民放とNHKの違いは・・・・・・・
相違点は幾つかあるが、簡単に言うと、放送を運営するための資金が、民放はスポンサーなど(広告料)による資金であるのに対し、NHKは法律を根拠に視聴料という料金を資金としていることだろう。
だから、NHKは民放と比較して、より公共性が強く求められるのである。
言い換えれば、放送の内容は全てにおいて、公正であり、公平であり、かつ中立でなければならない。
ところが、最近、このNHKの編集する各種番組において、こうした公正、公平、中立性に疑問を抱く傾向が強く感じられる。
民放は、その収入源がスポンサーであることから、スポンサーの意向ばかりを優先して視聴者を無視したことが平然と行われてきた。(最近はスポンサーの社会貢献性が求められる風潮にあることから、視聴者のニーズを最大限尊重することが反映されてはいるが・・・)
例えば、スポーツ中継放送は一秒、一刻が変化する「動」をリアルに視聴者に提供するものなのに、その途中にスポンサーの広告を繰り返し放映し、視聴者をがっかりさせるようなことが当然のように行われる。
民放といえども、コマーシャルを放映するタイミングを考えないと、かえって、スポンサーの意向に反する、つまり、商品であれば消費者が購入しなくなるなどの逆効果になることを理解しないから困る。
民放に比べて、NHKはコマーシャルを放映する必要がないから、このような視聴者を無視した公告放映はない。
ところがである。今朝のNHKテレビを見ていて、また不満を覚え、それが次第に激怒へと変わってきた。
今、話題となっている夏の電力不足問題に絡んで番組の中で、さしたる知識もないタレント(知識あるタレントも多くいる。)をコメンテーターとして出演させて、この者に無責任な発言をさせている。
ゲストは、その番組に相応しい者を出演させるべきである。
本題は、これから述べることで、前日にどこかの場所で道行く通行人(消費者)の「街の声」を映し出す映像は、全て番組制作者の恣意に沿った回答をした者の映像だけを放映する番組編成がされている。
原子力発電は、放射能の危険を認識しながら、敢えて、資源のない我が国において消費者に電力料金コストを負担させない電力確保手段として運営されてきた。(国が奨励し、国民も容認して恩恵を受けてきた。)
しかし、福島第一原発事故の発生により、原子力発電から太陽光、風力、地熱などの自然エネルギーに変換する方向性へと大きく舵はとられたのである。
最もコスト単価が低い、換言すれば、できるだけ安い電気を消費者に提供できるのが原子力発電であった。
しかし、これを廃止すれば、当然のように、これまでのような安い電気は消費者に提供(供給)できなくなる。
自然エネルギーを利用して電気を生産するには、原子力発電以上の経費がかかるのである。
安全であり、地球環境にもよいといった、全てに優れたものが、今のコスト以下であるはずがない。
電力会社は、電力を供給するためには多大の経費がかかるから、それを電力料金に反映し、当然の原理として消費者がこれを負担しなければならない。
今朝の番組では、NHKの取材班が取材した「街の声」が放映されていたが、そのすべてが、原子力発電は反対、電力料金値上げ反対といった発言をした人だけの映像を映し出すだけである。
こうした「街の声」は無視できないし、無責任な発言をした人を責める気はないが、NHKは、その取材過程において、「原子力発電の廃止に伴う電力料金の値上げは、消費者が共有して負担すべきである。」と全うな考えを述べた人もいるはずである。
安全で快適、しかも環境によく、さらに電力料金が安い、そんな魔法のような電力生産装置があったら、NHKの番組編集者の恣意で放映された「街の声」の人の要望に応えられるし、政府や電力会社も困らない。
しかし、こうしたシステムは開発されていないし、世界のどの国にも存在ない。「ドラえもん」をもってしても不可能なことである。
私も、いよいよ年金生活者になったから電気料金値上げは困る。
でも、自然エネルギーによるクリーンで安全な電力供給を求めるなら、料金値上げは甘んじて受けなければならないと思っている。
一人の消費者の立場で、「街の声」として申し上げておく。
こうした考えと同じような「街の声」が取材活動であったはずなのに、NHKの番組制作者はこれを抹殺し、テレビ視聴者、消費者を誤った方向に扇動する番組(反権力的、消費者の味方を偽装する体質のもとで)を作り上げている。
イデオロギーが色濃く残る企業体質、営業利益優先の民放なら、少しは許せる(本当は民放でもあってはならないと考えている。)が、NHKは許せない。
民放と同程度の番組しか制作できないことを嘆かざるをえない。
それでも、視聴料は払い続けなければならないのだろうか。
東京電力の電力料金値上げ以上に問題であると思うし、NHKに激怒している。
数年前、NHKのラジオで夏の高校野球を中継していた。
これを、聴いていると、あまりにも、一方の広告に「依怙贔屓」な放送であった。
対戦する高校は、名門校と名門とまでいえない高校であったが、中継アナウンサー並びに有名なゲスト解説者は、誰が聞いてもわかるほど、一方の名門校に肩入れした放送、解説を繰りかえす。
こんな高校野球中継は、私の知る限り前代未聞であった。
いずれの学校の高校生とも、晴れの舞台でもてる技量や能力、気力を発揮して必死にプレーしている。
このNHKの高校野球中継は、一方に偏したひとことで言うと「ひどい内容」であった。
これを、何かに例えて表現すると、関西系のある放送局が阪神タイガースの試合を中継する際、阪神タイガースがすべてで、これ以上の球団や選手は他にいないといった、誇大表現で野球中継するのと同じような内容であった。
この阪神タイガースの試合を担当するアナウンサーはお決まりの人で、阪神の選手が打った打球がセンターが守備位置から前進するような小飛球であっても、あたかもホームランと思わせるような表現方法で実況?誇大中継し、また解説者はこれに同調するのであるから、聞いていて嫌になることさえある。
それと同程度の実況と解説が高校野球中継で行われたのである。
それもNHKであるから、アナウンサー並びに解説者に猛省を促す意味で、NHKにメールを送信した。
でも、NHKからは何の回答もなかったが、その後、このアナウンサーと解説者は登場(出演し放送担当)しなくなった。
NHKという組織は、国家まる抱えの巨大組織であるし、問題のある職員は冷徹に切り捨てるなど、その体質は他の企業と比較して、旧態依前のままの化石であると感じる。
話は飛躍するが、そういえば共同通信社もよく似た体質があり、過去に現場記者が無情に切り捨てられたことを見ている。
この共同通信社の話題は、またの機会に披露しよう。