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Danas je lep dan.

2012-03-24 えるしっているか

[]日本エスペラント学会が想像以上にヨーロッパ中心主義を標榜している件について

 以前エスペラントについてはエントリを書いたけれど*1,その時の見解を読むとなんか自分も色々甘っちょろいこと言ってんなあという気分になる。というかまあ,田中克彦のものすごいエスペラント推しの段階で推察しておくべき話ではあるのだが。

 何が言いたいかというと,いやまさかここまで日本エスペラント学会とやらがヨーロッパ中心主義者どもの集まりだとは思ってなかったからおじさん驚いちゃったよ,という話である。

 日本エスペラント学会は次のように書いている。

エスペラント(Esperanto)は中立公平で学びやすい国際共通語です。

エスペラントとは?

 だがしかしこれは嘘である。なぜなら彼らはこうも言うからだ。

ただ、語彙については、エスペラントは、たしかに「ヨーロッパ語」です。というのは、基礎となる語根のほとんどすべてが、ラテン系を中心にヨーロッパの主要言語に由来しているからです。これは、創始者ザメンホフが「共通語」を考案する際に、諸民族が混在する東欧という環境で、ヨーロッパ共通の文化的伝統を考慮に入れた結果です。

質問の背後には、「『世界共通語』は、公平の原則に基づいて世界中の言語から その長所を採り入れたものであるべきだ」という主張が存在するように思われます。しかし、そういうことは、事実上不可能です。英語と中国語と日本語とアラビア語の「長所」を寄せ集めてできたコトバなどは、まさに混沌そのもので、実用に耐えないでしょう。妥当な代案のない限り、「共通語」は やはり エスペラントしかありえないのです。

Respondo al Demando pri Esperanto %28mizuno97b%29

語彙の大部分は、ヨーロッパの主要言語から採用したものです。 D.B.グレガーの研究によれば、創始者ザメンホフがはじめに制定した基本語彙2612個の語根のうち、 (少数のギリシア語由来や人工語彙を除いて) 純スラブ系(ロシア語など)は29個、純ゲルマン系(英・独語など)は326個、純ラテン系(仏・西・伊語など)は861個、ラテン系由来のゲルマン系は663個となります。つまり、ラテン・ゲルマン系が合計1,850個で全体の66%を占め、西欧的性格が明瞭です。

Respondo al Demando pri Esperanto %28mizuno97a%29

 これのどこが「中立」な言語なのか。少なくとも語彙に限れば,印欧語,とりわけヨーロッパで話される言語を見知った者に,とりわけ有利な作りになっているではないか! しかも,中立性を保とうとする努力をしようともしていないことが上の引用からは明白だ。少なくともザメンホフの時代にはラテン・ゲルマン系の語彙だけで2/3を占めていたのだと語るが,そんなもんを普通の頭で考えて中立な言語とは言わないのである。

 そしてそもそも,ラテン文字を使っている段階で中立ではない*2。2つ以上の言語で使用されている文字ならば,ラテン文字の他にもキリル文字アラビア文字ヘブライ文字カナダ先住民文字*3,それに漢字がある。1つの言語だけで使われている文字も含めれば,日本の仮名文字からギリシア文字,アルメニア文字,グルジア文字,チェロキー文字など色々な文字が世界には存在する。で,なんでそのなかでラテン文字をわざわざ選んだの? ということである。

 「世界中に広まっていてみんなが読めるから」? だったらおとなしくイングランド語使ってろよ,このラテン文字帝国主義者め。

 もちろん「そんな厳密に中立公平な言語なんて作れねーよ!」と言いたい方もいるだろう。そう,その通り。作らなければよいのだ。

 別にわたしは人工言語の試みに文句を付けているわけではない(人工言語を駆使する作家としての新城カズマは大好きである。あと森岡浩之)。アーヴ語やクリンゴン語やトールキンの創造した言語のように,「こんな言語作りました」と謳って言語マニアを惹きつけるならば,いっこうに文句は言わないのだ。アーヴ語は日本語を祖先とする言語だが誰もそのことに文句は言わない。アーヴ語は中立や公平さなど売りにしていないからだ。それはアーヴというひとつの種族の言語なのだから。

 セルビア語やアイヌ語やナワトル語が学ばれるように,個別の,普遍でも中立でも何でもない言語としてエスペラントが学ばれるなら,それに投げかける批判などあるわけがない。チェコ語ニヴフ語やケチュア語がそれぞれの特殊性を内包しているように,エスペラントもけして中立ではないのだと,そう認めた上でなお学ぶのであれば,マイナー言語を学ぶ者に対してそうするように,生暖かく見守っていればよいのだ。「エスペラントに萌えるからエスペラントやってるんです! 中立とか公平とかどうでもいいんです!」というのなら,同じく東欧に萌えるから東欧のお勉強をずるずると続けている人間として,僕はにっこり笑って握手のための手を差し出すだろう(先方のエスペラント萌え語りにはついていけないかもしれないがそれはご容赦いただきたい)。

 だが,彼らは言ってしまった。自分たちの学ぶ言語は「中立」で「公平」なものだと。そう言明してしまったのなら,そこに大きな偏りがあるという批判から逃れることはできまい。

 「中立」であるといいながら,実際にはヨーロッパ系の語彙をメインに組み立てた語を提示することは,要するにヨーロッパ中心主義である。わたしはヨーロッパの文化を深く愛するが,それを人類共通の文化などといって提示されてはたまらない。ヨーロッパはあくまで個別の存在であってけして普遍でも中立でもない。日本がそうであるように。

 ザメンホフが時代の制約からそのような言語を設計してしまったことは責められまい。もとより彼ひとりで創った言語なのだから,そのような偏りが生じてしまってもまあ仕方はない。問題は,21世紀の現在になってもなお「中立」などという幻想に固執し,みずからの学ぶ実質的には大きなヨーロッパ中心主義的偏りを内包した言語を「共通語」などと厚かましくも僭称するエスペランティストどもである(もちろん,そのような考えを抱いていないエスペランティストを責めるつもりはわたしには毛頭ない)。彼らの抱く考えは,近代の植民地主義者たちが抱いたそれとどう違うというのだろう?

