受章した文化勲章を手にする山田五十鈴さん=01年2月、東京都内のホテルで
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戦前、戦後を通じ70年以上にわたり映画、舞台で活躍、女優として初の文化勲章を受章した山田五十鈴(やまだ・いすず、本名美津=みつ)さんが9日午後7時55分、多臓器不全のため東京都稲城市の病院で死去した。95歳。大阪市出身。葬儀・告別式は12日午前11時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主はおかない。
新派の女形を父に持ち、6歳から芸事に親しんだ。1930年、13歳で日活に入社し「剣を越えて」で映画デビュー。34年に第一映画に移籍し、溝口健二監督の「浪華悲歌(なにわえれじい)」「祇園の姉妹(きょうだい)」で才能を大きく花開かせた。
その後、東宝に転じ、成瀬巳喜男監督が第1回直木賞作品を映画化した「鶴八鶴次郎」などで長谷川一夫さんと共演、人気を不動のものにした。長谷川さんとは42年に新演伎座を結成し舞台に立った。
戦後は映画で汚れ役にも挑み、成瀬監督「流れる」、黒沢明監督「蜘蛛巣城」「どん底」、小津安二郎監督「東京暮色」など、巨匠の作品で個性的な演技を見せた。
60年代に入ってからは主な活動を舞台に移し「たぬき」「太夫(こったい)さん」で芸術祭大賞を受賞。初代水谷八重子さん、杉村春子さんと共に三大女優とも言われた。87年には200本を超える出演作から「狐狸狐狸ばなし」「香華」「淀どの日記」などがファン投票で「五十鈴十種」に選ばれた。
テレビドラマでも活躍。NHK大河ドラマ「赤穂浪士」などで風格のある円熟の芸を見せ、「必殺仕事人」など必殺シリーズにも出演した。93年文化功労者に選ばれ、2000年文化勲章を受章。
私生活では結婚と離婚を繰り返し、俳優月田一郎さんとの間の一人娘で女優だった瑳峨三智子さんとの死別など、波乱の人生を送った。02年に体調を崩し入院して以降、一線から遠ざかっていた。
◆山田さん慕う「養子」たち
山田さんを慕う俳優・スタッフが「養子会」というグループを作って親睦を深めていた。ある若手脚本家の実家が豪邸と聞いた山田さんがジョークで「それなら養子に欲しいわね」と言ったのがきっかけ。俳優では市村正親(63)、西郷輝彦(65)、榎木孝明(56)、高嶋政伸(45)らが名を連ねる。入院先での誕生会も恒例で、今年2月5日の95歳の誕生日にも開かれた。
◆俳優市村正親(63) 私の「芸の母」が逝ってしまいました。悔しいです。おっかさんからは役者魂を教わりました。優しい笑顔の奥の鋭い瞳が忘れられません。心の中にしっかり焼きついている山田五十鈴魂を、私は生きている限り絶やさないでしょう。おっかさん、安らかに。
◆女優三田佳子(70) 本当に寂しく、残念でなりません。50年前、映画「山麓」で私の母親役でご一緒させていただいたのが(共演の)最初です。以来、私の実母と同い年の山田先生は、私にとって芸道の母たる存在でした。その後も、映画、舞台、テレビ等で何度もご一緒できたことが、私にとっては大切な大切な思い出です。本当に大好きな女優さんでした。倒れられた少し前の(出演)舞台に陣中見舞いに伺った時、楽屋で一緒に記念撮影しました。その時の無邪気な表情が、今も忘れられません。
◆女優草笛光子(78) 山田先生は私にとって大切な芸の師匠であり、人生の師匠でもありました。たくさんの舞台をご一緒させていただいたことは私の宝です。今はとてもさびしいことですが、今までの思い出をひとつひとつ思い出し、これから私の力として参ります。
◆女優森光子(92) 寂しいです。(劇作家の)菊田一夫先生がお元気だったころ、舞台の上でも楽屋裏でも、毎日2人でおなかを抱えて笑い、随分仲良くしていただいたことを思い出します。大きな背中が頼もしくて、こまやかにお気遣いなさる方でした。どうか安らかにお休みください。
◆歌舞伎俳優の中村吉右衛門(68) 映画や舞台で共演しましたが、「女優」というより、性別を超えて「役者」が先に立つ、「女役者」という感じの方でした。「源氏物語」に出てくるような純日本風の美しさがあり、十二単(ひとえ)やおすべらかしがよく似合われたけれども、下町のおかみさんもきちんと演じられた。「鬼平犯科帳」でご一緒した時も、心を揺さぶる演技に教えられることばかりでした。
◆女優司葉子(77) 偉大な先輩でした。同じ脚本でも、山田さんが演じると作品が一回り大きくなる。多種多様な役柄を演じる幅の広さがあり、もう二度と出ないような大女優だった。黒沢明監督の「用心棒」など映画や数多くの舞台で共演したが、いつも圧倒される思いで一挙手一投足に学んだ。女優のお手本で、共演できて光栄でした。私たちの先生を亡くし、とても残念です。
◆俳優村上弘明(55) 「必殺仕事人」でお世話になり、山田先生には本当に大変優しくしていただきました。藤田まことさんと山田先生のお二人がアメとムチというカタチで私にいろいろなことを教えてくださいました。山田先生はユーモアを交えたお話で、常に華のある方でした。もっといろいろお話をお聞きしたかったです。本当に残念です。
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