2012年07月08日

悪質なサンクチュアリ出版のウソ

過去を探ると面白い記事に出会う。私が病気で苦しんでいたころ、サンクチュアリ出版はこんなウソをついていた。サンクチュアリ出版に対し、事実確認の文書を送付する。

引用開始
「最後のパレード」回収を発表 出版元、盗作疑惑問題で2009年5月1日20時54分
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 ベストセラー「最後のパレード」(中村克著)の盗作疑惑問題で、出版元のサンクチュアリ・パブリッシングが1日、同書を回収することを発表した。鶴巻謙介社長は「問題のケース以外にもインターネットの書き込みなど、他の著作権者が特定できるものが出てきた。販売を継続することで、これ以上多方面にご迷惑をかけられないと判断した」と語った。
 盗作疑惑が持ち上がってから回収決定まで時間がかかった理由については、「執筆当時の資料が破棄され、著作権者の確認作業に時間がかかったため」としている。鶴巻社長は「謝罪文掲載についても誠意を持って対応していきたい」と話した。
 同書の発行部数は50万部。これまでに約34万部売れている(オリコン調べ)。
http://rondan.tv/2009/10/22/%e5%8f%8b%e6%84%9b%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%82%92%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%82%8b%e7%9c%9f%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%9b%bd%e6%b0%91%e4%b8%bb%e6%a8%a9%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e4%b8%89%e6%a8%a9%e5%88%86%e7%ab%8b/

執筆当時の資料が破棄され
悪徳企業の常套弁解手段である。悪徳弁護士の指導によるものか。

執筆当時の資料は私のPCに収められている。だまされている日本中の書店と読者が哀れでならない。

posted by M.NAKAMURA at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祈り

主よ、私の唇を開いてください。
私はあなたに賛美を捧げます。

私の命はあなたの御手の中にあります。
願わくはどうか、私をお救いください。
あなたの僕に、あなたの愛の光で慈しみを示してください。

主よ。私たちの祈りを聞き、私たちを憐れんでください。
神の国のために体と心を捧げた人たち、
キリストの歩まれた道に従いつつ苦闘している
すべての人たちに、精霊の賜物をお与えください。

国々の政治の任にあたっている人々の上に、
正義と平和とももたらす政策を実行するよう、
神の力をお与えください。

過酷で非人道的な環境で働かなければならない
人々のために、彼らの人権が正しく認められ、
正当な報酬が与えられますよう、主よ、どうかお助けください。

主よ、あなたの御名はは日の出から日没まで崇められます。
どうか
私たちの心をあなたの知識で満たし、
私たちの口に賛美の歌をお与えください。
願わくはどうか、世界の果てまで、すべての人々が、
ひとつの声、ひとつの心で、あなたの栄光を
賛美することができますように。

テゼー共同体の祈りより

日本基督教団 東村山教会 牧師 芳賀 力
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2012年07月07日

菅直人の今日の一言に物申す


<引用開始>
 今日の産経新聞、森喜朗元首相の「単刀直言」は興味深い。

 「野田さんはよくやった」と率直に評価。小沢さんが昨年6月、「自民党が不信任案を提出したら俺たちも乗る、菅内閣を倒したら谷垣貞一総裁を首相指名して大連立だ!」と言ったことも披露している。
<引用終了>
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11296293151.html

私が言いたいことは2つです。
一つ目は、小沢一郎元幹事長とはこんな人間なのかと思ったこと。大連立問題の時も読売新聞の渡辺恒雄フィクサー説が流されたが、森喜郎元首相のこの暴露で小沢一郎も「終わり」だろう。

もう一つは、森喜郎元首相という人物への評価の変化です。森喜郎元首相は「神の国発言」やえひめ丸事件の際、ゴルフをしていて、対応が遅れたことなどを野党やマスメディアから非難され辞任に追い込まれました。

ウィキペディアより
神の国発言(かみのくにはつげん)とは、2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%99%BA%E8%A8%80


 日本のナショナリズム 鈴木貞美 平凡社
<引用開始>
民族宗教
西欧の国民国家は、キリスト教とは別の、人々の結びつきの創出を意味したが、ドイツではルーテル教会などプロテスタンティズムを民族宗教とする有力な思想が登場していた。そして、アメリカ独立宣言では種々の集団をつくる権利も神によってつくられるとされていた。
日本では、日本神話の普遍性をことあげする「国学」の伝統に依拠し、ドイツのプロテスタンティズムの民族宗教論を借りて、キリスト教の神にあたるものとして「宇宙大生命」を、イエスにあたるものとして「天皇」という観念を東京帝国大学の憲法学者が創作していた。これが普遍を名のるナショナリズム、すなわち「超国家主義」のおおもとだった。
西欧帝国主義がキリスト教と近代物質文明をグローバライズする「使命」を帯びていたとするなら、日本帝国主義は、超宗教的普遍主義の理念によってそれ(近代物質文明)を超克する使命を帯びてアジアへと侵略していった。
<引用終了>

実に分かりやすい「神の国」表現です。この国は原子力発電所の管理や国家形態を含むすべてを東京大学の「一味」が取り仕切っているのです。話はそれますが、薬害エイズ事件でそのことに気付いた菅直人首相が事故直後に婦人の伸子氏に「東京工業大学の名簿を官邸に届けるように」と頼んだことを私は評価します。
(ちなみに福島第一原子力発電所の所長だった吉田昌郎氏も東京工業大学出身)
菅直人の東大観
http://degreemill.exblog.jp/14065347/

話を「天皇を中心とした神の国」に戻します。
このブログでは、高句麗人などの渡来人とオリジナルの日本人が「和」になり、さらに大きな「和」であるWIN―WINの国「大和」を築き上げてきたという新しい歴史観を示しています。そして、時の権力者に利用されてきたのも事実ですが、この国の中心はやはり天皇でした。

「神の国」発言も同様です。高麗神社を訪問した際に頂いた「むすひ(あらゆるものを生み出す神霊『産霊むすひ』の意味)」はこんな良いことを教えてくれています。

<引用開始>
祭りは神さまとの出会いの場

日本人は物事の節目に神社にお参りしたり、我が家に神様を迎えておまつりしたり、神さまとの関係を大切に生活を営んできました。
子供たちの健やかな成長を祈る初詣や七五三詣、結婚式、厄除けなど、人生の節目におこなう祭りを人生儀礼といいます。
日本人にもっとも身近な神さまとの出会いの場、そんな人生の祭り ― 人生儀礼 ―を紹介しましょう。
<引用終了>

ところで、皆さんはクリスチャンは神社や仏閣にはいかないと思っているでしょうが、違います。キリスト教には「泥酔」してはいけないなどの戒律はのこっていますが、他の宗教施設を訪問してはいけないなどとは指導されません。私も神社仏閣の雰囲気が好きなので良くいきます。もちろん、祈りは「アーメン」ですが。

このように、老若男女、わずか60万人ほどの日本のクリスチャンも含め日本人は「神」を意識した生活をしています。宗教は哲学と違い神との縦の関係上に成り立つものですから、仏教徒も含め神との出会いのイベントとしての「祭り」で愉快な気持ちになれるのです。

何が言いたいのか。森喜郎元首相の「天皇を中心とした神の国」発言は、現在の私からみるとすこぶる正しい一つの「哲学」として評価できるものと言いたいのです。

ドリーム党は照葉樹を中心に位置付ける森林文化国家づくりを目指します。そこは、まさに「天皇を中心とした神の国」であり、映画「もののけ姫」のように人間と森と、そこに生きる生きものたちのWIN―WIN―WINが保たれる世界なのです。

posted by M.NAKAMURA at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

橋下大阪維新の会には何も期待できない


以前に当ブログにこのように書きました

1、マクロの発想の必要性
日本人の悪い癖は、自分の暮らす周辺(ミクロ)から全体(マクロ)見る、自分の属する組織から全体を見る、等身大から全体を見るというミクロの視点です。中国のことわざの「森の中にいる者は森が見えない」と同じです。そうではなくて、西洋人のように、マクロの空間からミクロの空間に分割していくという大局観をもった手法でないと、新しい国づくりなどできません。

脱原発問題も同じです。私も脱原発論者ですが、脱原発社会、脱化石燃料社会という全体を的確にとらえるためには、20年、30年後のあるべき姿を明確に描像(描いたり、文字にしたりして頭の中にある無形の知を有形の知にする作業)しなくてはなりません。放射線が怖いからというようなミクロの視点では、官僚に見透かされるだけです

2012年06月30日
バックキャスティング手法による脱原発ロードマップづくり
http://dream333.seesaa.net/article/278116074.html

私には、マクロの発想力が欠落している大阪維新の会の橋下市長が何をしたいのかがまったく見えません。橋下大阪維新の会が仮に政権を取れば30年後はどうなっているのか、皆さんの中で明確にイメージできている人はどれだけいるでしょうか。

最重要事項は、この国の民主主義や資本主義を修正するのか修正しないでこのままいくのかという発想ですが、このことにまったく触れていません。

ドリーム党は修正民主主義論、修正資本主義論を提示していきます。

五木寛之著「神の発見」平凡社より

<引用開始>
私は自分で勝手にブッディストだと思っている。ブッダと一般に呼ばれる釈迦に深く共感し、その思想と生きかたに帰依してきた。
 しかし、奇妙なことに、いつも読んで感動するのは聖書である。親鸞の言行を記録した「歎異抄」を読んでも。ああ、このくだりは聖書のなかのあの部分と重なるな、と感じたりするのだから困ったものだ。

<中略>

(中国から受けた文化以外に)
もう一つの衝撃は、いうまでもなく明治にはじまる西洋・欧米文化の到来である。文明開化の名のもとに、私たちの生活様式は一変したといっていい。漱石はその変化を「西洋の猿真似」と呼んだ。彼のいわんとするところが私には、なんとなくわからんでもない。
 「和魂洋才」というスローガンには、大きなごまかしがあるのではないか。洋才には深いところで洋魂とでもよぶべき精神のありようがあって、それが才という技術やシステムを支えているはずである。その根の部分を都合よくカットして、地上に咲いている花だけを利用しようとしても、それは、無理なのではないか。
 その根に当たる洋魂とはなにか。それがキリスト教文化であることは、すでに誰もが知っていることだ。

