『Fate/stay night』が目指した場所
坂上:今のお話とも絡めて言うと、奈須さんの作品の中でも『Fate』のフォーマットは独特だと思うんですね。マルチエンディングという形式を残しつつも、初めから全てのヒロインを選択できるわけではなく、セイバー、凛、桜という順番でルートが固定されている。こうしたフォーマットについてどのような考えをお持ちだったんでしょうか。
奈須:『月姫』の場合もマルチエンディングを採用したんですが、あの時はどうしても話をまとめたいという気持ちがあって「月蝕」を最後に持っていった。しかし、『Fate』の場合はライターとしてより大きな物語を書きたいという気持ちが強かったので、単なるマルチエンディングにすると各ルートの濃度が薄くなってしまう。それぞれのルートの点数が50点、50点、50点という感じになってしまってどうしても飛躍できない。この問題をクリアするために、まずは70点のルートを作り、次に20点から始まって90点になるルートを、そして最後に40点から初めて110点になる物語を目指そうと考えました。それぞれのルートで走る距離は同じなんだけれど、スタート地点を徐々に高くすることによって最終地点ではMAXを振り切りたかった。これが出来るのなら、長い物語を作る意味があると思いました。『Fate』について具体的に話せば、最初のセイバールートというのはプレイヤーの共通認識を作るための基盤となる物語です。だから、世界のルールと主人公に関するおおまかな説明はあるけれど、何故衛宮士郎という人間がここまで歪なのかという点については語られない。ただ「何となくこの主人公はおかしい」という予兆を出すに留める。二つ目の凛ルートでは共通認識を踏まえた上で、士郎に関する問題の真相を明かし、それを解決する方向に持っていく。ただ、それだけでは彼が人間として壊れているという問題までは解決しないので、最後の桜ルートでは応用編として、この歪な主人公がどうやって人間として成長するのか、羽化することができるのかという問いへの回答を描きました。そうやってユーザーを物語の最終到達地点へと運ぶことで、『Fate』という物語と各ヒロインの魅力を語ることができ、衛宮士郎という人間の最終的な顛末も描けるはずだ―――そんな思いがありました。
坂上:虚淵玄(vi)さんによるスピンオフである『Fate/Zero』では士郎の父親である衛宮切嗣が、999人を救うために1人を殺すことは正しいという功利主義的な判断をしていました。『Fate』でも、セイバールートと凛ルートにおける士郎は同じような考えを持っていますよね。ところが桜ルートに入ると、士朗は世界がどうなろうとも目の前の少女を愛し守り抜くという選択を行います。世界よりも個人をとるという最終的な士郎の選択には奈須さんご自身の考えも含まれているんでしょうか。
奈須:坂上さんの指摘通り、セイバールートと凛ルートというのは理想を描くルートです。「こういう風に生きたい」「あんな風になりたい」というヒーロー願望が詰め込まれている。やはりゲームである以上、ユーザーは現実ではできない冒険をしたいと願っているし、それには正面から応えたいと思った。ただ、桜ルートでは理想を味わいつくしたユーザーが現実に戻るような仕組みにしたかったんです。どれほど理想を抱いても、世界という大きなものは君じゃ救えない。あくまでも君にできるのはたった一人の人間を救うことなんだ、という話ですね。これまで理想を追い求めてきた衛宮士郎という人間のフリをした機械が、最後に人間を救うことで初めて自分も人間になれるという着地点を目指したかったんです。
坂上:それは父である切嗣からの脱却であるとともに、偽物の願いからの脱却でもあると言えそうですね。
奈須:そうですね。反面、二つ目のルートで書きたかったのは、たとえ自分自身が偽物であろうとも、願いそのものが正しければそれ自体は間違いではない、という事でした。一方、三つ目のルートでは夢見る時期を過ぎて大人になった少年が何を守るのか、何を大事にするのかという話を書きたかった。人によってはそれを、英雄だった男が単なる人間に堕落した話だと読むかもしれない。桜ルートに胸がすくような冒険譚を求めていたユーザーもいると思います。だけど、そこはやはり18禁で大人が楽しむゲームとして、最後はもう一段階上の娯楽を見せたいという気持ちがありました。二つの価値観を提示して、ユーザーが信じたものを大事にしてほしい、と。
