2012年07月10日

アメリカ兵に強姦され自殺した母の同僚教師

母は元狭山村の元狭山小学校の教員をしていました。現在の瑞穂第三小学校であり、米軍横田基地から北へ数キロのところにある農村の小さな小学校でした。

母から聞いた話です。同僚女性教員が終戦後駐留したアメリカ兵に強姦され、その後自殺した、と。そして、それを知った母の父は以後母を幽閉し、一歩も外に出さなかったそうです。他人で良かったとは思いませんが、母が強姦されていたとすれば・・私は生まれてこなかったと思います。

もう一つ母の同僚と戦争の話を。
皆さんは、「私は貝になりたい」という映画をご存知でしょうか。妻と映画館で観た最後の映画です。

私は貝になりたいウィキペディアより
<引用開始>内地の日高中隊に所属した豊松は、厳しい訓練の日々を送る。ある日、撃墜されたアメリカ軍B-29の搭乗員が大北山山中に降下。軍司令官の矢野中将による「搭乗員を確保、適当(2008年の映画版では「適切」)な処分をせよ!」という命令が、尾上大隊を経て大北山の最寄にいた日高中隊に下り、山中探索の結果、虫の息であった搭乗員を発見。そこで豊松は、小隊長から滝田二等兵とともに銃剣でその米兵を刺すよう命じられた。
終戦後、豊松は無事に復職するも戦犯として特殊警察に逮捕され理不尽な裁判に人生を翻弄されるのであった
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%B2%9D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84

関谷和著 「子どものころ聞いたことば 話していたことば」より
<引用開始>
H先生の想い出

 H先生に教わったのは昭和18年、4年生の時だった。先生は実業学校を卒業したばかりの18歳で学校の宿直室に寝泊まりされていた。何もかもが軍国調一色に染まっていく学校の中で、この先生は今考えてみると他の先生とはすこしちがったところがあった。
<中略>
 2学期のある日、先生は大学の予科への入学が決まり学校をやめた。でも、その直後に軍隊への入隊が決まった。私たち10数人は、となり村のその向こうの村にある先生の家まで歩いて会いに行った。そのとき、当時はもうめずらしくなっていた白米のごはんをごちそうになった。
<中略>
 その後私は、ひとりだけで先生に会う機会があった。そのとき先生はなんだか淋しそうで、「俺は捕虜を殺した。」と云った。塹壕の中に集められた新兵たちに、隊長は柱に縛り付けられている捕虜を銃剣で殺すよう命令したのだ。「かかれ!」の号令に誰も身動きできない。不気味な沈黙のつづく中で先生はとび出していってしまったと云うことだった。
 先生は大学に復学されて通学していたがその2年後に心臓麻痺で急逝された。私たちは誰も葬式に参列できなかった。申し訳ないことだが、その後墓参りにも行く機会もないままになっている。
<引用終了>


私も「私は貝になりたい」とブログに書いたことがあります。
こちらの方が引用してくれ、当時の私の状況をかなり的確に表現してくれています。

にゅーすななめよみ
http://renuranus.blog25.fc2.com/blog-entry-329.html

「私は貝になりたい」とは、海底の奥深くに暮らす貝なら人間にいじめられなくて済む、という本物の「苦し紛れ」の言葉であり、接点もない、盗用の証拠も持たない新聞社や日本テレビにより取材も受けずに「悪者」と全国報道され苦しんでいる時、私も本当に「今度生まれてくるとしたら貝になりたい」思いました。

今から思えば、東日本大震災ですべてを失った被害者の精神状態と同じくらいの「自分自身では回復できないほどの精神的ショック」を受けたのですから、私が病気にされ、自分をセルフコントロールできない状態に陥らされたことを疑う人間は数少ないと思います。

H先生も同じでしょう。人を殺したことで、自分で自分を傷つけ、病気にさせ、限りなく自死に近い「心臓麻痺」で亡くなったに違いありません。

会えない老母にもうこのことを尋ねることはありませんが、後世に伝えていかなくてはならないことだと思っています。
posted by M.NAKAMURA at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝日新聞をたぶらかしたサンクチュアリ出版


7月8日の記事「悪質なサンクチュアリ出版のウソ」に朝日新聞の記事を引用したところ、ある方からその記事は現在も公開されているとの情報を頂きました。

http://book.asahi.com/news/TKY200905010259.html

<引用開始>
 盗作疑惑が持ち上がってから回収決定まで時間がかかった理由については、「執筆当時の資料が破棄され、著作権者の確認作業に時間がかかったため」としている。鶴巻社長は「謝罪文掲載についても誠意を持って対応していきたい」と話した。
<引用終了>

執筆当時の資料は著者である私が持っている必然性、つまり、鶴巻社長は虚偽の説明をしていることに疑問を抱く人はどれだけいるでしょうか。極めて悪質な行為であり、偽計業務妨害罪(虚偽の風説を流布し、または偽計を用いて人の業務を妨害する罪)に該当すると私は考えます。

朝日新聞は現在でもこの記事を公開しているということは、事実と異なることを報道していることになります。そもそも論として、なぜ著者にインタビューを申し入れなかったのでしょうか。このブログに記している通り、著者である私はあの汚い江川事件から読売が大嫌いになり、以後朝日新聞しか購読してこなかったというまぎれもない事実があります。朝日新聞の取材であれば著者の私は喜んで取材を受けたと思います。おそらく、鶴巻社長が「中村は病気で動けない」くらいのウソをついたのでしょう。

すべてが「中村外しという策略」のもとで進められていたようです。読売新聞の報道から10日ほどでサンクチュアリ出版は私からの電話にでなくなりました。私には一切の情報を与えないという策略でした。しかしながら私は、当時私を後方支援してくれていた東村山市議矢野穂積議員からのアドバイスで、サンクチュアリ出版に以下のような文書を送っています。

平成21年5月2日
サンクチュアリ出版
代表取締役
鶴巻謙介様

「最後のパレード」回収等措置の撤回について(申し入れ)

株式会社 外部の専門家
中村 克


表題の件、下記の通り、ただちに対応されるよう、著作権者として強く申し入れます。



1要望内容
「最後のパレード」の回収、謝罪文公表を即刻中止するとともに、5月1日付で発信した「最後のパレード」回収についての声明文書の内容を撤回して頂きたい。

2理由
取り交わした「出版契約書」の遵守事項(7条、13条、28条)に抵触しており、著作物の内容にまで立ち至って、報道発表が一方的になされることは、発行者の権限を逸脱するものであって、著作権法が定める著作権者たる中村克の著作権全般を侵害するものであり、認められない。
とりわけ、第三者に権利侵害が発生しているか否かについては(第7条)、さまざまな見解がなされているところであり、判断の定まっていない現在にあって、著作物「最後のパレード」の自主回収、謝罪文公表を行うことは、当方に、回復し難い多大な不利益が発生する恐れがある。

3 今後の対応
前記「出版契約書」に基づき、信義をもって協議し、速やかに両社間で合意を形成していきたい。

以上
<転載終了>

朝日新聞は、著者である私にインタビューをしないという公正性を欠いた記事を今でも公開しています。朝日新聞に直接抗議の文書を出したいと思います。
posted by M.NAKAMURA at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

紀藤正樹弁護士の「資格商法」記事について


今朝の朝日新聞のリレーおぴにおんに「権威」への弱さが狙われている、というタイトルの記事が掲載されています。
<引用開始>
そもそも資格を取っただけでうまく行くなんて、人生それほど甘いもんじゃありませんよね。資格なんか持っていなくても、役に立つ人は世の中に大勢います。人は結局、人柄であり、実力です。化けの皮はすぐはがれる。弁護士という資格も同じですが。
<引用終了>

私は紀藤先生から「良い仕事をして信用を取り戻しなさい」というアドバイスのもと、ブログに知財を残すという「生産消費」活動を行っています。(トフラー博士は「生産消費」は本来有料のものと指摘しています)

私の資格取り体験を示します。
5年ほど前でしょうか。高齢の母の介護に備えるためにある会社でホームヘルパー2級の資格を取る講座を受けはじめました。受講した会社だけではないのでしょうが、すぐに資格を取っても「使えない」と判断できるほど、内容は薄く、国の決めに則って資格だけを与えているということが分かりました。

最初に10万円ほど支払ったと思いますが、受講した会社に「時間とお金の浪費にしかならない」と申し出たところ、6万円ほど戻ってきました。

なぜ、私が「だめだ」と判断したか、その答えは簡単です。私は講演でディズニーランドは「デビュー教育」、学校や資格取り教育は「ところてん教育」とその違いを明確に分けて説明していました。
「デビュー教育」とは、デビューできるまで教育するという意味です。自動車教習所を考えてみてください。一人前の仕事(運転)ができるようになるまで、決して卒業させません。ディズニーランドも同じです。

拙書「すべてのゲストがVIP」より
■徹底した教育を受けています

 ディズニーのキャストの仕事は、来園していただいたゲストに最高のサービス、最上のホスピタリティを提供することです。パート、アルバイトのキャストもたくさん在籍していますが、コンビニエンスストアやファミリーレストランのスタッフと、何がどのように違うのでしょうか。

 ディズニーランドでは、教育を受けていないキャストがオンステージに立ち、ゲストに接することは一〇〇%ありません。
 例えば、「シンデレラ城ミステリーツアー」のガイドになるには、すべてのスピール(台詞)を覚えなくてはなりません。アトラクションの仕組みやポジションごとの職責、非常時の対応まで多くの訓練を受けます。
 大切なキャストですので、一対一のマンツーマン教育です。認定を受けたトレーナーが、キャストがゲストの前に立てるまで付きっきりで教えます。こんな相談もあります。
「中村さん、播磨さんのトレーニングですが、スピールが完全でないので後二時間延長してよいでしょうか」
 スーパーバイザーは聞き返します。「どこがまだ不十分なの」
「はい、トレーニーはやる気はあるのですが、最初の城内ツアーの説明とホーンドキングと闘うシーンのスピールがもう一つなのです」
<終了>

