14日から劇場公開される芥川賞受賞作品「苦役列車」。その原作者の作家・西村賢太氏を直撃取材。受賞後の生活などを赤裸々に語ったインタビュー後編。
――新作がもうすぐ出る
西村:「苦役列車」のダイレクトな続編を書いています。「苦役列車」は主人公の北町貫多が横浜に行くところで終わっているのですが、まさにその続き。19~20歳の横浜に住んでた7か月の話ですね。200枚ぐらいで、近々出ますよ。
――お酒は高級品に
西村:変わらず、ずっと宝焼酎の「純」です。別に庶民ぶっているんじゃなくて、体質的に蒸留したものじゃないと気持ち悪くなっちゃうんですよ。1日に720ミリリットルのボトルを1本飲んでますね。カクヤスで一気に3ケース(36本)買ってます。安くていいんですよ(笑い)。
――一人で
西村:一人の方が気を使わなくていいんですよ。僕は昔から稲垣潤一さん一本やりで、最近は稲垣さんの新しいアルバムをずっと聴きながら飲んでます。
――食べるものは
西村:昔よりひどいもの食べてますよ。安いものはカロリーが高いので、だいぶ太りました。
――寄ってくる女性は
西村:手紙が増えましたね。以前は律義に返事を書いたり、書いてあるアドレスにメール送ったりしてたんですよ。実際に会った人もいたんですが、続かないですね。まぁ、お金目当てだなという感じがして(笑い)。だから最近は出さなくなりました。この人、図書館で読んでるなとか(笑い)、そういうのがチラチラわかりますし(笑い)。
――その後、母親とは
西村:受賞後、一度手紙が来たんですよ。てっきり生活費を払ってという話かと思って身構えたんですが、「あなたに迷惑をかけるつもりはない」と、住所も書いてなかった。読み終わって自分を恥じましたね。父親からは何もないです。
☆にしむら・けんた=1967年7月12日生まれ。東京都出身。中学校卒業後、港湾荷役などで生計を立てながら生活。2003年から小説を書き始め、07年に「暗渠の宿」で野間文藝新人賞、11年に「苦役列車」で芥川賞を受賞する。本紙連載「いろ艶筆」でも健筆を振るった。昭和初期に亡くなった作家・藤澤清造に傾倒し、月命日に石川県七尾市まで墓参りに行っていた。
関連記事はありません。
30年以上、世の中高年の人々に元気を注入し続けているタフマン。そんなベストセラー商品にミス東スポ候補の美女が突撃取材!愛され続ける理由や、気になるタフマンマークの由来に迫った。
「ミス東スポ2013」を目指し、ライブチャット、撮影会、ブログアクセス数、電子写真集の獲得ポイントによるサバイバルレースを展開します。第1クールの5人が決勝クール進出。