今こそ皇室典範改正が必要なのだ 9月7日

男なら、それだけで良い。日本の天皇の、それ以上でもそれ以下でもない唯一無二の資質だ。私たち平民からすると、研鑽とか努力とは無縁の、あまりにも無味乾燥な天皇たり得る条件だ。秋篠宮家の男児誕生劇は、実際冷静に分析してみると、まぎれもなく出来レースだった。2月に秋篠宮妃の懐妊が発表された時点で、男子が誕生することはゆるぎない事実だった。逆に言うと、天皇家に男児を誕生させるための秋篠宮妃の懐妊であり、「秋篠宮妃懐妊」と「男児誕生」との二つの事象だけが、宮内庁にとっては必要な出来事であって、実際、懐妊中のプロセスについては一切ベールに包まれている。

皇太子一家は勿論のこと、秋篠宮に男児が誕生したことで心を痛めている人々が存在する。それらの人々の心中を思うと、天皇の資質とはいったい何なんだろうと考えてしまう。「男性」それだけで天皇としての価値が決定付けられてしまう日本の天皇制の真価が、今、問われようとしている。仏紙も英紙も、男系男子にこだわる日本の天皇制を、時代錯誤だと批評している。女であるということだけで、「天皇の資質なし」と烙印を押そうとする宮内庁の方針は、日本も批准している「女子差別撤廃条約」に反する上に、憲法14条(男女の平等)にも反する。そして何よりも、「公序良俗」に反するものだ。人格よりも何よりも、男性であることが最優先される天皇が日本の象徴であることに、日本国民の他、世界の多くの人々が違和感を覚えている。

秋篠宮家に男児が誕生したからといって、万世一系男系男子の系譜が維持される保障は将来的にはどこにもなく、女性・女系天皇を容認するための皇室典範改正は、天皇制の維持の大前提として、遅かれ早かれ必然のものとして受け入れなければならないときがやって来る。まさしく人格を踏みにじられた雅子妃や愛子内親王の痛みを、将来再び味わう人が出てくる可能性がある限り、天皇制の存在そのものに疑問を感じざるを得ず、秋篠宮家男児誕生のニュースに惑わされない思慮深き判断が求められるのだ。

全ての人々が平等に生き、たとえいかなるハンディキャップを背負おうとも、1人の人間としての人格が認められる人権豊かな社会こそ、健康で文化的な我が国が求める理想の国家像であるはずだ。雅子妃と愛子内親王とが強いられる非道な人生に心を寄せることをしない宮内庁や一部の政治家たちの言動は、国家権力の名のもとの人権蹂躙以外の何ものでもない。自身が天皇になるために執念を燃やす秋篠宮を、私たちは、国民の象徴として崇め奉ることができるのか!?

男女の区別なく、天皇に人間としての当たり前の人格を認めることが、全ての国民に対する「平等・公平・公正」な社会の約束となる。皇室典範を改正し、愛子内親王が皇太子殿下に継ぐ皇位継承者となることこそ、日本国民統合の象徴の証なのだ。雅子妃を否定する宮内庁の態度は、不妊症や男児を産むことのできない女性全てを否定していることに他ならない。かといって、男系男子論者である安倍晋三氏には、皇室典範改正は任せられない。来夏の参議院選挙で民主党が躍進し、一刻も早く政権交代を果たし安倍政権を終焉させることが、日本の国益に最も資するシナリオなのだ。愛子天皇を認めない国家の未来に、私たちは希望の光など見出せない。

意味もなく男子のみを優先する国家のどこが、いったい美しい国と言えるのだろうか・・・。
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不妊は人間失格か!? 2月10日

子どもが欲しくても、なかなか恵まれないカップルは多い。壮絶な不妊治療の末、なんとか子宝に恵れれば救われるが、結局子どもに恵まれないカップルは、身近にも少なからず存在する。膨大な時間とお金を必要とする不妊治療での女性の精神的負担は計り知れず、大きな犠牲をはらうものだ。自由診療で行われる不妊治療を、なんとか保険診療にしようと法改正に取り組む野田聖子議員も、公然と不妊治療を明かす女性の一人だ。

