2005年7月にイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド(マンU)に移籍し「韓国人初のプレミアリーガー」となった朴智星(パク・チソン)は、2011-12年シーズンまで7シーズンにわたりマンUで通算205試合に出場、27ゴールを挙げた。
マンUではリーグ優勝4回、欧州チャンピオンズリーグ(CL)優勝1回を経験し、選手として黄金期を過ごした。移籍した当初は、アジアのマーケティング用などとうわさされていたが、朴智星は誠実なプレーで着実にチーム内での立場を高めていった。左右サイド、センターMFなど複数のポジションをこなせるマルチプレーヤーとして、朴智星はマンUのアレックス・ファーガソン監督の信頼を受け、重要な試合に出場してさまざまな記録を打ち立てた。09年にはアジアの選手として初めてCLの決勝戦に先発出場し、11年には同じくCLの決勝戦でフル出場を果たした。朴智星は、プレミアリーグとCLでの優勝以外にも、カップ戦3回、FAコミュニティーシールド2回、クラブワールドカップ1回の優勝を経験し、アジアの選手として最も華々しい記録を残した。
朴智星は、05年12月のバーミンガム戦でのデビューゴール(3-1でマンUが勝利)を皮切りに、数々の名場面を演じてきた。米国のブリーチャー・リポートは7日「朴智星のマンUでの活躍ベスト5」として、デビューゴールを含め、08年のチェルシー戦での先制ゴール(1-1で引き分け)、09年のCL準決勝第2戦のアーセナル戦でのゴール(3-1で勝利)、10年にリバプール戦でマークしたヘディングによる幻想的なダイビングシュート(2-1で勝利)、11年のCL準々決勝第2戦のチェルシー戦で見せたゴール(2-1で勝利)を紹介した。
アジア人で初めてマンUの選手となったのは中国の董方卓だが、董方卓はわずか3試合しか出場しなかった。一方、朴智星は2月6日にアウェーで行われたプレミアリーグのチェルシー戦で後半途中から投入され、通算200試合出場という大記録を打ち立てた。マンUで200試合以上出場したのは、1878年の球団創設以来、134年間で朴智星を含め92人だけだ。
マンUで活躍する間、各メディアは朴智星に「声のない英雄」(ガーディアン)、「マンUの核心選手」(AP)など輝かしい修飾語を付け、マンUのファンたちは朴智星を「三つの肺を持つ選手」と称賛した。