対して、ほとんどの資格取り学校は入学してカリキュラムを修了すれば「免許」が与えられます。つまり入口から入り出口へ向かうフィードバックトレーニング(振り返りトレーニング)の無い「ところてん教育」なのです。

決定的であったのが、利用者(介護を受ける人)のパジャマ交換の作業でした。身体の動かない寝たきりの利用者を安全に車いすに移動させ、上下の着衣を交換し、再びベッドに戻す重労働です。興味がありましたら、以下のサイトをご覧ください。

老人 介護 着衣交換・洋服やパジャマなどのかぶり式の上衣の着替え
http://01kaigo.seesaa.net/article/167678262.html

事故があれば責任を取らされる介護現場で働く人への教育です。このパジャマ交換作業も他の多くの作業同様にたった一度の練習体験で次のカリキュラムへ進んでしまいます。これでは介護の仕事の世界へデビューできるわけがありません。

実際に、講演をした介護施設の責任者に話を聞くと、案の定どこでも「使いものにならず、再教育を施している」という話でした。

ニートと呼ばれてしまっている人たちも同じです。「ところてん教育」により社会に押し出されたため、自信がないのです。自信がないから怖くて社会にデビューできないのです。

秋葉原連続殺傷事件もニート、引きこもりの問題も個人の問題ではなく、社会問題としてとらえ、教育から変えていかないと日本社会に平安が戻ることはない、そう断言いたします。
posted by M.NAKAMURA at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

立教大学の建学の精神と香山リカ


建学の精神について
<引用開始>
キリスト教に基づく教育とはいったいどんなものでしょうか。キリスト教は大学の持つ本来的な姿勢に対して何らそれを束縛し、規制しようとするものではなく、ましてや信仰を強制するものではありません。キリスト教本来の姿は、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場へ導こうとするものです。そこに求められるのは、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢です。
<引用終了>
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/spirit/foundation/

香山リカ教授
http://cp.rikkyo.ac.jp/prof/prof_kayama.html

これから、私がここに記すことは真実です。

2009年の秋の日、私は東村山駅東口の府中街道に面した牛丼店で昼食をとりました。そして、いつものように府中街道を図書館の方向に歩いていたところ、突然神の啓示がありました。

「右に曲がりなさい」

私は、金物屋の角を右に曲がり駅方面に向かいました。すると。

「本屋に入りなさい」

私は本屋に入りました。「あゆみ」という小さな書店です。神はどの本を読めとおっしゃっているのか、その答えは分かりませんでしたが、積まれていた香山リカ著の「悪いのは私じゃない症候群」を購入しました。
http://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%A6%99%E5%B1%B1-%E3%83%AA%E3%82%AB/dp/4584122393/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1341799998&sr=8-1

家に帰り、読み始めてすぐに神の啓示の内容が分かりました。本のタイトル通り、香山リカ氏は最後のパレード事件を取り上げ、あたかも私がホームページからコピペした論文を提出する低レベルの学生のように「悪いのは私じゃない症候群」の代表者のようにイメージづけています。読売ホイホイ人間の香山リカ氏は読売新聞の記事をそのまま頭にコピペし、私に取材することなく私を誹謗・中傷し侮辱しています。

キリスト教関係文書より
<引用開始>
加害者(傷つけた人)が自分の犯した悪事を認識するのを拒むとき

これは最も難しく、ケアカウンセリングにおいては最も取り扱う頻度が多いケースです。違反(侮辱)は、傷や悲しみをかきたてたり、生じさせたりします。このときの悲しみや怒りが表現されるのは正常なことです。
ひどい侵害に対して反応(または対処)しないのはおかしなことなのです。不当な仕打ちを受けた苦しみに対して怒りを感じ、加害者(傷つけた人)の行為が私たちの人生に与えた悲しみを感じることは正常で理にかなったことなのです。
一般に怒りよりも悲しみを認識するほうが容易いでないようです。怒りに対しては問題を感じる人が(とくにクリスチャンは)多いからです。しかし、痛みを否定するというのは自分自身に対する敬意を欠いていることであり、怒りを否定することは自分自身を大切にしないことなのです。
認識され、適切に表現された怒りは必要なものであり、正当で、自然なことです。怒りをどのように表現すればいいのかを知り、怒りの持つ役割を理解しなくてはなりません。
<引用終了>

著書「悪いのは私ではない症候群」で香山リカ氏は、「上司から突然にプレゼンを指示され失敗しても、失敗の責任は上司にはなく、上司のせいにするな」という意味のことを書いています。(原文:会議でうまくプレゼンできないのは、私のせいじゃない。突然、指名した上司や家庭で何かとプレッシャーをかける妻、そしてこのいつ起きるかもわからないパニック発作のせいのだ。6ページ)

クリスチャンには全く通用しない思想であり、危険です。失敗の原因を上司と部下が共有することなくして、前には進むことはできないからです。部下管理の鉄則が理解できない香山リカ氏。そして、精神病理学を専門としながら、平気で他人を侮辱する香山リカ氏。

こういう人間であるということを立教大学に教えてあげたいと思います。

侮辱罪ウィキペディアより
2006年9月11日、侮辱罪の法定刑のうちで最も重い「29日間の拘留」とする最高裁判決(上告棄却)がなされ、後に確定している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%AE%E8%BE%B1%E7%BD%AA

建学の精神について
<引用開始>
キリスト教に基づく教育とはいったいどんなものでしょうか。キリスト教は大学の持つ本来的な姿勢に対して何らそれを束縛し、規制しようとするものではなく、ましてや信仰を強制するものではありません。キリスト教本来の姿は、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場へ導こうとするものです。そこに求められるのは、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢です。<引用終了>
posted by M.NAKAMURA at 11:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自殺する前にしなくてはならないこと

門間順平さん、あなたの讒言(ざんげん 他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪しきさまに告げ口をすること)報道により、私は、今でもこのように脅されているのです。あなたに良心というものが少しでも残っているのなら、悔い改めなさい。

547 :朝まで名無しさん:2012/06/18(月) 04:00:15.50 ID:JDsiuaMw

抗議の自殺 抗議の自殺 抗議の自殺
死をもって無実を証明すべき。

そうでなければブログなどは無意味。だれも信用しない
最大の勇気をもって自殺することだけが無実の証明となる。

それもできないヘタレ臆病者はやっぱり盗人だ!
やってみろ! 犯罪者の前科者!
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1331702037/501-600

3年前の今ごろ、私は苦しみ喘ぎまわっていました。そんな私を神は教会へと導いてくださいました。

フランス系日本人のダニエルは私にこのようにしなさいと言いました。

人間の脳は三つに分かれます。「本能脳」「感情脳」「理性脳」です。あなたの「感情脳」は、憎しみや恨みでいっぱいになっています。だから「理性脳」が働かないのです。それを吐き出しなさい。あなたの上の黒い雲が晴れることはありませんが、雲の上に立つことができるかも知れません。教会のドラムスをたたき、物に当たってください。あなたが恨んでいる人の名前を出してもいいので、とにかく、「感情脳」に溜まっているものを外に出しなさい。

私は、イスをたたいたり、ティッシュボックスを床にたたきつけたりしながら、「鶴巻の裏切り者!」「門間順平のひきょう者!」などと叫びながら、15分ほど暴れまわりました。

すると、ふと「哲(さとる)」という言葉が頭に浮かんできました。私を谷底へ突き落した読売新聞の門間順平記者やサンクチュアリ出版の鶴巻謙介社長に「哲」を与えたいと思いました。頭が軽くなったようで、まさにダニエルが言った「雲の上に立つ」ことができたのです。

後にダニエルから聞いた話では、ドメスティック・バイオレンスに苦しむ夫婦が、この方法により「帰るときは手をつないでいた」そうです。

以後、私は今日まで「感情脳」に恨みを溜めることはありません。

さて、皆さんの中で雄弁学を学んだ人がどれだけいるでしょうか。

まずこちらをお読みください。「友愛ギフト読本」に記したものの一部です。

右矢印1「これまで」と「今から」を分けて考えましょう。
残念ながら人類はまだタイムマシンを持っていません。ですから「これまで」つまり「過去」は絶対に変えられないのです。

コンピュータや携帯電話に「記憶装置」があるように、人間には、「はーとディスク」という「心の記憶装置」があると考えられます。人間一人ひとりの「はーとディスク」には、過去の記憶がたくさん書き込まれています。書き込まれた記憶は「良い記憶」「悪い記憶」に分かれます。

「これまで」は、変えられない過去の「悪い記憶」が、人の性格形成や暴力行為や犯罪の「意思決定」に影響を及ぼしてきました。それだけではなく、変えられない過去の「悪い記憶」は、個人だけではなく、集団の「意思決定」や、国家の「意思決定」にも影響してきたことは誰も否定できないでしょう。

あの人は過去に麻薬事件で逮捕された、あの会社は過去に事件を起こした、あの国は過去に日本に原爆を落とした。事実であっても、過去は絶対に変えられないのです。

変えられないものを追いかけたり、変えられない過去の犯罪者にレッテルを張ったりすることは、決して幸福の生産性を高めるものではなく、人と人、人と集団、人と国家の間に悪いストレスを生み出すだけです。

■心を軽やかにしましょう
私たちが選択した「今から」は、「これまで」の悪い記憶に影響されてはいけません。なぜならば、過去の悪い記憶は、私たち一人ひとりのギアを前に進む「前進」ではなく、後ろに進む「バック」の状態にしてしまうのです。
私たちが選択した「人を大切にする国づくり」に向かって力強く前進するする妨げになるのです。

これからは変えることができる「今から」だけを考えましょう。変えられない過去の清算は、立法、行政、司法の権力者に任せて、私たち国民は前だけを見ていくことが大切なことです。

原爆の投下や消えた年金問題も同じです。過去は変えられません。官僚や公務員の過去の仕事ぶりに対して注目が集まっていますが、過去を批判してもこれからの幸福の生産性は高まりません。過去の過ちは水に流してあげましょう。