しかし、どんなに医学が進歩しても、妊娠だけは運を天に任せるしかない。不妊治療の場合、往々にして努力は報われない。子どもができないことと、その人の人間性や人格とは、まったく別物である。繁殖力が旺盛なことと人格とは、無関係だ。

秋篠宮妃殿下が第三子を懐妊したことは、おめでたいことだ。しかし、それはおめでたいだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。何故なら、妊娠・出産だけが女性の評価の対象ではないからだ。愛子内親王しか産めない雅子様は、人間的に劣るのかというと決してそうではない。思うような妊娠・出産ができない雅子様を、あたかも人間失格のように扱う宮内庁や一部の国会議員のほうが、よっぽど人間失格だ。

愛子内親王の皇位継承をすなおに認めない人々は、図らずも、雅子様のみならず世の不妊に悩む女性たちを深く傷つけている。運を天に任せるしかない妊娠を、人間の評価の対象にする宮内庁や国会議員は、限りなく偏狭で残酷な思考回路の持ち主と言うしかない。不妊に苦しむ人々の心を、深く傷つけていることに気付いていないのか。

皇室典範にある皇位継承資格者の条件は、「皇統に属すること・嫡出であること・男系男子であること・皇族であること」の4つ。そのどれもが、人間性や人格とはまったく無関係だ。これら4つの条件を満たしてさえいれば、どんなに破天荒な人格でも天皇としての有資格者ということになるのだ。現行の皇室典範がこだわっているのは、「男系・男子」の血統のみ。出自を厳選し女性を切り捨てる天皇制が、差別を助長すると言われる所以だ。

側室制度を廃止した昭和天皇の自制心は、評価に値する。今上天皇の美智子皇后に寄せる愛は、優しさにあふれている。体をはってたった一人で雅子様を守ろうとする皇太子殿下の人柄は、誠実そのものだ。国家の象徴たる天皇は、人格者でなければならず、人格や倫理観を無視した「男系・男子」論は、やがて天皇制崩壊の誘因となる。繁殖力だけではなく、人格も含めた総合的な評価のもとに、次の皇太子を決めるべきだ。

秋篠宮妃懐妊を受け、小泉総理は、皇室典範改正案の今国会への提出見送りを決断したようだ。小泉総理が女性・女系天皇を容認した根拠は、いったいなんだったのか!?秋篠宮妃第三子懐妊で、雅子様を見殺しにする小泉総理は、不妊に悩む全ての人々を敵にまわすことになる。選挙に起用した女性刺客も、小泉総理にとっては、結局は話題づくりのマスコットでしかなかったということだ。
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秋篠宮家の執念 2月7日

皇室典範は、日本国憲法のもとに定められた法律だ。従って、皇室典範は、憲法の趣旨のもとに成立する。日本国憲法第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。」とある。今、皇室関係者や国会議員の中に、この原理原則を忘れている人たちが存在する。

皇太子ご夫妻に男子が誕生しないことは、むしろ好機と捉えるべきだ。男系男子でなければ天皇として認めないという、憲法の精神に反する偏狭な皇室典範を、見直す良いきっかけとなったからだ。皇室典範に関する有識者会議は1年間の議論の末、昨年11月、第一子を優先し、女帝・女系を認める方向性を示す報告書を、小泉総理に提出した。有識者会議の報告書は、多くの国民も納得の、憲法に則った極めて正当な内容といえるものだった。

しかし、残念ながら心無い人々が、男子に恵まれない皇太子ご夫妻を傷つけるような発言を繰り返している。国民の期待をいっしんに受け、皇太子ご夫妻が誰よりも男子を切望されていたに違いないのに、「万世一系男系男子」という不気味な文言を振りかざし、ご夫妻を追い詰めようとする人々が絶えない。彼らに、良心や思いやりの精神はあるのだろうか。

