黒にんにくヒストリー(history)
黒にんにくが世に生を受けてから早や12年余りが経とうとしています。
私は若い頃(独身時代)、大阪で暮らし、不摂生な生活をおくっていました。
それが祟ってか、慢性腎臓病を患い、入院せざるを得ないことになり、その後も入退院を繰り返すような日々をおくっていました。
そんな時、知人からの勧めで自然療法というものに触れる機会を得ることとなり、当時の現代医療の進歩とは逆行したやり方で、徐々にではありますが、健康を得ることとなりました。
私はその時の病気、体験から『健康』は私の一生のテーマであり、チャレンジであることに目覚め、それ以来40年以上の月日を『健康』をテーマとした食品の開発に捧げてきました。
しかし、思うほどこれと言った独自の食品とは巡り会えず、悪戦苦闘していました。
そんな折、嘘のような話ですが、私の亡くなった祖母(享年92歳)が夢枕に立ち、私が幼少の頃、農業を営む祖母の手伝いをしているときの風景が鮮明に映るのです。
そして当時、祖母も然程丈夫な方ではなかったと思うのですが、畑仕事の合間に生のにんにくを蒸し焼きにして食べていました。
そのにんにくを私にも勧められ、私は臭いイメージが強いにんにくを、渋々口にしたところ、意外と美味しいことに驚きを覚えた記憶が蘇りました。
そして、今まで見たことのないような加工方法のヒントを優しく教えてくれたのです。
当然ながら夢の中で、音声はありませんが、祖母が私に訴えようとしていることが手に取るように理解でき、その翌日からそのとおりに加工し、3週間経過したところで、にんにくを割ってみると、中身は真っ黒で、恐る恐る口にしてみると、元のにんにくの味は無く、思った以上に食べやすい気がし、どちらかと言えば幼少時に祖母と食べた『意外と美味しい』が思い出される味でした。
それから毎日、黒にんにくを二欠片ずつ食べ続けると、2週間後ぐらいには体の芯から力が漲るようになり、明らかに変化が感じられました。
そしてその加工の仕方を人に伝えました。それが黒にんにく生誕のきっかけとなった出来事です。
それ以降、口コミで全国から沢山の方が私のところへ門徒をたたき、昨今の一大ブームとなりました。
この黒にんにくは、あらゆる研究機関等で成分分析、及び動物実験で様々な効果があることが解明されております。
そしてこの黒にんにくができてから、私の40年の経験も加わり、更なる進化を遂げています。
このホームページを見ていただいた方、恥ずかしながら『元祖 黒にんにく』を、これからの人生で、当たり前であって当たり前でない『健康』と、自身のお体と長く良い関係で付き合える友として、召し上がっていただければ私も幸いです。
どうか一度ご賞味いただければと願います。
平成24年6月吉日
北 村 清 彦
本格販売へ・・・
この度、北村先生が考案し製造に成功した『元祖』である黒にんにくを、三重県、更に言えば伊勢志摩に拘り、『海女の黒にんにく』と命名し、世に送り出すこととなりました。
製造については、北村先生の指導、及び監督の下、三重県伊勢市で、販売は三重県のみならず、全国各地、特に東京、大阪にて販売をすでに開始しております。
そして『海女の黒にんにく』としての販売元は『寺だ屋』が販売することとなりました。
ヒストリーにもあるように、北村先生が開発に成功してから今日まで、製造方法を多くの人に伝えてきましたが、北村先生が自身で製造した物は知人や友人、若しくはごく少数の方々にしか販売しておりませんでした。
しかし、今節、本家本元の作った黒にんにくを世に出したいと考え、北村先生と話し合い、『お安く提供できるのならば・・・』ということで、インターネット等で販売することとなりました。
『海女の黒にんにく』は当サイト、若しくは契約業者(三重各地他)でしかご購入いただくことができません。
お客様にはご不便をおかけするかもしれませんが、どうかご理解をいただき、ご購入いただきますよう、お願い申し上げます。
平成24年6月吉日
寺 だ 屋
代表 寺田 勝昭