原爆投下も大きな過ちではありますが、二度と原爆が使用されることがないよう前だけを見た行動が必要なのです。

■「許し」と「赦し」を分けて考えましょう

私たちの心の「はーとディスク」に保存されている悪い記憶を生み出した犯人も分けて考えられます。真の犯人は「自分」と「他人」です。

「許し」とは、excuseです。エクスキューズミーのexcuseであり、これは礼儀作法やマナーの欠如に関するものです。一方、「赦し」はpardonです。「赦し」は重大な違反に対して与えられるものです。

軽い間違いや悪意のないミスは人を傷つけたり、感情を害したりするものではなく、「申し訳ない」という表明をすればよいことです。このようなささいな間違いに対しては、人は他人を「許す」べきなのです。

「赦す」の意味は「許す」より深いものです。暴力を受けたり、名誉を傷つけられたり、悪意のあるいたずらをされたりした「被害者」が「加害者」の事後対応に納得して、「水に流す」行為が「赦す」ということなのです。

「赦す」「赦さない」という決定は感情ではなく、自分自身の頭脳が決める行いです。憲法の精神に則した変わることのない人間としての「正義」と適合するか、しないかを自分自身も頭脳で判断し、自らが決定しなくてはならないのです。

加害者の反省なき姿勢は傷つけられた被害者に苦しみを与え続けます。
私たちは、被害者を苦しませる後悔なき加害者を心からの反省なしに赦してはいけません。

日本では「赦す」でも、「赦さない」でもない「(怒りの感情を)押し殺す」ことが美徳のように言われますが、この「押し殺す」という行為ほど危険なものはありません。なぜならば、心の「はーとディスク」に溜まった、押し殺された怒りの気持ちは、いずれ爆発するからです。

「はーとディスク」という記憶装置から消去されない「押し殺された怒り」は、30年、40年後に爆発することさえあります。(厚生次官殺害事件の犯人は、少年時代に愛犬を保健所で殺されたという感情から犯行に及んだと供述しています。)

怒りを「押し殺す」「我慢する」という行為は、一見正しいようですが、爆発以外にも個人の心の動きに大きな影響を与えてしまうのです。それは、自分自身に怒りを向けてしまうという動きです。「原因をつくったのは私かもしれない」「自分はダメな人間なのかもしれない」など、自分が自分自身を崩壊させてしまう基となる不要な「自己嫌悪感」を生み出してしまうのです。

ほとんどのうつ病の主な原因は、この「自らに向けられた怒り」だそうです。「自らに向けられた怒り」はうつ病だけでなく、高血圧症や潰瘍、偏頭痛などの異常も生み出す実に恐ろしい感情であることを私たちは、再認識しなくてはならないのです。

■心を軽やかする友愛武具
「被害者」になってしまった場合には、以下の手順で、事実関係や感情を整理してみましょう。

バツ1起こったことはこういうことです。あなた方が私たちにしたことはこういうことです。
バツ1私が感じたのはこういうことです。
バツ1私の生活に与えた影響はこういうことです。
バツ1私はこういう弱い人間です。
バツ1私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
バツ1そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。

自分や他人を「赦す」ことができるかできないかが、このテキストの最大のテーマと言っていいでしょう。ぜひもう一度手順を読み返してみてください。何となくでも「赦すこと」は自分の心を軽くすることにつながることに気がつくことでしょう。

この項目をまとめます。

◇他人が加害者の場合、加害者が心から反省して、心からの謝罪を行い、以後の行いを改める約束をするまでは、加害者を決して赦してはなりません。加害者が後悔しなくても、決して私的な制裁(リンチ)を行ってはなりません。加害者の心からの謝罪を引き出すためには、「友愛武具」などを使い、感情ではなく加害者の理性に訴えていくことが大切です。

◇他人への怒りを自分の中で「押し殺す」行為は、自分を崩壊させることにつながります。同時に真実を覆い隠すことにもなりかねません。我慢せずに「声を上げる」行動が自らを助けます。

<参考;理性的な加害者へのアプローチ方法>

以下の友愛武具を用い加害者にアプローチすることが有効です。「こういうこと」を分けて教えることで、相手に分からせる効果が期待できます。(英国人女性の死体が遺棄された事件の容疑者の家族が実際に受けたと推察される被害状況を参考にしてください。)

◇これが起こったことで、あなた方が私たちにしたことはこういうことです。私たちが感じたのはこういうことで、私たちの生活に与えた影響はこういうことです。そして、私たちがあなた方にして欲しいことはこれです。


英国人死体遺棄の容疑者である息子の事件とは関係のない、病院や自宅に対する匿名の集団的な私的制裁行為(集団リンチ)が起こったことで、「匿名テロリスト」たちが、私たちにしたことは、憲法に保障された基本的人権の侵害です。

私たちが感じたのは、ゆるしがたい「怒り」の念と、「ラケット感情(自分が自分自身を崩壊させていく自己嫌悪感)」であり、私たちの生活に影響を与えたのは、@電話に出られなくなった。A外出時に身の危険を感じるようになった。B仕事を失い、将来的な不安を抱えるようになった。などであり、さらに、診療中の患者にも多大な迷惑を掛けることにもなりました。

そして、私たちがあなた方「匿名テロリスト集団」にして欲しいことは、思考停止状態から抜け出し、行動を自分の頭で考えて欲しいということです。感情を司る脳を刺激し続けるマスコミにマインドコントロールされることなく、理性脳で行動を律して欲しいということです。

■友愛社会を築き上げるために「私憤」と「公憤」を分けて考えましょう
まず怒りを「悪い怒り」と「良い怒り」に分けて考えてみましょう。
「悪い怒り」とは、暴力的で激しかったり逆上したりします。「分別」を失ったものであり、元々道理にかなっていないもので、動機は個人的な「ストレス発散」や「ねたみの気持ち」などから生まれたものです。

友愛社会を築き上げるために大切なことは、この「悪い怒り」を「正当な怒り」であると誘導する行為を見破ることです。
ある有名女優は薬物使用がきっかけで悪者とされ、別荘を焼失してしまうことになりました。これが放火によるものだとすれば、「悪い怒り」に正当性を抱かせるような報道があったのかなかったのか、私たちはもう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

次に「良い怒り」です。「良い怒り」は社会の幸福の生産性を向上させるものです。貧困への怒り、差別への怒りなど、デモ行進や反対集会など、民主主義をさらに進化させるための怒りが「良い怒り」です。「良い怒り」は「良い不満」と言いかえられます。

私憤(しふん)」と「公憤(こうふん)」の違いは字の通り、「個人的な憤り」と「公(おおやけ)の憤り」の違いです。ほとんどの「公憤」は道理にかなった「良い怒り」であり、幸福の生産性を向上させる、民主主義社会には必要不可欠な「憤り」です。

これまでの私たちは、「私憤」を中心にした競争社会に生きてきました。そして今、多くの人々の「公憤」により、これまで進んできた道を「チェンジ」し、新しい道を選択することに成功しました。

新政権が目指す「新しい公づくり」とは、人と人が支え合う社会づくりです。「私憤」や「公憤」といった「憤り」のない社会づくりは、お金を豊かさの中心とする社会から、心の豊かさを実感できる社会へこの国を転換させます。
そのためには、誰もが、良い私憤、良い公憤なのか、それとも悪い私憤、(テロリストや過激な環境保護団体が抱く)悪い公憤なのかを見分ける力をつけることが大切なのです。
<終了>

バツ1起こったことはこういうことです。あなた方が私たちにしたことはこういうことです。
バツ1私が感じたのはこういうことです。
バツ1私の生活に与えた影響はこういうことです。
バツ1私はこういう弱い人間です。
バツ1私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
バツ1そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。

私に当てはめれば、「自覚なき殺戮者」読売新聞がしたことは・・・・になります。どうなったかはこのブログでお伝えしている通りです。

私はこの論法をダニエル論法と呼び、日本人に欠けている雄弁学の道具にしていきたいと考えています。

そして、すべての子どもたちに、この論法を身につけさせ、いじめたり、「こころ傷つけ言葉」を発したりする者へ、紙に書いて手渡す。返事を待つというシステムをつくれば、いじめはなくなるはずです。

勇気を持って全員で全員を守るシステムをつくること、そうすることにより自殺者をなくすことこそがドリーム党の使命だと考えます。

posted by M.NAKAMURA at 10:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北朝鮮ミッキーマウス登場報道の読み方


北朝鮮:ミッキーマウスそっくりの着ぐるみ登場
<引用開始>
北朝鮮で6日、最高指導者、金正恩第1書記も出席して開催された音楽公演に、ミッキーマウスなどディズニーの人気キャラクターそっくりの着ぐるみが登場していたことが分かった。ラヂオプレス(RP)が9日までに報じた。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20120709k0000e030058000c.html?inb=tw

アメリカ政府は日本と違い北朝鮮との対話姿勢を見せている。

Daily NK - オバマ米大統領訪韓…グランドバーゲン支持を表明
<引用開始>
2009年11月19日 ... 特に、オバマ大統領はアジア訪問の前に、「李大統領と私は北朝鮮の核とミサイルの拡散問題について『包括的な解決(comprehensive package)』をする必要性について意見が一致した」と述べ、グランド・バーゲンへの支持を間接的に示した。
<引用終了>
http://japan.dailynk.com/japanese/read.php?num=7426&cataId=nk00100

このグランド・バーゲンから類推するとアメリカ政府がディズニーに何かを依頼したとも思えるが・・・・
報道する(ニュースは商品である)共同からすれば、ミッキーやミニーに似てなくてはニュースにならない。よって、遠方斜めからの写真を掲載している。このロジックの方がすっきりする。

ミニーの背丈が大きい、右はじのティガーもなんか変、と感じたのは私だけであろうか。

こういう政治が絡む問題の場合、オリエンタルランドと違い利口なディズニーは何も反応しないという立場をとって来たが、さてさてどのような展開になるか気になる所ではある。
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2012年07月08日