秋篠宮家の第三子懐妊は、皇太子ご一家に最大限配慮した有識者会議の汗の結晶に、真っ向から挑戦するものだ。21世紀の壬申の乱とも言うべき秋篠宮家の無粋な実力行使を、国民はすなおに受け入れることができるだろうか。連戦の末、天智天皇の息子である大友皇子(弘文天皇)は自決する。平成の御世、よもやそのような事態にはなるまいが、第三子懐妊に、秋篠宮殿下の皇位への尋常ならざる執着を感じずにはいられないのだ。

現代医学は、男女の産み分けを可能にし、妊娠数週で男女の判別を可能にしている。もはや、一刻の猶予もない。まずはとにかく、皇太子殿下の次の天皇、即ち次の皇太子を、秋篠宮殿下ではなく愛子内親王に決めることだ。愛子天皇の次の天皇となる愛子天皇の皇太子を決めるのは、おそらく20〜30年も先の話なのだから、今すぐ女系天皇にまで踏み込む必要はない。今国会中は、皇太子ご夫妻の一粒種である愛子内親王の即位、即ち女帝を認めるだけで良いのだ。

皇室典範を改正しない限り、皇太子殿下の次の皇太子は秋篠宮殿下、そして、その次の皇太子は秋篠宮殿下の第三子ということになる。しかしこれは、雅子妃殿下と愛子内親王の全人格を否定することと表裏一体の最悪のシナリオだ。雅子妃殿下に対する、究極のいじめと言っても過言ではない。

仮に、秋篠宮の第三子が男子であったとしても、いずれは再び、同じ壁にぶつかることになる。結局は、早いか遅いかだけの問題であって、天皇制を安定的に維持するためには、生物学上、最終的には女系天皇を認めざるを得ないわけだが、それを日本国民の総意とするには、まだまだ時間が必要だ。愛子天皇の時代は20年〜30年も先のことなのだから、これからじっくりと議論をすればよい。今はただ一点、皇太子殿下の次の皇太子を、「愛子皇太子」にするのか「秋篠宮皇太子」にするのかの選択なのだ。

雅子妃殿下の人格を、これ以上傷つけることは許されない。男女平等の精神に則った日本国憲法のもと定められた皇室典範であるのだから、皇太子ご夫妻の第一子たる愛子様が、象徴天皇に最もふさわしいのだ。
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女帝が先決 1月29日

現在の皇太子殿下から愛子内親王に皇位が継承されると仮定した場合、それはいったい何年先の話だろう。普通に考えて、今から30年以上先のこととみるのが常識的だ。この「愛子天皇」下での皇太子が誰なのかが、現在意見が分かれている「女系か男系か」の議論の焦点となるのだ。だとしたら、そんな先の話を今から決める必要などなく、むしろ、女性天皇を認めるだけの皇室典範改正を、今国会で行うことが賢明な選択といえるのではないだろうか。

愛子内親王が民間人と結婚し、その子どもが天皇に即位した場合、1700年もの長きにわたり守られてきた「男系」の皇統が崩壊してしまうとの懸念から、女系天皇を受け入れることのできない人々は多い。世の中には男と女の2つの性別しかなく、現実に40年以上、皇室に男子は誕生していないのだから、女性天皇→女系天皇の流れは、当然の成り行きであって、今更どうすることもできない事実なのに、何故そんなに「男系」にこだわるのか、私には理解できない。

女系天皇に反対する人たちは、現状からいかなる活路を見出そうとしているのだろうか。このまま男子が誕生しなければ、「男系」を維持するためには、既に皇籍を離脱した人の中からふさわしいY染色体(男性)を見つけて、皇族に戻す以外に方法はない。あてはあるのか???今現在、発展性のある根拠があるわけでもないのに、ただ「男系」にこだわることは、皇太子一家を傷つけ踏みにじるだけの、なんの生産性もない愚かな行為ではないか。

小泉総理が「愛子さまが天皇になられ、そのお子様が男の子でも、天皇への即位は認めないのか」と、女系天皇を認める発言をしても、反対する守旧派の議員は多く、現段階で結論を出すことは難しい。ただ、数十年先のことを今決める必要性はなく、愛子内親王を女帝として認めるか否かの問題だけを早急に結論付ければよいのではないかと思う。

