翌日、おおよろこびで遊びにでかけていった俺は、妹の春海が貸してくれたミッキーマウス柄の浮き輪に尻をのっけて、豊島園の流れるプールをただよっていた。
すんげー、いい天気でさ。
真夏の太陽が、まぶしくてさ。
あちこちではしゃいでる小学生やカップルがはじく水が、顔にかかってきちゃったりしてさ。
なのに、なんで?
なんで、俺のとなりでボディボードにつかまって、いっしょに流れてるのが、吉澤なわけ?
しかもよー、俺たちと いっしょにプールへきた、ほかのクラスメイトの女子って――。
漫画アニメオタクの会田美咲だろ?
パーカッション専攻で、性格さばさばしてて、俺たちとともに男気について語れそうな、星野ちはるだろ?
それに、星野と仲がよくて、内気なオルガニストの根岸里奈に、声楽専攻の坂本千秋。
根岸はさ、本当に内気なんだよなー。
俺、いまだに根岸の口からは、「はい」と「いいえ」しか、聞いたことがないや。
どんな声でしゃべるやつなんだろう、なんて思ったりして。
そんで、坂本は……。
すまん。 俺は、めんくいだ。
しかし、人様の外見について、どうこう語るのは、人権問題にかかわるし、おのれの品性を下げると思うから、なにも語らないということで、かんべんしてもらいたい。
青空を見あげながら、かたわらの吉澤に 話しかけてみる。
いつまでも、だんまりってわけには、いかないだろう?
「吉澤ってさー、会田と、仲がいいのか?」
まえから疑問だったんだよな。
会田が、やたらと吉澤のことを気にしてるのは、なんでなのかなあって。
漫画アニメオタクの会田と、吉澤の接点って なんなんだろうと、だれだって思うじゃん?
吉澤と会田って、ぜんぜん人種がちがうぞ?
吉澤は ヨシザワ ・ ミュージックの重役のお嬢様だし、ピアノだけじゃなくて、入試の一般科目もトップだっていう、さえた頭の持ち主だし、クラス委員長なんかつとめちゃう優等生だし。
水の流れに身をまかせながら、吉澤は答えた。
「わたしを誘ったのは、星野さんよ。
さっぱりした彼女とは、いろいろと気があうの。
星野さんが根岸さんを誘って、男女同数のほうが気がねがなくていいわねって話していたところに、会田さんと坂本さんが、通りかかったのよ。
たまたま部活で、昨日、学校へ来ていたメンバー」
俺は、ふきだしそうになった。
いっしょにプールへ来ることになったきっかけが、通りかかったからってところが、すばらしく会田らしいと、思ってしまったんだ。
くったくなくて、だれとでもすぐに、うちとけるやつだから。
なんちゅーか、子供っぽいんだよな。
いまだにノリが、小学生感覚なんだよ、会田は。
「部活か。 吉澤は、なにやってんの?」
「茶道部」
「うおおおっ、やっぱ、お嬢さま!」
「星野さんはテニス、根岸さんは文芸、会田さんと坂本さんはオペ研」
「坂本はなっとくだけど、会田もオペレッタ研究会かよ?」
「文化祭で、『 サウンド ・ オブ ・ ミュージック 』 やるんですって」
「へえ、けっこう 本格的なんだ」
そこで話題がつきてしまった。
気まずい沈黙。
水の音。
ため息がでる。
しょうがないから、俺と吉澤の、
つまり、ピアノのことだ。
「ところで 吉澤。 おまえ、いいのか? こんなところで遊んでて」
吉澤はボディボードに上半身をのせて、足で水をけった。
ボードが、すいっと俺のまえにでて、顔がよく見えなくなった。
「いいの。 気晴らし」
「ふーん。 俺はまた、吉澤は、つぎなる目標へむかって、この夏をステップアップの足がかりにするべく、ばりばり練習にはげんでいるものだと思ってた。
部活に、気晴らしか。
まあ、せっかくの夏休みだしな」
「そういう渡辺くんは、どうなのよ?」
「俺?」
俺は、はてと、考えこんだ。
「うーん、俺には目標なんか、ねえなあ。
とりあえず、二学期からショパンのエチュードに入れるように、モシュコフスキーかモシェレスあたりの練習曲集をやりながら、一曲くらい、まともな曲に取り組むかな、なーんて話を先生としてたけど、実際は、わけわからんことになってるし」
「わけわかんないって?」