<中略>

 民主主義の土台である人権は、天賦の人権と呼ばれる。天とはなにか。それは神が与えもうた権利であり、デモクラシーが神の意識なしに成立しないことは、アメリカ大統領の就任のセレモニーを見れば、一目瞭然である。聖書ぬきでは、大統領の就任式さえおこなえないのであるから。
 司法の場で証人が宣誓するのは、裁判官や検事や陪審員のためではない。「神に対して」真実を述べると誓うのである。
 すなわち、西洋・欧米の近代文明とは、基本的にキリスト教文化であり、それこそが洋魂とよばれるべきものだろう。
 しかし、明治以来、私たちは天皇制と国家主義を和魂として、洋才に無理やり重ねて近代化をおしすすめてきた。敗戦によりそれが否定されると、どうしたことか。まことに要領よくというか、図々しくいというか、こんどは「無魂洋才」という抜け道を走り続けてきたのだ。
 そして今、日々さまざまなかたちで発生する事件は、その無魂洋才という抜け道が行き止まりに直面したことを物語っている。
 敗戦後のこの国が、なんとなく好調に走り続けてこられたのは、たぶん、無魂という制約なき身軽さによるものだろうと思われる。魂というものは,つねに人びとの心や社会にブレーキとして働くものだ。
 「そこまでしてはいけない」「そうすべきではない」というブレーキが外された車は、当然、他の車より早い。めざましく疾走し、そしてやがて転覆する。
<引用終了>

橋下大阪維新の会には「根っこ」がありません。理念がありません。「才」に当たるノウハウがありません。ただただ大声を出しているだけなのです。

確かに、大阪の自治労は自分たちを守るためだけに団結し、市民から選ばれた市長や府長の言うことを聞かないという実態は変えるべきです。しかしながら、ピーター・ドラッカーが指摘したように「官僚という指導層は、一般に考えられているよりもはるかにしぶとい。不祥事や無能が暴露された後も、長く力を持ち続ける」のであり、彼らがいなくなることはないのです。

ドリーム党は30年で公務員をゼロ(限りなくゼロに近いという意味)にできるロードマップを世に提示していく所存です。民間人、公務員、政治家がWIN―WIN―WINできる方法でないと、公務員改革など進むはずがありません。

そのためには、この国の何を修正していくのかを、国家の価値観や国家理念に基づき再考していくという基本的作業が必要不可欠であり、ドリーム党はその作業を丁寧に進めていく所存です。

残念ながら、橋下大阪維新の会にそれを求めるのは不可能です。ストレスを溜めないためにあきらめましょう。
posted by M.NAKAMURA at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さわらびの湯を訪れて


さわらびの湯.JPG

7月6日撮影


公式ホームページ
http://sawarabino-yu.jp/


私は、過去3年間で20回ほどこの地を訪れています。精神や体を休めるためではありません。生きていることを実感し、苦しかった過去を再度悔い改め、WWJD(WHAT WOULD JESUS DO.)イエス・キリストならどうするかを考えるためにやってくるのです。

聖書は、反キリスト者を家に入れてはいけない、挨拶をしてもいけないと教えています。

クリスチャンの安息日である日曜日の夜7時30分頃に読売新聞の門間順平記者はかつての平安の「我が家」を奇襲しました。そしてこう私に尋ねました。

10pほど開いた玄関のドア越しに(顔も見えません。門間記者はしっかりとドアに手をいれていました。私が閉めたら「けがをした」というトラップ、わなを仕掛けていました)「あなたの著書『最後のパレード』に読売新聞に掲載された『うさぎさんありがとう』に似たエピソードが掲載されている。盗用したのか」と。

私は、「江川事件で汚い読売が大嫌いになった人間だ。以降、朝日新聞しか読んでいない。読売新聞とは全く接点がない」

これだけです。この後、21時ころに再び門間記者は現れましたが、私は「寝たことにして」門間記者を追い払いました。

その後、受け取った名刺のメールアドレスに「私は盗用していない」というメールを送りました。

その後、門間記者から以下のメールが届きました。


【読売新聞・門間】お礼とご連絡
2009/04/20 (月) 1:28

メールありがとうございます。

19日は突然、訪問し、とまどわれたことと思います。失礼しました。

一度、お話いただいた後、重ね重ねの失礼を承知で、再度、ご自
宅にうかがいました。20日付朝刊で、今回の件について記事に
させていただく可能性が高まったため、改めて、ご見解を確認した
かったのですが、奥様によると、お休みとのことでした。その旨を、
中村さんにお伝えしていただくよう、奥様にお願いさせていただき
ました。

今回の件は、中村さん以外の方への取材結果を加えたうえで、
20日付朝刊で記事を掲載することとなりました。遅い時間で、お電話
も失礼と思い、メールにて連絡させていただきました。

お含みおきください。

============================
読売新聞 The Yomiuri Shimbun

門 間 順 平(東京本社・社会部)
jump3048@yomiuri.com
社会部:03・3217・8074      
============================

私が送ったメールの正確な内容は門間順平記者に聞いてみてください。

ちなみにこの日、サンクチュアリ出版の鶴巻社長のマンションを襲ったのは夜9時過ぎであったと鶴巻氏から聞きました。たぶん、翌日から我が家に張り込んだ(隣のネオコーポ武蔵野の駐車場に無断駐車していた模様)記者が一回目の取材では不十分として向かったのでしょう。

これだけのやり取りで、翌日には「盗用」と全国報道されました。そして、それからすべてが狂い始め、人権、仕事、家族など全てを失い現在に至っています。実母とも会えない状況です。

聖書より
ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めにいたることを望んでいる。
ペテロ2 3章9節

地獄への道2.JPG


「地獄へ向うものを救いなさい」というキリスト者の使命として、どのようにして「読売ホイホイ」人間を救ったらいいか。この湯につかりながら真剣に考えるのです。

クリスチャンとして教会で証したこと

私は、決して他人の著作物を盗んでいません。
http://dream333.seesaa.net/article/275512635.html
posted by M.NAKAMURA at 09:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

国会事故調の最終報告を笑う


筆者は尼崎JR脱線事故後に衆議院議員加藤公一に対して以下のような論文を送った。文字数役13,000(原稿用紙30枚以上)

2005年5月8日
安全国家をつくる「日本安全再生法(時限立法)」の制定に関して


はじめに
人類が引き起こした地球史上最悪の事故、チェルノブイリ原子力発電所爆発事故のあの恐怖が今日本に・・・
 日本人の誰もが憂えていることの一つが「日本の安全神話はどこへいってしまったのか」ではないのでしょうか。そして「どうしたら日本の安全がよみがえるのか」を今、誰もが真剣に考えているのではないでしょうか。
日本では近代工業社会の衰えとともに、日本の全社会的組織やシステムが劣化してきています。今般のJRの脱線事故や大企業や公的機関の不祥事・・そして治安の悪化、これ以上日本社会が悪くならないという保証は何一つありません。
「もはや手遅れである」と言う評論家も多く存在するようですが、私の意見は違います。ジュリアーニ市長が自らリーダーシップをとり、見事に再生したニューヨーク市のように、有能な日本人が底力を発揮さえすれば、日本社会に必ず安全は甦るものと私は信じています。
リストラも一段落した今日の経済社会ですが、リストラや構造改革の次に必要とされるのが、会社や組織の体質改善です。そして国民一人ひとりの意識改革です。この国家的ビジョンともいえる「改革」を成功裏に導き、日本に安全神話を甦らせるためには、卓越したリ−ダーのもと、国民参加型の運動に育て上げていく必要があると勘案されます。本提案書では、すべての日本人が安全、安心に暮らせるための一私案を取りまとめています。机上の空論でなく「やれば必ずできる」ものです。

<中略>

私たちは今、何ができ何をすべきでしょうか
第一に行わなくてはいけないことは、政界や経済界を含めた国民全体運動として「安全社会の復活」を決意することです。そして、今この問題を先送りすることは、チェルノブイリ事故並みの大惨事を引き起こす可能性があることを国民が認識することです。そのためには卓越したリーダーシップのもと、日本国民が一丸となってこの困難な問題に取り組んでいく姿勢が求められます。それは総理大臣や国土交通大臣の「ツルの一声」による対策ではなく、国民の代表者たちの声と英知を集めた、複眼的見地からの安全確保策を検討する必要があります。

<中略>
何故、チェルノブイリ発電所爆発事故のあの恐怖感が、今の日本に存在するといえるのでしょうか
チェルノブイリの事故発生の要因は、今の日本が抱えている問題と類似しています。
チェルノブイリの事故の要因は、個人のミスやヒューマンエラーではなく、当時のソビエトに見られた硬直化した体制そのものに起因したものでした。それは、個人は上層部から与えられた命令を忠実に従っていればいいという組織風土の中、目標を達成するためには手段をも選ばないという考え方に基づき、構成員が確信犯的に規則を無視しつづけたことの結果です。事故の真因は、中国の愛国無罪ではありませんが、目的のためなら規則違反もやむを得ないという誤った考え方がもたらしたものであることは明白です。
◆日本においても、硬直した官僚体制の弊害から多くの不祥事が発生しています。
◆JRの脱線事故に象徴されるように、多くの事故不祥事が組織の体質的問題から発生しています。
◆多くの日本人は、会社のため組織のため、そして自己保身のためなら良心に反する行動も辞さないと考えています。

<中略>

システムファクターから考察されるべき安全管理とは
◆行き過ぎた競争至上主義、結果至上主義、勝組み・負組み的ものの見方は、安全第一主義的経営と相反します。安全社会を構築するキーワードは「競争一辺倒」ではなく「相互協力であるべきです。

◆安全管理ができている会社や組織だけが発展する事実、大事故や不祥事を引き起こした会社が立ち直るには、相当の対価を支払わなければならない現実を認識させるべきではないでしょうか。