急激に求心力を失いつつある小泉総理に、残された唯一の起死回生のテーマが「愛子天皇」論だ。本来なら女系天皇を認めるはずもない安部官房長官が、率先して認める発言をしていることからも、小泉総理の思い入れの程がうかがえる。ヒューザーや闇社会とのつながりが暴露されはじめ「オン・ザ・エッヂ」の安倍官房長官は、もはや権力にすがるしかなく、9月の総理大臣就任に向け完全に小泉総理の「ポチ」に成り下がっている。もはや行革でのリーダーシップを失ったギャンブラー小泉総理は、次の一手に「女帝解散総選挙」を考えているかもしれない。国民の8割が支持する「愛子天皇」論が、小泉総理の最大の味方になるからだ。

数十年先の愛子天皇の次代については、結論を出すには早すぎる。まずは今国会で、「愛子天皇」を認める改正に踏み切るべきだ。女系天皇を認めない人々も、「愛子天皇」を認めないわけではない。さもなければ、近い将来「秋篠宮皇太子」という、いかにも座りの悪い皇太子が誕生することになる。「愛子天皇」は望んでも、誰も「秋篠宮天皇」など望みはしない。女系に反対することは自由だが、その人たちが「愛子天皇」まで否定してしまっては、国民の総意無視とのそしりを免れない。雅子様いじめから、そろそろ卒業してもらいたいものだ。
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女性天皇誕生と力なきロシア外交 11月21日

皇室典範に関する有識者会議が、男女を問わず、皇位継承順位は第一子を優先することを正式に決めた。本当に良かった。皇室とはまったく無縁の私でさえも、愛子内親王が女性であることを理由に、その皇位継承順位が格下げされる議論には、大きな違和感を覚えていた。「男系男子」なる言葉そのものにも、男性のエゴイズムを感じ、それを理由に男子を優先すべきだと唱える人々に、「あなたはいったい誰から産まれてきたのか」と、問いたくなるくらいの心境だった。

男性だけが威張り、女性を道具とみなす「男系男子」思想は、間違いなく人類を破滅させる。男女を問わず、その能力は個人の資質によるものだ。「男系男子」の思想は、明らかに女性蔑視の発想であり、とても同調できるものではない。

有識者会議は、いくつかのさざなみに影響されることなく、男女に平等にその機会が与えられるよう、また不確実な予定と期待に惑わされることのないように、第一子を優先することを決めた。極めて妥当な判断だ。雅子様も、ほっと胸をなでおろされたことだろう。これからは、いらぬ気遣いをすることなく、将来の天皇の母として、堂々とその職責を全うしていただきたい。期待している。

併せて、内親王が結婚後も宮家を創設し、皇位継承の資格を維持することが認められた。秋篠宮の内親王2名・高円宮の女王3名は、結婚後に新宮家を創設するということであり、そうなると果たしてそこまで国民の税金が投入されることは妥当かどうか、疑問がわいてくるが、皇族、首相、衆参両議長らによる皇室会議によって、内親王・女王の皇籍離脱は認められることがあるということだ。

有識者会議の報告書に基づき、来年の通常国会で、いよいよ皇室典範が改正される動きになった。准憲法規範である皇室典範の改正は、憲法そのものが改正される日が近いことを意味している。21世紀にふさわしい自己責任の憲法でなければならないが、戦争を容認する集団的自衛権、またその名のもとの武力行使は、平和憲法を掲げる日本にとって正しい選択と言えるものではない。

小泉総理は、靖国神社に固執するあまり、アジアに余計な敵をつくろうとしている。敵はただ一つ、「テロ」だけであって、あえて国を挙げるならば北朝鮮だ。専守防衛の個別的自衛権を掲げることが、我が国の軍事力にとって必要十分な条件であり、9条2項以降の修正・加憲で対応できると確信する。具体的な規定については、安全保障基本法に委ねればよい。

