最近考えていることをアウトプットしてみます。
生産と消費の分化
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資本主義以前の社会において、人々は「生産」と「消費」を同時に行っていました。
その分かりやすい例は、「農」のあり方の変化でしょう。かつては「武士」と呼ばれる人たちも、生活のために農作物を自分たちで育てていたそうです。人々の暮らしの中にあった「農」は、経済成長とともに暮らしから切り離され、「商品」となりました。
生産と消費の分断は、世に言う「モンスター消費者」を生み出す一つの原因になっていると僕は考えます。
「まっすぐなキュウリ」「漂白されたレンコン」を欲しがる消費者像は、その好例でしょう。自分で野菜を育てることで、八百屋にある商品の見る目が変わる、と知人の半農半X実践者が語っていたことを思い出します。
「生み出す苦労」を知っていれば、安易に批判したり、間違った選択をすることも減っていきます。
僕自身、本を何冊か書き、その苦労を知ったことで、「著者」という存在をほぼ無条件でリスペクトするようになりました。
接客業をやっていた人は、店員のちょっとしたミスに対しても寛容になれるものです。
無情な批判、無理解な批判を目にするたびに「自分で一回やってみれば、もっと優しく建設的な視点を得られるのに」と僕は思ってしまいます。
「小商い」を可能にするソーシャルウェブ
ソーシャルウェブは、「生産と消費の分断」を再統合する力を持っています。
人々のスキルが可視化・マッチングされ、「消費者」が単に消費するだけの存在から、「売り手」に変わりうるからです。
最近の事例では「ココナラ」が分かりやすいでしょう。ココナラを用いれば、自分の持っているスキルを500円で誰かに販売することができます。ココナラの上では、それこそ小学生だって、誰もが小商いを始めることができるわけですね。
その他、WishscopeやRoomstay、顔面広告といったプレーヤーも、眠れる消費者を生産者に仕立て上げるサービスと言えるでしょう。
大きな商いは依然難しいですが、ソーシャルウェブによって、普通の個人が「小商い」を始めることが容易になりました。ソーシャルウェブによって、「生産」がもう一度僕たちの暮らしに戻りつつある、ということです。
消費と生産の再統合は、大きな社会的インパクトを持つでしょう。
貨幣が「顔の見える関係性」を築くメディアとして機能し、マイクロなコミュニティが無数に生まれていきます。超楽観的にいえば、そうしたコミュニティは新しい時代のセーフティネットにもなり得るかもしれません。
自分が生産者に回ることで、優しく、建設的な視点を得ることもできるでしょう。モンスター消費者は、過去のものとなっていきます。
多くの人が、自らの手で何かを生み出し、販売する側に回ることで、世の中は今よりも良くなっていくでしょう。僕はそんな風に思います。
みなさんはこのテーマに関して何を考えますか?既に小商いを始めていますか?ぜひコメント欄やツイッター、Facebookでご意見をください。
関連本。これからの時代を生き抜く上での示唆に富む、素晴らしい思想書です(書評)。