すべての組織に「安全管理」というソフトウエア(危険予知の仕組み、防止プログラム)を強制注入させるべきではないでしょうか。

すべての組織にあらゆる災害や事故の発生を想定した「非常事態管理システム」を強制注入させるべきではないでしょうか。

◆CSRやコンプライアンスあるいはISOの基礎部分は「安全性・健全性」です。安全管理度を企業が自ら、企業価値を測る評価基準の指標として広く社会に公開していく姿勢が求められていくのではないでしょうか。

<中略>

菅さんの「国民主権論」の講義のなかに「三権分立・・・コロっと騙される」「行政は継続するもの・・・何となくそうかなと思わせられる」とありますが鉄道行政も同様です。行政は「安全が第一」と思わせておき、本音は建設業と製造業の発展なのでは?
官僚は「安定輸送の確保」「利用者保護の観点」から行政の役割を果たしていく事が重要であると考えているようです。つまり、安全も大事だが利便性も大事であり、行政は公共事業同様に鉄道行政に関わっていくと宣言しているようなものです。この考え方は今般の事故の遠因になっていないでしょうか。

この根拠は、運輸技術審議会諮問第23号「今後の鉄道技術行政のあり方について」に述べられています。
平成10年11月13日 運輸技術審議会 http://www.tasksafety.org/toushin.htmより抜粋

◆すべての人や物に及ぼし得る危険を、技術的実現性や経済性を踏まえ、可能な限り小さくすることを目標とする。

◆鉄道事業者が安全を確保すべき対象は、利用者等の通常予見される行動形態を前提とする

つまり、国土交通省は、安全性と経済性を同列で考えているのです。地方の弱小鉄道会社への影響も考えての報告書ではあるでしょうが、旧来型の護送船団方式に通じるものがあるように思えてなりません。
<終了>

ポイントは3つです。
◆チェルノブイリ原子力発電所事故同様に、原子力発電所の運転者たちは官僚の支配下にあり、外部の専門家が津波の危険性を指摘しても聞く耳を持たなかった。

◆日本には強制注入すべき安全管理のソフトウエアが必要。筆者はそれが何かを知っている。

◆運輸技術審議会の諮問のように、安全性と経済性が同格に扱われている。ディズニーランドは完璧に 安全性 > 経済性である。

メカオンチの国会議員が何を調査できるのでしょうか。私ならアメリカに飛び、GEから東京電力との契約書、SOP「Standard Operating Procedure 標準作業手順書」を取り寄せます。
そこには、安全性を保つためには「こうしなくてはならない」ということがきめ細かく書かれているに違いないのですから。

筆者が提出したこの論文を加藤公一議員は「参考にさせていただきます」とだけ言い無視し続けました。加藤公一議員に今回の事故を語る資格はまったくないことをつけ加えておきます。
posted by M.NAKAMURA at 10:25| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝日社説「日本と韓国 不幸なすれ違いを憂う」に想う

<引用開始>
両政府の間で締結が合意されていた軍事情報の秘密保護協定(GSOMIA)が先週、署名式の段取りまで決まっていたのに、その1時間前になって韓国側の求めで延期された。
 韓国の与野党の反発が原因で、政府高官の辞任騒ぎにまで発展している。
 協定は、自衛隊と韓国軍との間で軍事情報を共有するため、互いに提供された情報を保護するための枠組みだ。
 日韓間の初めての本格的な防衛協力であり、玄葉外相が言うように「歴史的な出来事」となるはずだった。
<中略>
それにしても、「再侵略」とは、大多数の日本人にとっては思いもよらぬ批判だし、あまりに冷静さを欠いている
<引用終了>
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

日韓の軍事力コラボレーションで両国の自衛力が向上し困るのは誰か、それを考えればフィクサーは何者かが容易に類推できる。

アメリカ以外に考えられるだろうか。アメリカがいらなくなる。アメリカの武器が売り込めなくなる。
だから、日韓を分断させるのである。
posted by M.NAKAMURA at 09:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売新聞を読むとバカになるA


今朝の読売新聞の報道から


いじめた側にも人権…「自殺練習」真偽確認せず
<引用開始>
市教委は読売新聞に対し、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」と説明。結局、事実がつかめなかったとして、非公表にしたという。
<引用終了>
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120705-OYT1T01621.htm?from=main1

そうでしょう。『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』事件では、ビジネス上の思惑から私と私の家族を突然背後から切りつけ、病気にし、人権、仕事、収入を奪い、家族をばらばらにした読売新聞社会部の門間順平記者にも人権があるといいたいのでしょう。
posted by M.NAKAMURA at 09:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月05日

寿昌寺ミステリーが解けてきた


このブログで記してきた二本木宿と狭山茶を維持管理してきた「五人組」とそれを守る武家の墓は、筆者には実に不可解な墓であったが、通い、各家の墓の位置や家紋からその正体が徐々に分かって来た。

その前に、そもそも論としてなぜこのような菩提寺が存在するのかを明らかにしておきたい。

江戸時代に寺が増えた真相
「江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた」講談社プラスアルファ新書 古川愛哲著

<引用開始>
 島原の乱が日本人の宗教生活に与えた影響は大きい。
 寛永15年(1638)檀家(だんか)制度、寺請(てらうけ)制度が全国的に確立されたからである。これにより日本人全員がどこかの寺を菩提寺(ぼだいじ)にして、檀家の関係をもたねばならなくなった。菩提寺とは葬式をしてもらう寺のことである。そして寺の檀家に登録してもらう。これを「寺請証文」といい、寺請証文がないとキリシタンと疑われる。そこで寺が必要になってくる。
 中世後期以来、持仏堂(じぶつどう)、阿弥陀堂(あみだどう)、観音堂(かんのんどう)など、無住の堂宇(どうう、堂の建物)があった。それらの堂には季節ごとに僧侶が訪れるだけだったが、これらに住職を置き常駐の寺に昇格させた。そうでもしないと、村人全員の菩提寺が足りないからである。寺院の由来書で中興の僧が江戸時代の人物であるのは、この檀家制度が原因である。
 ところが、本山が無住の堂宇に住職を派遣して昇格させる費用を出してくれるわけではない。そこで、村人が三十五石以上の出費をして住職を派遣してもらい、寺として昇格させてもらうことになった。ところが、一人年間一石の時代だから三十五石というと、三十五人分の年間生活費を出し合ったことになる。大変な出費である。
 このようにして、この時期、全国で爆発的に寺院が増えることになった。一村一寺院で、一つの村があると必ず寺院がそびえるという風景が誕生した。慶長6年(1601)から元禄13年(1700)の百年間に、各宗派の寺院の82パーセントが開創されたとみられている。
 ここでふたたび困難が生じた。仮に檀家120軒の村ならば、その約一割の12軒から毎年葬儀が出るという。そうなると、月一回の葬儀で寺院は生活を維持しなければならないが、それでは経営的に苦しい。
 そこで一周忌(二回忌)を作ると、毎年二倍の収入になる。さらに三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、三十三回忌、五十回忌、百回忌を増すと、約十一倍に跳ね上がる。この一周忌に始まる年回忌の法要は、江戸時代の寺院経営者のために作られたものといってもいい。
<引用終了>

寿昌寺はこの制度に従わざるを得なくなり建立されたものである。寿昌寺内ではないが、この地域の中村家の墓碑には天正年間(1573年〜1592年)からの中村が生きた記録が記されている。

鎌倉幕府の重要書類はおそらく足利家や江戸幕府によって処分されたのだろう。なぜならば、「今」の幕府にとって滅ぼされた幕府の書類など何の価値もないからだ。

したがって【中村家】中心の「五人組」や幕府によって「五人組」を守るために派遣された武家が、いつこの狭山の地にやって来たのかは分からないだろう。しかしながら、この制度(屋敷墓を持つ家にも菩提寺を持たせる)ことにより、少なくとも徳川幕府初期からの二本木村の姿が明らかになるのである。反対に言えば、屋敷墓のまま現在を迎えていれば、鎌倉幕府から特別に派遣された「牟佐志の地」づくりの一団の存在は決して明らかになることはなかったことだろう。

寿昌寺に関する当初の筆者のミステリーはこういうものだった。

◆大きな僧侶の墓が寺と対面するかのように中央に配置されている。
◆【中村家】と武家出身の墓が僧侶の墓を守るように配置されている。
◆「五人組」と思われる五家は【中村家】同様の鷹の羽家紋※である。
◆紋章と武家の関係がさっぱりわからない

鷹の羽家紋を掲げる家は【中村家】と「清水家」「友野家」「森田家」「田中家」である。いずれも古く大きな墓を持つ。

※鷹の羽紋(五代紋)
五大紋(ごだいもん)は、日本の家紋のうち、一般的に特に多く分布する藤、桐、鷹の羽、木瓜、片喰の5つの紋のことを指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E7%B4%8B

集められた武家の筆頭は「織田家」の家紋を掲げる「栗原家」であろう。【中村家】が小田原で東海道を守ったように、「栗原家」は現在の国道246号(青山通り)の秦野市から伊勢崎エリアを守っていた氏族である。
さらに、墓の入口付近の「古谷家」は「徳川家」の家紋を掲げている。諏訪の武家「手塚家」は蔦の紋章であり、「加藤家」は藤原の藤家紋を掲げている。

家紋集を手にしながら墓地を歩くと実に楽しい。

寿章寺全景.JPG

寿昌禅寺


ここで、もう一つのミステリーに臨みたい。二本木村という小さな宿にあるもう一つの寺のことである。

古くは寿昌寺と隣接していたといっても過言でない近所に長福寺がある。同じ、臨済宗建長寺派の寺である。臨済宗も曹洞宗も京都から出ている「派」がほとんどであろうが、建長寺派は鎌倉の建長寺が大本山である。

建長寺のホームページ
http://www.kenchoji.com/?page_id=60

この長福寺の墓には、水子地蔵と僧侶の墓がある。寿昌寺と同様な鐘もあり、寺も立派である。何のために建てられたのだろうか。これはあくまでも推論である。それは、女性たちの禅との関わりを保った寺ではないかと。