「詩文と、デュエットの練習をしてるんだ。
これがまた、ズタボロでさ。
期限までにしあがるのか、ぜんぜん自信ねえっ!」
「期限って、演奏会にでるの?」
「そんな、たいそうなもんじゃない。
隆明叔父さんのパーティーで、
「余興演奏って……、のん気ね、あなた」
「いいんだ。 べつに俺には、たいした野心なんかない。
おまえは、いま、なにやってんの?」
吉澤は少し黙ったあと、ぼそっと、いった。
「ショパン」
「ショパンのなに?」
「ソナタの2番と、マズルカを何曲か」
「へー、マズルカか。
あれ、ぱっとみには簡単そうだけど、独特のリズム感覚をつかむのが、むずかしいんだよな。
三拍子だけど、アクセントが、三拍目にくるの」
「うん、苦労してる」
「だから、息ぬきかー」
「まあ、そんなとこ」
「マズルカなんて マイナーなとこまで攻めるとは、すごいなあ。
おまえ、まじでショパンコンクール、ねらってんの?
あれ、本選でコンチェルトひかされるし、まず最初に推薦もらえるオーディションとか、でないとだめなんだろ?
つか、世界最高峰のコンクールのひとつだもんなあ。 大変そうだ」
「どうなるか、わかんない」
「え? じゃあなんで、ショパンばっか、ひいてんの?
一学期の期末試験も、ショパンだっただろう?」
俺は、たぶん、好きだからという返事を、期待していたんだと思う。
そうでなきゃ、やってらんないじゃん。
ずーっと、おなじ作曲家の曲ばっかり、練習する生活なんて。
ところが、俺はまたしても、吉澤の
いきなり吉澤のやつ、たちどまって、流れてきた俺の浮き輪を力いっぱい水の中におしこみやがった。
まっさかさまに、水の中だよ。
流れる水の中に頭から落ちるのって、こえーぞ。
身がまえてなかったから、しこたま塩素くさいプールの水を、鼻から飲んじまった。
まじに、
げほごほ苦しがって咳をしてたら、プールサイドから詩文の声が聞こえた。
「夏海ぃ、佳織ぃ! お昼ごはんにしようってさー!」
俺は、あわてて、ずいぶん先を流れていく、ミッキー浮き輪を追いかけた。
なくしたりしたら、春海にどつかれたあげく、泣かれるからな。
水からあがる吉澤に、詩文が手を貸している。
ボディボードをうけとって、手をひっぱってやって。
レディ ・ ファースト精神っちゅーやつか?
詩文は、日本語
いつも俺のまえでは、ぶすくれている吉澤が、にこにこしていやがる。
女って、ああやって大事にあつかわれると、やっぱり嬉しいのか。
もたもたとプールサイドによって、やっとの思いで水からあがったら、詩文のやつが目の前にいて、意地悪く笑った。
「なにやってんの?」ってさ。
見てたのかよ。 俺が吉澤に、溺れさせられたところ。
むっとしながら、俺は待ち合わせ場所に決めてあった、売店のほうへ歩きはじめた。
俺様はなぁ、よく気がつく、フランスの紳士じゃねえの。
日本男児なんだ。
別名を、鈍感とも、いうけどな……。
待ち合わせ場所には、大きな荷物を持った根岸が、さきに来てまっていた。
昼飯のことは、なにもうちあわせていなかったのに、弁当を作ってきてくれたんだ。
飲み物を買いにいったというヒデとリードをまっているあいだに、タケヤンが星野と会田と坂本をつれてもどってきた。
総勢10人。
けっこうな大所帯だ。
「里奈、荷物、もつよ」
詩文は、さっさと、根岸から荷物をうばった。
根岸は小さな声で恥ずかしそうに、「ありがとう」といった。
俺は詩文をつついた。
「おい、おまえ、もう女子のフルネームを覚えたのか?」
「ノン。 ファミリーネームのほうは、まだよくわからない」
「あのなあ、日本じゃ、特別仲がいい女の子以外は、ファーストネームじゃ呼ばないんだぜ。
誤解を生むから、ファミリーネームを覚えろ」
「誤解って?」
「ラブかなあって、思われるぞ」
「そうなんだ。
語学学校では、べつに、だれにも変だとは、いわれなかったけどなあ」
「そりゃ、おまえがそういう人だと、周囲に認識してもらっていたからだろ。
なんだかんだいっても、パリにある学校なんだし」
「夏海、『 認識 』が、わからなかった」
「またこんなところで、日本語教室!