プーチン大統領が来日しても、北方領土問題は進展しないままだ。奇しくもプーチン大統領は、日ソ両国民が互いに納得できる解決方法があるはずだ、と明言した。それはつまり、1993年の東京宣言に従い、平和条約を締結し2島を共同統治とし、1956年の日ソ共同宣言の通り、歯舞・色丹の2島を日本に引き渡すことだ。プーチン大統領が当時の森総理と交わしたイルクーツク宣言でも、2島の返還は約束されている。そして千島列島・樺太・極東シベリアをも含む大規模な地域を経済交流特区とし、日ソの交流起点にすればよいのだ。

米国一辺倒の小泉外交は、まったくと言ってよいほど発展性がない。ブッシュ大統領引退後に残るものは、周辺諸国と敵対する負の遺産だけだ。周辺諸国との良好な関係に優る防衛力はない。小泉外交の限界が、肝心の米国からも指摘され始めた以上、外交手段の練り直しは必至だ。日本の尊厳を守り、決して米国の属国に成り下がらない、ゆるぎない覚悟と勇気が国民一人一人に求められているのだ。平和憲法の誇りを、決して失ってはならないのだ。
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女帝誕生は小泉総理にしかできない!? 10月6日

先の総選挙で小泉総理が圧勝して、良かったことがたった一つだけあった。小泉総理が、大勢の女性刺客を擁立するという前代未聞のパフォーマンスに打って出て、その全員を当選させた経緯は、視点を変えると、明らかに女帝容認路線を意味するものだ。

皇室典範有識者会議は、あえて皇室関係者を排除して、女帝を容認するか否かの議論を重ね、いよいよ、来年にも「女帝」が認められる勢いになってきた。その場合、皇族の数が現在よりも多くなり過ぎるという議論もあるが、その点についてはもう少し時間をかけて議論する必要があると、私は思う。

今は、1日も早く、現在の皇太子に次ぐ皇位継承者は愛子様であることを決定することが、何よりも最優先だ。先の総選挙での小泉総理の「女性パフォーマンス」は、女帝容認に向けての象徴的な出来事であり、まさに女性が躍動する社会の大いなる出発点になったと理解することが出来る。

ここで一気に皇室典範を改正するパワーを持った唯一無二の日本のリーダーが、小泉総理なのだ。男系男子に固執する宮内庁や超保守派の暴論を排除し、男女平等に天皇になれる機会を認める皇室典範でなければならない。21世紀の日本では、「男尊女卑」という言葉は死語だ。性別に関係なく、本人の資質が判断基準となる社会でなければ、公平公正な社会とは言えない。

皇室典範は、準憲法規範とも言える存在であり、皇室典範改正は、非常に重い決断だ。しかし、現実が物語っているように、都合よく男子ばかりが産まれることは、科学的にも有り得ない話だ。天皇制が存在する以上、天皇は日本国民の象徴なのだから、男性と女性とが平等に処遇される存在でなければならない。小泉総理の最後の大きな一仕事は、やがて愛子様が女帝となる日が訪れることを、日本国民に約束することなのだと、私は確信する。
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雅子様に大和撫子は望まない 7月20日

久しぶりの雅子様の笑顔を拝見できたが、この間の苦しみが刻まれた表情に、見ている私の胸もつらくなる。雅子様は、頑張っていらっしゃる。あたかも正当性を装う旧態然とした宮内庁の圧力に、じっとこらえ耐えてこられた結果が、今日の雅子様の表情だ。身内が一変して敵に変わってしまった雅子様を取り巻く環境は、私たちが同情してもどうすることもできないが、一般社会ではありがちな話だ。無理してカメラの前に出てこられなくてもいいのにな。

私は、断然、雅子様を応援する!私ごときに限らず、雅子様の応援団は大勢いるはずだ。正々堂々と、大手を振ってマイペースに静養していただきたい。老害が、定年退職する日は必ずやって来る。近い将来、愛子内親王が第一子として、皇位継承権一位になられる日はやって来る。21世紀の日本は、十二分にそれを受け入れられる成熟した社会なのだから。