武内:僕たちが制作にかける時間と、お客さんが実際にプレイする時間の齟齬という問題もあります。作り手である奈須は時間をかけて目指すべき場所を高く持っていくんだけど、お客さんは60時間あまりを一気にプレイしてしまうのでモチベーションの変化についていけないんだろうなと感じる部分もありました。僕らとしては凛ルートまで仕上げた段階で、桜ルートのシナリオを読んで「すげえ!」と思ったんですけど、凛ルートの続きとなるような物語を期待しているお客さんも少なくなかった。時間をかけてゲームを煮詰めていくということの問題点がそこにあるのかもしれないですね。お客さんに理解してもらえなかった部分があるということが、奈須にもある種の挫折感としてあるんだろうと思います。
奈須:それ言っちゃうんだ(笑)。確かにゲーム作りって長いんですよね。『Fate』でいえばそれぞれのルート自体はすらっと書き終わっていても、一ルートあたり文庫本四冊くらいの分量があるのでどうしても間が空いてしまい、テンションも変わってしまう。脚本ができた後はグラフィッカーや演出家、音楽家との打ち合わせで数ヶ月ストップしますし。
武内:制作期間の長期化は、いろいろ悩ましい問題です。短いに越したことはないんでしょうけど…。良くも悪くも、制作陣も変化していきますからね。
奈須:書いているうちに自分自身の価値観も成長していくんですよ。それは自分にとっては良いことなんですが、ユーザーとの乖離が生じてしまう点は確かにある。武内くんは挫折感と言ったけど、当時僕が感じたのは売り方を間違えたなっていうことなんです。『ひぐらしのなく頃に』(vii)が分割戦略を採ったのを見て、これだったら作者と読者が同時に成長できるシステムになっているなと感じました。
村上:作り手とユーザーが時間の流れを共有できますからね。
奈須:ライターとしては一個の作品に全てが入っている箱庭のような世界というのがひとつの憧れとしてあります。しかし、それに固執しすぎると時代遅れの浦島太郎になってしまう。そこがライターとしてのジレンマではありますね。
武内:物語をユーザーに対して寝かせておく時間が必要なんだということを最近考えます。たとえば『まどマギ』は最終回を一挙に放送しちゃったけど、僕は間に一週間欲しかったんです。
奈須:確かに11話と12話に一週間の間があれば一層楽しめたかもしれない。
武内:一挙放送だからよかったという人も当然いると思うんだけど、少なくとも僕は待たされて焦らされる中で自分が成長する時間を残しておいてほしかった。
坂上:一挙放送まで三週間くらい間が空いたというのはアニメの世界において特殊な経験でしたね。
奈須:東日本大震災が起きた3月11日に、「これ『まどマギ』どころじゃないな」と思ったんですが、やっぱり放送されなかった。けどどうしても続きを見たかったので、虚淵玄さんに「今からそっち行っていい?」って電話して無理やり見せてもらったんです(笑)。それでこの10話を放映できないのはアニメ的に大きな損失だと思った。ある意味、九話まで『まどマギ』を楽しんできたユーザーへのアンサーではあったから。あの物語が誰の物語で、何を目指していて、ドコに向かうのか―――それを提示する回でしたから。ただ、結果的に『まどマギ』の放映が延びたことはプラスになった。ユーザーの熱を受けて制作スタッフがさらなるクオリティアップをはかれたこと、震災の爪痕から希望を求めていたユーザーへのエール。「このタイミングで『まどマギ』は放映されるべきだったんだ」と感じました。先ほどの制作側とお客さんとの齟齬の話で言えば、前者が望むタイミングと後者が見るタイミングが一致するかどうかはそれこそ天に任せるしかないんだなと。
坂上:ゲームを制作している時間の中だと、セイバールートを書きあげたら一つ呼吸を入れて次のルートを書きだそうという形になると思うんですが、ユーザーの多くは「よし、このままのテンションで凛ルートに行くぜ」というようにプレイしますよね。そこのタイムラグを共有できないという問題があるのかなと思います。
奈須:本当に優れた職人ライターさんなら書いている間に自分の思想が変わるなんていうことは許さない。一個の作品を書いている時は一個の思想で固めることを決めると思うんですね。けど、僕の場合は未熟だったので書きながらどんどん面白くしていけばいいじゃんと考えていた。セイバールートの価値観だけで一個の作品を作るのも勿論正解ではあります。けれど、制作過程において「次のルートでは前ルートより上を目指そう」と考えたからこそ、「fate」は長く愛される作品に仕上がったのではないでしょうか。
