最近、企業等(地方公共団体や大学などを含む)が、社員や職員さらには取締役などの幹部を含めて、不祥事をおこしたため、その結果、代表者らがマスコミの前で、消費者、被害者やその遺族、関係者などに対して深々と頭を下げる光景が映し出される場面が多くなりました。
深謝?(本当に心から謝っているかは疑わしい場合もある=私見)したことにより、説明責任を果たし、そして関係者の心情を和らげようとするものであると思われますが、何故か、こうした場面を見ていると虚しくなるのは私だけでしょうか。(共感される方はいますか。)
マスコミの主催のもとに開かれる江戸時代の「公開処刑」を見るような気がしてなりません。つまり、マスメディアという公の電波を通じて、国民の前で一種の責任を問われて、記者諸氏は辛辣なる質問を浴びせて、ある意味での「自白を強要する」といった公開された人民裁判の様相を呈しています。(いいすぎかな・・・・・)
ところで、何故、こうした不祥事が多くなったのか。
いくつかの原因が考えられますが、その第一要因として、「内部情報が漏れやすくなっている。」ことがあります。
今、世界経済の先端を行くような我国を代表する企業は、その多くが、戦後、創業者が起業し、団塊の世代の社員の総力によって大きく成長させ、一部上場企業などになったのです。
セキュリティアドバイザーをしている企業も、今や、世界的企業として一部上場していますが、創業者が町工場を立ち上げたのが始まりと聞き及んでいますし、会社の沿革史からも明らかです。
こうした会社は、創業者のカリスマ性や先見性のもと、職人といわれる優秀な社員の技術力をもって業績を伸長させ、加えて、多くの社員は、「会社のため」、「家族のため」を合言葉に必死になって就業したのです。
極端な例ですが、就業規則など内部規則はなく、使用者と労働者が苦楽を分かち合い、労働基準法は存在しましたが、労働条件や賃金など不平不満はあっても、それを主張せず耐え抜いてきたのが実態です。
だから、会社への帰属意識は高く、内部告発するような環境になかったのですが、こうしたことが良かったのか悪かったのかは各自の判断にお任せします。
2つ目の要因として、高度経済成長を遂げた時代から引き継いだ「長い不景気による疲弊」があります。
業績は回復傾向にあるといえども、その実感があまりなくリストラなどの人員削減、企業の海外進出による労働環境の激変、終身雇用制度の崩壊による会社への忠誠心の希薄化などがあります。
3っ目の要因は、「業績第一主義による弊害」です。コスト削減、品質への配慮欠落、内部の意思疎通の悪化によるマイナス情報が上層部に伝わらないことがあります。
他にも多くの要因がありますが、内部不祥事が多発し、それがすぐ告発内部されるといった悪循環を繰り返していることから、最近、「内部統制」が一種の流行となっています。
内部統制を一言でいうと、会社が私利私欲に走らないで健全な会社経営をしていくための必要不可欠な仕組み・手法のことで、言い換えれば、その「ルール」です。
内部できちんと統制のとれるルールを作って、そのルールを維持することが内部統制です。
また、内部統制の4つの柱は、コーポレートガバナンス(企業統治)、コンプライアンス(法令等遵守)、リスクマネージメント(含む、危機管理)、企業の果たすべき社会的役割(CRS)です。
内部統制をするため、ルールやマニュアルを整備したが、これを守らないと意味がないことから、法令等を遵守することの重要性が叫ばれているのです。
企業によって種々の方策とられていますが、行動指針(コンプライアンス憲章)を策定したり、社員研修の充実、強化などによって、企業におけるコンプライアンスを正しく位置づけているようです。
「コンプライアンスなき会社は企業に非ず」といわれる程ですから、社内ルール(規程等)、法令規則などを守ることは当然ですが、本当の意味のコンプライアンスは、企業の社会への貢献を考えた場合、全員が「倫理観に基づく責任ある行動」をすることであります。
自転車の傘さし運転について記事の中でも少し触れましたが、法治国家において集団生活、集団行動をするについて、ルールを守る、倫理観ある常識的な行動をするようにできたら素晴らしいですね。
今、内部統制、内部監査に関して猛勉強中です。こうした課題に関してアドバイスできるようするために、老体に鞭打って頑張っている日々です。