中村が読売の「ひれ伏せ」に屈服しない理由


この記事を読んで頂ければ理解いただけるはずです。ヤメ検の郷原信郎氏は「思考停止社会」にこう書いています。

<引用開始>
食の偽装、建築の強度偽装、ライブドア事件、厚生年金記録の「改ざん」問題。取り上げられる事例に共通することは、コトが表面化した途端に企業、組織がメディアや世の中からバッシングされ、事実や背景、原因は無視される構図だ。

「法令遵守」「偽装」「隠蔽(いんぺい)」「改ざん」「捏造」バッシングに使われる言葉の数々を、時代劇になぞらえ「印籠(いんろう)」と呼ぶ。

日本人は「印籠」を出されるとひれ伏してしまう。メディアも世の中もバッシングに加担。思考停止です。
2009年4月19日 朝日新聞
<引用終了>


朝日新聞、2000年3月5日の「天声人語」から

<引用開始>
「私は心の底では責任があるとは感じていません」
彼は、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。ユダヤ人虐殺にかかわった戦犯として、一九六一年にイスラエルで裁判を受け、死刑になった。

その法廷の未公開記録映像をもとに作られた映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』が、東京と大阪で上映されている(名古屋などでも上映予定)

なぜ罪を認めないのか。「私は命令に服従しなければならず、それを実行しなければならなかった」と、彼は言い募る。上官に忠実だっただけであり、同じ立場なら、だれもが同じ事をしただろう。だから人道的にはともかく、法的な責任はないのだ、と

この弁明に、裁判を取材したユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレントは当時、『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)を書いて反論した。

<君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性とのあいだには決定的な相違がある>。事情はどうあれ、実際に「服従」したことそのものに罪があるのだ、と

<引用終了>

服従するのは無責任であると断罪しています。私もそう考えます。
しかしながら、日本人は服従を可とします。

<引用開始>
<新入社員>「良心に反する仕事でも行動」 初めて4割超に

 社会経済生産性本部が26日まとめた04年度新入社員意識調査で、「自分の良心に反する仕事でも指示通り行動する」との回答が43.4%に上り、初めて4割を超えた。給与や昇格で年功序列を望む傾向も過去最高に達しており、同本部は「厳しい就職活動を背景に、滅私奉公的なムードが強まっているのではないか」と分析している。
毎日新聞 2004年4月26日
<引用終了>

秋葉原事件を起こした加藤容疑者と同年代の思想です。例え他人を傷つけようが、自分のためならなんでもするという読売新聞特有の「エガワる思想」と言えると思います。
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読売新聞を読むとバカになるB

福島第1原発 「国民性が事故拡大」 英各紙、国会事故調報告に苦言
<引用開始>
 【ロンドン=内藤泰朗】東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120708/dst12070811130003-n1.htm

マクロの発想を身につけるとこのような結論に必ず至る。筆者の見方も先の7月06日「国会事故調の最終報告を笑う 」通りである。人間が決めた法律を守らなければ処罰されるという硬直化した国民性が事故を生むのである。

読売新聞は昨年の7月24の一面二面に「不足する安全管理の専門家」という竹森俊平慶大教授の主張を掲載している。
<引用開始>
雑誌で英国のジャーナリスト、ビル・エモット氏と対談した時に、英国人が福島の事故に比較的冷静なのはなぜかと尋ねると、英国政府主席科学顧問の説明が適切だったと答えたのだ。原発事故の最悪のシナリオを明示し、その場合でも事故現場から30キロ以上離れていれば健康に問題なはいと完璧な分析をしたのだという。
<中略>
高度な科学知識を持つ安全管理専門家がいて、真実を包み隠さず語れば国民は信頼する。
<中略>
「安全管理の専門家の不足」、もう新興国でもないのに依然として日本はこのアキレス腱を抱える。深刻な問題だ。
<中略>
日本にはなぜ、一流の安全管理の専門家がいないのか。おそらく安全管理という仕事が、これまで重視されてこなかったためだ。
安全管理とは、危険な融資、危険な原発に「待った」を掛ける仕事だ。しかし「待った」を掛ける行為自体は目に見える利益を生まず、むしろ利益の発生を妨げるネガティブなものと認識されやすい。
<引用終了>

筆者は講演活動をしていた頃、ダイセル化学工業(現在は株式会社ダイセル)の役員対象の講演をした事がある。
ダイセル化学工業は、タバコのフィルターでは日本独占、世界で二位のシェアを持つ超一流会社である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%AB

朝日新聞の社説にも登場している。

ダイセル化学工業ノウハウの継承企業若返りのテコとして朝日新聞 2008年7月29日
<引用開始>
 団塊世代の大量退職を迎え、その知識や技能を継承しつつ組織を若返らせることが企業社会の課題になっている。ノウハウの継承をどう企業の革新に結び付けるか。その取り組みを一つご紹介しよう。
 兵庫県姫路市にあるダイセル化学工業の網干(あぼし)工場。液晶画面の部品の素材などを生産している。ここで96年から若返り作戦を進めた結果、生産性が3倍へと飛躍的に向上したという。
<引用終了>

生産性を3倍に向上させた理由は「マニュアル化」である。知識を属人化せず共有することで生産性が3倍になったのである。
この出来事は筆者の講演の前であるが、良いものは何でも取り入れることこそが、企業の成長の「肝心要」である。

翻って、一般の企業は筆者の講演を聞いても「丸ごと取り入れる」ことはない。東京電力がその良い例である。なぜならば、筆者の講演内容を「丸ごと受け入れる」ということは、「道場破り」されたことを意味してしまうのである。

過去の延長上でしか物事を捉えられないミクロ人間は、新しい何かにチャレンジしたがらないのである。

安全管理の問題も同じである。読売新聞はこのように的を射た投稿記事を掲載しているのに、「英国政府主席科学顧問の説明」とはどんな内容なのかを追いかけていない。確か8月の初旬だったと記憶しているが、原発問題のこれからを独自にとりまとめ、大々的に報道していた。

読売新聞が、掲載した「不足する安全管理の専門家」問題に対し、読売新聞は極めて無責任と言わざるを得ない。筆者は安全管理の専門家の一人と自負するが、読売新聞にそのノウハウや理論が掲載されることはない。高い購読料を支払っている読売新聞読者が哀れに思えて仕方ない。
posted by M.NAKAMURA at 13:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

訴状

訴     状

2012(平成24)年 月 日


埼玉地方裁判所民事部 御中
原告 
当事者の表示
〒 
被告 生活クラブ生活協同組合
当事者の表示
〒336−0021 埼玉県さいたま市南区別所5−1−11

損害賠償等請求事件
訴訟物の価額金9,000,000円
貼用印紙額金32,000円

請求の趣旨
1.被告は、原告 に対して金900万円及び本訴状到達後完済に到るまで年5分の割合による遅延損害金を支払え。
2.被告は、謝罪広告を同記載の条件により掲載せよ。
3.訴訟費用は被告らの負担とする

請求の原因
第1 当事者
原告は東京電力福島第二原子力発電所および四国電力原子力発電所において、重大事故防止を目的とした安全管理研修を行った実績のある原子力発電の専門家である。
被告生活クラブ生活協同組合は、売り上げを高めるためのビジネス上の差別化戦略から、過度に組合員の放射線への不安を煽っている。
第2 不法行為
1.組合員会合による名誉毀損と傷害
@名誉棄損事件及び傷害事件の概要
被告生活クラブ生活協同組合は2012年3月22日に生活クラブ本部にて、「福島受入ツアー企画会議」を開催した。原告は当該会議に出席したが、その会議の席上で、生活クラブの理事と名乗るものが、原子力問題の専門家である初対面の原告に対し、以下のような発言を行い、威嚇した。
イ)福島の子どもたちはレントゲン室にいるようであり、放射線量が低く安全な場所に一時的に避難させる必要がある。
ロ)(原告が「レントゲン室」という表現は不適切極まりないと指摘すると)常識である。そんなことも知らないのか。

A原告の社会的評価の低下と持病の悪化
被告はその後も原告の提案内容「福島の生活協同組合員の子ども十数人を受け入れるという企画はあまりにも福島県民の期待を矮小化している。市には青少年用の野球場が何面もある。当方が責任を持って対応するので市での受け入れも検討して欲しい」と発言しても、あたかも一元者には提案権がないという言行を繰り返し、原告の提案は一切審議されることはなかった。そして会議に参加している生活クラブ組合員や理事、事務局職員に組合員としての適格性を欠いているかのように印象づけた。
原告は埼玉医大で治療を受けている精神障害者である。PTSDと診断されるためには、次うち二つ以上が存在することが必要である。
イ)不眠(寝つきが悪い、眠りが浅い)
ロ)苛立たしさ、または、怒りの爆発
ハ)集中困難
ニ)過度の警戒心
ホ)過剰な驚嘆反応
原告は全てに当てはまる。日本的表現を用いれば被告により「傷口に塩をぬられた」ことにより、脳の障害が悪化し、自分では脳の働きがコントロールできなくなったのである。原告は当該事件後、生活クラブから送られて来た食料品を見るたびに、被告が原告に与えた名誉棄損と精神的傷害の事件日を思い出す(医学用語でフラッシュバックという)という重大な精神的苦痛を受け続けている。さらに、原告は生活クラブから送られてくるチラシ上で展開されている独自の放射線管理対策の理不尽さにより、トラウマ「自分では対処できない程の衝撃を受けたときにできる心の傷」が悪化し、当該事件後約一月半の時間を「ぼうっとしている」状態を強いられた。

2.被告の重大な社会的責任
被告は、協同組合としての設立理念から著しく逸脱した極めて身勝手な理屈を駆使し、その後も根拠なき放射線被曝に関する独自基準を設定するなどして、組合員を標的とした悪質な「風評ビジネス」を繰り返している。
被告による風評加害が悪質であるのは、「世論がそうだから」という理由だけで、不適切・不穏当をしても許されるかのような独自の主張を強調し、自ら為した風評加害行為を根拠なく正当化するという態度に表現されている。
従って、被告らが原告らの名誉権を侵害することにつきこれを知りまたは知らないで原告の精神と肉体を傷つけ、名誉権を侵害したのであるから、右不法行為につき、民法第709条及び同第719条に基づき、損害賠償の責任を負担するとともに、原告は現在に至っても依然としてその社会的評価が著しく低下させられ重大な精神的苦痛を受け続けているので、損害賠償の責任に加え、責任の負担として、組合誌などを通じての謝罪広告の掲載が必要である。

