筆者は尼崎JR脱線事故後に衆議院議員加藤公一に対して以下のような論文を送った。文字数役13,000(原稿用紙30枚以上)
2005年5月8日
安全国家をつくる「日本安全再生法(時限立法)」の制定に関して
はじめに
人類が引き起こした地球史上最悪の事故、チェルノブイリ原子力発電所爆発事故のあの恐怖が今日本に・・・
日本人の誰もが憂えていることの一つが「日本の安全神話はどこへいってしまったのか」ではないのでしょうか。そして「どうしたら日本の安全がよみがえるのか」を今、誰もが真剣に考えているのではないでしょうか。
日本では近代工業社会の衰えとともに、日本の全社会的組織やシステムが劣化してきています。今般のJRの脱線事故や大企業や公的機関の不祥事・・そして治安の悪化、これ以上日本社会が悪くならないという保証は何一つありません。
「もはや手遅れである」と言う評論家も多く存在するようですが、私の意見は違います。ジュリアーニ市長が自らリーダーシップをとり、見事に再生したニューヨーク市のように、有能な日本人が底力を発揮さえすれば、日本社会に必ず安全は甦るものと私は信じています。
リストラも一段落した今日の経済社会ですが、リストラや構造改革の次に必要とされるのが、会社や組織の体質改善です。そして国民一人ひとりの意識改革です。この国家的ビジョンともいえる「改革」を成功裏に導き、日本に安全神話を甦らせるためには、卓越したリ−ダーのもと、国民参加型の運動に育て上げていく必要があると勘案されます。本提案書では、すべての日本人が安全、安心に暮らせるための一私案を取りまとめています。机上の空論でなく「やれば必ずできる」ものです。
<中略>
私たちは今、何ができ何をすべきでしょうか
第一に行わなくてはいけないことは、政界や経済界を含めた国民全体運動として「安全社会の復活」を決意することです。そして、今この問題を先送りすることは、チェルノブイリ事故並みの大惨事を引き起こす可能性があることを国民が認識することです。そのためには卓越したリーダーシップのもと、日本国民が一丸となってこの困難な問題に取り組んでいく姿勢が求められます。それは総理大臣や国土交通大臣の「ツルの一声」による対策ではなく、国民の代表者たちの声と英知を集めた、複眼的見地からの安全確保策を検討する必要があります。
<中略>
何故、チェルノブイリ発電所爆発事故のあの恐怖感が、今の日本に存在するといえるのでしょうか
チェルノブイリの事故発生の要因は、今の日本が抱えている問題と類似しています。
チェルノブイリの事故の要因は、個人のミスやヒューマンエラーではなく、当時のソビエトに見られた硬直化した体制そのものに起因したものでした。それは、個人は上層部から与えられた命令を忠実に従っていればいいという組織風土の中、目標を達成するためには手段をも選ばないという考え方に基づき、構成員が確信犯的に規則を無視しつづけたことの結果です。事故の真因は、中国の愛国無罪ではありませんが、目的のためなら規則違反もやむを得ないという誤った考え方がもたらしたものであることは明白です。
◆日本においても、硬直した官僚体制の弊害から多くの不祥事が発生しています。
◆JRの脱線事故に象徴されるように、多くの事故不祥事が組織の体質的問題から発生しています。
◆多くの日本人は、会社のため組織のため、そして自己保身のためなら良心に反する行動も辞さないと考えています。
<中略>
システムファクターから考察されるべき安全管理とは
◆行き過ぎた競争至上主義、結果至上主義、勝組み・負組み的ものの見方は、安全第一主義的経営と相反します。安全社会を構築するキーワードは「競争一辺倒」ではなく「相互協力であるべきです。
◆安全管理ができている会社や組織だけが発展する事実、大事故や不祥事を引き起こした会社が立ち直るには、相当の対価を支払わなければならない現実を認識させるべきではないでしょうか。
◆すべての組織に「安全管理」というソフトウエア(危険予知の仕組み、防止プログラム)を強制注入させるべきではないでしょうか。
◆すべての組織にあらゆる災害や事故の発生を想定した「非常事態管理システム」を強制注入させるべきではないでしょうか。
◆CSRやコンプライアンスあるいはISOの基礎部分は「安全性・健全性」です。安全管理度を企業が自ら、企業価値を測る評価基準の指標として広く社会に公開していく姿勢が求められていくのではないでしょうか。
<中略>
菅さんの「国民主権論」の講義のなかに「三権分立・・・コロっと騙される」「行政は継続するもの・・・何となくそうかなと思わせられる」とありますが鉄道行政も同様です。行政は「安全が第一」と思わせておき、本音は建設業と製造業の発展なのでは?
官僚は「安定輸送の確保」「利用者保護の観点」から行政の役割を果たしていく事が重要であると考えているようです。つまり、安全も大事だが利便性も大事であり、行政は公共事業同様に鉄道行政に関わっていくと宣言しているようなものです。この考え方は今般の事故の遠因になっていないでしょうか。
この根拠は、運輸技術審議会諮問第23号「今後の鉄道技術行政のあり方について」に述べられています。
平成10年11月13日 運輸技術審議会 http://www.tasksafety.org/toushin.htmより抜粋
◆すべての人や物に及ぼし得る危険を、技術的実現性や経済性を踏まえ、可能な限り小さくすることを目標とする。
◆鉄道事業者が安全を確保すべき対象は、利用者等の通常予見される行動形態を前提とする
つまり、国土交通省は、安全性と経済性を同列で考えているのです。地方の弱小鉄道会社への影響も考えての報告書ではあるでしょうが、旧来型の護送船団方式に通じるものがあるように思えてなりません。
<終了>
ポイントは3つです。
◆チェルノブイリ原子力発電所事故同様に、原子力発電所の運転者たちは官僚の支配下にあり、外部の専門家が津波の危険性を指摘しても聞く耳を持たなかった。
◆日本には強制注入すべき安全管理のソフトウエアが必要。筆者はそれが何かを知っている。
◆運輸技術審議会の諮問のように、安全性と経済性が同格に扱われている。ディズニーランドは完璧に 安全性 > 経済性である。
メカオンチの国会議員が何を調査できるのでしょうか。私ならアメリカに飛び、GEから東京電力との契約書、SOP「Standard Operating Procedure 標準作業手順書」を取り寄せます。
そこには、安全性を保つためには「こうしなくてはならない」ということがきめ細かく書かれているに違いないのですから。
筆者が提出したこの論文を加藤公一議員は「参考にさせていただきます」とだけ言い無視し続けました。加藤公一議員に今回の事故を語る資格はまったくないことをつけ加えておきます。