ええと、『 認識 』ってのは、あー、そういうことかって、認めることだよ。
意味が似てるのは、『 納得 』とかー、『 理解 』とかー」
「なるほど。
じゃあ、ぼくのことは、そういう人だって、みんな 『 認識 』 してよ。
いいよね?
千秋も、美咲も、佳織も、里奈も、ちはるも、もう友達なんだから」
女子が、どっと笑って、口々に、それでいいと いった。
俺たち男子は、思わず顔を見あわせたぞ。
詩文の、女子に対してまったくものおじしない態度を見ていると、むしょうに悔しかったりするのは、なんでなんだって。
日陰を さがしだして弁当を広げたあとも、詩文のやつ、全開で女子に、サービスしまくったしな。
いちばん最後に 遠慮がちにすわった根岸が、体半分、日なたに はみだしたら、席をかわろうなんて さわぐし。
ここでいいって根岸がことわったら、日焼けしたらあとで辛いだろうって、タオルを肩にかけてやるし。
まじに、かけてやるんだぜ?
わたすんじゃなくて、うしろにまわって、どうぞって、かけてやるの!
そんでもって、根岸が弁当をあけたら、
「すごいねえ! ぼく、日本の手作りのお弁当って、はじめて見るんだ! この箱、なに? プラスチックじゃないよね!」
「……お重。 お母さんに、手伝ってもらったから」
「お〜う! じゃあ、これ、里奈がつくったんだね! 色がきれいだねえ! 絵みたいだよ!」
そりゃもう、てれまくる根岸ときたら、まっかっかだぜ。
俺たちだって 根岸に礼のひとつもいいたいのに、口をはさめないんだもんな。
しかも詩文は、話し上手で。
「詩文くん、お
「ぼくのパパは民族文化を大切に思う人だから、和食を作ると、フランス人のママンにも箸をだすんだよ」なんて話題につなげて、場を盛り上げるし。
カルチャーギャップの苦労話だとか、西洋と東洋の食文化のちがいの話だとか、女子が喜びそうな話を、次から次へとするんだよな。
それに答えて女子がしゃべりまくるから、俺と悪友たちは、あいづちしかうてない。
世界で大活躍のマエストロ渡辺隆明が、自宅にいるときは料理までしちゃう、フランスの共働き家庭の典型的な父親だって話をきいて、女子はめちゃくちゃ、よろこんだよ。
これからは日本の男も、そうならなきゃだめだなんて、説教くさいことを女子全員にいわれて、俺たちは、たじたじになっちまうし。
くっそー、おもしろくない。
しょうがないから昼飯のあとは、ストレスを
ウオータースライダー、すべりまくり!
豊島園のハイドロポリスってスライダーは、都内でも
体を使って遊ぶのは、やっぱり、おもしろいよな。
水といっしょに空中でビュンビュンまわって、ひさしぶりに大声だして、笑いまくった。
夏、最高!
大満足だったぜ。
しかし、おやつ時がすぎると、そろそろ家に帰りたくなるのが、俺たち音楽家の卵の習性だったりするんだ。
楽器の練習をしないで一日を終わったりしたら、ものすごく、うしろめたいんだよ。
だれともなく、そろそろ帰ろうかという話になって、俺たちは帰路についた。
池袋で流れ解散だ。
新宿で 京王線や中央線乗り換えの連中と別れて、渋谷でまた別れて、新玉川線に乗ったのは、俺と詩文の二人だけだった。
地下を走る電車の
渋谷から桜ヶ丘までは四駅だから、俺は詩文を ゆすった。
「おい、寝るな。 すぐおりるぞ」
「うー、つかれた」
「おまえ、テンション高かったもんな」
「そりゃねー」
半分目を閉じた詩文の姿が、正面のガラスの窓に うつっている。
そのきれいな顔は、あきらかに苦笑していた。
「ぼくはアムールの国、フランス育ちだよ?
