44年ぶりの朝鮮労働党代表者会 かけはし2010.10.11号 |
はじめに
朝鮮労働党は九月二十八日に四十四年ぶりの党代表者会を開き金正日国防委員長を党総書記に再び推戴し、三男とされる金正恩を党中央委員と党中央軍事委員会副委員長に選出するなどの大がかりな人事を行い、金日成から金正日、そして金正恩という前代未聞の三代世襲体制づくりに取りかかった。同会では政策の提起や論議という本来の議事は何も示されず、わずか一日で規約改正と人事案件のみに終始した。また同会の前日には金正日・朝鮮人民軍最高司令官名で親族や側近六人を軍の最高幹部に任命した。世襲体制はどう進行するのか、労働党は再生されるのか、そして中朝関係の行方は、南北関係は?
新体制に見る
危機の深まり
まだ二十歳代という金正恩を長期的に補佐していくために親族や側近幹部らが枢要ポストに就き、軍人でもない人物が突然軍の最高幹部クラスに就いたり複数のポストが新設されたりの人事ならぬ珍事も繰り広げられた。幹部クラスの平均年齢が八十歳に近い党中央組織の中に二十代の金正恩がただ一人軍の大将としてにらみを利かせるという構図はまさに噴飯ものだ。だがこうした異様なメンバー構成とならざるを得ないところに支配体制の危機が示されている。誤解してはならないのはこれが無理強いの体制ではないということ。
党中央組織に寄生する既得権益層にとって誰もがやりたくない責任ポスト(民衆の怨嗟の的)に金一族が就いてくれることのほうが有難い。
新体制の構成は、中央委員百二十四人、中央委員候補百五人、政治局常務委員五人、政治局員十七人、政治局員候補十五人、書記十人、中央軍事委員会十九人、党部長十四人など。こうした党機構とは別の国家機関(国防委員会や最高人民会議)とのバランスは以後に明らかになるだろう。これからは今回の党代表者会が金一族三代世襲のための単なる通過儀礼に終わるかどうかの党運営が問われてくる。二年後(2012年)の金日成生誕百周年を「強盛大国の関門を開く年」として大々的に位置付けている以上、この時期の党大会の開催は権威づけのためにも必要となるだろう。
中朝関係の今後
をどう見るか
今年五月の金正日訪中以降に中国は新たな経済協力関係に踏み込む姿勢を明らかにした。
中国は中朝間の旧来のなれ合い的惰性的依存関係を一掃し、経済支援が真に実りあるものとなるように、北朝鮮の経済再建と民生安定につながるものとなるように金正日自身の決断を迫った。九〇年代以降の北朝鮮の経済破局に伴って中国国内に流入し滞留する北朝鮮からの脱北難民は十万人以上といわれ、そこに人身売買組織が介在して社会問題化したり、中朝国境付近での麻薬の流通には日本人も関与して摘発される事態となっている。
これらは中国政府にとっての治安問題、内政問題ともなっている。北朝鮮の軍需産業に特化した経済、民生をまったく顧みない経済にその遠因があることを中国政府は金正日に問いただした。「中朝関係を新たな段階に発展させさらに人民に幸せをもたらせるように努力しよう」。中国は同会への祝電でこう強調した。中国にとって破局に瀕した北朝鮮への経済支援は容易な事業ではない。インフラ整備という土台からの丸抱えの事業とならざるを得ず、こうした中国の経済進出(チャイナパワー)を金正日は警戒し受け入れを躊躇し支援を個別的・部分的な側面に限定してきた。
中国はそこからの決断を促してきた。金正日と北朝鮮政府幹部団の今年五月と八月の異例の連続訪中とその直後の党代表者会開催は中朝関係の再編という流れの中に位置するものだろう。同会の翌々日には北朝鮮代表団が新体制報告のためにさっそく訪中した。当面の体制再建を中国との経済協力(経済支援)に託そうとする北朝鮮新指導部の選択は慎重に見極めていく必要がある。
朝鮮労働党は
どこへ行く?
