悪友たちの手出しのせいで、ひどいできになった蕎麦が大なべで茹であげられるころには、テーブルの支度が、すっかり整っていたんだよなあ。
吉澤なんかさ、小粋な感じのカフェエプロンを持ってきたくせに、ぜんぜん役にたたねえんだもん。
野外作業で虫に刺されたとか、ぶーたれどおしだったし。
それで俺が、「虫がいやなら、家のなかを手伝えよ」といえば、「こっちのほうが、おもしろそうだもん」と答える。
つったく、わがままなやつだ。
見てくれは悪かったけれど、蕎麦は、粉と水が命。
自然著と山葵をすりながら食ったら、めちゃ美味かったぞ。
蕎麦だれは名店のものを買ってきているから、文句なしだし。
隆明叔父さんは凝り性だけれど、凝ったあまりに時間を奪われて、やるべきことができなくなるような本末転倒は、だいきらいなんだ。
なんでもほどほどにしておくから、息ぬきになるんだといっている。
で、吉澤は、とうとう鯉を食わなかった。
飛び散る血や鱗、まだ動いている
良い香りを放っている芹も、蛭を連想させて、だめらしい。
俺は、吉澤を、あざ笑ってしまった。
「寿司なら、いくらでも食うくせに。
生の魚のほうが、よっぽど乱暴な料理じゃん」
吉澤は、色めき立った。
「切り身は動かないもん! 渡辺くんのいじわるっ!」
そういいながら吉澤は、俺をどついた。
その勢いで、すすっていた蕎麦が、変なほうへ入る。
むせて苦しんでいる俺を見て、みんなが笑う。
ちくしょー、吉澤め。
おまえ、その、すぐに手が出る癖を、なんとかしろ!
じゃないと、俺の身がもたねえんだよ!
そう思った瞬間、俺はみょうに納得した。
そうか、俺と吉澤の関係は、どつき漫才コンビみたいな、ものだったのかと。
翌日は、朝から雨だった。
熱帯性低気圧が前線とともに通過するとかで、一日、回復は期待できない。
ついてないと、ぼやいた俺に、ヒデは「ノープロブレム」といった。
ヒデが持ちだしてきたのは、ちっこいポータブルの、シンセサイザーだった。
それに、なんと、リコーダーだ。
リコーダーアンサンブルの連中から、借りてきたんだってさ。
テレビがないことは話してあったから、退屈になったら、シンセサイザーにチェンバロの音を代行させて、リコーダーアンサンブルを楽しもうっていうんだ。
俺たちは、ひよっことはいえ、音楽家だもんな。
こういう楽しみ方も、ありだよな。
リコーダーなら、小学生の春海だって、アンサンブルに参加できちゃうし。
リコーダーは、強弱の表現力がいまひとつなもんで、他の楽器におされて、いったんはすたれちゃった楽器なんだけどさ。
20世紀になって、バロック音楽が再評価されたせいで、近頃、またさかんに演奏されるようになった楽器なんだ。
いい曲が、いっぱいあるぞ。
にぎやかに盛りあがる俺たちの室内楽団をおもしろがった隆明叔父さんは、その夜一晩で、ソプラノ三本、アルトとテーノール各一本、プラス、チェンバロという編成の、曲を書いてくれた。
さすがに学校の楽器は持ち出せなかったから、バスは無しなんだな。
これがもう、爆笑もんの、ユニークな曲だった。
俺たち高校生のパートには、けっこう難しいパッセージがつづくけれど、春海は小学校でリコーダーを習った程度で、ハ長調とヘ長調しか吹けないもんだから、ソプラノの一本に、曲のあちこちでドレミファソとか、レミファソラって、小さなスケール(音階)で、合いの手を入れる役割を振ったんだ。
その単純さが、すごくおもしろい効果となっていて、音楽を聴いている人間は、くすくす笑っちゃう。
合いの手役のソプラノが、たどたどしければ、たどたどしいほど、嬉しくなる曲なんだよ。
一晩でしあがってきた隆明叔父さんの曲に、ヒデは、むらむらときちゃったらしい。
これも勉強だといって、俺たちの勉強タイムに、一生懸命、複雑なフーガを書いていた。
何度か隆明叔父さんにアドバイスをもらって、チェンバロの通奏低音までつけて、けっこうまともなしあがりだった。
『バロック・パロ』って、タイトルが、ふざけていたけどさ。
