執筆 まつだあいこ

千と千尋の神隠し
Sprited Away
監督:宮崎駿

2003年度アカデミー長編アニメーション賞受賞作。千尋と両親は、引っ越し先に向かう途中で不思議なトンネルを見つける。両親に誘われ千尋がトンネルを抜けると、そこにはどこか懐かしい風景を持つ不思議な町が。千尋が迷い込んだその町は、たくさんの神や妖怪お化けが集まる温泉町だった。人間界に戻れなくなった千尋は、この世界で生き延びるために巨大な湯屋を仕切る湯婆婆のもとで働くことに。そして千尋は、湯屋で働きながら釜爺やハクらと交流を重ねるうちに、「生きる力」を見いだしていく。


カオナシは「ノーフェイス」

 いつもは英語作品の日本語字幕翻訳について解説している本コラムですが、今回は日本語作品の英語字幕翻訳についてお話しします。

 数年前なら「英語字幕」といえば、デコーダを通してセリフを画面表示するVHSビデオのクローズドキャプションでした。しかし今では、英語作品のDVDに収録されているセリフのデータ、そして国際映画祭などで上映するために、外国語作品につけた翻訳字幕を指すことのほうが主流になりつつあります。

 英語の字幕翻訳には、日本語の字幕翻訳の「1秒のセリフに訳語4文字」というような厳しいルールはないようです。とはいえ視聴者には、ある程度の文字の大きさで2行以内に表示したものを読んでもらうのですから、訳出には的確な要約や言い換えも必要となります。


 それでは、昨年度のアカデミー賞で長編アニメ賞を受賞した、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の英語字幕をのぞいてみましょう。


 神の国での経験を通して思いやりや勇気を学ぶという、甘ったれで泣き虫な女の子の成長をつづった本作。日本における神の考え方、現代が抱える問題点なども盛り込んだこの物語は、外国人にも高い評価を得ました。この世界観を演出する英語字幕はいったいどんな工夫がなされているのでしょうか。


 まずは素直に訳出された、重要なセリフを見てみましょう。
 迷い込んだ不思議な世界で生き抜くためには仕事を得なければならないと知り、湯婆婆(ゆばーば)を訪ねた千尋(ちひろ)。彼女は湯婆婆から、今いる場所がどういったところなのかを聞かされます。

湯婆婆: ここは八百万(やおよろず)の神様たちが、疲れを癒しにくるお湯屋なんだよ。
<英語字幕> ※/は改行
It's a bathhouse
Where 8 million gods can / rest their weary bones

 hot-springが温泉、spaが鉱泉・保養地、(医療用を含む)浴場がbathhouse。このお湯屋の機能からすると、bathhouseがぴったりです。「八百万の神」は、『古事記』に基づく語で、世の中のあらゆるものに宿る神々こと。ですから「やおよろず」は「数え切れないほどたくさんの」といった意味を持っています。ここではそのまま訳して数の多さだけを伝えていますね。そして、「疲れを癒す」は、まさに「骨休め」と訳せる表現が使われています。


 粘った結果、この湯屋で働くことになった千尋。しかし、彼女が契約書にサインをすると、湯婆婆は意地悪くこんなことを言い出します。

湯婆婆: 千尋っていうのかい ふん、贅沢な名だね
今からお前の名前は千だ
<英語字幕>
You are Chihiro huh? / What an extravagant name
From now on, you'll be Sen

 ここで「萩野千尋」という彼女の名前は、「千」を残して湯婆婆に奪われてしまいます。漢字が分かれば、その残った「千」の音読みから千尋が改名されたと理解できます。しかし、時間制限のある英語字幕では、残念ながら名前を変えられた事実を伝えるのみにとどまっています。
 主要キャラクターのほとんどは、英語でも意味より日本語の読みを優先した名前です。英語になっていたのは「カオナシ」のNo faceくらい。個性のない正体不明(faceless)なキャラクターだけに、理解には英訳の助けが必要ですね。

 次に、ユニークな言い換えの例を見てみましょう。
 千(千尋)が働き始めたお湯屋に早速やってきたのは、鼻が曲がりそうなほどの悪臭を放つ怪しい神。でも客は客です。湯婆婆は千を従えてお迎えします。

湯婆婆: よくおこひくだはいまひたぁ(=よくお越しくださいました)
[千に]何してるんだい はやくご案内しな
<英語字幕>
Welggum to our buzzs
Zhow him de bazz

 これが、“Welcome to our baths. Show him the bath.”なのはお気づきですね。訳語では英語での口調のくずし方がよく分かります。


 ある時、いつも千尋を危機から救い出してくれる白(ハク)が呪いをかけられてしまいます。勇敢にも白を救おうと、呪いの虫を踏み潰した千。すると足には気味の悪い液体がべっとり。そばで見ていた釜爺(かまじい)は、思わず叫びます。

釜爺: えんがちょ 千 えんがちょ
切った!
<英語字幕>
Gross Gross Sen!
Gross-out!

 「えんがちょ、切った」は日本に古くからある、汚いものを触った時などに子供たちが使うおまじないですね。でも地域によってはまったく違う言い方をするので、知らない人も多いかもしれません(ちなみに筆者の地元では「バリア、チンキ」だったと記憶している)。英語ではGross out(気味悪い)という俗語で表現されています。


 日本語セリフの英訳からは、英語の“幅”がよく見えてきます。
 単語では、例えば日本の伝統的な衣類の「腹かけ」「袴」はapron、trousersとあっさり訳すしかありません。しかしその反面、「薬湯」を、浴槽を洗う液体としてherbal soak、つかる湯としてherbal formula(を入れたもの)と訳しているように、目的別に訳し分けが可能な言葉もあります。
 簡潔なフレーズでも、「メシ(=食事の時間)」が、話者の性格によってchow timeとmeal timeに、あるいは「はい」が相手によって“Yes ma’am” 、“Yes sir”、“Right”にできるなど、英語ならではの特徴を生かせるものもあります。

 こういった英語字幕の研究は、外国人に伝わる的確な表現を学べるとともに、日本語字幕翻訳をする時の柔軟性を養う助けにもなりますね。

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