547 :朝まで名無しさん:2012/06/18(月) 04:00:15.50 ID:JDsiuaMw
抗議の自殺 抗議の自殺 抗議の自殺
死をもって無実を証明すべき。
そうでなければブログなどは無意味。だれも信用しない
最大の勇気をもって自殺することだけが無実の証明となる。
それもできないヘタレ臆病者はやっぱり盗人だ!
やってみろ! 犯罪者の前科者!
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1331702037/501-600
3年前の今ごろ、私は苦しみ喘ぎまわっていました。そんな私を神は教会へと導いてくださいました。
フランス系日本人のダニエルは私にこのようにしなさいと言いました。
人間の脳は三つに分かれます。「本能脳」「感情脳」「理性脳」です。あなたの「感情脳」は、憎しみや恨みでいっぱいになっています。だから「理性脳」が働かないのです。それを吐き出しなさい。あなたの上の黒い雲が晴れることはありませんが、雲の上に立つことができるかも知れません。教会のドラムスをたたき、物に当たってください。あなたが恨んでいる人の名前を出してもいいので、とにかく、「感情脳」に溜まっているものを外に出しなさい。
私は、イスをたたいたり、ティッシュボックスを床にたたきつけたりしながら、「鶴巻の裏切り者!」「門間順平のひきょう者!」などと叫びながら、15分ほど暴れまわりました。
すると、ふと「哲(さとる)」という言葉が頭に浮かんできました。私を谷底へ突き落した読売新聞の門間順平記者やサンクチュアリ出版の鶴巻謙介社長に「哲」を与えたいと思いました。頭が軽くなったようで、まさにダニエルが言った「雲の上に立つ」ことができたのです。
後にダニエルから聞いた話では、ドメスティック・バイオレンスに苦しむ夫婦が、この方法により「帰るときは手をつないでいた」そうです。
以後、私は今日まで「感情脳」に恨みを溜めることはありません。
さて、皆さんの中で雄弁学を学んだ人がどれだけいるでしょうか。
まずこちらをお読みください。「友愛ギフト読本」に記したものの一部です。
「これまで」と「今から」を分けて考えましょう。
残念ながら人類はまだタイムマシンを持っていません。ですから「これまで」つまり「過去」は絶対に変えられないのです。
コンピュータや携帯電話に「記憶装置」があるように、人間には、「はーとディスク」という「心の記憶装置」があると考えられます。人間一人ひとりの「はーとディスク」には、過去の記憶がたくさん書き込まれています。書き込まれた記憶は「良い記憶」「悪い記憶」に分かれます。
「これまで」は、変えられない過去の「悪い記憶」が、人の性格形成や暴力行為や犯罪の「意思決定」に影響を及ぼしてきました。それだけではなく、変えられない過去の「悪い記憶」は、個人だけではなく、集団の「意思決定」や、国家の「意思決定」にも影響してきたことは誰も否定できないでしょう。
あの人は過去に麻薬事件で逮捕された、あの会社は過去に事件を起こした、あの国は過去に日本に原爆を落とした。事実であっても、過去は絶対に変えられないのです。
変えられないものを追いかけたり、変えられない過去の犯罪者にレッテルを張ったりすることは、決して幸福の生産性を高めるものではなく、人と人、人と集団、人と国家の間に悪いストレスを生み出すだけです。
■心を軽やかにしましょう
私たちが選択した「今から」は、「これまで」の悪い記憶に影響されてはいけません。なぜならば、過去の悪い記憶は、私たち一人ひとりのギアを前に進む「前進」ではなく、後ろに進む「バック」の状態にしてしまうのです。
私たちが選択した「人を大切にする国づくり」に向かって力強く前進するする妨げになるのです。
これからは変えることができる「今から」だけを考えましょう。変えられない過去の清算は、立法、行政、司法の権力者に任せて、私たち国民は前だけを見ていくことが大切なことです。
原爆の投下や消えた年金問題も同じです。過去は変えられません。官僚や公務員の過去の仕事ぶりに対して注目が集まっていますが、過去を批判してもこれからの幸福の生産性は高まりません。過去の過ちは水に流してあげましょう。
原爆投下も大きな過ちではありますが、二度と原爆が使用されることがないよう前だけを見た行動が必要なのです。
■「許し」と「赦し」を分けて考えましょう
私たちの心の「はーとディスク」に保存されている悪い記憶を生み出した犯人も分けて考えられます。真の犯人は「自分」と「他人」です。
「許し」とは、excuseです。エクスキューズミーのexcuseであり、これは礼儀作法やマナーの欠如に関するものです。一方、「赦し」はpardonです。「赦し」は重大な違反に対して与えられるものです。
