・ぼくは、とっっっても記憶力のよくない人間でして。
すごいですよ、憶えてなさ。
「神経衰弱」なんてカードの遊びがあるでしょう。
あれなんかやったら、万人に負ける自信があるね。
人の名前、顔、地名、なにかのタイトル、予定、
まったくダメです、忘れちゃうっていうよりも、
はなから記憶のひき出しに入れ損ねてる感じなんだなぁ。
それはそれとして、妙に詳しく憶えていることもある。
子どものころからの、「思い出」みたいなことってのは、
細かいところまでくっきり憶えていたりするんですよね。
小学生のころに憶えた歌詞とか、ともだちのこととか、
忘れててもおかしくないようなことを、憶えてる。
記憶に強弱というものがあるとしたら、
そこには、なにかしらの法則があるんでしょうね。
大事なことだからとか、最近のことだからとか、
印象が強かったはずだからとか、ぜんぶ関係ない感じ。
だいたい、ぼくは「思い出」なんていうものを、
嫌いだったはずなんだよなぁ。
いまでも、「おれ的オフィシャル」には嫌いですよ。
「思い出」にひたっている人たちとか、
過去のことばかりに目が行く人とか、いやだと思うもの。
それなのに、その「思い出」ってやつが、
じぶんのなかに増えていっているのを、感じている。
このまま行くと、ぼくのこころのなかは、
人名も地名も数字もない「思い出」というもので、
ゆっくりと満たされていくんじゃないだろうか。
‥‥わ、それは悪くないなぁ。
もしかしたら、どうぶつのこころのなかって、
そういうものなんじゃないかな?
かりっとした輪郭を持つ記憶が、どんどん消えてって、
ぼんやりとぬるっとした「思い出」が世界をつくってる。
老人になるって、そっちの方に向うことなのかな。
だとしたら、そういう「こころ」を持ったときの
思考練習ってできるような気がするね。
「どうぶつ」や究極の「老人」として、そっち側から、
「現在」への視線を送る‥‥これは、おもしろそうだぞ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この日も、この日の分だけ「思い出」ができているんだね。
すごいですよ、憶えてなさ。
「神経衰弱」なんてカードの遊びがあるでしょう。
あれなんかやったら、万人に負ける自信があるね。
人の名前、顔、地名、なにかのタイトル、予定、
まったくダメです、忘れちゃうっていうよりも、
はなから記憶のひき出しに入れ損ねてる感じなんだなぁ。
それはそれとして、妙に詳しく憶えていることもある。
子どものころからの、「思い出」みたいなことってのは、
細かいところまでくっきり憶えていたりするんですよね。
小学生のころに憶えた歌詞とか、ともだちのこととか、
忘れててもおかしくないようなことを、憶えてる。
記憶に強弱というものがあるとしたら、
そこには、なにかしらの法則があるんでしょうね。
大事なことだからとか、最近のことだからとか、
印象が強かったはずだからとか、ぜんぶ関係ない感じ。
だいたい、ぼくは「思い出」なんていうものを、
嫌いだったはずなんだよなぁ。
いまでも、「おれ的オフィシャル」には嫌いですよ。
「思い出」にひたっている人たちとか、
過去のことばかりに目が行く人とか、いやだと思うもの。
それなのに、その「思い出」ってやつが、
じぶんのなかに増えていっているのを、感じている。
このまま行くと、ぼくのこころのなかは、
人名も地名も数字もない「思い出」というもので、
ゆっくりと満たされていくんじゃないだろうか。
‥‥わ、それは悪くないなぁ。
もしかしたら、どうぶつのこころのなかって、
そういうものなんじゃないかな?
かりっとした輪郭を持つ記憶が、どんどん消えてって、
ぼんやりとぬるっとした「思い出」が世界をつくってる。
老人になるって、そっちの方に向うことなのかな。
だとしたら、そういう「こころ」を持ったときの
思考練習ってできるような気がするね。
「どうぶつ」や究極の「老人」として、そっち側から、
「現在」への視線を送る‥‥これは、おもしろそうだぞ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この日も、この日の分だけ「思い出」ができているんだね。
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