女の子がいたら、親切にしたくなるのは、生まれつきそなわった、本能みたいなものなんだ」
「おい」
「だけどさー、日本の女の子って、つかれる」
「そうなのか?」
「みんな素直で、やさしかったり、明るかったり、無口でも、お料理とかさ、得意なことがあって、それぞれいいところがある、すてきな女の子ばっかりなんだけどね」
「べたぼめじゃん」
「でも、どこか、受身なんだよね」
うっと、俺は言葉につまった。
なんて するどい観察眼なんだろう。
こいつは クラスメイトの女子を見るとき、そんなところまで観察してるのか、なんて思った。
詩文が生あくびをしながらいう。
「ぼくが話をリードすると、すごく楽しそうなのにさ。
話題が、ちっとも、ほかのところへ、えーと、発展? しない」
目をあけて俺の顔を見て、詩文は「発展」の使い方は これで正しいのかと、確認した。
まめなやつだ。
電車が三軒茶屋にとまって、あたりが乗り降りの人でざわついた。
発車合図の電子音がとまってから、詩文はまた、しゃべりはじめた。
「ぼくの日本語、フランスなまりが強いから、女の子たちに ひかれちゃうのかな?
日本のポップスのこととか、俳優のことがわからないから、話題が少ないの?
でもねー、なーんか、ぼくのアクションを、またれているみたいな感じを 受けるんだけど」
「それ、語学学校の女の子にも、感じてなかったか?
帰国受験対策クラスに、日本人もいっぱい、いたんだろ?」
「うん、そーかも」
「日本には、まだまだ、女は男にしたがうものだって意識があるからなあ。
女の方だって、リードがとれなくて、いやな思いをしてることがあるみたいだ。
わがままとは、ちがう部分でさ」
「ジェンダーの問題は、一方からは かたれないよ。
女の人から、リードはまかせるから幸せにしてちょうだいって要求されるの、重くて いやだな。
男に生まれて、そんしてることだって、あると思う。
与えるばかりじゃ、つかれちゃうよ。
愛は見返りを求めないなんて、嘘だ。
与えたら、おなじだけ返してもらいたいと思うのが、本当に人間らしい感情だよ。
ぼく、きれいごとは、きらいだ」
「おまえ、むずかしいこと、考えてるんだなあ」
「そうかなあ?
9月から通う学校が女の子ばっかりっていうのは、素直にうれしいんだけど」
「うれしいのかよ!」
「女の子、かわいいだろ? いっしょにいたら、なごむよ」
詩文め、なごむなんて日本語を、どこで覚えたんだ?
俺には、そういう感情って、理解不能だ。
さて、そのあとだ。
家に帰りついて 一時間くらい休んだら、やっぱり、いてもたってもいられなくなって、俺と詩文は夕食前に、軽く、ひと練習した。
不思議だった。
俺と詩文は、考えていることがまったくちがって、おなじ出来事に対する反応だって、ぜんぜん一致しないのに。
どうして音楽でなら、ぴたっと気持ちが、あわせられるんだろう。
音楽って、言葉や、思想や、習慣をこえた、もっと人の心の深いところから、でてくるものなのかもしれないな。
感動って、人種に関係なく、どの人の心にもあるものだ。
日本人の俺だって、アフリカの魂のこもった太鼓の音を聞けば、体中の毛が総立ちになるような感覚に おちいるもん。
それはきっと、フランス人のメンタリティに近いものの考え方をする詩文でも、おなじはずだ。
音楽と出会えて、本当に俺は幸せだ。
これでまじ、音楽で飯を食っていけるようになれれば、いうことないんだけどな。
望みをかなえるまでの道のりは、まだずいぶん遠いし、そのうえ、上り坂ばっかりなんだろうけれど、がんばろうなんて、また思っちゃったよ。
がんばろう――、か。
俺の思考って、いつもこの、ワンパターンだ。
まあ、いいんだ。
やる気さえつづけば、いつかは道がひらけると、能天気な俺は信じているから。