坂上:『Fate』が本当にすごいのは、作品の中で主人公の思想や行動にブレが出ているんだけども、攻略順を固定することでそれをひとつの成長の物語としてパッケージングした点にあると思うんです。
村上:セイバールートと凛ルートは同じ方向を向いていたからリンクさせて考えることが容易だったと思うんですね。それだけに桜ルートへ行った時の方向性の違いに驚くユーザーもいたんだと思います。
奈須:お言葉の通り、セイバールートと凛ルートを書いている段階では僕の価値観は一貫していたんです。それが凛ルートを書き終わった段階で価値観が変化した部分もあるし、残りのコストや予算の限界も見えてくる。最初に想定していたイリヤルートが実装できないなということも分かってくる。『Fate』は2004年の初めに発売したんですが、当初の予定通り4ルートやろうとするとシナリオだけでも夏以降になってしまう。それで僕の方から二つのルートを一本に纏めたいと言ったんですね。だから本来は桜ルートの前にイリヤルートが入り、もっと緩やかに変化するはずだったんです。ただ先ほども言ったように、ユーザーを長時間付き合わせる以上、理想に生きる物語とは別のものを桜ルートで描かないと、僕が我慢できなかった。正直ユーザーから方向性に異論が出るだろうとは感じていましたが、そこは僕らの座右の銘でもある「面白ければ許される」という金言に基づいてユーザーを信じてみました。具体的に意識したのは、もうバトルロイヤルはやめようということですね。「三つめのルートは毛色の違うものをやりたい」という気持ちがスタッフからも感じられたんですよ。そこでミステリー風味の物語で行くことを決めたらスタッフが面白がってくれた。制作スタッフ全員に面白がってもらう……そこをクリアしないとゲームは作れないですから。小説の場合はつまらなかったら“奈須きのこ”という個人の責任で回収できますが、ゲームはそうではない。十人以上のスタッフが数年かけて作ったものが“つまらない”、なんていうオチは許されない。だからこそ、スタッフ全員が納得できる設計図を用意しないといけない。
坂上:確かに、桜ルートはそれまでの『Fate』とは大きくイメージを変えたものになっていると思います。まず、敵に回ってしまったセイバーに士郎がナイフを突き立てなければいけないという発想が凄い。ほとんどの人は絶対一度はバッドエンドに入ってるでしょう(笑)。他にも、士郎ではなく凛が宝石剣ゼルレッチ(viii)を振るうことで桜を圧倒したりといった少し角度の違う演出が素晴らしかったと思います。
村上:僕はライダーの宝具であるベルレフォーンとセイバーのエクスカリバーがぶつかり合うシーンに感動かつ興奮しました。これまでのルートでは敵だったライダーが味方について、味方だったはずのセイバーと闘うという構図は、一ルート目での対決のリフレインにもなっており、そして激突そのもののスケールの大きさが本当にすごかった。このサービスは凄いなと思って涙が出ましたね。
武内:桜ルートは、やってることは全てのルートの中で最も派手なのに何故か一番地味な印象を持たれてしまってるんですよね。テーマが難解なのと、ヒロインが地味だったからというのがあると思うんですが。
奈須:桜ルートの後日談が奇を衒いすぎたと感じている部分があって、あそこはもっとストレートにやるべきだったと今でも反省しています。
坂上:桜ルートの場合は純粋なハッピーエンドという感じではないですよね。他の作品も含めて、奈須さんはハッピーエンドという概念についてはどのように考えていらっしゃいますか。
奈須:そこは凄くシンプルですね。初めにこういう物語を書こうと決めて、登場人物がこのテーマで動くなら最終的にはこうなるだろうとイメージする。本当にそれだけなんですよ。実のところ、桜ルートはノーマルエンドが当然の終わり方だと最初は思っていたんです。プロットの段階ではノーマルエンドがトゥルーエンドになっていました。
坂上:ノーマルというのは、桜が帰ってこない士郎をおばあちゃんになっても待ち続けるというエンドですよね。
奈須:そうです。当時はそれしか考えていなかったんですが、三分の二まで書いた辺りで、奈須きのこの欲望とは別に、物語の方がこの締め方を許してくれないんじゃないかと思ったんです。それで、ラストシーンまで書いてみて、そこで想定していたエンドにするか、物語の流れのままハッピーエンドにするかを決めることにしました。結局、これは士郎が色々なものを失った後で人間的な幸せを得る話だから、セイバーやイリヤが消えることになろうとも桜は幸せにならないといけないな、というところに着地しました。彼女は間接的にとはいえ大量殺人を犯してしまっているけれど、それで幸せになっちゃいけないというのはやはりおかしい。人間が生きていくのならば、罪の償いをしながらも同時に幸せを目指したっていいはずだと考えるようになりました。それが偽善に映ったとしても、この物語はそれを求めてるはずだと強く感じたんですね。いや、正直に言うと、自分の書いた物語の(無言の)圧力に負けるというのは初めての経験でした。
坂上:奈須きのこの世界における主人公は基本的に後悔しないですよね。『月姫』においてアルクェイドと別れた遠野志貴にしろ、『Fate』でセイバーが消えた時の士郎にしろ、基本的に未練はなく前向きに生きていく。永続的に続いていく関係性よりも、過ごした時間が短く結果的に消えることになっても、ある瞬間においてお互いが納得できる関係を築ければ次に進むことができるというイメージで描かれているように感じます。
奈須:ありがとうございます。坂上さんの言葉で、自分でもいま電流が走った感じです(笑)。きっと、彼らが後悔しないのは後悔をした瞬間、それ以前に得たものが嘘になってしまうからなんでしょうね。アルクェイドと志貴にせよセイバーと士郎にせよ、人生を変えるほどの出会いをして、それを輝かしい星と思えたならば、その別れがどんなに辛くとも悲しんではいけない。それを糧にして、星の輝きに負けないものをその先に得られるように――たとえそれが不可能だと判っていたとしても――頑張っていかなくちゃいけないというのが、奈須きのこという人間が考える、人間の美しい形なんだと思います。
村上:『Fate』における凛ルート=「Unlimited Blade Works」は完全にその考えが反映された物語だと思います。士郎がアーチャーと闘うシーンで「自分が偽物でも理想は偽物じゃない、だからこそ引き返すことなんてしない」という趣旨の発言をしますが、そこで書かれたことと同じ思いを奈須さんが今に至るまで抱いていると分かり、素朴に感動しました。一見するとその意思は桜ルートで反転しているように思えますが、僕には一貫しているものに感じられたんですね。それは士郎の物語をアンリマユixの物語に重ねてみている部分が大きいからなんです。セイバールートや凛ルートにおいては、アンリマユが聖杯であるがゆえに身動きとれない状態で、その端末のようにして士郎が苦労しているように見えます。それを表ルートとするならば、アンリマユが前面に出てこれるようになった段階での物語として桜ルート、ひいては『Fate/hollow ataraxia』(以下、『hollow』)があるように思えます。桜ルートのラストシーンは、死んだ士郎の魂を人形に入れることで人間として復活させるというものになっていますが、先ほど羽化という表現を使われたことを考えると、そこに奈須さんの無意識があるのかなと感じます。
(vi)ニトロプラス所属のシナリオライターであり、『魔法少女☆まどかマギカ』の脚本担当でもある。ゲームシナリオでは『Phantom』、『鬼哭街』、『沙耶の唄』などのシナリオを手がけた。奈須きのこ氏の盟友であり、『Fate』のスピンオフ作品として、本編では語られなかった第四次聖杯戦争の真実を描く『Fate/Zero』を執筆した。
(vii)竜騎士07主催のサークル07th Expantionによって2002年から計8回リリースされた作品。同人ゲームながら次第に人気が高まり後に大ブレイク。アニメ、漫画、小説などにメディアミックスされている。ミステリーでありホラーであり、何より信頼の物語。
(viii)現存する5人の魔法使いの一人、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグが作った魔術礼装。第二魔法の行使を可能とし、かつて「月落とし」さえも食い止めたといわれる。遠坂家に設計図だけ伝わっており、それを凛が実用化に成功。無制限の魔力を持っちゃった妹に対してお姉ちゃんは無尽蔵の魔力を並行世界から引き出して成敗。
(ix)「この世全ての悪」を象徴する英霊。『Fate』本編より70年前に起きた第三次聖杯戦争において聖杯に取り込まれた結果、聖杯の機能を歪めることとなった。本編の第五次聖杯戦争では器である聖杯を破壊されたことで消滅するはずだったが、バゼット・フラガ・マクレミッツの「死にたくない」という願いを聞いた結果、彼女だけの聖杯として一時の幸福な世界を生み出した。それが『hollow』の世界であり、アンリマユはそこでアヴェンジャーのクラスとなっている。