曹洞宗は本尊に対面して座る。対して臨済宗は本尊を背にして座る。男尊女卑の社会にあって【中村家】や「五人組」の近親婚による「世継ぎ」と気高い生活を保障するために、俗世を離れた禅教育とお茶の文化が欠かせない。
寿昌寺において男衆(かつてのこの地方の方言では「おとこし」と言った)が本尊を背にして座るところに、女衆(同様に「おんなし」と言った)が座るわけにはいかない。

当時の男女平等社会づくりは北条政子の理念だったに違いない。鎌倉時代は映画「もののけ姫」のタタラ場のように、男も女も平等で朗らかに暮らしていたのだろう。

まさに鎌倉幕府の「出張所」として機能した元狭山村は、いわば「文化の交差点」としてさまざまな地域との交流から得た「天領の民」としての気品高き文化の蓄積地となったのである。追々記すが、同様に「天領の民」であった秩父の人々の方言は、元狭山村の方言と一致するものが多い。

織田家の家紋を掲げる栗原家がもたらした言葉と想像される裏庭を意味する「せど」という方言は、尾張を支配した織田家からみると裏庭は現在の尾張瀬戸駅を有する瀬戸市である。当たっているのか当たっていないか、それは分からない。しかし、歴史を権力側の視点でなく、そこに生きた人たちの目線で見ると、それは決して試験問題に出ない楽しく、おそらく正しい個々の歴史観が涵養されるのである。
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狭山茶文化の魅力とその価値観とは


埼玉県のホームページから
全国にはいくつかのお茶の産地がありますが、その中で狭山茶を産する埼玉県は緑茶生産の経済的北限です。
“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”
 と「狭山茶摘み歌」にも歌われる、狭山茶の特徴である深い味わいは、寒い冬を乗り越えることでいっそう深まり、また“狭山火入”という独特の仕上げ技術により、甘くて濃厚なお茶になるのです。
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/hanasi/

埼玉県の農業行政には「知恵」がありません。ただ、「味」と生産量だけを追い求めています。鎌倉時代から狭山の地に始まった「茶文化」とは、まさに「茶禅一味」の価値観をもつものです。
埼玉県の農業行政はこのことにまったく無関心です。ですからこのような、まったく文化性のない文(心の中にあるものを形式知として「見える化」したもの)になるのです。

【中村家】が積み上げた近年の実績についてその記録を紹介しておきます。


トロフィー3.JPG



トロフィー1.JPG



親王からの褒状.JPG


六畳間ほどの店舗には、明治23年に、【中村家】12代である元狭山村初代村長時代の中村為一郎が、明治23年7月から8月にかけて上野で開催された第3回内国勧業博覧会で狭山茶を出品し、総裁である貞愛(さだなる)親王から授かった褒状のほか、これまでに20回受賞した「農林大臣賞」(まさにギネスものです)などの賞状やトロフィーなどが整然と並んでいる。

入間市二本木の屋号ハケ下の【中村家】15代当主、茶師中村誠忠(のぶただ)は、昭和63年(1988)10月15日発行のアサヒタウンズ多摩版に以下のように話しています。

<引用開始>
「外観、香気(かおり)、水色、味の四拍子揃った、より完成度の高いものをつくりたい。形を良くしようとすると味が落ちる。味を良くしようとすると水色が悪くなる。どうしても反比例してしまうものをなんとか今以上においしくしたい。」
<引用終了>

まるで、濃厚であることだけがあたかも「うまい」ものであるかと勘違いしている現在の狭山茶職人に警鐘をならしているかのようです。 鎌倉時代から【中村家】に伝わっている禅寺御用達のお茶とは、「外観」「香り」「水色」「味」の四拍子揃った「上品」なお茶なのです。

それでは、本物のお茶とは何か考えてみましょう。
決して難しく考えることはありません。私たち日本人は、「お茶する文化」の中で生活しているのです。「お茶する文化」とは、人と人が、温かい緑茶によりこころの平安を共有する日本特有の文化なのです。
それは、臨済宗や曹洞宗の禅寺の文化がやがて庶民の文化になったのが現代の「お茶する文化」です。

お茶も他のさまざまな文化と同様に、大陸から伝わってきた文化ですが、千利休は、狭き入口から入り、こころの平安が得られる狭き茶室の中での日本独特の「わび茶※」を築き上げたのです。
こころの平安が得られる、まさに「自分が居心地の良い居場所」で、外観、香り、鮮やかな緑色、そして、甘さと渋さが繊細に調和した緑茶をいただく、あるいは、お茶をいれて差し上げる、この日本人を日本人たらしめる、まさに共存・共栄のための文化が「お茶する文化」なのです。
そして、それを可能にさせる四拍子揃ったお茶こそが本物のお茶なのです。

※わび茶(わびちゃ、侘茶、侘び茶)は、狭義には茶の湯の一様式。書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室を用いた簡素な茶の湯を指す。また広義には、千利休系統の茶道全体を指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E8%8C%B6

漢方 日本人の誤解を解く 劉大器著では「上品(じょうばん)」をこのように定義しています。

上品(じょうばん)毒性がなく、体に良いもの(上薬)
中品(ちゅうばん)毒性は小さいけれども、薬効があるもの(中薬)
下品(げばん)毒性は強いけれどももの、治病にすぐれている(下薬)

東洋医学の哲学
薬より言葉を用い、メスやハリよりも心で癒し、病気にならないうちに人間を治療す
<引用終了>

東京ディズニーランドのキャストに「カストーディアル」という職種があります。清掃係と紹介されますが、本来の意味は維持管理者という意味です。汚れる前にきれいにする。あかちゃんがハイハイできるくらいの清潔感を保つなど、まさに「病気にならないうちに治してしまう」のです。

茶祖栄西も中国の漢方に学んだに違いありません。健康を「カストーディアル」するために毒性がなく、身体に良い飲み物として禅に取り入れたのです。

ここで、筆者の禅体験を。旅行会社入社後の研修で鶴見の総持寺(曹洞宗の大本山)で禅体験をしました。一泊二食であったと記憶しています。坐禅に関しては知識があったのですが、精進料理というのでしょうか、その食事作法はまったく知らなかったため、正直驚きました。

ごはんと豆腐と野菜の煮物くらいは覚えています。みそ汁は出なかったと思います。驚いたことは、個人に与えられた二度使う茶碗とはしを洗わないことです。
食事が終わると茶碗にお茶を注いでくれます。そのお茶を飲み干すことで茶碗は清潔とされます。はしは、口で(舌で)「きれいにする」のです。

書いていて、今気付きました。有田焼や九谷焼の「茶碗」とは、禅宗のこの「碗」による「ごはん碗」が「茶碗」として使われることから派生して庶民の間に定着してきたものだと・・・

【中村家】が仕えた鎌倉幕府は「皇帝も庶民も関係ない、健康管理は精神管理でもある」という絶対的な教えに基づき、上品な茶をつくり続け、今日に至っています。

明治政府以降の「和魂洋才」政策により、茶の文化はズタズタに切り裂かれ、子どもたちは上薬としての「お茶」を飲まなくなりました。健康を「カストーディアル(維持管理)」できなくなり、精神的に不安定になってしまったのです。

お茶に関してはこれからも勉強したことを書いていきたいと思います。
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2012年07月04日

万葉集と牟佐志の国


日本辞典より
武蔵野
明治22年、吉祥寺村、西窪村、関前村、境村の四村が合併して武蔵野村が誕生→町→市。「武蔵国の野原」の意。「万葉集」に「牟射志」とある。古くは「无邪志」(むざし)の国か。語源は不明。一説には、古代の「牟佐国」を上下二つに分け、「牟佐上(むさがみ)→さがみ」、「牟佐下(むさしも)→むさし」となった説がある。また、アイヌ語の「モ・チャシ」(静かな砦)や古代朝鮮語の「マル・チャチ」(大領地)が転じた説もあるという。
http://www.nihonjiten.com/data/115152.html

ウィキペディアより
万葉集
『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられる。
日本文学における第一級の史料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86

「万葉集」に「牟射志」とある。古くは「无邪志」(むざし)の国か。語源は不明。一説には、古代の「牟佐国」を上下二つに分け、「牟佐上(むさがみ)→さがみ」、「牟佐下(むさしも)→むさし」となった説がある。」

712年に献上された古事記と700年代後半から800年代後半に詠まれた和歌集万葉集に「むさし」の地名が並んでいます。古事記の時代は「无邪志」であり、万葉集では「牟射志」と記録されています。そしてこのことから、「牟佐上(むさがみ)→さがみ」(相模)」と「牟佐下(むさしも)→むさし(牟佐志)」と類推されています。

少なくても分かっていることは、鎌倉時代から江戸時代、明治初期まで、鎌倉、小田原から元狭山村、入間市の半分くらいは伊豆韮山県の支配下にあったということです。牟佐上国(相模国)と牟佐下国(牟佐志国)に分かれてはいましたが、同じ歴史と文化を持つ仲間たちの大地だったのです。

繰り返しますが、私は宮崎駿監督の「最近の歴史学、民俗学、考古学によって一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を持っていたことが判っている。」「武士と百姓の区別は定かでなく、女達も職人尽くしの絵にあるように、より大らかに自由であった。」という言葉は、絶対に正しい、なんとか実証したいと考えています。

万葉集の一つひとつの和歌には、この国を想う人たちの気持ちがこめられているのでしょう。他の国にはあり得ない、美しく優しい日本文化です。

牟佐志国造御社の石碑が建造された年次は分からないかもしれません。あるいは、神社を守って来た家が何か証拠となるものを保管しているかもしれません。この歴史的発見が話題になれば、さらに調査は進むことでしょう。
posted by M.NAKAMURA at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イスラエル・リンカーンに告ぐ


7月4日はアメリカの建国記念日です。南北戦争を征したあなたは、何を訴えるためにそこに座っているのですか。私にはこう思えます。

見よ、私は今、古代エジプトの象徴オベリスクを見下している。我らイスラエル一家は、ついにアメリカを手に入れたのだ。我らの祖先、古代イスラエル人はエジプトに征服されたが、今、悲願の大地を手にしたのだ
97文字

