今朝の朝日新聞のリレーおぴにおんに「権威」への弱さが狙われている、というタイトルの記事が掲載されています。
<引用開始>
そもそも資格を取っただけでうまく行くなんて、人生それほど甘いもんじゃありませんよね。資格なんか持っていなくても、役に立つ人は世の中に大勢います。人は結局、人柄であり、実力です。化けの皮はすぐはがれる。弁護士という資格も同じですが。
<引用終了>
私は紀藤先生から「良い仕事をして信用を取り戻しなさい」というアドバイスのもと、ブログに知財を残すという「生産消費」活動を行っています。(トフラー博士は「生産消費」は本来有料のものと指摘しています)
私の資格取り体験を示します。
5年ほど前でしょうか。高齢の母の介護に備えるためにある会社でホームヘルパー2級の資格を取る講座を受けはじめました。受講した会社だけではないのでしょうが、すぐに資格を取っても「使えない」と判断できるほど、内容は薄く、国の決めに則って資格だけを与えているということが分かりました。
最初に10万円ほど支払ったと思いますが、受講した会社に「時間とお金の浪費にしかならない」と申し出たところ、6万円ほど戻ってきました。
なぜ、私が「だめだ」と判断したか、その答えは簡単です。私は講演でディズニーランドは「デビュー教育」、学校や資格取り教育は「ところてん教育」とその違いを明確に分けて説明していました。
「デビュー教育」とは、デビューできるまで教育するという意味です。自動車教習所を考えてみてください。一人前の仕事(運転)ができるようになるまで、決して卒業させません。ディズニーランドも同じです。
拙書「すべてのゲストがVIP」より
■徹底した教育を受けています
ディズニーのキャストの仕事は、来園していただいたゲストに最高のサービス、最上のホスピタリティを提供することです。パート、アルバイトのキャストもたくさん在籍していますが、コンビニエンスストアやファミリーレストランのスタッフと、何がどのように違うのでしょうか。
ディズニーランドでは、教育を受けていないキャストがオンステージに立ち、ゲストに接することは一〇〇%ありません。
例えば、「シンデレラ城ミステリーツアー」のガイドになるには、すべてのスピール(台詞)を覚えなくてはなりません。アトラクションの仕組みやポジションごとの職責、非常時の対応まで多くの訓練を受けます。
大切なキャストですので、一対一のマンツーマン教育です。認定を受けたトレーナーが、キャストがゲストの前に立てるまで付きっきりで教えます。こんな相談もあります。
「中村さん、播磨さんのトレーニングですが、スピールが完全でないので後二時間延長してよいでしょうか」
スーパーバイザーは聞き返します。「どこがまだ不十分なの」
「はい、トレーニーはやる気はあるのですが、最初の城内ツアーの説明とホーンドキングと闘うシーンのスピールがもう一つなのです」
<終了>
対して、ほとんどの資格取り学校は入学してカリキュラムを修了すれば「免許」が与えられます。つまり入口から入り出口へ向かうフィードバックトレーニング(振り返りトレーニング)の無い「ところてん教育」なのです。
決定的であったのが、利用者(介護を受ける人)のパジャマ交換の作業でした。身体の動かない寝たきりの利用者を安全に車いすに移動させ、上下の着衣を交換し、再びベッドに戻す重労働です。興味がありましたら、以下のサイトをご覧ください。
老人 介護 着衣交換・洋服やパジャマなどのかぶり式の上衣の着替え
http://01kaigo.seesaa.net/article/167678262.html
事故があれば責任を取らされる介護現場で働く人への教育です。このパジャマ交換作業も他の多くの作業同様にたった一度の練習体験で次のカリキュラムへ進んでしまいます。これでは介護の仕事の世界へデビューできるわけがありません。
実際に、講演をした介護施設の責任者に話を聞くと、案の定どこでも「使いものにならず、再教育を施している」という話でした。
ニートと呼ばれてしまっている人たちも同じです。「ところてん教育」により社会に押し出されたため、自信がないのです。自信がないから怖くて社会にデビューできないのです。
秋葉原連続殺傷事件もニート、引きこもりの問題も個人の問題ではなく、社会問題としてとらえ、教育から変えていかないと日本社会に平安が戻ることはない、そう断言いたします。