7月9日までです。安世鴻 日本軍「慰安婦」写真展。東京新宿ニコンサロン

2012-07-08 12:05:19 | 社会
【7月1日(日)写真展会場での出来事】
 昨日は新宿ニコンサロンでスタッフをしてきました。700人越えの来場者
でエレベーター前まで行列ができていました。
 純粋に写真を評価してくださる方もいれば、もちろん心無い人たちもたくさ
ん来場し、見本の図録をわざとぞんざいに扱ったり、説明文を翻訳した人間の個
人情報を出せとスタッフに付きまとったり、会場スタッフ全員に、「君も売春し
にきたの?」「君も股開いてんの〜?」などと聞きながら会場内を歩きまわる人
もいました。そんな会場雰囲気に心を痛め、泣き出してしまう方や、叱る人もい
たり、小さな写真展会場は日本社会を凝縮した空間のようでした。

 そしていろいろな事務処理をして帰ろうと思った矢先、ニコン側の弁護士が
会場の受付の近くにまとめておいた花束を全部片付けろと言いました。片付けな
いというと「ニコン側に管理権限がある」と。片付けずにいると、大きく「
Nikon」と書かれたカメラをぶらさげてきて、証拠写真だといって置かれた花束
を撮影し出しました。
 「右翼が持ってきたものもこうやって飾らないといけなくなるんですよ」と
彼は続けました。もらったものを飾るか飾らないかを選ぶ権利は作家にあります。

 金属探知機ゲート設置のために、狭い会場内に受付台が押し出され、写真を
見ていただくために作家が心をこめてディスプレイした展示の観覧を妨害してい
ます。
 お客様がスムーズに写真を見れないと訴えると、「小さい机があれば、変え
ますけどー。」「ご理解してくださいよ〜〜」「もう議論やめましょうよ〜〜」
「喧嘩したいわけじゃないんですよ〜」を繰り返します。
中島経営法律事務所「パートナー」の早川明伸弁護士(第二弁護士会)で、企
業法務のエキスパートと呼ばれています。この弁護士は安世鴻を、写真を、表現
することを侮辱しています。彼を雇ったことで、ニコンのイメージダウンをもう
とめられないでしょう。
 ニコンはどこまでブランドイメージを落とせば気が済むのか、このような醜
態を全世界に晒し続けるニコンを哀れに思います。

 安世鴻も、重重プロジェクトメンバー、そしてスタッフの皆様も、ハルモニ
たちの写真を少しでも多くの方に、長い間見ていただきたいという気持ちだけで、
このような人でなし弁護士とニコンの対応に怒りが爆発するのを抑え続けていま
す。沢山のご来場お待ちしています。
//////

重重プロジェクト http://juju-project.net/
http://juju-project.net/about/
(抜粋)
加害国である日本は‘07年に当時の安倍首相が軍による強制性を否定、あたかも
彼女たちが自分の意思で売春を行なっていたかのような主張をして、この国家的
戦争犯罪を否認し、歴史を歪曲し被害女性たちの人権と尊厳を踏みにじっていま
す。既に、生き残っている被害女性たちは多くありません。日本軍「慰安婦」問
題は過去のものではありません。現在まで続いてきた戦争と女性の人権の問題で
す。

***************

中止騒動の「慰安婦写真展」 来場者、12日間で7000人/東京新聞
 展示内容が政治活動に当たるとして、会場の新宿・ニコンサロンがいったん開催中止を決めた、韓国人写真家安世鴻(アンセホン)さん(41)=名古屋市在住=の写真展「重重−中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」は、開始から十二日目を迎えた七日、来場者が七千人に達した。会場入り口ではセキュリティーチェックがあり、主催者ですら内部撮影も禁止。物々しさは続いているが、安さんは手応えを感じている。

 毎日、来場者の列ができる。年代は多彩。「慰安婦がいたことは報道などで知っていたが、写真を見て実感した」などと感想を残していく人も多い。

 会場に並んだ四十点のモノクロ写真は日本軍の慰安婦とされ、戦後も中国各地に残された朝鮮人女性の今を扱う。深いしわを刻んだ顔、涙をためた目…。二〇〇一年から五年間、十二人の女性のもとに通った安さんは「高齢になった女性たちは慰安婦とされた怒りで死ぬに死ねない。自分で語れない代わりに、僕が歴史の真実として伝えなくてはと思った」と話す。

 写真展開催をめぐっては困難が続いた。ニコン側から直前に中止を通告され、安さんは会場使用の仮処分を申請。東京地裁がこれを認めて実現した。安さんとニコン側の双方が、インターネットなどで批判されているという。

 安さんは言う。「慰安婦の問題は日本と韓国だけの問題ではない。性の問題は世界の戦場で今もある。歴史的な反省と評価がなければ過ちは繰り返される」。入場無料で九日まで。 (佐藤直子)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20120708/CK2012070802000109.html