軽い間違いや悪意のないミスは人を傷つけたり、感情を害したりするものではなく、「申し訳ない」という表明をすればよいことです。このようなささいな間違いに対しては、人は他人を「許す」べきなのです。
「赦す」の意味は「許す」より深いものです。暴力を受けたり、名誉を傷つけられたり、悪意のあるいたずらをされたりした「被害者」が「加害者」の事後対応に納得して、「水に流す」行為が「赦す」ということなのです。
「赦す」「赦さない」という決定は感情ではなく、自分自身の頭脳が決める行いです。憲法の精神に則した変わることのない人間としての「正義」と適合するか、しないかを自分自身も頭脳で判断し、自らが決定しなくてはならないのです。
加害者の反省なき姿勢は傷つけられた被害者に苦しみを与え続けます。
私たちは、被害者を苦しませる後悔なき加害者を心からの反省なしに赦してはいけません。
日本では「赦す」でも、「赦さない」でもない「(怒りの感情を)押し殺す」ことが美徳のように言われますが、この「押し殺す」という行為ほど危険なものはありません。なぜならば、心の「はーとディスク」に溜まった、押し殺された怒りの気持ちは、いずれ爆発するからです。
「はーとディスク」という記憶装置から消去されない「押し殺された怒り」は、30年、40年後に爆発することさえあります。(厚生次官殺害事件の犯人は、少年時代に愛犬を保健所で殺されたという感情から犯行に及んだと供述しています。)
怒りを「押し殺す」「我慢する」という行為は、一見正しいようですが、爆発以外にも個人の心の動きに大きな影響を与えてしまうのです。それは、自分自身に怒りを向けてしまうという動きです。「原因をつくったのは私かもしれない」「自分はダメな人間なのかもしれない」など、自分が自分自身を崩壊させてしまう基となる不要な「自己嫌悪感」を生み出してしまうのです。
ほとんどのうつ病の主な原因は、この「自らに向けられた怒り」だそうです。「自らに向けられた怒り」はうつ病だけでなく、高血圧症や潰瘍、偏頭痛などの異常も生み出す実に恐ろしい感情であることを私たちは、再認識しなくてはならないのです。
■心を軽やかする友愛武具
「被害者」になってしまった場合には、以下の手順で、事実関係や感情を整理してみましょう。
起こったことはこういうことです。あなた方が私たちにしたことはこういうことです。
私が感じたのはこういうことです。
私の生活に与えた影響はこういうことです。
私はこういう弱い人間です。
私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。
自分や他人を「赦す」ことができるかできないかが、このテキストの最大のテーマと言っていいでしょう。ぜひもう一度手順を読み返してみてください。何となくでも「赦すこと」は自分の心を軽くすることにつながることに気がつくことでしょう。
この項目をまとめます。
◇他人が加害者の場合、加害者が心から反省して、心からの謝罪を行い、以後の行いを改める約束をするまでは、加害者を決して赦してはなりません。加害者が後悔しなくても、決して私的な制裁(リンチ)を行ってはなりません。加害者の心からの謝罪を引き出すためには、「友愛武具」などを使い、感情ではなく加害者の理性に訴えていくことが大切です。
◇他人への怒りを自分の中で「押し殺す」行為は、自分を崩壊させることにつながります。同時に真実を覆い隠すことにもなりかねません。我慢せずに「声を上げる」行動が自らを助けます。
<参考;理性的な加害者へのアプローチ方法>
以下の友愛武具を用い加害者にアプローチすることが有効です。「こういうこと」を分けて教えることで、相手に分からせる効果が期待できます。(英国人女性の死体が遺棄された事件の容疑者の家族が実際に受けたと推察される被害状況を参考にしてください。)
◇これが起こったことで、あなた方が私たちにしたことはこういうことです。私たちが感じたのはこういうことで、私たちの生活に与えた影響はこういうことです。そして、私たちがあなた方にして欲しいことはこれです。
英国人死体遺棄の容疑者である息子の事件とは関係のない、病院や自宅に対する匿名の集団的な私的制裁行為(集団リンチ)が起こったことで、「匿名テロリスト」たちが、私たちにしたことは、憲法に保障された基本的人権の侵害です。
私たちが感じたのは、ゆるしがたい「怒り」の念と、「ラケット感情(自分が自分自身を崩壊させていく自己嫌悪感)」であり、私たちの生活に影響を与えたのは、@電話に出られなくなった。A外出時に身の危険を感じるようになった。B仕事を失い、将来的な不安を抱えるようになった。などであり、さらに、診療中の患者にも多大な迷惑を掛けることにもなりました。
