お袋と自分の家へ帰るあいだも、俺の気分は、すっきりしないままだった。

満開の桜並木のさきに学校の校舎をながめていたときには、あんなに、いい気分だったのにな。

渋谷で電車を乗り換えて、桜ヶ丘駅で下車した。

いつもの出口から街へでたら、大通りの桜並木は、まだ硬い蕾のままで、木の枝がまっ裸だから、空が広く見えた。 ここの桜は八重桜で、ソメイヨシノがすっかり散った頃に咲く種類だからなんだけどね。

はー、さえないなあ。

あたりがすっかり春めいたのに、まだ硬い蕾だなんて、いまの俺の気分にぴったりだよ。
世間のみなさまといっしょに、おおいに春だって盛りあがるのは、俺には分不相応だったってことか?

俺ってば、かなり無理をして、常磐音大付属高校へ入ったんだよなー。

音楽を専門に勉強しようってやつは、わりと教育熱心な家庭の子供が多いらしくて、常盤音大付属高校の一般入試科目の、合否ラインのハードルって、けっこう高かったんだ。

中学校の進路指導で、担任の先生はさ、俺の成績表を見て、「うーん、常磐音大付属かあ。 このさい、ぶっちゃけて聞くけれど、渡辺くんのおうちは、寄付金いくらくらい出せる?」なんて、いったんだぜ?

成績が多少あれでも、芸術系の学校は、実技がそこそこできていれば、寄付金しだいで入れるって噂だから、なんてさー。

そのとき、お袋に、「金はない!」と、きっぱり宣言されて、俺は必死に勉強したわけだけれど。

ああ、たまらん。

早く咲けよ、八重桜。
春に出遅れたおまえを見てると、まるで自分を見ているようで、みじめだぜ。

足元を見ながら、俺は、お袋のあとについて、商店街へ入っていった。

俺んちは、お袋と婆ちゃんがやっている手芸用品店のうえで、二世帯同居している大家族だ。 店は桜ヶ丘商店街の真ん中にあって、建物も、ちょっとしたビルになっている。

一階が店で、二階と三階が俺の家。
そして四階と五階が、渡辺手芸用品店をビルに建て替えるときに、借金対策として併設したワンルーム賃貸マンションだ。

このマンションがさー、全部で6室あるんだけれど、どういうわけか全部、音大生で埋まってるんだよね。 大家が有名音楽家の実家だから、部屋で楽器の練習をするのに、理解があるってんでさ。

クチコミで代々音大の先輩から後輩へ、部屋の賃貸権が譲られているらしいんだよなー。

だから俺んちのマンションって、日当たり悪いし、狭いし、古いのに、空き部屋が出たことが一度もない。 貧乏な音大生って、鳴り物OKの格安賃貸物件を、いつも血眼になって探しているからね。

ありがたいんだか、迷惑なんだか、よくわからないよ。

俺の爺ちゃんはアマチュア音楽家でさ。
桜交響楽団ってアマチュアオーケストラで、へたくそなヴァイオリンを弾いているんだけれど。

その爺ちゃんが、やたらと世話好きで、マンションの住人の音大生を、かわいがっているんだよね。

だから俺んちのリビングでは、しょっちゅうマンションの住人が、お茶を飲んでいたり、飯を食っていたりするんだ。

俺とお袋が家に帰り着いたときも、爺ちゃんちのリビングは、にぎやかだった。

ちゅーか、どたばたしてる?

みんながパソコンのそばに置いてある、電話のまえに、群がっててさ。

ええと、メンバーは、爺ちゃん、婆ちゃん、手芸用品店のアシスタントスタッフをしてくれているクニちゃん、マンションの住人の南さん。
それでもって、真ん中で受話器をにぎりしめてわめいているのが、隆明叔父さんだ。

そう、さっき俺と友達のあいだで話題にのぼっていた、世界をまたにかけて大活躍している、指揮者の渡辺隆明。

隆明叔父さんは忙しい人なんだけれど、今年の秋から、日本の東都交響楽団の音楽顧問に就任することが、正式に決まってさ。 今回は記者会見だの、プログラム編成会議だのといった、ごちゃごちゃした雑用をかたづけるために、日本へ帰ってきているんだ。