第3 損害及びその評価
1.原告らの損害
原告は、前項までに記載したとおり、名誉棄損、傷害事件による被告らの悪質な不法行為により、その社会的評価が著しく低下させられ、現在に至ってもなお重大な精神的苦痛を受け続けている。
2.損害の評価
前項記載の原告の精神的苦痛を慰謝しつつ、被告の悪質な不法行為およびその強い違法性は、以下のとおり法的に評価される。
@被告らの悪質な不法行為により原告が被った損害及び慰謝料は、900万円をくだらない。
A依然としてその社会的評価が著しく低下させられ、重大な精神的苦痛を受け続けているのであるから、組合誌などへの謝罪広告が必要である。

第4 結語
福島県で被曝した女性が、精神的障害による苦痛により自死した事件で、遺族は東京電力に対して9千万円の損害賠償を求めた訴訟を福島地裁に起こしている。 同様に、原告は、被告に対し、民法第709条及び同第719条に基づき請求の趣旨第1項記載の損害賠償および民法第723条に基づき請求の趣旨第3項記載の謝罪広告の掲載を求め、本訴提起するものである。

証拠方法
「福島受入ツアー企画会議レジメ」
「生活クラブチラシ」
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ピラミッド・ストーンで死者数は減少する

南海トラフ大地震、死者最大40万人…関大教授
<引用開始> 
河田教授は「東日本大震災よりさらに厳しいが、『40万人』は絵空事ではない。危険性をしっかり理解し、防災対策を考えてほしい」と話している

<引用終了>
http://www.yomiuri.co.jp/feature/earthquake/news/20120707-OYT8T00539.htm

ドリーム党は高台移転論を否定します。なぜならば、住居が高台に移っても仕事場は海の近くであり、「完全避難」ができないからです。

それより、後藤新平案のように、道路をつくることです。高台や「山向こう」に向かって市街地には幅100メートルの道路を築くのです。市街地から先は何本の道路に分かれます。市街地が渋滞しないように信号制御するとともに、避難訓練を繰り返し、車で逃げるシステムを構築することにより、外国からの観光客も安心して日本に来てくれるでしょう。道路造りですから、土建やさんも公務員も喜びます。

マクロの思考道具と日本の経済力があれば必ずできます。日本は世界一安全な国として尊敬されるに違いありません。

ピラミッド・ストーン関連の記事はこちらから
http://dream333.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%83s%83%89%83%7E%83b%83h%81E%83X%83g%81%5B%83%93&vs=http%3A%2F%2Fdream333.seesaa.net%2F&tid=seesaa_hotspot&hid=167&c=12&search=1&ic=shift-jis
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悪質なサンクチュアリ出版のウソ

過去を探ると面白い記事に出会う。私が病気で苦しんでいたころ、サンクチュアリ出版はこんなウソをついていた。サンクチュアリ出版に対し、事実確認の文書を送付する。

引用開始
「最後のパレード」回収を発表 出版元、盗作疑惑問題で2009年5月1日20時54分
印刷
 ベストセラー「最後のパレード」(中村克著)の盗作疑惑問題で、出版元のサンクチュアリ・パブリッシングが1日、同書を回収することを発表した。鶴巻謙介社長は「問題のケース以外にもインターネットの書き込みなど、他の著作権者が特定できるものが出てきた。販売を継続することで、これ以上多方面にご迷惑をかけられないと判断した」と語った。
 盗作疑惑が持ち上がってから回収決定まで時間がかかった理由については、「執筆当時の資料が破棄され、著作権者の確認作業に時間がかかったため」としている。鶴巻社長は「謝罪文掲載についても誠意を持って対応していきたい」と話した。
 同書の発行部数は50万部。これまでに約34万部売れている(オリコン調べ)。
http://rondan.tv/2009/10/22/%e5%8f%8b%e6%84%9b%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%82%92%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%82%8b%e7%9c%9f%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%9b%bd%e6%b0%91%e4%b8%bb%e6%a8%a9%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e4%b8%89%e6%a8%a9%e5%88%86%e7%ab%8b/

執筆当時の資料が破棄され
悪徳企業の常套弁解手段である。悪徳弁護士の指導によるものか。

執筆当時の資料は私のPCに収められている。だまされている日本中の書店と読者が哀れでならない。

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祈り

主よ、私の唇を開いてください。
私はあなたに賛美を捧げます。

私の命はあなたの御手の中にあります。
願わくはどうか、私をお救いください。
あなたの僕に、あなたの愛の光で慈しみを示してください。

主よ。私たちの祈りを聞き、私たちを憐れんでください。
神の国のために体と心を捧げた人たち、
キリストの歩まれた道に従いつつ苦闘している
すべての人たちに、精霊の賜物をお与えください。

国々の政治の任にあたっている人々の上に、
正義と平和とももたらす政策を実行するよう、
神の力をお与えください。

過酷で非人道的な環境で働かなければならない
人々のために、彼らの人権が正しく認められ、
正当な報酬が与えられますよう、主よ、どうかお助けください。

主よ、あなたの御名はは日の出から日没まで崇められます。
どうか
私たちの心をあなたの知識で満たし、
私たちの口に賛美の歌をお与えください。
願わくはどうか、世界の果てまで、すべての人々が、
ひとつの声、ひとつの心で、あなたの栄光を
賛美することができますように。

テゼー共同体の祈りより

日本基督教団 東村山教会 牧師 芳賀 力
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2012年07月07日

菅直人の今日の一言に物申す


<引用開始>
 今日の産経新聞、森喜朗元首相の「単刀直言」は興味深い。

 「野田さんはよくやった」と率直に評価。小沢さんが昨年6月、「自民党が不信任案を提出したら俺たちも乗る、菅内閣を倒したら谷垣貞一総裁を首相指名して大連立だ!」と言ったことも披露している。
<引用終了>
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11296293151.html

私が言いたいことは2つです。
一つ目は、小沢一郎元幹事長とはこんな人間なのかと思ったこと。大連立問題の時も読売新聞の渡辺恒雄フィクサー説が流されたが、森喜郎元首相のこの暴露で小沢一郎も「終わり」だろう。

もう一つは、森喜郎元首相という人物への評価の変化です。森喜郎元首相は「神の国発言」やえひめ丸事件の際、ゴルフをしていて、対応が遅れたことなどを野党やマスメディアから非難され辞任に追い込まれました。

ウィキペディアより
神の国発言(かみのくにはつげん)とは、2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%99%BA%E8%A8%80


 日本のナショナリズム 鈴木貞美 平凡社
<引用開始>
民族宗教
西欧の国民国家は、キリスト教とは別の、人々の結びつきの創出を意味したが、ドイツではルーテル教会などプロテスタンティズムを民族宗教とする有力な思想が登場していた。そして、アメリカ独立宣言では種々の集団をつくる権利も神によってつくられるとされていた。
日本では、日本神話の普遍性をことあげする「国学」の伝統に依拠し、ドイツのプロテスタンティズムの民族宗教論を借りて、キリスト教の神にあたるものとして「宇宙大生命」を、イエスにあたるものとして「天皇」という観念を東京帝国大学の憲法学者が創作していた。これが普遍を名のるナショナリズム、すなわち「超国家主義」のおおもとだった。
西欧帝国主義がキリスト教と近代物質文明をグローバライズする「使命」を帯びていたとするなら、日本帝国主義は、超宗教的普遍主義の理念によってそれ(近代物質文明)を超克する使命を帯びてアジアへと侵略していった。
<引用終了>

実に分かりやすい「神の国」表現です。この国は原子力発電所の管理や国家形態を含むすべてを東京大学の「一味」が取り仕切っているのです。話はそれますが、薬害エイズ事件でそのことに気付いた菅直人首相が事故直後に婦人の伸子氏に「東京工業大学の名簿を官邸に届けるように」と頼んだことを私は評価します。
(ちなみに福島第一原子力発電所の所長だった吉田昌郎氏も東京工業大学出身)
菅直人の東大観
http://degreemill.exblog.jp/14065347/

話を「天皇を中心とした神の国」に戻します。
このブログでは、高句麗人などの渡来人とオリジナルの日本人が「和」になり、さらに大きな「和」であるWIN―WINの国「大和」を築き上げてきたという新しい歴史観を示しています。そして、時の権力者に利用されてきたのも事実ですが、この国の中心はやはり天皇でした。

「神の国」発言も同様です。高麗神社を訪問した際に頂いた「むすひ(あらゆるものを生み出す神霊『産霊むすひ』の意味)」はこんな良いことを教えてくれています。

<引用開始>
祭りは神さまとの出会いの場

日本人は物事の節目に神社にお参りしたり、我が家に神様を迎えておまつりしたり、神さまとの関係を大切に生活を営んできました。
子供たちの健やかな成長を祈る初詣や七五三詣、結婚式、厄除けなど、人生の節目におこなう祭りを人生儀礼といいます。
日本人にもっとも身近な神さまとの出会いの場、そんな人生の祭り ― 人生儀礼 ―を紹介しましょう。
<引用終了>

ところで、皆さんはクリスチャンは神社や仏閣にはいかないと思っているでしょうが、違います。キリスト教には「泥酔」してはいけないなどの戒律はのこっていますが、他の宗教施設を訪問してはいけないなどとは指導されません。私も神社仏閣の雰囲気が好きなので良くいきます。もちろん、祈りは「アーメン」ですが。

このように、老若男女、わずか60万人ほどの日本のクリスチャンも含め日本人は「神」を意識した生活をしています。宗教は哲学と違い神との縦の関係上に成り立つものですから、仏教徒も含め神との出会いのイベントとしての「祭り」で愉快な気持ちになれるのです。