旧約聖書より
「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。
『創世記』14章14節〜17節


「見よ、我らイスラエル家(旧約聖書で神から約束の地「カナン」を示された預言者アブラハム、その子イサク、その子ヤコブ、別名イスラエル)は、ついにアメリカという国土を手に入れたのだ。我らの祖先、古代イスラエル家はエジプトにより征服されたが、今、こうしてアメリカ人同士を(南北戦争で)戦わせ、勝利を手にしたのだ。神が約束した「(旧約聖書の)世界」は、預言通りついに我々のものとなったのだ。私は神から与えられたアメリカの地に立って、北と南、東と西を見渡し、縦と横に歩きまわるのだ」と。

私は聖書研究家でもあります。マクロの視点から旧約聖書は誰が何の目的で書いたのか、なぜ、出エジプト記であり、イスラエル家の地で発展したメソポタミア文明には一言も触れていないのか、など執筆者の幻想と思惑をほぼ見破ったととらえています。一言で言えば、旧約聖書とはイスラエル家の征服された恨みやねたみからの「イスラエル家の」「イスラエル家による」「イスラエル家のための」祭りごとが行われることを祈念するための「祭りごと書」なのです。

イスラエル家はシュメール人の家系です。

シュメール人
<引用開始>
 世界で最初に生まれた文明がメソポタミア文明です。
 紀元前3500年くらいには都市国家が成立して、文明といえるものになったといっていいでしょう。

 メソポタミアとは川のあいだという意味で、ティグリス、ユーフラテスの二つの川にはさまれた地方をさします。現在の国名でいうとイラクです。今はサダム・フセイン大統領で有名。昨年末(1998)にもアメリカとイギリスに空爆されて大きなニュースになりましたね。

 このメソポタミア地方の川下、河口付近にはじめての文明ができます。
 文明をつくりあげたのはシュメール人。民族系統不明です。残された彫刻などを見ると、目がくりくりと大きくて、波打つ立派な長いあごひげが特徴的ですね。

 今、この地域はイスラム教徒、アラブ人の世界ですが、男たちはみんなひげを蓄える風習がある。ひげがないと子どもかオカマだと思われるらしい。アラブ社会の民俗を研究している人の講演を聞いたことがありますが、その先生は帰国直後で、ヤギみたいなちょび髭を一所懸命のばしていました。「こんなヒゲでも、はやしていないと一人前として扱ってもらえないので」とぼやいてました。

http://www.geocities.jp/timeway/kougi-4.html

髭を生やした男性像がみられますので、ぜひ開いてみてください。

一方、リンカーンは「少女にひげを生やしたらきっとハンサムになると思う」ということばにならったという逸話を残していますがウソでしょう。「人民の人民による人民のための政治」もオリジナルではないとされています。
出典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BA%BA%E6%B0%91%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%BA%BA%E6%B0%91%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB

さて、そろそろまとめます。ユダヤの商人と呼ばれたイスラエル家の人々(数100人という説もあります)は、ペリーを日本に送り混乱させ、アメリカに南北戦争を起こして混乱させた。北軍勝利の後、南北戦争で用いられた「中古武器」は、日本の戊辰戦争や西南の役で活用されました。彼らの目的は金銭経済に日本をどっぷりとつからせることです。今日の日本人のような「キリスト教の地獄へ堕ちる七つの大罪―大食・強欲・怠惰・肉欲・高慢・嫉妬・憤怒」つまり、読売人間づくりなのです。

※ユダヤ人と呼ばれる人々は、ユダヤ教が分母でキリスト教が分子のユダヤ・キリスト教でアメリカを支配しようと考え、成功しました。宗教はことなりますが現象は日本も同じです。残された国家は中国位のものでしょうか。一方のキリスト教プロテスタントは「世界には宗教は二つしかない。キリスト教とキリスト教以外の宗教である」と教えています。

アメリカ人の多くは、ここまで書いてきたことに気付いています。しかし、冒頭に示したリンカーンの「つぶやき」など発したらバッシングされることを知っているため黙っているのです。そして、映画などで人々に「覚醒しろ」と呼びかけているのです。

ごくわずかなユダヤ人と言われるイスラエル家の家系の人々が筋書きを描き、武器と策略を持って愚民化のゲバルト(実力行使)を行ってきた結果、アメリカ人や日本人はその筋書き通りの「道」を歩み、所得を彼らに流出させています。

筆者は、読売人間は読売人間でいいと思っています。今朝の朝日新聞に「悪いことをしたら地獄へ落ちるぞ」がメインテーマの「地獄絵本」の紹介がされています。一時は品薄になるほど売れているそうです。

ドリーム党は、読売人間とは違う上品な「ホモ・ルーデンス」の世界を選択できる社会を築き上げたいと思います。

最後に、アブラハム(イスラエル家系の祖)・リンカーンに物申したい。そこから、この言葉を語ってみなさい、と

「この世はすべて自己責任。他人の情けや助けに頼るなんて甘ったれは通用しない。人生は他人を押しのけても前へ上へ進む競争だ。目標は成功、出世、具体的に言うと金だ。途中で立ち止まって弱いもの、
負け組に情けなんか掛けていたら、絶対に勝ち組になれんぞ」
映画「ディズニー・クリスマス・キャロル」のスクルージ(守銭奴)の考え方です。

参考にリンカーン像の写真が掲載されているサイトを掲載しておきます。そして、97文字をつぶやいてみてください。

「見よ、私は今、古代エジプトの象徴オベリスクを見下している。我らイスラエル一家は、ついにアメリカを手に入れたのだ。我らの祖先、古代イスラエル人はエジプトに征服されたが、今、悲願の大地を手にしたのだ」


リンカーン記念館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8

ワシントン記念塔
http://www.ryoko.info/washington/014washington.html
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古事記記載の「むさしの国」を発見 国宝指定要求へ



古事記
ウィキペディアより
古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば712年(和銅5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された、現代確認できる日本最古[1]の歴史書である。上・中・下の全3巻に分かれる。原本は存在していないが、後世の写本の古事記の序文に書かれた和銅年及び月日によって、年代が確認されている。
『古事記』に登場する神々は多くの神社で祭神としてまつられ、今日に至るまで日本の宗教文化と精神文化に多大な影響を与えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98

古事記より
「こは出雲国造、无邪志国造、上菟上国造、下菟上国造、伊自牟国造、津島県直、遠江国造等が祖なり。次に天津日子根命は、凡川内国造、額田部の湯坐の連、茨木の国造、倭の田中の直、山代の国造、上総望多郡の国造、道尻岐閇の国造、周防の国造、倭淹知の造、高市の縣主、蒲生の稲寸、三枝部の造等が祖なり」

无邪志国造の无邪志は「むさし」と読みます。

牟佐志.JPG


牟佐志国造御社に立てられた石碑

出雲祝神社
由緒
延喜式内社で人皇第十二代景行天皇の御代(筆者註71年〜130年)創建 大宝二年(筆者註703年)九月二十九日再建す その後幾度かの乱世にあいながらも御神のゆるくことなく一般から寄木様と親しまれてきた 弘治三年(筆者註1557年)小田原城主北条家より社領を賜り 尚徳川家康将軍はじめ代々の将軍より朱印十石をいただく 明治になり有栖川宮一品鐡仁親王により御染筆を賜る

那須国造碑
ウィキペディアより
那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)とは栃木県大田原市(旧・那須郡湯津上村)にある古碑(飛鳥時代)であり、国宝に指定されている。書道史の上から多賀城碑、多胡碑と並ぶ日本三大古碑の1つとされる。
碑身と笠石は花崗岩である。19字×8行=152字の碑文が刻まれている。
永昌元年(689年)、那須国造で評督に任ぜられた那須直葦提の事績を息子の意志麻呂らが顕彰するために、700年に建立されたものである。「永昌」という元号は唐のものであるが、日本の元号は686年に天武天皇の崩御により701年の大宝まで停止されていた為、唐の元号を使用したと考えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%9B%BD%E9%80%A0%E7%A2%91


年代が「決定的に」ピタリと一致しているのである。古事記の出雲国は現在の出雲地方、上菟上国造、下菟上国造の「菟」はうさぎの意味がある。古事記の神話「因幡の白兎」の地、現在の山陽地方にくらべて国造が進んでいなかった山陰の鳥取地方の国づくりを時の権力者たちは急いだのであろう。

筆者は古事記を研究しているわけではない。【中村家】の狭山茶と狭山地方、鎌倉幕府、禅の関係を負っていたところ、「703年に牟佐志国造御社の再建」、「700年に那須国造碑が建立」、「712年に古事記が献上される」という史実の連続性を発見したのである。

この事実から類推すると、
◆700年に荒れた出雲神社に石碑を建立した後に、牟佐志国造御社を建立した。
◆700年に那須(広義に解釈すると古事記の茨城国は現在の栃木県も含むのではないか、そうすることにより当時の那須の国が国造の拠点になることは容易に理解できる)の御社(現在の笠石神社)に石碑を建立した。
◆和銅2年(709年)、牟佐志国牧岡(現在の港区三田)に御田八幡神社を創建。

那須国造碑は国宝に認定されているため見ることはできない。牟佐志国造御社の石碑は「放りっぱなし」である。

「牟佐志国造御社」でコンピュータ検索してもほとんど検索されない。「牟佐志」の先には、未発見の「知」が広がっているのである。

この筆者の古事記と石碑との連続性発見を機に、无邪志国から牟佐志国へ、そして武蔵国へと移り変わっていく、地方史の妙に思いをはせてみようではないか。本来は謙虚でやさしい日本人の姿が見えてくるに違いない。


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2012年07月03日

妻の誕生日に花の写真を贈ります

まもなく、別れて3年になります。私はもう同じ屋根の下で家族と暮らすことはないだろうと思っています。

そのころ撮った写真を贈ります。

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花703の3.JPG



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「雑草という名前の草はありませんよ」昭和天皇のお言葉として有名ですが、最近つくづくそう思います。こんな美しい花を咲かせる「ヒメジョン」「ハルジオン」も雑草とされ、草刈り機で一網打尽にされてしまいます。雑草も他の植物同様に空気をつくっているのです。