無理な作り笑顔よりも、自信に満ちた力強い笑顔を、雅子様には期待している。それが、国民が求める「新しい皇太子妃像」なのだから。夫の陰に寄り添う、所謂「大和撫子像」なんて、雅子様にはまったく期待していない。お堅い宮内庁に、挑み立ち向かう雅子様に、絶大なるエールを贈る。

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雅子様ガンバレ!! 7月2日

雅子様のお加減、いかがなんでしょうか。
こんなにもご静養が長引くと、さすがにただの一般市民の私でも、心配したくなる・・・。

昨年12月の湯浅宮内庁長官の発言は、今更ながらに歴史的暴言だったと言わざるを得ない。言ってしまったものを、もはや撤回はできないが、湯浅氏には、雅子妃に対する人権侵害を、生涯背負って生きていってもらわなければ困る。あの軽率な(狙っていたのかもしれないが)一言が、どれほど雅子様を傷つけたことか。おそらく、傷つけた本人は、さほど気にしていないはずだ・・・。

元来、今の世にも女性をいとも簡単に冒涜するある種の日本男児は、確かに存在する。しかし、そんな人権侵害を、いつまでも放任するほど日本女性は甘くはない。男尊女卑を美徳とする宮内庁の性癖は、あまりにも極端でお話にもならないが、あれほど躊躇した雅子様を皇太子妃に迎えたからには、それなりの対応を示してもらわないことには、雅子様どころか世の女性たちは皆納得しない。

「一生、守り抜く」と言った皇太子様の言葉は、嘘ではなかったはずだ。皇太子様には、最後の最後まで、その言葉を「守り抜いて」欲しいものだ。とにかく、「皇室典範に関する有識者会議」は、21世紀の国際社会の一員として、ふさわしい結論を一刻も早く出して欲しい。雅子様を、孤立無援・たった一人の闘いから救うためだ。単純に、「第一子」を天皇に認めれば良いことだ。万世一系とは「男系の男子」のことだなんて、聞いただけでも身震いする。第一子として女子が生れているにもかかわらず、「それ」が優先するなんて、男女平等の社会において、絶対にあり得ない!

皇室典範改正は、立法府の力なくしてはかなわない。民主主義と基本的人権を尊重するはずの日本の政治が、雅子様を守るより術はない。雅子様を守るということよりも、「女系のどこが悪いのか!!」と、私は女性の一人として言いたい。雅子様を苦しめても、日本は何の得にもならない。愛子様の誕生を、誰もが喜び受け入れたはずだ。

いつまで雅子様をいじめ続けるのか、宮内庁の存在意義が、今、問われている。
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皇太子妃 雅子様の復活 3月30日

皇室典範の改正は、憲法そのものの議論と言えるほど大きな意味を持つ。かねがね私は、男女平等の大原則から、第一子である愛子内親王が皇太子に次ぐ皇位継承権を得ることが自然であり、当然、女帝を認めるべきだと考えてきた。勿論、現在もその考えに変わりはないのだが、仮に皇室典範が改正されて、将来的に愛子内親王が天皇になるという道筋が出来たとしても、皇太子妃雅子様の病状は、果たして改善するのだろうかと、実は最近考えている。

雅子さまが心身ともに健全な状態に戻るには、いったいどうすれば良いのだろうか。不妊治療のあげく、一方的に「適応障害」という病気の烙印を押され、宮内庁や他の皇族からは非難される。一年以上も不調が続く雅子様は、やはり普通ではない。皇室典範が改正されたらされたで、今まで以上のいじめや嫌がらせを受けることになるのではないだろうか。いじめたり嫌がらせをする人の人格が、急に変化するとは思えないから。

ガンガン仕事をこなしポジティブに生きてきた雅子様は、子作りと与えられた公務だけの日常など、はっきり言ってやってられないのではないだろうか。そんな宮内庁が期待する皇太子妃像は、雅子様にとっては、許しがたく嫌悪の対象ともなる屈辱的な姿なのだろう。主体性が許されない皇室にあって、あまりに堅苦しすぎる日常が雅子様を苦しめているのだ。