何が言いたいのか。森喜郎元首相の「天皇を中心とした神の国」発言は、現在の私からみるとすこぶる正しい一つの「哲学」として評価できるものと言いたいのです。

ドリーム党は照葉樹を中心に位置付ける森林文化国家づくりを目指します。そこは、まさに「天皇を中心とした神の国」であり、映画「もののけ姫」のように人間と森と、そこに生きる生きものたちのWIN―WIN―WINが保たれる世界なのです。

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橋下大阪維新の会には何も期待できない


以前に当ブログにこのように書きました

1、マクロの発想の必要性
日本人の悪い癖は、自分の暮らす周辺(ミクロ)から全体(マクロ)見る、自分の属する組織から全体を見る、等身大から全体を見るというミクロの視点です。中国のことわざの「森の中にいる者は森が見えない」と同じです。そうではなくて、西洋人のように、マクロの空間からミクロの空間に分割していくという大局観をもった手法でないと、新しい国づくりなどできません。

脱原発問題も同じです。私も脱原発論者ですが、脱原発社会、脱化石燃料社会という全体を的確にとらえるためには、20年、30年後のあるべき姿を明確に描像(描いたり、文字にしたりして頭の中にある無形の知を有形の知にする作業)しなくてはなりません。放射線が怖いからというようなミクロの視点では、官僚に見透かされるだけです

2012年06月30日
バックキャスティング手法による脱原発ロードマップづくり
http://dream333.seesaa.net/article/278116074.html

私には、マクロの発想力が欠落している大阪維新の会の橋下市長が何をしたいのかがまったく見えません。橋下大阪維新の会が仮に政権を取れば30年後はどうなっているのか、皆さんの中で明確にイメージできている人はどれだけいるでしょうか。

最重要事項は、この国の民主主義や資本主義を修正するのか修正しないでこのままいくのかという発想ですが、このことにまったく触れていません。

ドリーム党は修正民主主義論、修正資本主義論を提示していきます。

五木寛之著「神の発見」平凡社より

<引用開始>
私は自分で勝手にブッディストだと思っている。ブッダと一般に呼ばれる釈迦に深く共感し、その思想と生きかたに帰依してきた。
 しかし、奇妙なことに、いつも読んで感動するのは聖書である。親鸞の言行を記録した「歎異抄」を読んでも。ああ、このくだりは聖書のなかのあの部分と重なるな、と感じたりするのだから困ったものだ。

<中略>

(中国から受けた文化以外に)
もう一つの衝撃は、いうまでもなく明治にはじまる西洋・欧米文化の到来である。文明開化の名のもとに、私たちの生活様式は一変したといっていい。漱石はその変化を「西洋の猿真似」と呼んだ。彼のいわんとするところが私には、なんとなくわからんでもない。
 「和魂洋才」というスローガンには、大きなごまかしがあるのではないか。洋才には深いところで洋魂とでもよぶべき精神のありようがあって、それが才という技術やシステムを支えているはずである。その根の部分を都合よくカットして、地上に咲いている花だけを利用しようとしても、それは、無理なのではないか。
 その根に当たる洋魂とはなにか。それがキリスト教文化であることは、すでに誰もが知っていることだ。

<中略>

 民主主義の土台である人権は、天賦の人権と呼ばれる。天とはなにか。それは神が与えもうた権利であり、デモクラシーが神の意識なしに成立しないことは、アメリカ大統領の就任のセレモニーを見れば、一目瞭然である。聖書ぬきでは、大統領の就任式さえおこなえないのであるから。
 司法の場で証人が宣誓するのは、裁判官や検事や陪審員のためではない。「神に対して」真実を述べると誓うのである。
 すなわち、西洋・欧米の近代文明とは、基本的にキリスト教文化であり、それこそが洋魂とよばれるべきものだろう。
 しかし、明治以来、私たちは天皇制と国家主義を和魂として、洋才に無理やり重ねて近代化をおしすすめてきた。敗戦によりそれが否定されると、どうしたことか。まことに要領よくというか、図々しくいというか、こんどは「無魂洋才」という抜け道を走り続けてきたのだ。
 そして今、日々さまざまなかたちで発生する事件は、その無魂洋才という抜け道が行き止まりに直面したことを物語っている。
 敗戦後のこの国が、なんとなく好調に走り続けてこられたのは、たぶん、無魂という制約なき身軽さによるものだろうと思われる。魂というものは,つねに人びとの心や社会にブレーキとして働くものだ。
 「そこまでしてはいけない」「そうすべきではない」というブレーキが外された車は、当然、他の車より早い。めざましく疾走し、そしてやがて転覆する。
<引用終了>

橋下大阪維新の会には「根っこ」がありません。理念がありません。「才」に当たるノウハウがありません。ただただ大声を出しているだけなのです。

確かに、大阪の自治労は自分たちを守るためだけに団結し、市民から選ばれた市長や府長の言うことを聞かないという実態は変えるべきです。しかしながら、ピーター・ドラッカーが指摘したように「官僚という指導層は、一般に考えられているよりもはるかにしぶとい。不祥事や無能が暴露された後も、長く力を持ち続ける」のであり、彼らがいなくなることはないのです。

ドリーム党は30年で公務員をゼロ(限りなくゼロに近いという意味)にできるロードマップを世に提示していく所存です。民間人、公務員、政治家がWIN―WIN―WINできる方法でないと、公務員改革など進むはずがありません。

そのためには、この国の何を修正していくのかを、国家の価値観や国家理念に基づき再考していくという基本的作業が必要不可欠であり、ドリーム党はその作業を丁寧に進めていく所存です。

残念ながら、橋下大阪維新の会にそれを求めるのは不可能です。ストレスを溜めないためにあきらめましょう。
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さわらびの湯を訪れて


さわらびの湯.JPG

7月6日撮影


公式ホームページ
http://sawarabino-yu.jp/


私は、過去3年間で20回ほどこの地を訪れています。精神や体を休めるためではありません。生きていることを実感し、苦しかった過去を再度悔い改め、WWJD(WHAT WOULD JESUS DO.)イエス・キリストならどうするかを考えるためにやってくるのです。

聖書は、反キリスト者を家に入れてはいけない、挨拶をしてもいけないと教えています。

クリスチャンの安息日である日曜日の夜7時30分頃に読売新聞の門間順平記者はかつての平安の「我が家」を奇襲しました。そしてこう私に尋ねました。

10pほど開いた玄関のドア越しに(顔も見えません。門間記者はしっかりとドアに手をいれていました。私が閉めたら「けがをした」というトラップ、わなを仕掛けていました)「あなたの著書『最後のパレード』に読売新聞に掲載された『うさぎさんありがとう』に似たエピソードが掲載されている。盗用したのか」と。

私は、「江川事件で汚い読売が大嫌いになった人間だ。以降、朝日新聞しか読んでいない。読売新聞とは全く接点がない」

これだけです。この後、21時ころに再び門間記者は現れましたが、私は「寝たことにして」門間記者を追い払いました。

その後、受け取った名刺のメールアドレスに「私は盗用していない」というメールを送りました。

その後、門間記者から以下のメールが届きました。


【読売新聞・門間】お礼とご連絡
2009/04/20 (月) 1:28

メールありがとうございます。

19日は突然、訪問し、とまどわれたことと思います。失礼しました。

一度、お話いただいた後、重ね重ねの失礼を承知で、再度、ご自
宅にうかがいました。20日付朝刊で、今回の件について記事に
させていただく可能性が高まったため、改めて、ご見解を確認した
かったのですが、奥様によると、お休みとのことでした。その旨を、
中村さんにお伝えしていただくよう、奥様にお願いさせていただき
ました。

今回の件は、中村さん以外の方への取材結果を加えたうえで、
20日付朝刊で記事を掲載することとなりました。遅い時間で、お電話
も失礼と思い、メールにて連絡させていただきました。

お含みおきください。

============================
読売新聞 The Yomiuri Shimbun

門 間 順 平(東京本社・社会部)
jump3048@yomiuri.com
社会部:03・3217・8074      
============================

私が送ったメールの正確な内容は門間順平記者に聞いてみてください。

ちなみにこの日、サンクチュアリ出版の鶴巻社長のマンションを襲ったのは夜9時過ぎであったと鶴巻氏から聞きました。たぶん、翌日から我が家に張り込んだ(隣のネオコーポ武蔵野の駐車場に無断駐車していた模様)記者が一回目の取材では不十分として向かったのでしょう。

これだけのやり取りで、翌日には「盗用」と全国報道されました。そして、それからすべてが狂い始め、人権、仕事、家族など全てを失い現在に至っています。実母とも会えない状況です。

聖書より
ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めにいたることを望んでいる。
ペテロ2 3章9節

地獄への道2.JPG


「地獄へ向うものを救いなさい」というキリスト者の使命として、どのようにして「読売ホイホイ」人間を救ったらいいか。この湯につかりながら真剣に考えるのです。

クリスチャンとして教会で証したこと

私は、決して他人の著作物を盗んでいません。
http://dream333.seesaa.net/article/275512635.html
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2012年07月06日

国会事故調の最終報告を笑う


筆者は尼崎JR脱線事故後に衆議院議員加藤公一に対して以下のような論文を送った。文字数役13,000(原稿用紙30枚以上)

2005年5月8日
安全国家をつくる「日本安全再生法(時限立法)」の制定に関して


はじめに
人類が引き起こした地球史上最悪の事故、チェルノブイリ原子力発電所爆発事故のあの恐怖が今日本に・・・
 日本人の誰もが憂えていることの一つが「日本の安全神話はどこへいってしまったのか」ではないのでしょうか。そして「どうしたら日本の安全がよみがえるのか」を今、誰もが真剣に考えているのではないでしょうか。
日本では近代工業社会の衰えとともに、日本の全社会的組織やシステムが劣化してきています。今般のJRの脱線事故や大企業や公的機関の不祥事・・そして治安の悪化、これ以上日本社会が悪くならないという保証は何一つありません。
「もはや手遅れである」と言う評論家も多く存在するようですが、私の意見は違います。ジュリアーニ市長が自らリーダーシップをとり、見事に再生したニューヨーク市のように、有能な日本人が底力を発揮さえすれば、日本社会に必ず安全は甦るものと私は信じています。
リストラも一段落した今日の経済社会ですが、リストラや構造改革の次に必要とされるのが、会社や組織の体質改善です。そして国民一人ひとりの意識改革です。この国家的ビジョンともいえる「改革」を成功裏に導き、日本に安全神話を甦らせるためには、卓越したリ−ダーのもと、国民参加型の運動に育て上げていく必要があると勘案されます。本提案書では、すべての日本人が安全、安心に暮らせるための一私案を取りまとめています。机上の空論でなく「やれば必ずできる」ものです。