今回の党代表者会では規約が一部「改正」されたことが断片的に伝えられている。序文の中に「継承性の保障が党建設の基本原則」「党は先軍政治を社会主義の基本政治方式として確立」などの表現が新たに盛り込まれ、「共産主義社会の建設」が削除されて「人民大衆の自主性を完全に実現すること」という表現に替えられた。
規約序文は世襲と軍隊が党建設の基本という「カルト集団の掟」に変質されてしまった。金正日体制は世襲と軍隊によってのみ維持されることを告白したという意味では正直な表現だろう。朝鮮労働党の思考停止、思想的退化ここに極まれり。こうした点から推察しても新体制で発足した労働党が機能を回復する、政策を提起する、党大会を準備するという再生の展望は全くうかがえない。
大きな動きの
ない南北関係
南北関係は開城工業団地の維持や離散家族再会事業再開という部分的接触、交流は継続されるが当面は大きな動きはないだろう。昨年から首脳会談に向けた南北間の水面下での探り合いはあったが三月の「天安艦爆沈」事件ですべては白紙に戻り、年内は冷却期間となるだろう。北朝鮮は当面、中国を介した対米接触を模索し、韓国については二〇一二年の次期大統領選を見据えて対応していくことになる。
自立し生きぬく
北朝鮮の民衆
昨年のデノミ強行による経済混乱と食糧配給システム崩壊の拡大が伝えられ、今夏には相次いで洪水災害に見舞われた。北朝鮮ではここ数年で既得権益層(党や軍の上層に連なる系列)と自給自活層(食糧配給システムの崩壊とともに成長してきた)、そしてその中間に位置する層の三つの階層による棲み分けの社会構造が北朝鮮国内からの発信情報から読み取れる。
こうした情報からは圧政下で苦しむ悲惨な民衆という単純化されたイメージではなく、金正日の棄民化政策にしたたかに抵抗し自立と自活のために必死の思いで生き抜こうとしている姿が伝わってくる。配給に依存しない自立自活した民衆が労働党による統制支配を徐々にではあるが無力化させつつある。新体制が軍需傾斜から民生再建の経済構造に大きく転換しない限り周期的な食糧危機と経済混乱の局面は続くだろう。(荒沢 峻)
関西新空港反対・泉州現地集会
全国の反空港運動と結び沖縄反基地闘争と連帯を
【大阪】九月二十六日、秋晴れの泉南市岡田浦の海岸で、「関西新空港反対!泉州現地集会」が開かれた。主催は泉州沖に空港を作らせない住民連絡会で、参加者は約七十人だった。この集会は、国交相が赤字対策として伊丹空港の株式会社化と関空会社への統合を打ち出し、悪名高い橋下大阪府知事がこれを高く評価し、十二億もの統合準備金が来年の予算概算要求が計上される中で持たれた。今回の集会には、ストライキ中の全日建関西生コン支部からの参加もあった。
集会の始まりに当たって六月十四日に急逝した連絡会代表の若野正太郎さんへの黙祷がなされた。開会の挨拶は泉南市議の小山広明さんが行った。小山さんはその中で自分が辞任して再立候補し当選した泉南市議選で調査の結果二十六票もの不明票があったので、(小山さんの当選はそのままだが)選挙行政を糺す上で訴訟することを報告していた。
空港行政の転換
を迫る運動を
連帯の挨拶の最初は釜ヶ崎日雇い労組の新委員長の山中さんが行った。山中さんは「厳しい労働環境の中で仕事を増やす要求を府や市に突きつけているが予算がないという。それなら生活第一といった民主党中央政権が肩代わりすべきだ。しかし民主党政権は自民党政権と変わらないことをしている。民主党政権を運動で引き寄せることが必要だ」と訴えた。続いて全日建関西生コン支部執行委員の武谷さんが発言した。武谷さんは関西新空港の軍事利用を許さない闘いを訴えるとともにガンである日米安保との闘いが必要と訴えた。さらに七月二十日からの長期ストについて報告し「生コン業界も今や日雇い労働者がいなければ成り立たない業界になっている。本工も日雇いも生活できるように、大企業の収奪のためのコンクリートの不当な低価格をやめさせることが必要だ」とストライキの意義を訴えた。
関西三里塚闘争に連帯する会代表の渡辺さんは「前原前国交大臣は、ダムも空港も見直すといったが、特に空港についてはさしたる変化はない。運動を見直し再建し、政府に航空行政の転換を迫らなければならない」と訴えた上で、十一月三日の羽田現地調査、十二月五日の三里塚東峰での集会、一月の反空港全国交流集会への結集を呼びかけた。石垣島白保に空港を作らせない大阪の会代表の栄さんは「白保空港の真下の鍾乳洞が滑走路に地盤の軟弱化の元になっていることから、八〜十月工事が中断している。さらに鍾乳洞からは一万五千年から二万年前の人骨や遺跡が出おり工事はもっと遅れるだろう」と報告した。さらに栄さんは「共有地の強制収容に対して裁判に訴えているが、運動として押し返すことなくして勝利はない」と運動の強化を訴えた。