わめき声はフランス語だった。

隆明叔父さんの奥さんはフランス人なんだ。
しかも叔父さんは、国際的に活躍する指揮者だからね。
拠点が海外にあるほうが、なにかと便利だっていうんで、パリに自宅を構えている。
だから日本へ帰ってくると、いつも俺のうちに、泊まっているわけ。

ひとしきりフランス語でしゃべりまくった叔父さんが、受話器を置いた。

なんだか、青ざめていて、落ち着きがない。

「どうだ、隆明?」

爺ちゃんが深刻な顔で、隆明叔父さんにたずねた。

隆明叔父さんは、ステージのうえで、いつもダンディだといわれている見目の良い顔をこわばらせて、冷汗をぬぐうようなしぐさをした。

「お祖父ちゃんの家へいってきますって書置きを残して、昨日の午後から、行方がわからないっていうんだ。
ここしばらく俺たち夫婦は、詩文と、ちょっとしたいきちがいで、やりあっていて。
昨日も、朝から冷戦ムードだったもので、書置きを見たエヴァは、てっきり詩文はパッシーのお祖父ちゃんの家へいったのだろうと、思っていたようだ。
朝になってからパッシーへ電話して、あっちにはいってないって、騒ぎになってる」

うろうろと歩きまわりながら、隆明叔父さんはつぶやいた。

「警察へ届けるか、それとも……」

爺ちゃんと婆ちゃんは、心配そうな顔を見合わせた。

「ねえ、どうなの? パリって、あまり治安がよくないんでしょう?
もし事件に巻き込まれていたりしたら……」

隆明叔父さんは声を荒げた。

「よしてくれよっ! くそっ! すぐにパリへ帰りたくても、パリは、はるか彼方だ!」

爺ちゃんが落ち着けと、叔父さんの肩をつかまえる。

「ここで情報を、まったほうがいい」

どうやら、隆明叔父さんの一人息子、俺の従弟の詩文が、パリで行方不明になっているらしい。

俺は、隆明叔父さんが青ざめている理由を、以前、詩文から聞かせてもらったことがある。

つまり、日本ほど治安がよくて安心して暮らせる国は、世界中探しても、ほかにはないってことなんだ。
フランスの都市部じゃ、テロだの、国際犯罪だの、レイプだの、道ばたでの窃盗だのって、子供には対処不能な事件が頻発するから、小学生の親には、法律で学校への送り迎えが、義務づけられているくらいなんだ。

じりじりと考えこんだ隆明叔父さんは、やがてもう一度、受話器を手に取った。

爺ちゃんが、たずねる。

「どうするんだ?」

「ジャン-ポールに電話して、エヴァを助けてくれるように頼むんだ。
もし詩文が事件に巻き込まれたというのなら、エヴァひとりの手には余るだろう」

「だなあ。 デュメイさんなら、詩文のことも、よく知っているし、冷静に対処してくれるだろう」

すっげー。 なんか、スパイ大作戦みたいになってきた。

ジャン-ポール・デュメイさんってのは、隆明叔父さんの友達だ。
奥さんのエヴリーヌさんが参加している室内楽団のリーダーで、詩文のヴァイオリンの先生。

いや、いまはデュメイさんのことなんか、どうでもいいんだった。 詩文の心配をしなくちゃ。

電話は、すぐにデュメイさんへは、つながらなかった。

折り返しかかってくるはずの電話をまつ隆明叔父さんは、ソファーにうずくまって、所在なさげにしている。
視線はあたりをさまよい、指揮者というハイステータスな職業についている人の貫禄なんか、どこかへ吹っ飛んでしまったみたいだ。
子供の心配をする親って、どこでも、だれでも、同じなんだな。

「友達の家へ家出してくれてるなら、いいんだが……」

きっと、いまごろエヴァ叔母さんが必死になって、詩文の友達のところへ、かたっぱしから電話しているんだろうな。

爺ちゃんが、やれやれと、ため息をついた。

「おまえ、息子に家出されるようなことを、しでかしたのか?」

隆明叔父さんは、爺ちゃんをにらんだ。

「よしてください。 いまは親父さんのジョークに、つきあえる気分じゃない」

「でも、さっき、親子でやりあってるって、いったじゃねえか」

「あれは、詩文が――」

ピンポーンと、玄関のチャイムが鳴った。

大人が、だれもインターホンにでようとしないので、俺は壁にかかった受話器を取りあげた。

「はい、どちらさまですか?」

『ボク』

この声、聞き覚えありすぎっ!