 エスニックな意味での日本人で,当初からのエスペラントの理想である「中立な国際語」とやらを信じてエスペラントを学習している人間は,軒並みヨーロッパ中心主義に毒されたバナナ野郎と断言しても差し支えないと,わたしは思う。

 え? じゃあ何を共通語にするのかって? その場その場で場に応じた共通語の設定があると思うけど(たとえば日本人と韓国人とロシア人がロシア文学について議論する時にはロシア語使うでしょ。エスペラント萌えのひとどうしが集まったらエスペラントが共通語になるんじゃね),まあイングランド語でいいんじゃないすか。あとはフランス語

 イングランド語帝国主義? それって無批判にラテン・ゲルマン由来の語彙やラテン文字を取り込んでおいてさも中立であるかのように装っている自称中立なエスペラント学会の皆様が批判できることですか? 少なくとも,イングランド語は「便利」だから選択されているが,今現在では中立とも公平とも名乗ってないみたいだから,エスペラントよりはずいぶんと道義的にマトモな「共通語」なんじゃねえの?

追記(3/25, 01:00):

id:kyo_ju [言語][社会][思想] 正義を主張する者には純粋性を要求し、それが果たされないなら不正義にまみれた現状を追認する方を選ぶって、よく見かける思潮だけど、端的に言って若いよねとしか。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Mukke/20120324/1332591207

 いやわたしが言ってんのは,イングランド語帝国主義もエスペラントも「不正義」という点ではたいして変わらないんじゃないか,ということです。現状が不正義にまみれているとしても,ではエスペラントが“それよりもましな正義”であるかと問えば,それは否でしかない。だったら,まだ現状の不正義を追認した方がマシです。

 わたしにとって,じっさいにはある地域の文化的伝統が強く刻印されているもの――たとえば,ラテン文字――を,「普遍的」「中立」などと偽って,ほかの地域の人間に押しつけようとすることは重大な不正義です(だから,エスペラントだけでなく,「日本語を『国際語』にするためにローマ字化しよう!」みたいな主張も同じくらい強く批判します)。そういう主張は,かつて植民地や占領地に日本の文字を押しつけた大日本帝国と通底するものですから。

 それに比べれば,まだイングランド語の方が,そういった偽りを表立っては口に出していないぶん,マシであるといえるでしょう。より不正義だとして糾弾されるべきは,イングランド語帝国主義ではなく,エスペラントの方だ――そう,わたしは主張しています。

KhelljuhgKhelljuhg 2012/03/24 23:31 まあ創り手のバックグラウンドや世界観(ヨーロッパだけで完結している)がどうしても表れるのは仕方ないとして、そもそも中立な言語って何?全ての学習者にとって同じ難易度っていうことか?引用ページに「『ヨーロッパ語』は『屈折語』」って書いてあるけど、特に現代語では屈折するのは一部の語彙だけ(特に英語は屈折語離れがすごい)だし、屈折語・膠着語・孤立語なんていうのは単に文法機能を表すための方法(というか表し方の傾向の分類)であって、完全な屈折語や完全な膠着語が見つかってる訳じゃないし。

中立云々の話に戻すと、語彙や文法が実在する言語からサンプリングされた以上、学習難易度が学習者の既に知っている言語や育った文化背景によって左右されることは避けられないと思う。「英語と中国語と日本語とアラビア語の『長所』を云々」という下りはちょっと何言ってるかよく分からない。あと、バックグラウンドの違う学習者がエスペラントを使った場合(別にエスペラントじゃなくてもいいけど)、それぞれの学習者が既に知っている言語の用法や発音を引きずって、母語話者ごとに方言みたいなものができるし、下手をすればエスペラント語の学習者がお互いの発話を理解できない可能性もあると思う。まあよっぽど厳格に教授されればそうならないのかもしれないけど。でもこの課題からは人工言語であっても逃れられないと思うよ。エスペラントが普及しなかったのは多分、共通語としての有力候補が既にあって、ニッチを得られるだけの魅力や有用性、必要性をエスペラントに見出す人が少なかったから。要するに既存の言語に勝てなかったから。文法的に不備があるっていう批判もあるし。

MukkeMukke 2012/03/24 23:41 Khelljuhgさん>
お久しぶりですー。

>ヨーロッパ語
さらにいえばマルタ語やスオミ語やマジャル語なんかもいちおう「ヨーロッパ語」であるわけで,だいぶ大雑把な説明だなあと思います……。

>語彙や文法が実在する言語からサンプリングされた以上、学習難易度が学習者の既に知っている言語や育った文化背景によって左右されることは避けられないと思う
>でもこの課題からは人工言語であっても逃れられない
はい。同意します。ですから,どうせできないのなら目指すのやめればいーじゃん,って思うんですよね。英語が共通語的に使われるのは,日本語話者からすると悔しいですけれど,それよりも,日本語の要素がちっとも入っていない,ほとんどヨーロッパの言語みたいな言語を持ってこられて「はい,中立で公平な言語です」ってやられる方がよっぽどむかつくんですよね。ふざけるな,俺たちのことを無視するのか,と言いたくなる。

guskantguskant 2012/03/25 01:33 日本エスペラント学会の欺瞞に対するご批判には全面的に共感しますが、

> もちろん「そんな厳密に中立公平な言語なんて作れねーよ!」と言いたい方もいるだろう。そう,その通り。作らなければよいのだ。

というご意見には反対します。実際、「厳密に中立公平」ではないにせよ、それを目標の一つとして設計され、エスペラントよりははるかに中立公平になっている人工言語、ロジバンが存在するからです。

