たこおやじのブログ

訳のわからない ダラダラとしたエッセイ風日記


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 この前の「教える側の研修」。

 結構「不評」だった。ネックは「スーパーバイザーの弟子」が「口の利き方」「礼儀」を知らなかった事。 そして、そのスーパーバイザーの盲信者に「うんざり」していること。

 「部外者」なら「部外者なりの「言い方」があるだろう…と、現場の怒りは大きい。そんな弟子にしてしまっているスーパーバイザー自身への批判も高まっている。

 私自身は「あなたの弟子を受け入れたくありません」と言ってのけるだろう…。 だって「真摯さ」のかけらも見えないんだから。

 私rたちの業界で「最後に生き残る」のは「真摯」な人。「指導技術」よりも何よりも「キャラを掴み」「輿を低く」「粘り続ける」職人。

 正直「今の現場」を荒れさせた原因も「盲信者の暴走」と捕らえている。

 「できていない」弟子に発言させるなら、「現場からの批判」を弟子に聞かせる機会をそのスーパーバイザーに求めたかった。 「寄らば大樹」という学生は、「現場では迷惑」である。

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 敬語…日本語を勉強する人にとって 最も難しい言い回しである。

 現に「正しい敬語」を日本人も学習しなければいけないからだ…。

 例を挙げるなら、「帰りなさい(Go House)」を丁寧に言おうとして「お帰りなさい!」と言ってしまった人に失笑できず、説明しようとも、一部の上流階級の言い回しで「今日は、これで お帰りなさい」などと奥様がメイドさんに言い渡すときとの区別が、説明しきれない、 まして、「リスニング問題」で「帰りなさい」「お帰りなさいませ」「今日はこれでお帰り」…「玉虫色の日本語」を「場」と「イントネーション」で使い分けなければならない。

 さらに「恵み」と「お恵み」では、私の文章力では表現しきれないくらい、とてもデリケートな違いが出てくる。

 もっと、不思議な日本語は「陛下」「殿下」「閣下」…などである。
本来は「直接面談」ができないため「陛下」「殿下」「閣下」という「代理人(スポークスマン)」を通して会話していたときの流れである。

 ここで「殿下ご逝去」と報道されても、「宮様ご本人」なのか「代理人」のほうか…、どちらがなくなられたのかがわからない。

 ほんと 日本語は「ややこしい」

 

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 価値観の基準は「第一印象」「最初に出会った物事」「最初に教えてもらった事」「最初にできた事」から 作られていく。

 つまり「当たり前」をどう教えてもらってきたか? によって、その人の価値基準が決まっていく。 それがそのまま、その人への評価につながっていく。

 私の業界(職場)も、ご他聞にもれず、この傾向は強い。

 ちょっと過激な表現をするなら、些細な所作から「お里が知れる」「生育歴がわかってしまう」…。

 まぁ、それを見抜いて策を練る・対応するのが、仕事上のたしなみではあるが、簡単なトラップやリーディングにホイホイ載せられる研修生たちを見ていると、正直「将来が不安」になる。

 あなたの学習能力・職業能力には何も心配していません。 ただ、「悪質な」訪問販売」・男・宗教勧誘に引きずり込まれない事を祈っています。  ……とある研修生に言った事がある。 「いい人」を作りたいが、「人がいい」だけの人材にはなって欲しくはない。  「騙されない」「流れに引きずり込まれない」…、「独立した思考回路」を必ず残しておく…、「あれ?」っと「立ち止まれる」人材。
 それを目指して、日々研修生に接しているが…。 「素直な」「イイ奴」ほど、騙されやすい。


 身につけさせたい「社会性」は「適応」と「独立」のバランス。 現状は「便乗」と「自己中心」。

 いつもながら、哲学的な瞑想に入ってしまう。

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