要するに、バロックの様式を借りて、パロディしてみました、みたいな内容だ。 後半に、スイングするエイト・ビートが入っている。
ヒデも、しかめっつらしく交響曲を書く作曲家になるんじゃなくて、親父さんみたいに、ポピュラー畑へいくのかもしれないなと、俺は思ったよ。
悪友たちが来ているあいだは、俺のピアノの練習も、かなりいいかげんになってしまっていた。
塩尻は、リゾート開発ブームのときに、マンションなんかが建ち並んだせいで、なんでもある街だからさ。
隆明叔父さんに送り迎えだけしてもらって、半日プールで遊んじゃったり、諏訪湖でバス釣りをしたり、須賀さんが
とにかく毎日が、とても楽しかった。
それに俺、発見しちゃったんだけれど。
リコーダーアンサンブルの響きって、バッハの音楽のなかにも、生きている。
バッハは音楽一家にかこまれて生きた人だ。
山ほど子供がいて、その子供もみんな、音楽家になった。
きっと、いまの俺たちみたいに、家族や友達と、アンサンブルを楽しんだはずなんだ。
だれかの曲に刺激を受けて、新しい曲が生まれたことも、何度もあっただろうし。
つまらんと思っていた、バッハが生きた時代の様式を前面に押し出した演奏も、嫌いじゃなくなったぞ。
音楽学者が研究しつくした演奏解釈っていうのも、ひょっとしたら、その当時のバッハの生活のありさまを、映しているのかもしれないし。
バッハを弾くと、ポヨポヨと鳴る、リコーダーの暖かい音がよみがえる。
なんだか俺は、ピアノを弾いていて、とてもハッピーな気分だった。
でも、ヒデとリードが東京へ帰っちゃったら、さすがの俺も、冷静になったね。
だって、気がついたら、8月が半分終わってたんだもん!
わははは……、って、どーしよ。
コンクールまで、あと一ヵ月しか、ないじゃんか。
コンチェルトなんか、手もついていない。
三次予選と本選のあいだは3週間くらいあるから、弾きこみは、その時にするとしても、暗譜くらいはすませておかないと。
『皇帝』って、通して演奏すると、軽く40分もかかる、大曲だよ?
もともと、きりっとしたのが好みの俺としては、リストの『ラ・カンパネラ』や、派手なテクニックをアピールできるドビュッシー、それに難解だけれど深遠な響きのスクリャービンなんかは、それなりに格好がついてきたんじゃないかと、思うんだ。
小林さん、じゃねえ、千葉さん、――でも混乱するから、美由紀さんとでも呼んでおくか。
その、ロシア近代派を弾かせると日本じゃピカイチといわれている、売れっ子ピアニストの美由紀さんに、
「へえ、夏海くんって、まだ17歳やそこらのくせに、けっこうシビアに、スクリャービンへ、アプローチしてるのねえ。
ちゃんと、聴けるじゃないの。 すごい、すごい」
と、いってもらえたから、苦労しまくったスクリャービンの演奏に関する解釈も、方向性は、まちがっていないはずだし。
千葉さんと美由紀さんの夫婦は、エヴァ叔母さんといっしょに、ヒデたちとは入れ替わりで信州へやってきた。
アメリカで合流したらしい。
美奈さんが、ひと足先に吉澤と信州へ来ることになったから、千葉さんが美由紀さんの海外遠征に同行して、新婚旅行を楽しんだんだって。
で、演奏旅行中のエヴァ叔母さんと、フィラデルフィアで落ちあったとか。
まったく、最近の渡辺ファミリーの周辺は、ますますインターナショナル色が強くなってきた。
家のなかに、英語やフランス語が、飛び交ってるんだもんなあ。
で、美由紀さんに、ほめてもらえた曲は、とりあえず、よしとする。
でもさー、どうしても、シューベルトがだめだ。
俺の音色って、シューベルトの詩的な響きには、むいてねえんじゃないの?
同じ和音でも、ベートヴェンの響きと、シューベルトの響きってのは、ちがうものなんだ。
そういう響きのちがいを明確に打ち出せなくちゃ、プロとしては、失格なんだけどさ。
弾けば弾くほど、だめになっていくような気がするのは、どうしてなんだろう。
そんなこんなで、俺の焦りといらだちがピークに達したころ、17歳の夏の忘れられない思い出になってしまう事件がおこった。
はじまりは、こんな感じだった。