想像しても仕方がないが、外交官として活躍した後、いつしか外務大臣として日本の外交のトップに踊り出て、ライス女史よろしく、華やかにしかしクールにブライトな外交を繰り広げる雅子様を、つい思い描く。雅子様には、責任と自由を与えてあげるべきだ。雅子様が自分の責任において、自身の能力を生かす行動を起されることを、宮内庁は認めるべきだ。皇室に内在する「出る杭は打つ」という悪習が、そもそも諸悪の根源なのだ。たとえ皇室典範が改正されても、その悪習が改善されない限り、雅子様に平和は訪れない。雅子様に、豊富な社会との接点を認める道筋を、皇室典範改正とともに考えていく必要があるのではないか。
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雅子さまの笑顔 2月22日

皇室典範に関する有識者会議の協議は、女性天皇を認める方向で取りまとめ、女系天皇を認めるか否かの段階まで議論は進んでいるようだ。このままいくと、皇太子殿下に続く皇位継承権は、愛子内親王ということになる。必然だ。

ジェンダーフリーの現代、国民の象徴たる天皇が男系男子でなければならないと固執することに、意義を見出すことはできない。自己に自信のない旧態然とした男性たちが、唯一そこにアイデンティティを求め、トラの威をかるキツネのごとく「男系万世一系」を奉る行為は、セカチューとジコチューを足して2で割ったような、底の浅い一次方程式でしかなく、ほめられたものではない。

雅子さまが皇室に嫁いだその瞬間から、皇太子殿下に次ぐ皇位継承者は、雅子さまの子どもと決まっている。雅子さまの既に形成されていた外交官としての人生を奪い、請い願い皇太子妃に迎え入れた皇室の、それが責任というものだ。雅子さまにとって、しかるべき時から皇太子妃という立場は、選択の対象となったかもしれない。しかし、その道を作ったのは宮内庁であり、最大の責任は天皇家にある。雅子さまに対して、最大限の配慮こそあれ、手足をしばり自由と尊厳を奪うような行為は、宮内庁において絶対にあってはならないことなのだ。これまでの湯浅長官さらに言えば秋篠宮殿下の一連の発言は、俗社会でいう所謂イジメと同等だ。雅子さまが、傷つき苦しまれるのは当然だ。

今日発表された、奥志賀高原でスキーを楽しむ雅子さまの晴れやかな表情は、私たち国民に優しさと勇気を与える、素晴らしい姿だった。ゆるぎない愛と誠をもって雅子さまを支える皇太子殿下と、皇室の既得権益に固執する守旧派のいじめに耐え忍び、いよいよ、その壁を毅然として乗り越えようする雅子さま。この2人によって育てられる愛子内親王こそが、次代の国民の象徴たる天皇となるに、最もふさわしい存在なのだ。議論の余地はないはずだ。むしろ、愛子内親王を天皇とするための、典範改正でなければならないはずだ。

日本人にありがちな、陰湿ないじめはもう止めよう。雅子さまを皇太子妃に迎え入れた瞬間から、21世紀の皇室像は、皇太子殿下と雅子さまに委ねられているのだ。日本中に、子どもが欲しくてもできないカップルは数多く存在する。男系万世一系の理論は、そういう人々すべてを否定することにもつながる、狭小な思想だ。雅子さまを皇室という世界に引きずり込んでおいて、守旧派の皇族方が皇室の既得権益にすがろうとする姿は、美しくない。全ての国民が、雅子さまの輝く勇姿を心から願い、その笑顔に平和と人権の豊かな平等な社会を思い描こうとしているのだ。

皇室の存在そのものに対する議論も、今後は積み重ねられていくだろう。時代の空気を察知し、今、皇太子一家が求めているものの一つが、国民とのゆるやかな協調路線だ。だからこそ、ありのままの姿を国民に受け止めてもらうべく、夫妻はプライベート映像の公開にも踏み切っておられるのだ。皇室において、最もバランス感覚に優れた存在が、皇太子夫妻なのだと私は考えている。
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