<中略>

私たちは今、何ができ何をすべきでしょうか
第一に行わなくてはいけないことは、政界や経済界を含めた国民全体運動として「安全社会の復活」を決意することです。そして、今この問題を先送りすることは、チェルノブイリ事故並みの大惨事を引き起こす可能性があることを国民が認識することです。そのためには卓越したリーダーシップのもと、日本国民が一丸となってこの困難な問題に取り組んでいく姿勢が求められます。それは総理大臣や国土交通大臣の「ツルの一声」による対策ではなく、国民の代表者たちの声と英知を集めた、複眼的見地からの安全確保策を検討する必要があります。

<中略>
何故、チェルノブイリ発電所爆発事故のあの恐怖感が、今の日本に存在するといえるのでしょうか
チェルノブイリの事故発生の要因は、今の日本が抱えている問題と類似しています。
チェルノブイリの事故の要因は、個人のミスやヒューマンエラーではなく、当時のソビエトに見られた硬直化した体制そのものに起因したものでした。それは、個人は上層部から与えられた命令を忠実に従っていればいいという組織風土の中、目標を達成するためには手段をも選ばないという考え方に基づき、構成員が確信犯的に規則を無視しつづけたことの結果です。事故の真因は、中国の愛国無罪ではありませんが、目的のためなら規則違反もやむを得ないという誤った考え方がもたらしたものであることは明白です。
◆日本においても、硬直した官僚体制の弊害から多くの不祥事が発生しています。
◆JRの脱線事故に象徴されるように、多くの事故不祥事が組織の体質的問題から発生しています。
◆多くの日本人は、会社のため組織のため、そして自己保身のためなら良心に反する行動も辞さないと考えています。

<中略>

システムファクターから考察されるべき安全管理とは
◆行き過ぎた競争至上主義、結果至上主義、勝組み・負組み的ものの見方は、安全第一主義的経営と相反します。安全社会を構築するキーワードは「競争一辺倒」ではなく「相互協力であるべきです。

◆安全管理ができている会社や組織だけが発展する事実、大事故や不祥事を引き起こした会社が立ち直るには、相当の対価を支払わなければならない現実を認識させるべきではないでしょうか。

すべての組織に「安全管理」というソフトウエア(危険予知の仕組み、防止プログラム)を強制注入させるべきではないでしょうか。

すべての組織にあらゆる災害や事故の発生を想定した「非常事態管理システム」を強制注入させるべきではないでしょうか。

◆CSRやコンプライアンスあるいはISOの基礎部分は「安全性・健全性」です。安全管理度を企業が自ら、企業価値を測る評価基準の指標として広く社会に公開していく姿勢が求められていくのではないでしょうか。

<中略>

菅さんの「国民主権論」の講義のなかに「三権分立・・・コロっと騙される」「行政は継続するもの・・・何となくそうかなと思わせられる」とありますが鉄道行政も同様です。行政は「安全が第一」と思わせておき、本音は建設業と製造業の発展なのでは?
官僚は「安定輸送の確保」「利用者保護の観点」から行政の役割を果たしていく事が重要であると考えているようです。つまり、安全も大事だが利便性も大事であり、行政は公共事業同様に鉄道行政に関わっていくと宣言しているようなものです。この考え方は今般の事故の遠因になっていないでしょうか。

この根拠は、運輸技術審議会諮問第23号「今後の鉄道技術行政のあり方について」に述べられています。
平成10年11月13日 運輸技術審議会 http://www.tasksafety.org/toushin.htmより抜粋

◆すべての人や物に及ぼし得る危険を、技術的実現性や経済性を踏まえ、可能な限り小さくすることを目標とする。

◆鉄道事業者が安全を確保すべき対象は、利用者等の通常予見される行動形態を前提とする

つまり、国土交通省は、安全性と経済性を同列で考えているのです。地方の弱小鉄道会社への影響も考えての報告書ではあるでしょうが、旧来型の護送船団方式に通じるものがあるように思えてなりません。
<終了>

ポイントは3つです。
◆チェルノブイリ原子力発電所事故同様に、原子力発電所の運転者たちは官僚の支配下にあり、外部の専門家が津波の危険性を指摘しても聞く耳を持たなかった。

◆日本には強制注入すべき安全管理のソフトウエアが必要。筆者はそれが何かを知っている。

◆運輸技術審議会の諮問のように、安全性と経済性が同格に扱われている。ディズニーランドは完璧に 安全性 > 経済性である。

メカオンチの国会議員が何を調査できるのでしょうか。私ならアメリカに飛び、GEから東京電力との契約書、SOP「Standard Operating Procedure 標準作業手順書」を取り寄せます。
そこには、安全性を保つためには「こうしなくてはならない」ということがきめ細かく書かれているに違いないのですから。

筆者が提出したこの論文を加藤公一議員は「参考にさせていただきます」とだけ言い無視し続けました。加藤公一議員に今回の事故を語る資格はまったくないことをつけ加えておきます。
posted by M.NAKAMURA at 10:25| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝日社説「日本と韓国 不幸なすれ違いを憂う」に想う

<引用開始>
両政府の間で締結が合意されていた軍事情報の秘密保護協定(GSOMIA)が先週、署名式の段取りまで決まっていたのに、その1時間前になって韓国側の求めで延期された。
 韓国の与野党の反発が原因で、政府高官の辞任騒ぎにまで発展している。
 協定は、自衛隊と韓国軍との間で軍事情報を共有するため、互いに提供された情報を保護するための枠組みだ。
 日韓間の初めての本格的な防衛協力であり、玄葉外相が言うように「歴史的な出来事」となるはずだった。
<中略>
それにしても、「再侵略」とは、大多数の日本人にとっては思いもよらぬ批判だし、あまりに冷静さを欠いている
<引用終了>
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

日韓の軍事力コラボレーションで両国の自衛力が向上し困るのは誰か、それを考えればフィクサーは何者かが容易に類推できる。

アメリカ以外に考えられるだろうか。アメリカがいらなくなる。アメリカの武器が売り込めなくなる。
だから、日韓を分断させるのである。
posted by M.NAKAMURA at 09:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売新聞を読むとバカになるA


今朝の読売新聞の報道から


いじめた側にも人権…「自殺練習」真偽確認せず
<引用開始>
市教委は読売新聞に対し、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」と説明。結局、事実がつかめなかったとして、非公表にしたという。
<引用終了>
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120705-OYT1T01621.htm?from=main1

そうでしょう。『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』事件では、ビジネス上の思惑から私と私の家族を突然背後から切りつけ、病気にし、人権、仕事、収入を奪い、家族をばらばらにした読売新聞社会部の門間順平記者にも人権があるといいたいのでしょう。
posted by M.NAKAMURA at 09:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月05日

寿昌寺ミステリーが解けてきた


このブログで記してきた二本木宿と狭山茶を維持管理してきた「五人組」とそれを守る武家の墓は、筆者には実に不可解な墓であったが、通い、各家の墓の位置や家紋からその正体が徐々に分かって来た。

その前に、そもそも論としてなぜこのような菩提寺が存在するのかを明らかにしておきたい。

江戸時代に寺が増えた真相
「江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた」講談社プラスアルファ新書 古川愛哲著

<引用開始>
 島原の乱が日本人の宗教生活に与えた影響は大きい。
 寛永15年(1638)檀家(だんか)制度、寺請(てらうけ)制度が全国的に確立されたからである。これにより日本人全員がどこかの寺を菩提寺(ぼだいじ)にして、檀家の関係をもたねばならなくなった。菩提寺とは葬式をしてもらう寺のことである。そして寺の檀家に登録してもらう。これを「寺請証文」といい、寺請証文がないとキリシタンと疑われる。そこで寺が必要になってくる。
 中世後期以来、持仏堂(じぶつどう)、阿弥陀堂(あみだどう)、観音堂(かんのんどう)など、無住の堂宇(どうう、堂の建物)があった。それらの堂には季節ごとに僧侶が訪れるだけだったが、これらに住職を置き常駐の寺に昇格させた。そうでもしないと、村人全員の菩提寺が足りないからである。寺院の由来書で中興の僧が江戸時代の人物であるのは、この檀家制度が原因である。
 ところが、本山が無住の堂宇に住職を派遣して昇格させる費用を出してくれるわけではない。そこで、村人が三十五石以上の出費をして住職を派遣してもらい、寺として昇格させてもらうことになった。ところが、一人年間一石の時代だから三十五石というと、三十五人分の年間生活費を出し合ったことになる。大変な出費である。
 このようにして、この時期、全国で爆発的に寺院が増えることになった。一村一寺院で、一つの村があると必ず寺院がそびえるという風景が誕生した。慶長6年(1601)から元禄13年(1700)の百年間に、各宗派の寺院の82パーセントが開創されたとみられている。
 ここでふたたび困難が生じた。仮に檀家120軒の村ならば、その約一割の12軒から毎年葬儀が出るという。そうなると、月一回の葬儀で寺院は生活を維持しなければならないが、それでは経営的に苦しい。
 そこで一周忌(二回忌)を作ると、毎年二倍の収入になる。さらに三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、三十三回忌、五十回忌、百回忌を増すと、約十一倍に跳ね上がる。この一周忌に始まる年回忌の法要は、江戸時代の寺院経営者のために作られたものといってもいい。
<引用終了>

寿昌寺はこの制度に従わざるを得なくなり建立されたものである。寿昌寺内ではないが、この地域の中村家の墓碑には天正年間(1573年〜1592年)からの中村が生きた記録が記されている。