排外主義許さず
反安保反基地を
関西共同行動の星川さんは十月十日の「戦争あかん!基地いらん!関西のつどい」への参加を訴える中で、尖閣列島問題にふれ「私の個人的意見だ」と断った上で、「尖閣列島は明の時代から釣魚嶼として文献に出ている。中国のものだ。それを弱体化した清の時代に勃興する日本帝国主義が奪ったのだ。百歩譲って、領土の帰属はどうであれ、労働者市民が政府・マスコミに乗せられて排外主義に同調するのでなく、あくまでも反安保、反基地をかかげて闘うべきだ」と訴えた。
この集会には、三里塚反対同盟の柳川秀夫さん、羽田空港を監視する会、空港はいらない静岡県民の会事務局長の桜井建男さん、新福岡空港ストップ連絡会事務局長の牧忠孝さん、神戸空港反対運動を闘っている元神戸市議の恩田怜さんからメッセージが寄せられ、住民連絡会の阿部陽一さんが代読した。
集会は最後に、住民連絡会で泉大津市議の高橋登さんが基調を読み上げ全員で確認した。集会後のデモが岡田の町を一周して行われ、秋祭り準備中の若者に空港反対を訴えた。 (H)
コラム
壊れた洗濯機
数カ月前に、洗濯機が脱水の時、フタを開けないようにするロックが常時解除されないトラブルが発生した。ゴミでも詰まっているのかと電源を切り、無理矢理手で開け掃除などをしたが、症状はあちこちのエラーメッセージが出て動かなくなってしまった。
買って一年半程経つのだが保証期間も過ぎている。仕方なく修理するしかないとコールセンターに電話した。すると出張費だけで三千五百円、修理代は一万〜二万円ぐらいだろうとの説明だった。四万円弱で買ったものなので、買い換えようかと迷ったが修理を依頼した。
数日後、修理員がやってきた。「ロック部分は無償交換の対象になっているから、費用はかからない」と最初に説明があった。「この機種でリコールが発生しているのか」と問うと、「そうではない」と答えたが、それ以上の詳しい説明のないまま修理を終えた。
「ラッキー」という反面、「なぜコールセンターで、無償交換できると言ってくれなかったのか。私は買い替えをしなかったから良かったがきっと買い替えをする人もいただろう」と、製造企業(シャープ製)の不誠実さについて怒りを覚えた。リンナイ製のガス湯沸し器やパナソニック製の石油ファンヒーターでリコールをきちっとやらないことによって、何人かの死亡事故が発生し、企業責任が大きく問われた事件があった。企業は製造責任をきちんと負わなければならない。
さて、洗濯機が壊れて数日ではあったが洗濯ができなくなると、つくづく洗濯を手洗いですることがどんなに大変か思い知らされた。昔の生活を思い出した。水道がない時代、井戸はあったが水質が悪く、こして風呂の水として使っていた。飲み水は雨水をためていた。そのために台所には大きなカメがあった。風呂や煮炊きは薪を使っていた。風呂を沸かすのは子どもたちの仕事だった。風呂が熱過ぎるとお袋が井戸から水を汲んでくれた。お袋が人間のあばら骨のような洗濯板を使って手で洗濯していた。「主婦」にとって、農作業以上にたいへんなのは家事労働であったことが分かる。なにしろ時間がかかり、「重労働」なのだ。
小学校にあがる前に、大井川用水が引かれ、水道が使えるようになった。わが家も戦後の貧しさから抜け出し、「メロン農家」としてやっていけるようになった。洗濯機を購入した。一層式で脱水はローラーを廻す簡単なものだった。煮炊きはプロパンガス、風呂は石油を使うようになり、そして冷蔵庫が加わった。私の家は農家だったが、この家庭電化製品の登場は、お袋やおばあさんの重労働の家事仕事を「革命的」に変化させた。洗濯機を使えるようになった時のお袋の笑顔を思い出す。
最近の3Dテレビや洗濯と乾燥機が一体となった十数万円もする洗濯機、自動車のモデルチェンジなど、「重労働」からの解放ということではなく、ただムダに買い換えさせるための製品、企業がもうけるための製品が開発されている。そうしたものを買うためにあくせく働くという逆転現象が起きている。洗濯機の故障にさまざまなことを考えさせられた。(滝)
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