「しっ、詩文! おまえっ!」

俺は、ひと声雄たけびをあげると、玄関へかけだしていった。
もちろん、俺の叫び声を聞いた大人たちも、暴走するシマウマの群れみたいに、玄関へ雪崩れよったさ。

扉を開け放ったら、そこには、詩文が立っていた。

肩にヴァイオリンケースをかついで、足元には、キャスターつきの小さなスーツケース。

片手を、ひょいとあげて。

「サヴァ、ナツミ」

「サヴァって、おまえ〜〜〜〜〜っ!」

口をパクパクしながら玄関に立ちつくす俺を、隆明叔父さんが押しのけた。

「シモン! ××××××××××××! ×××××××!
×××××××××! ××××××××××××! ×××××××××××!
××××××××××××××! ××××××××××××××!
××××! ×××××××××、×××××××××! ××××!」

うっげー、最初の名前しか、聞き取れなかった。
怒涛のようにくりだされるフランス語のののしり声なんて、俺たちには、まるで宇宙語だぜ。

爺ちゃんと南さんが、まあまあと、いまにも手をあげそうな叔父さんを押しとどめている。

そりゃあ、あれだけ心配させられたのに、「サヴァ」なんてやられたら、温和な隆明叔父さんだって、激怒するよな。

うちのお袋と婆ちゃんは、いまにも、ふきだしそうだった。

「うっくくくく ……、隆明、頭ごなしに怒ったらダメよ」

「詩文ちゃん、嘘ついてないじゃない。
ちゃんと、お爺ちゃんちへ、きたもんねえ。
東京の、お爺ちゃんちへ」

笑いたくもなるよ。

頭から湯気が出そうなくらい怒っている隆明叔父さんとは対照的に、息子のほうは、いたって涼しい顔だったんだもん。

 

 

「だって」と、リビングのソファーへ落ち着いた詩文は、開口一番にいった。

「ぼくは真剣に話し合いたかったのに、パパもママンも、ぜんぜんまともに、取りあってくれなかったんだ」

取り乱したのを反省したらしい隆明叔父さんは、フランスへの報告の電話をすませると、まじめな様子でもどってきた。

でも、まださっきの騒ぎの余韻が、残っている感じだ。
爺ちゃんに押しとどめられたときに乱れた髪が、逆立ったままだもんね。

「それはね、詩文。 きみの言い分が、一方的すぎるからだ」

「そうかな? ぼく、ポールおじさんに、相談したんだ。
そうしたら、ポールおじさんは、『タカアキは過保護すぎる』っていったよ。
それでさ、ちょうどイースター休暇に入るから、直接お爺ちゃんに会って、相談してみたらどうだいって」

「ちょっと、まちなさい。 この話には、ジャン-ポールが、一枚噛んでいるのか?」

「うん。 ぼくのお小遣いじゃ、東京行きの航空券は買えないもん。
航空券って、高いもんね」

詩文はポケットから、航空会社のチケット入り封筒をだした。

隆明叔父さんは、それを、うばいとった。

「エールフランスか。 子供にチケットを売るなと、抗議してやる!」

詩文は、すましていった。

「パパ、抗議なんかしたら、恥をかくから、やめておいたほうがいいよ。
ぼく、ポールおじさんの家から、インターネットで、チケットの予約をしたんだもん。
ポールおじさん名義のゴールドカードがあれば、どこの航空会社のコンピュータだって、チケットを売ってくれるよ」

叔父さんは、「ポールめ」とつぶやきながら、チケット入りの封筒を、自分のジャケットの内ポケットへすべりこませた。

「とにかく詩文、これはパパが、キャンセルしておく。 帰りは、パパといっしょに帰るんだ。 いいね?」

すっげー。 叔父さん、笑顔で怒ってるよー。

詩文は肩をすくめた。

「ちょっと、過激にやりすぎたかな? 
でも、こうでもしないと、パパはぼくの話を、聞いてくれそうになかったんだもん。
パパは、ぼくが一人で東京とパリのあいだを往復するなんて無理だっていったけれど、ちゃんとできるって、証明したよ。
ぼく、もう高校生なんだよ?
たいていのことは、一人でできる。
でもパパは、その事実を、認めたくないんでしょ」