ロジバンの文法は述語論理を基礎として設計されました。自然言語の文法を引きずっていないので、特定の自然言語を知っている者だけに有利となることはありません。

基本語根をすべての自然言語から平等に抽出するのは難しいですが、ロジバンの基本語根は、地球上で話者数の多い6言語(中国語、英語、ヒンディ語、スペイン語、ロシア語、アラビア語)から合成して作られています。語彙を完全に自然言語と切り離して作れば、もっと中立的になったと思いますが、ロジバン設計者は、学びやすさを考慮して、この方法を採用したようです。

基本語根と形態上区別できるような、合成語や借用語を作る方法が決められていますので、話者の文化背景を反映した内容語を増やすことは可能です。合成語は基本語根から作られるので、文化背景の違いによる誤解は生じません。借用語については、基本語根を接頭した形態を持たせる作成方法があり、この方法を使うと、その借用語がどの概念に属する内容語であるかを聞き手が把握できますから、使用者間の文化背景が違っても、大きな誤解は生じません。

ロジバンは音素列からなり、その音素列を表記する文字は指定されていません。便宜上、ASCIIが使われることが多いですが、キリル、bopomofo、かな、創作文字など、他の文字体系を使った表記方法も存在します。文字列から音素列を曖昧性無く再現できるなら、どんな文字でも良いのです。

以上、ロジバンの説明が長くなってしまいましたが、要は、エスペラントだけを見て、中立志向の人工言語全般を批判するのは言い過ぎだろうということが言いたかったのです。

mujinmujin 2012/03/25 02:06 うーん、これだとエスペラントの偽善を指摘するだけに留まり、そもそもエスペラント発明が要請されたところの「母語話者と非母語話者の不均衡」という問題がまったく解決されていないような…。それどころか未解決のままその状態を善しとしているように見えてしまいます。
現実にこの不均衡に悩んでいる当事者にとっては偽善なんてさほど問題ではないと思いますよ。むしろ英語を母語としない者にとっては英語よりエスペラントのほうが不均衡の是正という意味では何倍も「マシ」です。
kyo_ju さんが指摘しているのはそういうことだと思いますけど。

KhelljuhgKhelljuhg 2012/03/25 02:49 >自然言語の文法を引きずっていないので、特定の自然言語を知っている者だけに有利となることはありません

構造をもっている時点で任意の自然言語の構造と共通の要素が見出される可能性は十分にあります。現にWikipedia日本語版のロジバンの項には日本語との共通点が見出されるとあります。言語を習得する際、その言語の特徴が学習者の既に知っている言語に似ている場合は一般に早く習得されます(但し似すぎていると混乱して習得に時間がかかりますが)。また、仮に全ての言語の話者にとって等しく中立な構造の言語にすることができた場合、それは全ての言語の話者にとって等しくとっつきにくく学びにくい(=使いにくい)ということでもあります。更に、人間が音声として発話できるものである必要がある以上、発話が人間の調音器官で作り出せる音の組み合わせで成り立っていることが必須です。音素は基本的に人間が作り出せる音をその言語に合わせて概念化・体系化したものですから、同じものをもつ自然言語とその点ではどうしてもダブります。また非母語の音声・音韻は既に知っている言語の影響が残りやすいです。つまり訛りやすいので、場合によってはロジバン使用者同士であってもお互いに何を言ったか解らない可能性も十分あります。文字表記はまた別の話です。

蛇足かもしれませんが、非母語には習得レヴェルの段階もありますし、日々様々な文が生成される中、規範的な構造に従わない発話も現れやすいです。それらが話者同士で共有されると文法なり音韻なりが元の形からずれてきます。言語の用法はルールに基づいているというよりも、話者の間での受容度に依存しています。

guskantguskant 2012/03/25 06:49 Khelljuhg さんが私のコメントについてコメントをくださったので、それに対してご返答申し上げます。

> 構造をもっている時点で任意の自然言語の構造と共通の要素が見出される可能性は十分にあります。現にWikipedia日本語版のロジバンの項には日本語との共通点が見出されるとあります。言語を習得する際、その言語の特徴が学習者の既に知っている言語に似ている場合は一般に早く習得されます(但し似すぎていると混乱して習得に時間がかかりますが)。

日本語の Wikipedia では日本語話者のために、ロジバンと日本語との共通点を特に取り上げて説明されているようです。しかしこのことは、ロジバンが他の自然言語よりも特に日本語に似ているということを意味しません。実際にロジバンを学習してみれば、ロジバンは任意の自然言語の構文に似た形を構成するための自由度が大きいという特長が見出されるでしょう。


> また、仮に全ての言語の話者にとって等しく中立な構造の言語にすることができた場合、それは全ての言語の話者にとって等しくとっつきにくく学びにくい(=使いにくい)ということでもあります。

「仮に全ての言語の話者にとって等しく中立な構造の言語にすることができた場合、それは全ての言語の話者にとって等しくとっつきにくく学びにくい(=使いにくい)ということ」になる可能性はありますが、その言語設計の第一目的が中立性であって、話者人口の増加ではないなら、それで問題ないはずです。

ただし、この命題は、ロジバンには当てはまりません。ロジバン設計の第一目的は、その前身となったログラン設計の第一目的「サピア=ウォーフの仮説の検証」を継承しています。そのためには、(1)できるだけ多様な文化背景を持つ使用者構成となることが望ましく、またその一方で、(2)使用者数が少なすぎないことが望ましいと考えられます。そして、(1)のためには中立性が必要であり、(2)のためには学びやすさが必要であると考えられます。中立性と学びやすさは必ずしも両立しませんから、基本語根の話題ですでに申し上げたとおり、ロジバン設計は、中立性と学びやすさとのバランスで、妥協している部分があります。


> 更に、人間が音声として発話できるものである必要がある以上、発話が人間の調音器官で作り出せる音の組み合わせで成り立っていることが必須です。音素は基本的に人間が作り出せる音をその言語に合わせて概念化・体系化したものですから、同じものをもつ自然言語とその点ではどうしてもダブります。

自然言語と共通の音声が音素として採用されることと、音素体系の中立性とは、直接の関係がありません。ロジバンでは、できるだけ多くの言語に共通する音声を優先的に音素として取り入れているように見えます:
http://mhagiwara.github.com/cll-ja/chapter3.html


> また非母語の音声・音韻は既に知っている言語の影響が残りやすいです。つまり訛りやすいので、場合によってはロジバン使用者同士であってもお互いに何を言ったか解らない可能性も十分あります。

上記のリンク先で説明されているように、ロジバンでは、訛りとして許容される範囲の音声が、各音素ごとに、厳密に規定されています。その範囲を逸脱する訛りはロジバンとして解釈されません。そのような音声を聞いた場合の対処方法として、通信が機能しているかどうかを確認するためのプロトコルが、ロジバン文法の中で規定されています。このプロトコルによって、通信不能であったことが分かれば、単にもう一度通信しなおせば良いのです。


> 蛇足かもしれませんが、非母語には習得レヴェルの段階もありますし、日々様々な文が生成される中、規範的な構造に従わない発話も現れやすいです。それらが話者同士で共有されると文法なり音韻なりが元の形からずれてきます。言語の用法はルールに基づいているというよりも、話者の間での受容度に依存しています。

これはロジバンという人工言語には当てはまりません。ロジバンの用法は完全にルールに基づいています。話者の間での受容度は、ルールの範囲内にしかありません。それが可能となるように、ロジバン文法が曖昧性なく、矛盾もなく、規定されているからです。

kyo_jukyo_ju 2012/03/25 11:38 せっかくコメント欄で高度な議論が展開されているようなのに、割って入るような形になるのは心苦しいですし、私自身エスペラントへの思い入れどころか知識もろくにないので、この話題ではそれほど展開もできないのですが。

mujinさんが指摘して下さっているとおり、ある特定の(多くは、その時代における政治的、経済的、文化的覇権国の)自然言語を事実上の世界共通語として認めることで、その言語を母語とする者としない者との格差をそのまま是認することになるという問題からは、いくら特定の世界共通語構想の正義の観点からの不徹底性を批判したところで、逃れることはできません。
(ついでにいうと、英語を母語としない者の中でも英語の習得しやすさには大きな格差があるわけで、それはエスペラントが非ヨーロッパ圏の人にとって相対的に習得しづらいのと同じ(それどころか、特定の文化圏の特定の語法が常に規範とされる分だけさらに格差は広がりやすい)でしょう。)
しかし、もちろんそんなことはMukkeさんはわかっているでしょう。

私がより問題を感じたのは、追記の部分でも再論されているような、
「英語はデファクトスタンダードなだけで、エスペラントのように自らの正義や普遍性を主張したりしないからまだましだ」
という趣旨のご主張です。
「人工的な世界共通語の使用による言語格差の是正」というのも一つのイデオロギーですが、そもそもイデオロギーというのは理論立って明示的に主張されるようなものばかりを言うのではなく、「デファクトスタンダードで便利だからみんな英語使おうぜ」と言ったり、言わなくてもそう思ってそのように行動したりするのも、やはり一つのイデオロギーに立脚しているというべきです。

明示的なイデオロギーの偽善に反発するあまり、あまり明示的でなく日頃あまり意識もされないイデオロギー(それだけこの社会に深く浸透しているイデオロギーということでもあるかもしれません)は肯定する(あるいは、それがイデオロギーであることすら見過ごす)というのは、意図的な悪ではないとすれば、若さからくる反動(中二病に対する高二病的な)ではないかと愚考する次第です。

KhelljuhgKhelljuhg 2012/03/25 17:07 つっこみたいとところはいろいろあるんですが、取り敢えずこれだけ。

>しかしこのことは、ロジバンが他の自然言語よりも特に日本語に似ているということを意味しません。

他の言語よりも日本語に似ていると解釈することは論理的に難しいと思います。

>実際にロジバンを学習してみれば、ロジバンは任意の自然言語の構文に似た形を構成するための自由度が大きいという特長が見出されるでしょう。

それは他人の発話が任意の話者にとって未知の構造をもっている可能性があるということでは?また、例えば特定の言語からの借用語ばかりが定着すると語彙の習得難度が学習者の既習言語によって変わってきますよね?

>その言語設計の第一目的が中立性であって、話者人口の増加ではないなら、それで問題ないはずです。

話者が必ずしも必要ない共通言語ということでしょうか?だとすると本末転倒ではないでしょうか?実用的なものでなく単なる仮説に基づくモデルなのであれば話はまた違ってくるとは思いますが。

>自然言語の文法を引きずっていないので、特定の自然言語を知っている者だけに有利となることはありません
>ロジバンは任意の自然言語の構文に似た形を構成するための自由度が大きい
これだと文が出力された際、結局自然言語の文法を引きずることになると思いますが・・・。

>自然言語と共通の音声が音素として採用されることと、音素体系の中立性とは、直接の関係がありません。ロジバンでは、できるだけ多くの言語に共通する音声を優先的に音素として取り入れているように見えます

直接関係がなくても結果としては同じような音素体系になると思いますが。また言語の中には多くの言語に共通する音素をもたないものもあります。言語習得において、音韻体系の習得は最も困難な領域だと云われています。

>上記のリンク先で説明されているように、ロジバンでは、訛りとして許容される範囲の音声が、各音素ごとに、厳密に規定されています。その範囲を逸脱する訛りはロジバンとして解釈されません。そのような音声を聞いた場合の対処方法として、通信が機能しているかどうかを確認するためのプロトコルが、ロジバン文法の中で規定されています。このプロトコルによって、通信不能であったことが分かれば、単にもう一度通信しなおせば良いのです。

僕がこの箇所で言いたいことは、「ロジバンでないものが繰り返し出力される可能性がある」ということです。また、リンク先にある異音(?)の範囲はどうやって決めてあるんでしょうか(異音と訛りが別であることはご存知かと思いますが)。発話がロジバンのものであるかどうかの判別はどうやってなされるんでしょうか。また上でも触れましたが、ロジバンの音素体系を見る限り、あまり普遍的とは言えないものも含まれています。また音素が普遍的なものであっても、人間にとって産出可能なプロソディをもっている必要があるので、同じく「人間にとって産出可能かどうか」という制約に縛られる自然言語とかぶることになります。音の並び方にも物理的制約に基づく文法があるからです。この物理的制約は体の異状がない限り誰にも普遍的なものです。そういえばWikipediaにもリンク先のサイトにもプロソディに関するプロトコルが載ってませんね。

>これはロジバンという人工言語には当てはまりません。ロジバンの用法は完全にルールに基づいています。話者の間での受容度は、ルールの範囲内にしかありません。それが可能となるように、ロジバン文法が曖昧性なく、矛盾もなく、規定されているからです。

学習者の習熟度によっては「ルール違反」が繰り返されます。また習熟度が高くても目標言語の産出の「正確さ」「再現度」の問題があります。学習者が間違ったまま覚えたものが癖になり直らなくなる「化石化」という現象も言語習得ではよくみられます。話者が常に「ルール」に従って発話するという保証はありません。

こうした人工の共通言語は試みとしては楽しく面白いと思いますが、人工言語であっても自然言語であっても結局同じような制約に縛られ、結局行き着くところは同じなのではないかと思っています。

MukkeMukke 2012/03/26 15:33 guskantさん>
Khelljuhgさん>
なるほど,ロジバンという言語については存じ上げませんでした。ご教示いただきありがとうございます。確かに,エスペラントのような羊頭狗肉の試みよりも,遙かにマトモな中立性を謳った人工言語であるとの印象を受けます。

しかし一方で,お二人の議論を拝見していて,やはりこれも中立性を厳密に考えると成り立たない試みであるような気もします。たとえば,ほんとうに公平性を保ちたいならクリック音なども導入する必要があると思うのですが,ロジバンにそれはあるのでしょうか?

もちろん現時点ではエスペラントなどよりも遙かに優れた試みであることには同意いたします。しかしやはり,既存の自然言語から完全に中立な人工言語を作ることは不可能な試みではないのでしょうか(ロジバンも妥協をしているわけですよね)。もとより完全な中立を保つことなどできないのではないか,という気がわたしにはしています。だとすれば,果たしてそんなものを目指す意味があるのか? と,疑いたくなってきます。

mujinさん>
>そもそもエスペラント発明が要請されたところの「母語話者と非母語話者の不均衡」という問題がまったく解決されていないような…。それどころか未解決のままその状態を善しとしているように見えてしまいます
わたしはそれをエスペラントを導入することが解決策であるような問題であるとは思えません。仮にエスペラントが普及したら,必ずそれで子供を教育しようという親が出てきます。そうなったら,エスペラント母語話者が生まれ,また同様の不均衡が生じるでしょう(では子供をエスペラントで育てることを禁止しますか? 当たり前ですがそれは酷い人権侵害です)。そのような不均衡の問題は,英語であろうがエスペラントであろうが,他のどの言語であろうが避けられない問題だと思うのです。だとしたらそれは制度面(通訳システムの整備,多言語教育など)で解決されるべき問題ではないのでしょうか。人工言語はその解決になりません。

kyo_juさん>
>私がより問題を感じたのは、追記の部分でも再論されているような、
>「英語はデファクトスタンダードなだけで、エスペラントのように自らの正義や普遍性を主張したりしないからまだましだ」
という趣旨のご主張です。
>「人工的な世界共通語の使用による言語格差の是正」というのも一つのイデオロギーですが、そもそもイデオロギーというのは理論立って明示的に主張されるようなものばかりを言うのではなく、「デファクトスタンダードで便利だからみんな英語使おうぜ」と言ったり、言わなくてもそう思ってそのように行動したりするのも、やはり一つのイデオロギーに立脚しているというべきです
それは当たり前のことです。わたしは言語の選択にイデオロギーが介在しないとは思いません。エスペラントを共通語にしよう,という試みと同様に,英語帝国主義を肯定するのもまたイデオロギーでしょう。その上で,英語帝国主義のイデオロギーの方が,中立性や公平性を謳っていないだけまだマシだ,と言っているのです。

コメント欄の上の方で書きましたが,日本語以外の言語が共通語として通用するのならば,それが英語だろうがエスペラントであろうが日本語母語話者であるわたしには同じことです。どちらもわたしの母語ではない。だから英語の押しつけもエスペラントの押しつけも似たようなものではありますが,しかし決定的に違うのは,何度も言いますが,英語は中立であるなどと言っていないことです。日本語の要素がほとんど存在していない(文字からして,漢字でも仮名文字でもない!)かわりに欧米の言語の要素が色濃く残っている言語を,「これは中立で公平な言語です(キリッ」などという欺瞞で包んで渡されるよりは,まだ,日本語とは似ても似つかない言語を,経済的・軍事的・文化的に覇権を握っているからという理由で学習させられる方がマシです。

guskantguskant 2012/03/27 06:19 Khelljuhg さんと Mukke さんに返信申し上げます。

Khelljuhg さんへ
> > 実際にロジバンを学習してみれば、ロジバンは任意の自然言語の構文に似た形を構成するための自由度が大きいという特長が見出されるでしょう。
>
> それは他人の発話が任意の話者にとって未知の構造をもっている可能性があるということでは?

ロジバンという人工言語では、任意の話者にとっての未知の構造はあり得ません。なぜなら、YACC で記述された構造が全てであり、それを逸脱する構造はロジバンとみなされないからです。聞き手にとって初めての構文であっても、曖昧性の無いロジバン文法のおかげで、その意味を正確に把握することができます。


> また、例えば特定の言語からの借用語ばかりが定着すると語彙の習得難度が学習者の既習言語によって変わってきますよね?

基本語根を接頭する方法で作成された借用語は、新たに習得する必要がありません。聞き手にとって未知の借用語でも、どの概念に属する内容語であるかがわかるからです。従って、借用語の数が文化によって偏っていても、習得難度には影響しません。


> > その言語設計の第一目的が中立性であって、話者人口の増加ではないなら、それで問題ないはずです。
>
> 話者が必ずしも必要ない共通言語ということでしょうか?だとすると本末転倒ではないでしょうか?実用的なものでなく単なる仮説に基づくモデルなのであれば話はまた違ってくるとは思いますが。

ここでは、第一目的が中立性であるような架空の言語を話題にしていますが、話者人口の増加を目的としていなくても、話者がゼロになるかどうかはわかりません。より難しい言語の方を習得したがる人々は一定数存在します。そのような言語の実用性については未知ですが、少なくとも話者間の通信には役立つでしょう。


> > 自然言語の文法を引きずっていないので、特定の自然言語を知っている者だけに有利となることはありません
> > ロジバンは任意の自然言語の構文に似た形を構成するための自由度が大きい
> これだと文が出力された際、結局自然言語の文法を引きずることになると思いますが・・・。

ロジバンでは「自然言語の文法を引きずること」が可能ですが、必要ではありません。また、自然言語の文法を引きずった表現をしても、曖昧性の無い文法のおかげで、異文化の聞き手にも意味が通じます。

実際のロジバン話者は、習得初期の頃には、母語に近い表現をすることが多いですが、慣れてくると、もっと自由に構文を扱うようになります。この現象は、まさにサピア=ウォーフの仮説を実証しているように思われます。


> > 自然言語と共通の音声が音素として採用されることと、音素体系の中立性とは、直接の関係がありません。ロジバンでは、できるだけ多くの言語に共通する音声を優先的に音素として取り入れているように見えます
>
> 直接関係がなくても結果としては同じような音素体系になると思いますが。また言語の中には多くの言語に共通する音素をもたないものもあります。言語習得において、音韻体系の習得は最も困難な領域だと云われています。

ロジバンは設計方針として、各自然言語に現れる音声の集合の積集合を目指しているのだろうと推察します。ただ私は、ロジバンの音韻体系に改善の余地があると思っています。これに関連することを、後述の Mukke さんへの返信にも書きますので、もし宜しかったら、そちらもお読みください。


> > 上記のリンク先で説明されているように、ロジバンでは、訛りとして許容される範囲の音声が、各音素ごとに、厳密に規定されています。その範囲を逸脱する訛りはロジバンとして解釈されません。そのような音声を聞いた場合の対処方法として、通信が機能しているかどうかを確認するためのプロトコルが、ロジバン文法の中で規定されています。このプロトコルによって、通信不能であったことが分かれば、単にもう一度通信しなおせば良いのです。
>
> 僕がこの箇所で言いたいことは、「ロジバンでないものが繰り返し出力される可能性がある」ということです。

その場合は、繰り返し通信エラーとなります。性能の悪い人工知能同士の会話なら、外部から強制終了されるまでエラーが続くと思いますが、ある程度融通のきく話者間では、通信エラーが起きにくい表現に変えたり、発音補助機を使ったり、音声以外の記号に置き換えたりする方法で、通信エラーを回避すると思います。


> また、リンク先にある異音(?)の範囲はどうやって決めてあるんでしょうか(異音と訛りが別であることはご存知かと思いますが)。

第2節の表の IPA 欄の左端の音声が、その行の音素を代表する音声で、同一行の2番め以降の音声は、同じ音素と見なされる音声です。ロジバンではそもそも、異音と訛りの区別が定義されていません。例えば ASCII の c の字に対応する代表的な音声は、 X-SAMPA で [S] ですが、マンダリンを母語とする話者が、これ以外の許される音声 [s`] を異音として認識する可能性がある一方、日本語の母語話者はこの音を訛りとして認識するかもしれません。異音か訛りかという区別は、音素の聞き取りには不要です。


> 発話がロジバンのものであるかどうかの判別はどうやってなされるんでしょうか。

聞き手が聞いて判別するだけです。将来的には、各話し手に定型文を読みあげてもらい、その発音の波形を分析して、各音素の範囲の初期値を記録することができるようになる可能性があります。そうしておくと、通信エラーになりやすい話し手であっても、記録しておいた初期値を利用して、その話し手の発話を自動的に発音し直してくれる機械を使って、通信エラーを減らすことができます。


> また上でも触れましたが、ロジバンの音素体系を見る限り、あまり普遍的とは言えないものも含まれています。

音素体系は改善の余地があると思います。ただし、個人的には、受け入れがたい難点ではありません。


> また音素が普遍的なものであっても、人間にとって産出可能なプロソディをもっている必要があるので、同じく「人間にとって産出可能かどうか」という制約に縛られる自然言語とかぶることになります。音の並び方にも物理的制約に基づく文法があるからです。この物理的制約は体の異状がない限り誰にも普遍的なものです。そういえばWikipediaにもリンク先のサイトにもプロソディに関するプロトコルが載ってませんね。

ロジバン設計には、プロソディが自然言語とかぶることを避ける方針はありません。ただし、多くの自然言語でプロソディの範疇で表されるニュアンスを、ロジバンでは機能語で明示することが可能です。異文化の話者同士がロジバンで通信する場合は、機能語を使った方が理解が深まるはずです。


> > これはロジバンという人工言語には当てはまりません。ロジバンの用法は完全にルールに基づいています。話者の間での受容度は、ルールの範囲内にしかありません。それが可能となるように、ロジバン文法が曖昧性なく、矛盾もなく、規定されているからです。
>
> 学習者の習熟度によっては「ルール違反」が繰り返されます。

ルール違反は必ずエラー構文となり、ロジバン文とは見なされません。


> また習熟度が高くても目標言語の産出の「正確さ」「再現度」の問題があります。

おっしゃることの意味がわかりません。自然言語における、ネイティブに近いかどうかという問題でしょうか?もしそういう意味でしたら、ロジバンにはまったく当てはまらない問題です。ロジバンでは、全ての表現が、構文解析器の下に平等です。ある母語話者にとって奇怪な表現であっても、構文解析器でエラーが出ない限り、必ず意味が通じます。

> 学習者が間違ったまま覚えたものが癖になり直らなくなる「化石化」という現象も言語習得ではよくみられます。話者が常に「ルール」に従って発話するという保証はありません。

ルールに従わないエラー構文は無視されます。通信不能ですから、エラー構文は学習者に定着しません。

>
> こうした人工の共通言語は試みとしては楽しく面白いと思いますが、人工言語であっても自然言語であっても結局同じような制約に縛られ、結局行き着くところは同じなのではないかと思っています。

人工言語の種類によっては、自然言語と制約条件が異なります。エスペラントは自然言語を寄せ集めて簡略化し、曖昧な文法と話者の母語に頼った構文規則で構成された、極めて自然言語に近い人工言語ですから、その制約条件も自然言語と同じです。しかしロジバンでは、 YACC によって曖昧性の無い文法が規定され、全てのロジバン話者はその文法に従う義務があります。これは自然言語とはまったく違う性質です。このような言語では、制約条件も自然言語とは異なり、その行き着く先も、自然言語から予想されるものとは異なる可能性があります。


Mukke さんへ
> しかし一方で,お二人の議論を拝見していて,やはりこれも中立性を厳密に考えると成り立たない試みであるような気もします。たとえば,ほんとうに公平性を保ちたいならクリック音なども導入する必要があると思うのですが,ロジバンにそれはあるのでしょうか?

ロジバンにクリック音を含む音素はありません。中立性を志向して人工言語を設計する際には、必ずしも、各自然言語に現れる音声の集合の和集合を使う必要はありません。積集合を目指して、音声を選んでも良いのです。ロジバンの音素を構成するために採用された音声の集合は、和集合より積集合に近くなっているように見えます。

個人的には、ロジバンの音素の子音の数をもっと減らして、1つの音素に充てる音声の数を増やした方が、習得しやすいだろうとは思います。実際、ロジバンから派生したミニマルな人工言語、トキポナの音素体系は、ロジバンよりもっと少ない子音と、1個少ない母音で構成されています。


> もちろん現時点ではエスペラントなどよりも遙かに優れた試みであることには同意いたします。しかしやはり,既存の自然言語から完全に中立な人工言語を作ることは不可能な試みではないのでしょうか(ロジバンも妥協をしているわけですよね)。

ロジバンが中立性の面で妥協しているのは、中立性以外に、別の目的もあるからです。中立性だけを目的とした言語を設計することが不可能かどうかについては、何も証明されていません。


> もとより完全な中立を保つことなどできないのではないか,という気がわたしにはしています。だとすれば,果たしてそんなものを目指す意味があるのか? と,疑いたくなってきます。

中立性を目指す意味は、ロジバンには明確にあります。サピア=ウォーフの仮説を実証するためには、できるだけ多様な文化背景を持つ使用者構成となることが望ましいからです。

他の中立志向の人工言語にも、それぞれの目的に応じた中立志向の意味があるものと推察します。このことを考慮すると、たとえ完全な中立が不可能であることが証明されたとしても、中立への志向が一概に無意味になるとは言えません。

watwat 2012/03/27 12:53 横から失礼します。私自身、日本エスペラント学会のこの記述は好きになれませんが、ここでの話は、なんとなく言葉の定義の問題のようにも見受けられました。

そもそも「中立」とは、どの陣営にも付かないことであって、どの陣営からも等距離の位置に立つことではないはずです。だから、ある陣営に近くても中立という状態はありえるし、等距離であるというのは中立性とはまた別の概念ではないでしょうか。

例えるなら、「ヨーロッパ風でない単語や語法は認められない」というのなら中立でない状態ですが、「ヨーロッパ語によく似ている」というのは、その是非はともかく、中立かどうかとは別の問題だろうと。

「公平」に関しては、いろいろな観点から見ての「公平」がありえると思います。

例えば、一方的に相手に合わせなければならないという状態に対して、両者が学習しなければならない状態は公平だという観点もありえるでしょう。学習容易性が等しいことだけが公平性の基準ではないし、他の観点もありえると思います。

もっとも、「公平」とか「正義」とかいった言葉は、いろいろな観点から解釈できる言葉なので、不用意に掲げるべき言葉ではないというのは、私もそう思います。

MukkeMukke 2012/03/31 23:06 guskantさん>
>ロジバンにクリック音を含む音素はありません。中立性を志向して人工言語を設計する際には、必ずしも、各自然言語に現れる音声の集合の和集合を使う必要はありません
それはもちろん理屈としてはおっしゃる通りでしょう。しかしクリック音が特徴的な言語――わたしは音声学に詳しくないので,クリック音があらわれる言語であってもその出現頻度は低い,というならば,この批判は失当ですが――の話者が,みずからの要素が反映されていない「中立な言語」をどう思うでしょうか。これはわたしのこれまでの理路からはずれた感情論であり,もちろん無視していただいて構わないのですが。

>中立性を目指す意味は、ロジバンには明確にあります。サピア=ウォーフの仮説を実証するためには、できるだけ多様な文化背景を持つ使用者構成となることが望ましいからです
わたし個人はしょうじきサピア=ウォーフの仮説に魅力を憶えるもののさて正直どうなんだろう,というスタンスの持ち主なので,懐疑的になってしまいますが,でも面白い実験ですね。SF的で。

watさん>
もちろんそれはおっしゃる通りなのですが,しかしエスペラントが「母語話者と非母語話者のあいだの格差をなくす」ためのものである以上,そこは無視できない批判点だと思うのですよね……。

白くらげ白くらげ 2012/04/01 09:54 僕はエスペラントを勉強しながら、使っています。
僕も中立性について否定的な立場で考えて見たことがあります。Mukkeさんのように憤慨はしませんが、意見としては概ね賛成です。エスペラントの「中立性」は一定の範囲内であっても素晴らしい役割を発揮すると思いますが、
・中立性が問題になる時、そこには不平等や格差、不当な支配などが未解決のまま横たわっていると思います。
・エスペラントもロジパンも社会的な不平等の根源を直接に解決したりはしないと思います。
・「中立性」はつまるところその言語の使用者個人や団体の態度や行動に帰することになると思います。差別主義者でもエスペラントを喜んで使用することができるでしょう。植民地支配にエスペラントが検討されたこともあるとか、読んだことがある(気がします)。
・「中立性」は時として、社会的な問題に対して「何もしない」、「何も言わない」ことを形式的に要求することがあります。
・だからといって言語格差が社会制度を歪めたり格差を固定している場合や地域があることを、軽視したり無視したりするわけには行かないと思います。(エスペラントがそれを解決するとは思いませんが。)
・「中立性」の看板を下げるべきかどうか。僕個人としては歴史的なものだし、今時「エスペラントの中立性」に惹かれてそれを使う人も少ないので、そのままで良いとおもっています。
・エスペラントが「中立性」を掲げた背景もご存知でありながら、またそれがヨーロッパ系の言語ですと自ら説明しているのもお読みになっておられるのに、本文のように噛みつかねばならない理由が分かりません。今の憲法が掲げている諸原則と日本の現実とは非常にかけ離れているとMukkeさんもお思いと推察しますが、だから憲法や護憲派は欺瞞的だ、とはMukkeさんなら考えはしないと思うのですが、どうでしょうか。

kyo_jukyo_ju 2012/04/06 16:18 レスをいただいていたのに気付かずすみません。

>「これは中立で公平な言語です(キリッ」などという欺瞞で包んで渡されるよりは,まだ,日本語とは似ても似つかない言語を,経済的・軍事的・文化的に覇権を握っているからという理由で学習させられる方がマシ

この姿勢こそが、私が批判している当のものなわけで…
「(公平性の確保や不平等の是正といった)正義が不徹底なものでしかあり得ない以上、(力こそ正義といった)不正義の擁護をこそ私は選ぶ」ということですよね。

後段のみを主張するのであれば、自ら選び取った思想性の表明として普通に受け取りますが、それを正当化するために前段(正義の主張にの不徹底性や偽善性に対する糾弾)を持ち出すのは、正直いただけないなと感じてしまいます。

MukkeMukke 2012/04/06 19:51 白くらげさん>
>だからといって言語格差が社会制度を歪めたり格差を固定している場合や地域があることを、軽視したり無視したりするわけには行かないと思います。(エスペラントがそれを解決するとは思いませんが。)
そうですね。それに対する回答はコメント欄でなしました。

>「中立性」の看板を下げるべきかどうか。僕個人としては歴史的なものだし、今時「エスペラントの中立性」に惹かれてそれを使う人も少ないので、そのままで良いとおもっています
そうであればよいのですが,しかし現実にはエスペラント学会が中立だの何だのといった欺瞞を撒き散らしているわけですから,「かつてはそういう方向性を目指していました」ならともかく,きちんと撤回すべきだと思います。

>エスペラントが「中立性」を掲げた背景もご存知でありながら、またそれがヨーロッパ系の言語ですと自ら説明しているのもお読みになっておられるのに、本文のように噛みつかねばならない理由が分かりません
端的に申し上げて,むかつくからです。中立づらをした嘘つきどものヨーロッパ中心主義に腹が立つのです。

>今の憲法が掲げている諸原則と日本の現実とは非常にかけ離れているとMukkeさんもお思いと推察しますが、だから憲法や護憲派は欺瞞的だ、とはMukkeさんなら考えはしないと思うのですが、どうでしょうか
それはレイヤの異なる問題であると思います。ちなみにわたしはだからこそ憲法を改正すべきという立場です。

kyo_juさん>
>レスをいただいていたのに気付かずすみません
いえ,お気になさらず。

>>「これは中立で公平な言語です(キリッ」などという欺瞞で包んで渡されるよりは,まだ,日本語とは似ても似つかない言語を,経済的・軍事的・文化的に覇権を握っているからという理由で学習させられる方がマシ
>この姿勢こそが、私が批判している当のものなわけで…
>「(公平性の確保や不平等の是正といった)正義が不徹底なものでしかあり得ない以上、(力こそ正義といった)不正義の擁護をこそ私は選ぶ」ということですよね
>後段のみを主張するのであれば、自ら選び取った思想性の表明として普通に受け取りますが、それを正当化するために前段(正義の主張にの不徹底性や偽善性に対する糾弾)を持ち出すのは、正直いただけないなと感じてしまいます
ええと,わたしの主張したい眼目はそこではないというか,別に積極的に不正義を擁護したいわけではなく。

世界共通語とやらに自分の言葉(日本語)の要素がまったく入っておらず,かわりにヨーロッパ的な要素が多く入っている。エスペラントが普及しようが英語帝国主義が持続しようがこの状況は変わりません。で,その状況を正当化するロジックとして,「この言語は中立です」とやられるのは,力によって屈服させられる以上に不愉快である,と端的にそういうことなんですが,それを「力こそ正義」と纏められてしまうのは非常に困惑します。

「英語は世界中で通用する」というロジックは,もちろん不愉快なものではあるけれども,中立性なんて謳っていない。だからその要素がヨーロッパ的でも,日本語の要素がちっとも入ってなくても,仕方ない。けれど中立性を謳いながら,日本語の要素がちっとも入っていなくてかわりにヨーロッパ的な要素が大量に混入しているというのは,日本語,いや,ヨーロッパ以外のあらゆる言語への侮蔑にしか思えません。そんなものは拒否します。

要するに,正義の不徹底を批判してるんじゃなくて,正義が不徹底である結果それがヨーロッパ中心主義的な「不正義」になっていると考えるので,それを批判しているんですよ。わたしが批判しているのは「正義の不徹底」ではなく「明白な不正義」です。

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