私は一度、三鷹のスタジオジブリ商品部を訪れたことがあります。木造の内装と草屋根が印象的でした。
写真はこちらのホームページに
http://ameblo.jp/tonton3/entry-10575325524.html

こんな発想は日本人にしかできません。アメリカ人がみたら「なんて汚い」と思うのでしょうね。

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節電対策その@ 自動販売機の緑化


炎天下に設置された自動販売機はまさに「屋外の冷蔵庫」そのものです。

節電のために緑化してしまいましょう。

私は木工家としてさまざまなプランターをつくってきました。木工家としての発想力をもってこの国の節電対策とランドスケープの美化にアイデアを出していく所存です。

方法は実に簡単です。自動販売機の前面と裏面を除いた両側面と上の面を木で囲ってしまうのです。自動販売機サイズの コ の字を反時計まわりに90度回転させたものを自動販売機にスポッとかぶせるイメージです。

18ミリ〜20ミリ厚の木材の加工ですから素人でも作ることができます。そして上部には四方 口 に落下防止用の高さ5cmくらい木材を設置すれば、後はプランターを乗せるだけです。主目的は節電ですから、市民運動として定着するまでは、「その辺」にある雑草でも構わないと思います。

私は、以前に工房兼クラフトショップを持ち、自動販売機を設置したことがありますが、夏場は売り上げが5万円、電気代も5万円という状態でした。今なら、確実に節電対策を行うことでしょう。

設置業者にもメリットがあります。工房はコカコーラでしたが側面の木部を使ってタイムリーな情報を地域の人々に提供できたり、反対に地域の人の声を聞いたりと、コミュニケーションの場として自動販売機が機能するようになるでしょう。節電のためです。住民は花を提供してくれるかも知れません。冠水してくれるかも知れません。

このように、 コ 字型の木枠を金属枠に設置すると以下の写真のような無機質な道路の金属部分も、ツタなどで容易に覆うこと事ができます。

無機質な道路.JPG


理論的には、東京都のイチョウのマークが入ったガードレールもすべて緑化することができます。

これまでの屋上緑化はビジネスサイドからのみの発想であるため、会社が儲かるシステムばかりが自治体や企業に提案されてきました。そうではなくて、屋上を住民や企業市民に開放された緑の憩い場所と考えると、屋上に人々の「趣味」「楽しみ」「文化」が集ってきます。

私は、以前に入間青年会議所で講演した際、お茶の「観葉植物」を製造販売したら面白い結果になると提案したことがあります。茶はツバキ科ですから一本立ちできます。春から秋口まで心を落ちつかせる新芽のグリーンが楽しめます。新芽をてんぷらにすることもできます。新芽を口にするととてもすっきりした気分になれます。

屋上緑化はお茶の木で、そんなふうになったらなんて文化的でしょうか。

さらに、です。節電の問題より暑さ対策、ヒートアイランド対策ですが、公立の小学校と中学校、高校の体育館を、鉄鋼を利用して囲み、屋上をつくると効果的と考えます。屋上には木製のビニールハウス(夏場は解放)が設けられ、拾ってきたドングリを木に育てるためのプランターが並んでいます。

そして、屋上の水やりは、安全に管理された階段をつかった子供たちの「ペットボトルリレー」でまかなわれます。(ドリーム党は、全国レベルの「ペットボトルリレー大会」を提案していきます)

緑化に関してはアイデアをたくさん有しています。中曽根元総理が、「総理になったとき、政策の貯金がたくさんあった」というような話をされていますが、私も発想では引けをとりません。

3年後の都知事選になるのか、その前なのか分かりませんが、数多くのアイデアを有するドリーム党を、いつか世にデビューさせたいと考えています。
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ピラミッド・ストーンで「首都水没」を防ぐ

NHKスペシャル「首都水没」 2010年9月1日放送
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100901.html

荒川の堤防を、ピラミッド・ストーンを使ってかさ上げしたり(スーパー堤防化)、高潮に対応する防潮堤にしたりすることが簡単にできます。なお、津波は海面から海底までの海水全体が「体当たり」してくるものであり、高波や高潮の表面的な「波」「潮」と明確に分けて考える必要があります。

2010年2月28日のチリ地震津波の際、日本テレビは「海岸から離れてください」という放送法に定められた放送局の使命を果たさず東京マラソンの芸能人を追う報道ぶりでした。冬だからよかった。夏場のビーチに50cmの津波が襲来したら・・・

津波被害 河田恵昭著 岩波新書
<引用開始>
50センチなら大丈夫なのか?
 小さな子どもたちと一緒に海水浴を楽しんでいる最中に、津波注意報が発令されたとき、あなたはどうするだろうか?「津波の高さは低いから大丈夫だ!」と勝手に判断してそのままいると、とんでもないことになる。たとえば、浮輪やビーチボールにつかまって浮いている子供は、沖に一キロメートル以上も流される危険がある。
 水の深さが50センチメートル程度の波打ち際に立っていて、そこに高さ50センチメートルの津波が来たら、あなたはそこに立っていられるだろうか?まず、50センチメートルの深さのところに高さが50センチメートルの津波が加わると、海底から海面まで一メートル深さの海水が、鉛直方向にほぼ一定の速度で、岸に向かって流れてくると考えてよい。そのときの流速は、津波の波長によって変化するが、およそ、毎秒二メートルである。しかも海底の砂や砂利を巻き上げてやってくる濁流である。そのとき身体にはおよそ0.三トン強の力が働く。立っておれずに転倒して、津波と一緒に流されることは間違いない。
<引用終了>

五十嵐文彦財務副大臣のブログから
水害想定の大本営発表
2010.04.05 Monday
<引用開始>
さらに、4月2日付けで発表された中央防災会議大規模水害対策に関する専門調査会報告について、私から「堤防決壊や台風による高潮被害は、逃げる暇なく突発するわけではなく、避難の余裕がかなりあるはずで、被害想定(利根川決壊で死者6300人)は過大ではないか。八ッ場ダム建設の後押しをしているのではないか」と質しました。避難率ゼロ%というありえない想定の数字を発表し、センセーショナルに報道させることは不自然です。官僚からは「専門家のシミュレーションなので」という言い訳がありましたが、往々にして学者と言われる人たちは官庁に迎合した数字を出してくるので、よく精査してみたいと考えます。
<引用終了>
http://blog.garachan.com/?day=20100405

私は、4月3日に以下のようなレポートを五十嵐議員に送っています。

中央防災会議報告書「首都圏水没」を参議院選に利用されないために
なんとも巧みで稚拙な報告書です。だから八ッ場ダムは必要と言いたいのでしょうか。
<引用開始>
中央防災会議の専門調査会は2日まとめた報告書に、超大型台風が東京湾を襲った場合の高潮の被害想定を盛り込んだ。浸水面積が琵琶湖の半分近くの約2万8000ヘクタールに及ぶ最悪のケースでは、死者が約700人に達し、孤立者数がピーク時には約80万人に達すると推計した。報告書は市区町村を超えた広域避難の必要性を指摘し、自治体に連携して避難計画を策定することなどを提言した。
調査会は死者行方不明者3000人超の室戸台風(1934年)と、同5000人超の伊勢湾台風(59年)クラスの台風による被害を想定。温暖化の影響で海面水位が上昇したケースや、漂流物により水門が閉鎖できないケースなど6パターンの被害を推計した。
<引用終了>

突然発生した阪神淡路大震災以上の死亡者が出ると脅していますが、あまりにも乱暴です。台風は被害を予できる襲来型の災害であり、国家の危機管理センターが機能していればこのようなおびただしい数の死者が出る訳がありません。
唯一、このような死者が発生する条件は、チリ地震による津波襲来時の日本テレビのように、マスコミが放送法に即した報道を行わず、国民も台風を脅威と感じない状況が生み出された場合ですが、常識的に考えればあり得ないことです。

伊勢湾台風(台風15 号)を参考に、中央防災会議の報告のデタラメさを明らかにしたいと思います。

<引用開始>
23 日15 時にはアメリカ軍の気象観測飛行機により894 ミリバールが観測された。中心付近の最大風速75メートル(アメリカ軍の観測では90 メートル)、風速25 メートル以上の暴風雨圏(暴風域に同じ)は半径300キロメートルであった。
台風第15 号はその後も余り衰えることなく、9 月25 日昼頃まで900 ミリバール前後の猛烈な勢力を保ち進路を北西から次第に北に転じて26 日9 時には潮岬の南南西400 キロメートルに達したが、その時でもなお中心気圧920 ミリバール、最大風速60 メートル、暴風雨圏は東側400 キロメートル、西側300 キロメートルという、非常に強い超大型の台風であった。
台風は26 日18 時過ぎ、930 ミリバールの勢力を持って潮岬の西15 キロメートル付近に上陸した。26 日朝までの進行速度は毎時30 キロメートル以下であったが次第に加速して、上陸後は60~70 キロメートルで紀伊半島を縦断し、中央高地を経て27 日0 時過ぎに日本海に抜けた頃には90 キロメートルにも達している。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B9%BE%E5%8F%B0%E9%A2%A8

伊勢湾台風は、上陸3 日前は中心の最大風速が75〜90 メートルとアメリカを襲ったハリケーン・カトリーナ上陸時の最大風速とほぼ同じですが、3日後の伊勢湾台風の上陸時の最大風速は45 メートルほどでした。
<出典>
「わが国の台風と米国のハリケーンとの比較」
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/past_shinngikai/shinngikai/takashio/051013/s3.pdf

伊勢湾台風の襲来は1959 年です。アメリカ軍からどの程度の情報が提供されていたのかは分かりませんが、当時はラジオがあれば良い方で、人々の情報量の少なさは現在の比ではありません。