うっと、叔父さんは言葉につまった。

隆明叔父さんはさ、詩文が、かわいくてかわいくて、しょうがないんだ。
本気でいつまでも、天使のような少年でいて欲しいって、思っているみたいだ。
でもさ、当の息子のほうは、「早く大人になりたい」が口癖で、ぐいぐい先へ、進もうとしてるんだもんなあ。

詩文って、メチャ頭がいいんだよ。
しばらく会わなかったら、せっせと語学学校へ通って勉強している日本語が、またまた上達したみたいだしなあ。

パソコンデスクの電話が鳴った。

爺ちゃんが受話器を取る。

「おー、あろう、あろう。 ジャスト・ア・モーメント・プリーズ。 いま、隆明とかわります」

受話器をうけとった隆明叔父さんは、静かに深ーく、怒っていた。

フランス語の会話は、俺たちには、わからないけれど。

詩文が、くすくす笑った。

「うわー、パパったら、大人気ない」

「なにが?」

「いきなりポールおじさんにむかって、『 あんたは、いったい何様だ 』 だって」

「おいー」

俺は頭を抱えちまったよ。

いくら仲がいい友達だっていっても、ムッシュウ・デュメイって、隆明叔父さんより、かなり歳が上だって聞いてるけどな? 敬意ってもんが、ないのかね?

詩文も、あきれ気味に、ため息をつく。

「『 かわいい子には、旅をさせろだと? このご時世にか?
旅のさいちゅうに、なにかあったら、どうするんだ。
俺の大切な息子を、なんだと思ってやがる、クソじじい 』 だって。
『 いいか、俺は、かわいい盛りの息子を、だれにも預けたりする気はない 』……だって。
まいったなあ、よけいパパを、意地にさせちゃったかな」

爺ちゃんが不思議そうに聞いた。

「おい、詩文。 爺ちゃんに相談って、なんだ?
パパとポールおじさんは、どうも意見が、ちがうみたいだしよ」

「あのね、お爺ちゃん。 ぼく、しばらく、お爺ちゃんの家に、いちゃだめ?」

「そりゃあ、いつだって、大歓迎だぜ?
いまは、なんだ? イースター休暇だって? フランスの春休みかい?
いいとも。 休みが終わるまで、爺ちゃんちへいろよ」

詩文は首をふった。

「ちがうよ、お爺ちゃん。
ぼく、日本語もだいぶわかるようになったし、時間がたくさんあるいま、日本のことを、いろいろ知りたいんだ。
イースター休暇のあいだの一週間なんて、そんなんじゃなくて、一年とか、二年とか、そういう長い時間、ここにいたいんだけど」

大人たちは、びっくりぎょうてんして、詩文を見つめた。

隆明叔父さんが、なにか汚いののしり言葉といっしょに、受話器をたたきおいた。
けっきょく、ムッシュウとの意見対立は、平行線のままみたいだ。

ムッシュウ・デュメイは詩文のことを、自分の孫みたいにかわいがっていて、忙しいあいまを縫って、せっせとヴァイオリンを教えているんだって。

ただの先生じゃないんだ。

なにしろ、心理的な理由でヴァイオリンに触れなくなった詩文に、愛情をこめて接して、立ち直るまでの長い期間を、黙って見守ってくれた人なんだから。

たしなめる口調で、隆明叔父さんがいう。

「詩文。 何度いったら、わかるんだ。
その話については、きっちりと、保護者として許可するわけにはいかないと、いったはずだ。 理由だって、説明しただろう」

詩文は冷静に応じた。

「ぼくが子供だからって説明には、同意できない。
きちんと長期休暇のときはパパとママンのところへ帰るし、パリと東京のあいだの移動だって、ひとりでできるって、証明したよ。
すぐにパリへ帰らなくちゃいけない事態になっても、だいじょうぶだ」

「だけどね、たしかにこの家は詩文のお爺ちゃんの家だけれど、一年二年という長期の滞在を許してもらうのは、そう簡単なことじゃない。
詩文はフランスで育っているから日本の習慣になれていないし、そういう外国のメンタリティで物事を考える孫を、お爺ちゃんや、お婆ちゃんが、簡単に受け入れられると思うかい?
せめて、もう少し、きみが大人になってからでないと、無理だと思うんだ。
それに、お爺ちゃんと、お婆ちゃんだって、もういい歳なんだから。
子供を預からせるなんて、負担はかけたくないね。
パパだって、お爺ちゃんと、お婆ちゃんの息子なんだ。
息子の立場からいうなら、歳をとった親に、迷惑はかけたくない」

意地悪い笑みが、詩文の口もとに浮かぶ。

「お爺ちゃんは、パパに年寄りあつかいされるの、いやみたいに見えるけど?」

腕組みをした爺ちゃんが、そっくりかえった。

「そのとおりだ」

「親父さん!」

隆明叔父さんは、どうして同意してくれないんだって、恨めしそうに爺ちゃんを見た。

爺ちゃんは飄々としている。

「まあ、いいや。 もう少し、詩文の話を聞こうじゃないか。
俺が相談を受けているのは、詩文からなんだからな」

詩文は嬉しそうだ。
こういう爺ちゃんの、おおらかなところが、大好きらしいから。

「もう少し大人になってからって意見にも、ぼくは同意できないんだ。
だって、ぼく、いずれは、プロのヴァイオリニストになりたいんだもん。
十代の後半から二十代前半って、演奏家として生きていこうと思うなら、とても大切な期間だよ。
だから、その期間はヴァイオリンの勉強だけに、集中するつもりなんだ」

なるほどと、うなずく爺ちゃん。

いらだたしげに、隆明叔父さんが、口をはさむ。

「だから、どうして、そのあとじゃいけないんだ?
日本のことを勉強するなんて、いつだって、できるじゃないか」

詩文は静かにいった。

「ぼくには、タイムリミットが、あるんだもん」

大人たちは、詩文の重たい口調に気おされて、黙りこんだ。

「ぼくは、『 ダブル 』 だ。
日本とフランスに二重国籍をもっている、日本人とフランス人のあいだに生まれた子供。
二十二歳の誕生日までに、ぼくは、どちらの国の人間になるか、自分で決めなくちゃいけないんだ。
ぼく、フランスで育って母国語がフランス語だからなんて、そんな理由でフランス人になっちゃうつもりはない。
タイムリミットまで、いっぱいいっぱい考えて、なっとくして決めたいんだ。
だから、日本のことを、もっと知らなくちゃいけないんだ」

「だけど、詩文」

「パパは、国際結婚に対する覚悟が、甘すぎるんじゃない?
パパとママンが愛しあった結果で、ぼくが背負った現実を、ちゃんと、わかってる?
小さい子供は親といるべきだって、パパは思っているみたいだけれど、もう、ぼくは小さい子供じゃないよ。
いっしょにいたい気持ちが、パパとママンの感傷じゃないなら、ちゃんと、その根拠を説明してよ。
ポールおじさんは、自分がなっとくできるまで、いっぱい考えたらいいっていった。
だって、二重国籍の問題を背負っているのは、ぼく自身なんだもん。
結論をだすのは、パパやママンじゃなくて、ぼくなんだ。
後悔が残らないように、できることは全部やりたい。
それでポールおじさんは、お爺ちゃんのところへ来るお金を、だしてくれたんだ。
自分の気持ちを、パパやママンだけじゃなくて、日本のお爺ちゃんやお婆ちゃんにも、話してごらんって。
みんなの意見を聞いてから、日本で実際に生活してみたい、ぼくの気持ちについても、どうするか結論をだしなさいって」

爺ちゃんが声をあげて笑った。

「こりゃあ、ポールおじさんの勝ちだな。 さあ、パパよ、反論してみろ」

隆明叔父さんは、ぶすりとしたまま立ちあがった。

「おい、隆明!」

爺ちゃんの とがめるような呼びかけに反応して、叔父さんがふりかえる。

「ぼくも、タイムリミットだ。 記者会見は四時からなんだ。 いいかげん、支度して、でかけないと」

「おー、おー、ちょうどいい逃げる口実があって、よかったな、おい」

爺ちゃんが、けけけと、笑ったもので、ムッとした隆明叔父さんは、客間のふすまを、ものすごい勢いで閉めた。

すっぱーん! って。

身が縮んだよ。

耳がどうかなるんじゃないかって思うくらい、すごい音だったんだもん。

...☆注)フランスの国籍法は1998年に改正され、2009年現在、フランスと日本のあいだにおける二重国籍状態は容認されております。