そして、私たちがあなた方「匿名テロリスト集団」にして欲しいことは、思考停止状態から抜け出し、行動を自分の頭で考えて欲しいということです。感情を司る脳を刺激し続けるマスコミにマインドコントロールされることなく、理性脳で行動を律して欲しいということです。
■友愛社会を築き上げるために「私憤」と「公憤」を分けて考えましょう
まず怒りを「悪い怒り」と「良い怒り」に分けて考えてみましょう。
「悪い怒り」とは、暴力的で激しかったり逆上したりします。「分別」を失ったものであり、元々道理にかなっていないもので、動機は個人的な「ストレス発散」や「ねたみの気持ち」などから生まれたものです。
友愛社会を築き上げるために大切なことは、この「悪い怒り」を「正当な怒り」であると誘導する行為を見破ることです。
ある有名女優は薬物使用がきっかけで悪者とされ、別荘を焼失してしまうことになりました。これが放火によるものだとすれば、「悪い怒り」に正当性を抱かせるような報道があったのかなかったのか、私たちはもう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。
次に「良い怒り」です。「良い怒り」は社会の幸福の生産性を向上させるものです。貧困への怒り、差別への怒りなど、デモ行進や反対集会など、民主主義をさらに進化させるための怒りが「良い怒り」です。「良い怒り」は「良い不満」と言いかえられます。
私憤(しふん)」と「公憤(こうふん)」の違いは字の通り、「個人的な憤り」と「公(おおやけ)の憤り」の違いです。ほとんどの「公憤」は道理にかなった「良い怒り」であり、幸福の生産性を向上させる、民主主義社会には必要不可欠な「憤り」です。
これまでの私たちは、「私憤」を中心にした競争社会に生きてきました。そして今、多くの人々の「公憤」により、これまで進んできた道を「チェンジ」し、新しい道を選択することに成功しました。
新政権が目指す「新しい公づくり」とは、人と人が支え合う社会づくりです。「私憤」や「公憤」といった「憤り」のない社会づくりは、お金を豊かさの中心とする社会から、心の豊かさを実感できる社会へこの国を転換させます。
そのためには、誰もが、良い私憤、良い公憤なのか、それとも悪い私憤、(テロリストや過激な環境保護団体が抱く)悪い公憤なのかを見分ける力をつけることが大切なのです。
<終了>
起こったことはこういうことです。あなた方が私たちにしたことはこういうことです。
私が感じたのはこういうことです。
私の生活に与えた影響はこういうことです。
私はこういう弱い人間です。
私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。
私に当てはめれば、「自覚なき殺戮者」読売新聞がしたことは・・・・になります。どうなったかはこのブログでお伝えしている通りです。
私はこの論法をダニエル論法と呼び、日本人に欠けている雄弁学の道具にしていきたいと考えています。
そして、すべての子どもたちに、この論法を身につけさせ、いじめたり、「こころ傷つけ言葉」を発したりする者へ、紙に書いて手渡す。返事を待つというシステムをつくれば、いじめはなくなるはずです。
勇気を持って全員で全員を守るシステムをつくること、そうすることにより自殺者をなくすことこそがドリーム党の使命だと考えます。
失敗や苦い思い出を消して、都合の良い部分だけを思い出にして人が成長できるとは思えません。
失敗や間違いには人を成長させる大きな力が有ると私は思います。
気持ちを新たにし先に進むのは大切な事ですが、悪い記憶を消し去るのでは無くて教訓や戒めとして自分の力にする事が成長に欠かせない糧ではないでしょうか?
起こったことはこういうことです。あなた方が私たちにしたことはこういうことです。
私が感じたのはこういうことです。
私の生活に与えた影響はこういうことです。
私はこういう弱い人間です。
私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。
そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。
と書かれていますが、中村克様が起こした盗作疑惑に関して今現在のお気持ちをもう一度お聞かせ下さい。
中村克様の中では、最後のパレードの著者では有るが盗作はしていない。とお考えなのでしょうか?
盗作と思われていないのなら、相談された弁護士は何故発売出来ない本だとの見解を中村克様に示したのでしょう?
過去に間違いを犯しても更生された方は多くいらっしゃると思います。
その方々は自分の間違いを正し先の人生の教訓にされた方も多いと思います。
中村克様もサンクに騙された被害者かもしれませんが著者としての責任の取り方を考え再生の為の第一歩を歩みだして下さい。