例によって例の如しというべきか、変わり目もなくというべきか、本場所の初日が近づいて来るにつれて、稀勢の里が優勢の一角に挙げられて来る。
稀勢の里本人にはなんの責任もないことながら、“またかよ”と、疑わずに推す方がうらめしく思えてきたりする。仮にこの大関が上位陣の中で歯が立たないといった実力だというのなら、それはそれで諦めもつこうというものだろうが、難敵を次々に倒してみせたりする。
実は、見ている側からすると、実に、その日その日の調子のつかみづらい力士なのである。今場所はそれに加えて肥満の問題がある。あと三、四日すればはっきりするが、この大関が体重過剰の時には、どうもそれを持て余してしまうような傾向があるように思える。
重さが相撲の早さに直結するものなら今のままでも稀勢の里の相撲は、文句のつけようもないものだろうといえるだろう。だが時に急ぎすぎたり、勝負に出る時を読み違えたりする。その結果、信じ難い負け方をする。
おそらく、こういった相撲には、稀勢の里自身にも相撲の序破急がよく意識されていないのかもしれない。この辺のことをわかりやすく書くと、もともと相撲の早さが売りものだった力士が、勝負の進行を急ぎ過ぎて、自分の相撲の進行に関して制御が効かなくなっているのではないか。そんなように思えたりすることがある。
この勝負の制御が効かなくなっているように見えることに関しては、実は白鵬も同じような問題を抱えているらしい。
初日の問題にも同様の印象を持たれたと見えて、豊ノ島との一番が審判の意見を集めた上で取り直しになった。この経過を見ていたなん人かの人々の意見には、白鵬の側が勝負を急ぎ過ぎているのではないかとの印象を受けたとのことであった。
この問題は、毎度くり返すようだが、両手を突くという仕切り本来の姿を、土俵上に呼び戻す以外に解決する方法はない。また、それだけ深刻な問題でもあるのだろう。ただ、力士全員が立ち合いのルールを守る気になれば、問題は解決するのだが。 (作家)
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