ディズニー・テーマパークでは、台風の接近に伴い、レベル1〜レベル3 の警戒レベルに即した対応を行います。
同様に、日本全国で官邸から指揮命令系統を通じたレベルに応じた避難と警戒を行えば、被害は最小限に抑え
られます。堤防決壊で6300人が死亡することはないと断言できます。

台風の科学的分析技術もさらに進み、予想される雨量などの被害をもたらす情報の精度も高まっていくに違いありません。「堤防の決壊」が前提になっていますが、地下には巨大な雨水路も建設されています。中央防災会議は、6300 人が死亡すると結論付けているのですから、堤防の強化と良性公共事業である地下の雨水路づくりの予算の必要性を訴えるべきであると私は考えます。

さて、報告書ではインフラも大打撃を受けるとされています。
中央防災会議:利根・荒川決壊想定、121万世帯で停電−−ライフライン被害

<引用開始>
中央防災会議の専門調査会は2日、利根川や荒川の決壊による大規模水害の対策に関する報告書をまとめた。被害想定によると、荒川の決壊では最悪の場合、首都圏で約121万世帯が停電し、携帯電話約93万台が不通になるなどライフラインが甚大な被害を受け、復旧に数カ月以上かかる恐れがある。ライフライン事業者は大規模な河川の決壊を想定しておらず、報告書は設備の防水対策強化や供給ルートの多重化などを提言した。
<引用終了>

最悪の状態を想定することは良いことですが、専門調査会には、NTTドコモの社長や東京電力の取締役も名を連ねていることを考えると・・・何か変です。

129 ページもある調査報告書の内容は、「読むのも嫌になる」ものであり、専門医委員会のメンバーが議論して取りまとめられたたものではないように感じます。裏で官僚が書いたものを積み上げていったのでしょう。
私の出した結論は「専門調査会のメンバー一人ひとりにヒヤリングする」というものです。おそらく、誰ひとり根拠を語れないに違いありません。NTTドコモの社長が報告書の内容を理解しているとは思えません。

資料1 大規模水害対策に関する専門調査会報告首都圏水没〜被害軽減のために取るべき対策
とは〜 概要版(PDF:2.40MB)
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/suigai/100402/100402_shiryo_1.pdf

資料2 大規模水害対策に関する専門調査会報告首都圏水没〜被害軽減のために取るべき対策
とは〜(PDF:5.53MB)
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/suigai/100402/100402_shiryo_2.pdf__
<転載終了>

日本テレビの大罪は許されるべきものではありません。日本テレビは『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』の盗用報道も、読売の讒言記事をそのまま電波に乗せ、全国に私を「悪者」のように印象づけています。

このような放送局や新聞社には、私の有する知財ついて一言でも報道する権利はありません。

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2012年07月02日

ピラミッド・ストーンが地球を救う


私は、旅行会社時代に11回エジプトを訪れています。クフ王のピラミッドの内部にも何回も入ったことがあり、その技術力の高さに驚嘆した記憶があります。

今後の津波対策を考えるとき、私は、ピラミッド・ストーンを積み重ねて万里の長城のような防護壁を築くのも一案と考え、大手セメント会社に相談した経緯があります。古代エジプトでもできたのですから、大型重機を有する現代社会でできないわけがありません。

江の島付近の海岸線をイメージしてください。イメージできなければ、グーグル地図に神奈川県藤沢市片瀬海岸と入力し、検索されたら「航空写真」をご覧になってください。

片瀬海岸には、低い堤防がありますが、その海側に高さ30m幅20m位(専門家に任せますが)のマスタバ墳(マスタバとは長方形の腰掛け)的なピラミッドを築き上げるという実にシンプルな発想です。

クフ王のピラミッドには230万個のピラミッド・ストーンが使われています。水も漏らさぬこのピラミッドは、平均して縦横高さが1mの石でできています。これを「規格品」として世界に広めると、津波だけでなく、たとえばタイの水害対策にも活用されるようになるでしょう。水不足の中国などに「巨大な人工池」を簡単につくることができます。

このピラミッド・ストーン構想を考えると夢が広がります。たとえば、夏の小学校にピラミッド・ストーンプールをつくり、海水を注入し生きた魚を泳がせるとシュノーケリングやダイビングが楽しめることになります。

冬には学校の校庭にピラミッド・ストーンや木材で幅広い階段をつくり、雪国から運んできた雪を敷き詰め、校舎の二階からスキーやスノーボードで人工コースを滑走することも可能になるかもしれません。

ピラミッド・ストーン規格の氷を校庭に敷き詰めれば、簡易アイススケートリンクになります。未来の「真央ちゃん」誕生のもとになることでしょう。

ピラミッド・ストーンづくりは経済も刺激することでしょう。津波はいつ襲来するか分かりません。都道府県にこの情報を届けられる日は近いと思います。

ピラミッド・ストーンを使った経済活性化策は他にもあります。追ってこのブログに記します。

なお、特に著作権フリーの記載なき記事には著作権が発生していますでご注意ください。
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日本テレビのニュースにころっとだまされる人とは@

かなり前の事件ですが、埼玉県議がタイで夜遊びしたとされ、知人の埼玉県議が次の県議選で落選する(現在は復権されています)という結果になる事件がありました。

夜遊び県議が出世する大きな理由
2006年 8月 02日(水曜日) 17:37
埼玉県議会議員団がタイで買春をはたらいた事件は記憶に新しい。
 三年前のことではあるが、テレビで大々的に報道されたため、当時は大騒ぎになったからだ。
 平成十五年十一月十六日、埼玉県議六名(自民党五名+無所属一名)は、「行政視察」と称して、公費でタイ国を訪れた。
 先立って滞在したベトナムではマッサージパーラーに出かけ、タイでは女性を選んでホテルに連れ込む。こんな好色視察は、議員ドノのお家芸と、言ってしまえばそれまでだが。しかし、そんな破廉恥議員ドノにしても、バレた場合に限っては、それなりのけじめをつけるのが普通だ。
 実は、この時の彼らの公費を使った買春旅行だが、日本テレビが隠密に密着取材をしたことから、公になったのである
<引用終了>
http://news.kitakantoushinbunsha.com/index.php?option=com_content&view=article&id=34:kengi&catid=10:politics&Itemid=9

三井アウトレットパーク入間の渋滞問題について共産党などの攻撃により落選した埼玉県議の斉藤正明氏と1時間ほど会談したことがあります。その時に斉藤氏はこの事件について語ってくれました。
日本テレビは「買春したとは報道していない」「二人はホテルのエレベーターに消えていった」と報道された。
「ホステスがお土産を要求したので自室の前で狭山茶を渡した」

それだけのことです。もし、買春したのであれば日本テレビは「エレベーターに消えてから○時間後ホステスは出てきた」とか「翌朝ホステスはタクシーで帰っていった」とか報道するにきまっていますが、そんな報道はしていません。

『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』の読売新聞の報道姿勢と同じなのです。
読売新聞は取材もせずに「盗用の疑い」と書きました。読売新聞社と日本テレビ、両社の報道姿勢の共通点は、読者や視聴者に対して「こいつは悪い奴に違いない」と思わせるだけでいいのです。その理由は、後は目隠しされた読売信者が報道された人間をバッシング(張り倒すの意味)してくれることを知っているからです。

読売新聞や日本テレビには、自分たちが「冤罪」づくり、障害者づくりをしているという認識がありません。他人の人権などどうでもいいのです。冤罪被害者が報道がもとで自殺したってなんとも思わない人たちなのです。まさに、「自覚なき殺戮者」なのです。

地獄への道1.JPG
読売信奉者の姿
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源義経の逆落としを本当とする愚

今朝の朝日新聞朝刊に「逆落としなかった?」「断崖を駆け下り奇襲」「平家物語の創作」という見出しの特集記事が掲載されている。

そもそも論として、馬が断崖を駈け下れるのかという論議が置き去りにされている。駈け下ることができるのなら、その後の戦でも作戦として使われただろうし、スポーツとして現代まで継承されていたことだろう。

筆者は以前に、高句麗人の清野作戦(人々の暮らす野を空にして山の上に蓄え、侵攻してきた敵に米一粒も与えないで消耗させる頭脳的作戦)について書いた。

高句麗からの渡来人は人知れずに母国に帰っていった
http://dream333.seesaa.net/article/276868717.html

義経一団は一の谷の背後にせまる山に集結したのだろう。崖の下の軍団は青野作戦が取れなくなり、それだけで狼狽して「降参」した可能性もある。

この事件から類推すると、兄の源頼朝が義経を追いやったのも、いつか義経軍が、鎌倉の地の背後の山に集結する可能性を考慮したからと判断できるのである。

NHKや歴史本といった「スクリーニング(都合のいい物だけを通過させる)」以前の原理・原則から歴史をひも解くと真実が見えてくるのである。
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2012年07月01日

日本史を変えるか、元狭山村の「五人組」と坂本龍馬暗殺@


入間史誌、第六章 近代 ―政治的なめざめと産業社会―

<引用開始>
品川県が成立したのは明治2年2月9日である。品川県知事には武蔵知県事の古賀一平がそのまま就任した。品川県は品川宿の一番組より内藤新宿(新宿駅辺)の24番組まで407宿村の支配組合で成り立っており、第14番組から台19番組までが埼玉県域にあたっていた。現在の入間市、狭山市、所沢市、和光市、朝霞市、富士見市などが当時の品川県に所属したのである。
入間市はまず品川県に属したが、すぐに韮山県に転属された。新しく設置された県は旧幕府時代の相給支配を受け継いでいたため、新政府がこれを解消しようとしたのである。明治2年(1869)2月22日、品川県が支配していた多摩郡4万8千石は韮山県に、5月には韮山県支配地のうち多摩郡5万6千石が品川県に、品川県支配地のうち入間・高麗・比企郡の5万1千石と大宮県支配地のうち比企郡6千石が韮山県に移管されたのである。このように、各県の支配地は相互に移管したが、これは支配地の一円化を促すことになった。
 市域は品川県から韮山県に転属されたが、これにともない行政事務も引き継がれた。二本木村では、明治2年8月に「御請書連印帳」を韮山県に提出した。これは品川県から韮山県に支配が変わったが、五人組帳の掟を堅く厳守し、親子兄弟夫婦をはじめ諸親類が相親しくし、また下人を憐れみ、農業を怠らず、全ての面で分限を守り、年貢も滞りなく納付することを誓約したもので韮山県の支配に忠誠を誓うものであった。<続く>

下段記載の五人組帳
庶民の隣保組織として江戸時代に組織された五人組が遵守すべき法規を記載し、追判帳簿。御法度書あるいは御請書ともいう。五人組帳は前書と請書とからなる。全書に町村役人と五人組が連名連判を加え、一つは領主に提出し、もう一つは町村に保管した。

<続き>
税体制の整備
新政府は戊辰戦争が沈静化するにともない、財政基盤たる税体系の整備に着手した。市域でも支配権移動するなかで、数々の税源に関する調査が行われた。
 とくに、入間市域は製茶生産地域に位置していることから製茶焙炉数調査が実施され、これにもとづいて運上金が課せられた。明治2年1月、二本木村では製茶焙炉調査が行われ、各戸ごとの反数、人数、焙炉数が調査された。この調査はかなり詳細に実施されており、ある製茶生産者の坦書きには「右 所持畑 蒔付有之候茶並十五間、青茶三貫目、其外買入手製仕、自分遣之外其除売払 申候」と製茶生産者や販売量についても正確な数量が書き上げられた。こうした焙炉すう調査によって各生産者の運上金が決定されたが、生産者自身の負担も大きいところから、運上金の延納届けや反対の議定書を出す村もみられた。
 また木蓮寺村では明治2年7月に奉公人調査が実施された。この調査によれば、同村では当時35人の奉公人が存在し、うち18歳以下の奉公人が19人を占めていた。これも人口数の正確な把握に基づく税体系整備の一環であった。なお、明治3年(1870)3月には品川県第14番組(入間市域)の村々の戸口田畑調査も実施された。
 以上のように新政府は税体系整備の目的のために財源調査を行ったが、明治2年は慶応3年から明治元年の不作につづく凶作であったため、納税者たる農民にとっては負担が重かった。関東地方を中心に租税負担の軽減を求める一揆が起こったのもこの頃である。

一揆
幕末から維新期にかけて、全国各地に百姓一揆、都市騒動、村方騒動がかなりおこった。青木虹二「百姓一揆総合年表」によれば、慶応2年の185件を最高に、明治元年141件、同2年151件と明治初期に集中して一揆が発生した。この時期は物価上昇や課税強化などによって庶民の生活は困窮を極めており、これが一揆の引き金になったのである。
<引用終了>

入間市のように、一揆は「庶民の生活の困窮」により発生したとの「大本営発表」を鵜呑みにするのも自由である。しかし、歴史とは常に時の支配者が自分たちの成果でこんなに暮らしぶりが良くなったと宣伝するために、過去を悪く言ったり、証拠を隠滅したり、書き直したり、証人を暗殺したりするのは当たり前のことと認識しなくてはならない。つまり、歴史を知る勇気とは疑ってみる勇気なのである。

坂本龍馬はグラバーの指令で暗殺された!?
<引用開始>
  長崎に居を構えるグラバーは、フリーメーソンの人脈に取りこまれていた坂本龍馬を使役して、薩長盟約に誘導した。問題は、薩摩である。薩摩もまた、徳川を討って島津の幕府を立てる藩代々の政治的意志をもっている。グラバーは、龍馬を使って薩長倒幕密約に持ちこむことに成功したのである。
  ユダヤ・フリーメーソンは薩摩をおだて、長州をおだて、ロンドンに留学生を招き、洋式兵器を供給し、両藩の私的利権の欲望をあおり立てた。大久保利通は、そのメカニズムを了解し受け入れた。ここに、ユダヤ悪魔教の手先となって、薩長が日本の国権を簒奪する。そして孝明天皇を弑逆し、幼帝をおのれの手中の「玉(ぎょく)」として奪うために、岩倉具視が共同謀議に参画する、という極秘の筋書きができあがったのである。
  伊藤博文は、この三者密約に合流した。西郷隆盛は、この桂小五郎・大久保利通・岩倉具視の謀略に乗せられ、踊らされ、利用された、と筆者は見る。
<引用終了>
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library408.html

坂本龍馬は岩倉具視により暗殺されたとする本「ユダヤの日本侵略450年の秘密」の紹介文であるが、この情報と筆者の得た史実を組み合わせると、戊辰戦争や西南の役とはなんだったのか、なぜ日本が日露戦争で勝利したのか、なぜ第二次世界大戦に突入したのかなど、歴史に隠された何者かの謀略が見えてくる。7月4日はアメリカの建国記念日であるが、アメリカ人に対し、このブログを使ってあるプレゼントをしたいと思う。それを見れば全てが読めてくる。

さて、入間史誌に明記された二本木の「五人組」について記す。入間史に記録として残っているのだとすれば公開も要求できるが、「五人組」を特定することは現在の子孫の「個人情報」に関与するということにつながり、役所は公開を拒否する可能性もある。個人情報保護法とは実に役人にとって便利な法律である。

鎌倉時代、幕府は【中村家】に「二本木村付近で禅宗寺、曹洞宗寺用の茶をつくれ」「二本木宿を運営しろ」という天命を課した。さらに、「五人組」に「親子兄弟夫婦をはじめ諸親類が相親しくし、また下人を憐れみ、農業を怠らず、全ての面で分限を守り、年貢も滞りなく納付すること」という掟を守るよう指導した。

【中村家】を含め「五人組」はもともと侍である。「天領の民として気高く生きなさい」と指導されていたに違いない。源頼朝亡き後、北条家が実権を握ったが北条家はこの狭山の地を大切にした記録が残っている。

出雲伊波比神社
由緒
延喜式内社で人皇第十二代景行天皇の御代(筆者註71年〜130年)創建 大宝二年(筆者註703年)九月二十九日再建す その後幾度かの乱世にあいながらも御神のゆるくことなく一般から寄木様と親しまれてきた 弘治三年(筆者註1557年)小田原城主北条家より社領を賜り 尚徳川家康将軍はじめ代々の将軍より朱印十石をいただく 明治になり有栖川宮一品鐡仁親王により御染筆を賜る

社領(しゃりょう)
神社の領地。神領ともいう。時代によって変遷はあるが、神社はその社領について維持、管理し租税を徴し、司法、行政権を有した。
http://www.weblio.jp/content/%E7%A4%BE%E9%A0%98

茶碑もこの神社にある。裏面には茶碑を建立するための費用を出した人たちの名が刻まれているが、数多くの「中村」名が記されている。当時は何と呼んでいたのかは分からないが、この神社には「牟佐志国造御社」の石碑が残っているため、「大狭山地域」を今後「牟佐志の地」と呼ぶことにする。

茶碑2.JPG

茶碑



牟佐志.JPG

牟佐志国造御社



鎌倉幕府の「支配地づくり」には法則があるようである。それは八幡神社あたりと八幡神社あたりで囲んだ地が「支配地」という至極分かりやすい法則である。そして鎌倉幕府が送り込んだ公家や武家が支配している地域には臨済宗の寺を、平民の地には曹洞宗の寺を配置するのである。

元狭山村同様の天領であった秩父市には14の臨済宗寺院がある。千葉県全体で5寺院であるから、その多さに驚かされる。秩父市では、栄西が茶と共に上品(じょうばん)の薬草とした桑をつくらせたり、山で武器の元となる砂金を取らせたりしたようである。(その砂金は伊豆韮山に運ばれ釜や農具、武器に加工されたものと考えられる)

その天領の地で高利貸し焼き討ち一揆「秩父事件」が起きるのであるが、筆者は秩父事件の本質も当時の強権岩倉具視などによる「大本営発表」で曲解報道され本日に至っていると確信する。

秩父事件を複雑化してはいけない。単純化するとこういうことだ。
鎌倉時代より天領(幕府領)として栄えた秩父地方(もちろん中心は「中村町」)は、江戸時代まで幕府の管理下で誇り高く豊かに暮らしてきたが、明治維新というユダヤ金銭経済の始まりにより、「五人組」などの組織はバラバラにされ、絹の値段を制御されたことにより農家は借金経営に陥った。高利貸しの棒若無人ぶりに我慢できなくなったかつての「天領の民」は、元の生活を取り戻すために立ち上がった。

これだけのことである。戊辰戦争の多くも本質は同様と考える。
軍律の第二条に「女色ヲ犯ス者ハ斬」とある。これは何を意味するのか。筆者には高利貸しが「借金返せないなら娘を差し出せ」と迫っていたとしか考えられない。秩父事件では、「売り手よし、買い手よし、地域よし」の「三方よし」をモットーとする気高き近江商人は狙われていないという。

冒頭に記した入間史誌で元狭山村を含む「牟佐志の地」は、品川県に編入させられたが、すぐさま韮山県に戻したのである。誰がどのような力を使って戻したのか。その答えは【中村家】を含めた鷹の羽家紋の「五人組」である。彼らの菩提寺臨済宗「寿昌寺」にその証拠はしっかりと残っている。

彼らは、江戸幕府や親王家に狭山茶を献上していたのである。であるから、先に記したように、出雲伊波比神社の由緒にある「明治になり有栖川宮一品鐡仁親王により御染筆を賜る 」ことになるのである。

筆者は【中村家】を中核とした「五人組」は、この君主天皇の「親王家」ルートを使って品川県から取り戻し、「牟佐志の地」を守り抜いたものと確信する。

秩父のように「五人組」を失った地は荒れた。しかしながら、二本木の「五人組」を中心とする「牟佐志の地」は荒れることはなかった。そして、明治に入っても二本木の「五人組」は結束を崩さず、明治22年に新しい村元狭山村を誕生させた。

元狭山村では、以後も天領の民として築き上げた文化や家例が伝えられた。ある家は昭和10年代になっても「とうもろこしはつくってはならない」という家例が残っていた。村の結束が固く、他の家で獲れたとうもろこしが「おすそ分け」され、つくる必要もなかったそうである。
posted by M.NAKAMURA at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする