出身作家インタビュー
ここでは、電撃小説大賞に応募し、デビューした作家さんに突撃インタビューを行います! あこがれの作家さんたちはどのようにして受賞したのか、貴重な経験を聞いて、作家デビューへの第一歩につなげよう!
第1回 川原 礫
プロフィール
『アクセル・ワールド』にて第15回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞しデビュー。電撃文庫にて『アクセル・ワールド』シリーズと、『ソードアート・オンライン』シリーズを展開中!
- 小説を書き始めたのはいつ頃からですか?
- 第9回の電撃ゲーム小説大賞に応募しようと思って書き始めたのが最初ですから、2001年の秋頃ですね。それ以前はひたすら読むだけでしたが、《自分の文章》みたいなものはその濫読時代に作られたのかなと思っています。ちなみに、応募原稿は一応完成したものの、規定枚数を激しくオーバーしてしまい不甲斐なくも投稿までには至りませんでした。
- 受賞するまでの投稿歴を教えてください。
- それから7年間ネットの海に沈み続けたあと、第15回の電撃小説大賞に応募したのが今のところ最初で最後の投稿となります。
- 電撃小説大賞に応募しようと思ったきっかけ、理由を教えてください。
- 7年前の時点で、なぜか「投稿するなら電撃大賞!」という考えがすでにがっちり頭に固定されていました。たぶん、電撃文庫を含むメディアワークス社の刊行物を投稿以前からずっと読み続けてきたからでしょうか? 文庫ですと『東京SHADOW』、コミックですと『エルフを狩るものたち』とか大好きでした。
- 受賞作のアイデアは、何から着想を得たのでしょうか?
- 受賞作となった『アクセル・ワールド』は対戦格闘ゲームをモチーフとしているのですが、まずその設定が先にありきで、「街中でいきなり意識だけが対戦ステージにシフトして戦ったら面白そうだなあ、でも何十分も道路に突っ立ってたら危ないなあ」ということで《思考加速》というアイデアが後からくっつきました。また、若い頃はゲーセンのカクゲーとそれに付随する対戦文化にどっぷり浸かっていましたので(激弱でしたが)、当時の空気感みたいなものが作品の核になっている気もします。
- 受賞作を書く際に心がけていたこと、工夫したこと、苦労したことを教えてください。
- 『アクセル・ワールド』は、応募に先駆けて、ネット上の小説投稿サイト様にて一ヶ月ほど連載した作品を改稿・改題したものです。なので、最初は「これを応募しよう!」という意識は実はなく、ひたすらそのサイトの読者様に楽しんで頂くことだけ考えて書いていました。完結後に原稿ファイルの文字数を確認してみたところ、十枚分ほどシェイプすれば電撃小説大賞の規定にギリギリ収まりそうだと気付いたのですが、最も苦労したのはその削り作業です。結局エピローグをばっさり切ったのですが、応募原稿をお読み下さった編集者諸氏には切ったことがバレバレだったそうです。
- 応募した後、各選考段階の発表などはチェックしていましたか? 結果を待っている間はどんなお気持ちでしたか?
- 一次選考の結果が初出となったのは、2008年7月刊の電撃文庫に付属する『電撃の缶詰』だったと記憶していますが、さすがにその発売日には朝イチで書店にダッシュしました。『アクセル・ワールド』は長大なリストのけっこう最初のほうに載っていて、あの時は嬉しさ半分、「まだこんなに沢山残ってるのか」という戦慄半分でした。選考はそこから10月まで続き、最終的に今の担当編集者氏から「大賞です!」というお電話を頂いた時ももちろん嬉しかった……のですが、その時担当さんがブチカマしあそばされた心温まるジョークについては、もうあちこちで言っているのでここでは省きます。
- 受賞の決め手は何だったと思いますか?
- 選考委員諸氏による選評は、電撃小説大賞の公式サイトで読めるのですが、『アクセル・ワールド』については皆様「古くさい」とお感じになっておられる気配が……。実際、同期受賞者では私が最年長だったのでそれも当然なのですが、そのオールドスタイルさもマイナス要素ばかりではなかったのかな? と思います。若々しいセンスが欠如しているのは自覚していましたので、せめて土台はしっかり固めようと、改稿時の推敲はかなり頑張りました。そのへんの地味な努力が評価されたのだとしたら嬉しいです。とか言いつつ、誤字は相当残っていましたが……。
- デビュー当時の思い出などを聞かせていただけますか?
- 私は、デビュー前に七年ほど自分のウェブサイトでいわゆるネット小説を書いていたのですが、当時はそれが露呈すると選考でマイナス要素になるのではと勝手に危惧し、ペンネームも応募作のタイトルも変更したうえでネットでの活動は原稿同梱のプロフィールにも書きませんでした。その後、最終選考結果が公式発表されるのを待ってサイトに受賞のお知らせをアップしたのですが、担当さんが脅威の高感度レーダーでそれをすぐさま察知し、『クノリさん(私のネットでのペンネーム)、僕にもソードアート・オンライン(ネットで連載していた小説のタイトル)読ませてください』と電話してこられた時は相当おののきました。そこから色々あって、いまでは受賞作と交互に『ソードアート』のほうも刊行させて頂いているので、何がどうなるか解らないものだなあ。としみじみ思います。
- デビュー後、小説を書いていて大変だったこと、また楽しかったことはありますか?それぞれ教えてください。
- 最も大変だったのは、受賞作『アクセル・ワールド』の2巻を書いている時でした。当然ながら応募原稿を書いている時は続編のことなど一切考えなかったので、さて続きをと思ってもまるっきりアイデアが浮かばずに往生しました。こんなことなら最初から2冊分のストーリーを作っておくんだった! と思ったことを今でも覚えています。投稿なされる皆様には、2巻の構想も練っておかれることを強くお勧めいたします。
現在進行形で当時と同じくらい大変なのが、受賞作(ともう一作)をアニメ化して頂くにあたって、キャラクターの身長とか誕生日とか通っている学校の見取り図等々の細かい設定を揃える作業です。こんなことなら最初からアニメ用の設定資料も作っておくんだった! ……とまではさすがに思いませんが。
楽しかったことは、同期や先輩の作家さんとお話したり遊びに行ったりしたことですね。長らく憧れの存在だった方々と、同じ電撃文庫の書き手として交流させて頂いていることには、デビュー後三年が経つ今でもなんだか不思議な非現実感があります。
- 小説を書く上で、普段から心がけていること、大事にしていることはありますか?
- 《書くこと》を習慣化することでしょうか。これはあくまで私見ですが、作家にとって一番大事なのは本を長くコンスタントに出し続けることだと思っているので、ロケットのように大エネルギーを短時間に消費し尽くす書き方よりも、プロペラ機のようにゆっくりのんびり遠くまで飛んでいける書き方を目指しています。
また、そのための土台として、健康にもできるかぎり気を付けようと思っています。と言っても、週に一、二回自転車で軽めのLSDトレーニングをするくらいですが……。LSDというのはロング・スロー・ディスタンスの略で、長時間ゆっくり長距離を走ることです。執筆活動もLSDで続けていきたいですね。
- 作家になってよかった、と実感するのはどんな時でしょうか?
- 作家になれたことそれ自体が本当によかったと常々思っています。お話をあれこれ空想するという、私にとっては最大の楽しみを仕事にできるわけですから。文章に書き起こしたり〆切に間に合わせたりするのはちょっと……かなり大変ですが、一冊分の最終ページまでたどり着き、『終わり』(もしくは『つづく』)の三文字を打ち込んだ時の爽快感、充足感は他の何でも味わえないものです。
付け加えるなら、新刊の見本誌を初めて手にする時の感動も格別ですね。もうすぐ十九冊目の本が出ますが、最初の一冊目からその喜びはまったく色あせていません。
- 最後に、これから電撃小説大賞に応募する方々へひと言アドバイスを!
- 応募原稿のうち、ストーリーやキャラクターのアイデアについては、言わば鉱脈を掘り当てるようなものなのである程度運次第な所があるのですが、いますぐできる努力で確実な効果を生み出せる部分もあります。それは《文章の丁寧さ》です。誤字脱字のチェックはもちろん、句読点や改行の位置はここでいいのか、無駄な単語の重複はないか、そういうブラッシュアップはどこまでやってもやり過ぎということはありません。その努力は《原稿の読みやすさ》に繋がり、読みやすさが《物語への没入》をより深くする……と、私は考えています。小説を書くとなるとどうしても物語やキャラに意識がいきがちですが、ちょっとだけ丁寧さのことも気にしてみてください! (註:このアドバイスと、川原の文章が読みやすいかどうかは無関係です。……私もがんばります)