鎌倉幕府の重要書類はおそらく足利家や江戸幕府によって処分されたのだろう。なぜならば、「今」の幕府にとって滅ぼされた幕府の書類など何の価値もないからだ。

したがって【中村家】中心の「五人組」や幕府によって「五人組」を守るために派遣された武家が、いつこの狭山の地にやって来たのかは分からないだろう。しかしながら、この制度(屋敷墓を持つ家にも菩提寺を持たせる)ことにより、少なくとも徳川幕府初期からの二本木村の姿が明らかになるのである。反対に言えば、屋敷墓のまま現在を迎えていれば、鎌倉幕府から特別に派遣された「牟佐志の地」づくりの一団の存在は決して明らかになることはなかったことだろう。

寿昌寺に関する当初の筆者のミステリーはこういうものだった。

◆大きな僧侶の墓が寺と対面するかのように中央に配置されている。
◆【中村家】と武家出身の墓が僧侶の墓を守るように配置されている。
◆「五人組」と思われる五家は【中村家】同様の鷹の羽家紋※である。
◆紋章と武家の関係がさっぱりわからない

鷹の羽家紋を掲げる家は【中村家】と「清水家」「友野家」「森田家」「田中家」である。いずれも古く大きな墓を持つ。

※鷹の羽紋(五代紋)
五大紋(ごだいもん)は、日本の家紋のうち、一般的に特に多く分布する藤、桐、鷹の羽、木瓜、片喰の5つの紋のことを指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E7%B4%8B

集められた武家の筆頭は「織田家」の家紋を掲げる「栗原家」であろう。【中村家】が小田原で東海道を守ったように、「栗原家」は現在の国道246号(青山通り)の秦野市から伊勢崎エリアを守っていた氏族である。
さらに、墓の入口付近の「古谷家」は「徳川家」の家紋を掲げている。諏訪の武家「手塚家」は蔦の紋章であり、「加藤家」は藤原の藤家紋を掲げている。

家紋集を手にしながら墓地を歩くと実に楽しい。

寿章寺全景.JPG

寿昌禅寺


ここで、もう一つのミステリーに臨みたい。二本木村という小さな宿にあるもう一つの寺のことである。

古くは寿昌寺と隣接していたといっても過言でない近所に長福寺がある。同じ、臨済宗建長寺派の寺である。臨済宗も曹洞宗も京都から出ている「派」がほとんどであろうが、建長寺派は鎌倉の建長寺が大本山である。

建長寺のホームページ
http://www.kenchoji.com/?page_id=60

この長福寺の墓には、水子地蔵と僧侶の墓がある。寿昌寺と同様な鐘もあり、寺も立派である。何のために建てられたのだろうか。これはあくまでも推論である。それは、女性たちの禅との関わりを保った寺ではないかと。

曹洞宗は本尊に対面して座る。対して臨済宗は本尊を背にして座る。男尊女卑の社会にあって【中村家】や「五人組」の近親婚による「世継ぎ」と気高い生活を保障するために、俗世を離れた禅教育とお茶の文化が欠かせない。
寿昌寺において男衆(かつてのこの地方の方言では「おとこし」と言った)が本尊を背にして座るところに、女衆(同様に「おんなし」と言った)が座るわけにはいかない。

当時の男女平等社会づくりは北条政子の理念だったに違いない。鎌倉時代は映画「もののけ姫」のタタラ場のように、男も女も平等で朗らかに暮らしていたのだろう。

まさに鎌倉幕府の「出張所」として機能した元狭山村は、いわば「文化の交差点」としてさまざまな地域との交流から得た「天領の民」としての気品高き文化の蓄積地となったのである。追々記すが、同様に「天領の民」であった秩父の人々の方言は、元狭山村の方言と一致するものが多い。

織田家の家紋を掲げる栗原家がもたらした言葉と想像される裏庭を意味する「せど」という方言は、尾張を支配した織田家からみると裏庭は現在の尾張瀬戸駅を有する瀬戸市である。当たっているのか当たっていないか、それは分からない。しかし、歴史を権力側の視点でなく、そこに生きた人たちの目線で見ると、それは決して試験問題に出ない楽しく、おそらく正しい個々の歴史観が涵養されるのである。
posted by M.NAKAMURA at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

狭山茶文化の魅力とその価値観とは


埼玉県のホームページから
全国にはいくつかのお茶の産地がありますが、その中で狭山茶を産する埼玉県は緑茶生産の経済的北限です。
“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”
 と「狭山茶摘み歌」にも歌われる、狭山茶の特徴である深い味わいは、寒い冬を乗り越えることでいっそう深まり、また“狭山火入”という独特の仕上げ技術により、甘くて濃厚なお茶になるのです。
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/hanasi/

埼玉県の農業行政には「知恵」がありません。ただ、「味」と生産量だけを追い求めています。鎌倉時代から狭山の地に始まった「茶文化」とは、まさに「茶禅一味」の価値観をもつものです。
埼玉県の農業行政はこのことにまったく無関心です。ですからこのような、まったく文化性のない文(心の中にあるものを形式知として「見える化」したもの)になるのです。

【中村家】が積み上げた近年の実績についてその記録を紹介しておきます。


トロフィー3.JPG



トロフィー1.JPG



親王からの褒状.JPG


六畳間ほどの店舗には、明治23年に、【中村家】12代である元狭山村初代村長時代の中村為一郎が、明治23年7月から8月にかけて上野で開催された第3回内国勧業博覧会で狭山茶を出品し、総裁である貞愛(さだなる)親王から授かった褒状のほか、これまでに20回受賞した「農林大臣賞」(まさにギネスものです)などの賞状やトロフィーなどが整然と並んでいる。

入間市二本木の屋号ハケ下の【中村家】15代当主、茶師中村誠忠(のぶただ)は、昭和63年(1988)10月15日発行のアサヒタウンズ多摩版に以下のように話しています。

<引用開始>
「外観、香気(かおり)、水色、味の四拍子揃った、より完成度の高いものをつくりたい。形を良くしようとすると味が落ちる。味を良くしようとすると水色が悪くなる。どうしても反比例してしまうものをなんとか今以上においしくしたい。」
<引用終了>

まるで、濃厚であることだけがあたかも「うまい」ものであるかと勘違いしている現在の狭山茶職人に警鐘をならしているかのようです。 鎌倉時代から【中村家】に伝わっている禅寺御用達のお茶とは、「外観」「香り」「水色」「味」の四拍子揃った「上品」なお茶なのです。

それでは、本物のお茶とは何か考えてみましょう。
決して難しく考えることはありません。私たち日本人は、「お茶する文化」の中で生活しているのです。「お茶する文化」とは、人と人が、温かい緑茶によりこころの平安を共有する日本特有の文化なのです。
それは、臨済宗や曹洞宗の禅寺の文化がやがて庶民の文化になったのが現代の「お茶する文化」です。

お茶も他のさまざまな文化と同様に、大陸から伝わってきた文化ですが、千利休は、狭き入口から入り、こころの平安が得られる狭き茶室の中での日本独特の「わび茶※」を築き上げたのです。
こころの平安が得られる、まさに「自分が居心地の良い居場所」で、外観、香り、鮮やかな緑色、そして、甘さと渋さが繊細に調和した緑茶をいただく、あるいは、お茶をいれて差し上げる、この日本人を日本人たらしめる、まさに共存・共栄のための文化が「お茶する文化」なのです。
そして、それを可能にさせる四拍子揃ったお茶こそが本物のお茶なのです。

※わび茶(わびちゃ、侘茶、侘び茶)は、狭義には茶の湯の一様式。書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室を用いた簡素な茶の湯を指す。また広義には、千利休系統の茶道全体を指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E8%8C%B6

漢方 日本人の誤解を解く 劉大器著では「上品(じょうばん)」をこのように定義しています。

上品(じょうばん)毒性がなく、体に良いもの(上薬)
中品(ちゅうばん)毒性は小さいけれども、薬効があるもの(中薬)
下品(げばん)毒性は強いけれどももの、治病にすぐれている(下薬)

東洋医学の哲学
薬より言葉を用い、メスやハリよりも心で癒し、病気にならないうちに人間を治療す
<引用終了>

東京ディズニーランドのキャストに「カストーディアル」という職種があります。清掃係と紹介されますが、本来の意味は維持管理者という意味です。汚れる前にきれいにする。あかちゃんがハイハイできるくらいの清潔感を保つなど、まさに「病気にならないうちに治してしまう」のです。

茶祖栄西も中国の漢方に学んだに違いありません。健康を「カストーディアル」するために毒性がなく、身体に良い飲み物として禅に取り入れたのです。

ここで、筆者の禅体験を。旅行会社入社後の研修で鶴見の総持寺(曹洞宗の大本山)で禅体験をしました。一泊二食であったと記憶しています。坐禅に関しては知識があったのですが、精進料理というのでしょうか、その食事作法はまったく知らなかったため、正直驚きました。

ごはんと豆腐と野菜の煮物くらいは覚えています。みそ汁は出なかったと思います。驚いたことは、個人に与えられた二度使う茶碗とはしを洗わないことです。
食事が終わると茶碗にお茶を注いでくれます。そのお茶を飲み干すことで茶碗は清潔とされます。はしは、口で(舌で)「きれいにする」のです。

書いていて、今気付きました。有田焼や九谷焼の「茶碗」とは、禅宗のこの「碗」による「ごはん碗」が「茶碗」として使われることから派生して庶民の間に定着してきたものだと・・・

【中村家】が仕えた鎌倉幕府は「皇帝も庶民も関係ない、健康管理は精神管理でもある」という絶対的な教えに基づき、上品な茶をつくり続け、今日に至っています。

明治政府以降の「和魂洋才」政策により、茶の文化はズタズタに切り裂かれ、子どもたちは上薬としての「お茶」を飲まなくなりました。健康を「カストーディアル(維持管理)」できなくなり、精神的に不安定になってしまったのです。

お茶に関してはこれからも勉強したことを書いていきたいと思います。
posted by M.NAKAMURA at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする