岡田善長
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岡田 善長(おかだ よしなが、1838年(天保9年) - 1907年(明治40年)9月26日)は、旗本、侍従、陸軍少佐。
経歴
美濃国の旗本岡田家の出身。美濃国奉行岡田善同らを祖先に持つ。旗本寄合衆として生まれ、水戸藩の天狗党の乱に際して、官軍東征の命を受け須坂藩兵と約150名、大砲一門を与えられて結城へ向かう。家臣に神道無念流免許皆伝の武術指南役・横倉喜三次が居る。
維新後、慶應義塾などで学び[1]、供奉御練兵御用掛に任ぜられ、陸軍少佐となる。その後、宮内省御用掛を経て、侍従となり、騎兵中尉・広幡忠朝と共に陸軍演習を視察。
脚注
- ^ 『慶應義塾入社帳第一巻729項』には名前があるが、他の人名文献には掲載されていない。
参考文献
- 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。