たこおやじのブログ

訳のわからない ダラダラとしたエッセイ風日記


テーマ:
 ブログ HP ツイった ミクシ … どれも「個人発(団体を含めて)」である。

 「公式」と銘打っても「その個人の情報」を発信するための手段である。

 だからこそ「出版」等に比べて「高い自由度」が保証されているのだと思う。「言いたい事は、堂々と言う」「他者からの批判は検挙に受け止める」 そして きちんと「お返事(反論を含めて)」を返すこと。 最近は、心ない「掟破り」が増えている。 このことで「統制」は食らいたくない。

   ① 「お返事」を返せない人(スルーしまくりも含めて)
   ② 「引用」だけで「記事」を書いた気になる人

 これらの人たちは「自分の発言に、社旗的責任を取ろうとしない」人たちとして、私はさげすんでいる。

 まだ「今日の(他人から見てどうでもいいような)出来事」を、せっせと毎日UPしている小学生の方が、はるかに「ネット世界の優等生」であると思っている。

 「おとな」の「法人」ほど、動きが遅いb。 それとともに、周囲から教祖同様に持ち上げられている「学者」ほど反応が鈍い。

 「個人経営」に近い「職人さん(声優さん・生主さん・演出家さん・脚本家さん…)」たちの方が、「ネームバリュー」とともに「丁寧な対応」をしてくれている。

 「お返事」に対して「ぞんざい」なのは、「学者」と「法人」と「デビューしたての中坊」くらいである。

 「社会的地位」のある「個人」や「法人」を「中学生以下」の扱い(認識)で対応しなければいけない…。 

 「保身」に回るなら、「発信するな」… これも「ネット上」…っていうか 学問的議論…の「最初の一歩」だと思っている。

 自分の土俵に引きずり込むのも学者のスキル
 他人の土俵でも勝負できるのも学者のスキル


 「学者」という言葉を「自分の職業」に 置き換えてみる 昨今の私である。

 


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 最近の「カレー味」カップ麺は許せないくらい「味が薄く」「とろみがない」

 まぁ、「○ちゃん」とか「○○○スター」ならしょうがないとしても、いままで「とろみ」で支持を得てきた「○○○ヌードル」まで、「とろみが無くなってきた:。 これは ゆゆしき事態である。

 …って、勝手な事をイイながら「安売り」の「○○○スター」にカレールーをくわえて、なおかつ「伸びる」まで待って、食べようとしている私である。

テーマ:
 大阪弁で、「取りかかるまでに時間がかかる」「達成するまでに時間がかかる」「成果が大雑把」な人を「どんくさい」と表現する。

 大阪弁の特徴である「ディスリ言葉」。 「私は、あなたの特性を知っていて、温かい目で見ているけど、結果をシビアに言います」…という「言葉のウラ」がある。

 逆に、大阪人は「スマート」さを嫌う。 「濡れ手で粟」は誰もが夢見る事だが、「他人を踏み台にして」「自分だけがおいしい思いをする」というのは、「商売上の人間関係」を重視した場合「禁則」となる。

 同じ関西人でも「京都(市内)」は全く違う文化圏である。

 決して、他人に「弱みを見せない」…。これが不文律。 大阪人の場合、玄関先(道路から見える所)に洗濯物を干しても平気だが、京都では「ありえない」事の1つだ。

 これは、東京の下町(ど根性ガエルのヒロシの家)で、玄関ヨコに物干し竿があるのと関連している。

 さて、本論に戻ろう。 大阪人が「どんくさい」人を見捨てないのは、その「等価交換」で得た「真摯さ」を評価しているからだ。 また、「行動が遅い」ということは、結果的に「言い意味で流行に乗り遅れる」…「流行廃りに流されない」「騙されにくい…というより騙す側に手間がかかりすぎて詐欺の対象にならない」…という 「安全パイ」のレッテルである。

 「どんくさい」面がある人。 それを誇れ! それを前面に出せ! スマートなんか糞食らえ!

 …という者が ここにいてる… ってことを 知っておいてほしい

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