**********************

李 容夏写真展/新宿ニコンサロン
3rd Generation

7/10 (火) 〜7/23 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休
写真展内容作者は、1972年1月、大韓民国の軍人としてベトナム戦に参加した。所属部隊はベトナムのクイニョン(Quy Nhon)に位置する猛虎師団隷属の機甲連隊作戦状況室だった。
その危険で生と死の分かれ目を無事乗り越え、20数年前から枯葉剤の病魔に全財産を奪われ、家庭が破綻し、自ら命を断つ一部の戦友らの壮絶な事情と、ベトナム現地の枯葉剤第三世代患者の辛い現実を、作者はメディアを通じて分かった。
これを世の中に伝えなければ永遠に忘れられる恐れがある中で作者はカメラを手にし、これを伝えるためにも56歳で写真の世界に入り、日本の大学に留学、卒業論文のテーマも枯葉剤“Agent Orange”に決めた。
韓国の報勲病院とベトナム現地の枯葉剤被災地の村及び病院を訪れ、ホーチミンからハノイまで2年3カ月かけて幅広く撮影した。微かな希望も何も見えないまま病室で苦しんでいる戦友と、後の代まで遺伝し、消えない傷を負ったまま生きていく幼い患者の様子と、生れることなくホルマリン溶液の中に入れられ保管された胎児を見て、この事実を世の中に知らせるのが、ベトナム参戦が与えてくれた作者の人生の任務だと思った。
今、歴史の影に徐々に忘れられていくベトナム戦争の枯葉剤の傷を、戦争当事国であろうと、傍観国であろうと関係なく、人類共通の責任意識を持って、ベトナム現地の子供患者たちに温かい愛と激励が何よりも必要である。また、この病魔がこれ以上次の世代につながらないように、一日も早く治療薬が開発できるように、実力のある製薬会社らが力を結集してほしい。
作者は、本展をきっかけに“戦争なき平和”が世界中に定着することを望み、これ以上この地球上の人が互いに銃口を向けあい、命を奪い合う行動が起こらないことを望んでいる。
自国の利益のために他国の財産と尊い命を奪う行為は、真の力のある勝者ではない。
カラー作品。

作者のプロフィール李 容夏(イ ヨンハ)
1950年韓国ソウル生まれ。2009年韓国桂園造形芸術大学写真学科卒業。12年九州産業大学大学院映像芸術学科卒業。同年韓国桂園造形芸術大学写真学科教授就任。
写真展に、〔個展〕07年「春の花園」(モチャルトゥギャラリー・韓国)、11年「戦争のない平和」(麻浦区役所・韓国)、12年「The Land Scape of Horizon」(Me Gallery Fukuoka)、〔団体展〕07年「漢江(ハンガン)の力」(桂園大学校27ギャラリー)、08年「パリの夜明け」(セルジオ芸術大学ギャラリー)、10年「釜山夜景」(九州産業大学円形ギャラリー)、同「戦争のない平和」(安陽市庁・韓国)、11年「3rd Generation」(アジア美術館・福岡)、同「3rd Generation」(コニカミノルタプラザ・東京)、12年「同」(福岡県立美術館)などがある。




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精神科医 (宮地達夫)
2012-07-08 16:59:45
ニコンとその雇われ弁護士、やくざですね
でも妨害にも関わらず、よく頑張られましたね
慰安婦の問題、政府の取り決めのために、公には中々ならないけど、事実です。頑張ってください
慰安婦問題の解決、謝罪と補償
http://www.youtube.com/watch?v=NieE6GtJm9c
韓国の元日本軍「慰安婦」イ・ヨンスハルモニを迎えた『元日本軍ハルモニ証言集会』が二十一日、同志社大学寒梅館で開かれた。会場には二百人を超える学生や市民が訪れ、七六歳の「生きた証人」の声に耳を傾けた。
 証言集会は二部構成で行われた。第一部は元日本軍「慰安婦」たちの日常をドキュメンタリーで綴った映画『ナムヌの家』(製作・監督:ピョン・ヨンジュ)が上映され、第二部からイ・ヨンスハルモニによる証言講演が行われた。
 ハルモニとは韓国語で「おばぁちゃん」の意味である。また、かつて日本軍「従軍慰安婦」としての扱いを受けた人たちを「ハルモニ」と言う場合がある。
 イ・ヨンスハルモニは一九二八年韓国の大邱(テグ)に生まれる。一六歳の時に日本軍に強制的に連行され、連行途中と連行後に性的暴力を繰り返し受けた。台湾に連行された後は日本軍「慰安婦」としての生活を三年間強要された。
 証言講演では「今から話すことは、皆さんが知らなければいけないことです」と、「慰安婦」としての体験をありのままに話し始めた。どのようにして連行されることになったのか、同じような状況下で自分を助けて励ましてくれた女性のこと、台湾で受けた「慰安婦」としての扱いなどを語り、時には涙を見せながら聴衆に訴えかけた。また、日本軍の特攻兵との出会いを、当時教えてもらった日本語の歌を交えながら話した。
 中国や韓国の反日デモや、日本人拉致問題でアジアの国際情勢が注目されている今日、学生を中心に会場が埋まったのは、それぞれの問題意識の高まりを示すと言えよう。イ・ヨンスハルモニは朝鮮民主主義人民共和国の諜報機関による日本人拉致問題にふれ「日本政府は、戦争中に数十万の人々を性奴隷として連行した罪を先に認めてから、拉致問題に取り組むべきだ」と話し、会場の一部からは拍手も起こった。
 集会に来ていた学生たちは「韓国と日本の双方の立場をよく理解することが重要ではないか」と感想を述べた。また「学生を中心にして開かれたこの集会は、これからのアジア各国を結びつける架け橋になればいいのではないか」と男子学生は述べた。
 証言集会は同志社大学の他にも、京都教会や京都精華大学でも開かれ、多くの学生、市民が参加した。
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/leeyongsoo.htm
日本軍性奴隷(日本軍「慰安婦」)
http://www.jca.apc.org/~earth/sab2e.html

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