「公式」と銘打っても「その個人の情報」を発信するための手段である。
だからこそ「出版」等に比べて「高い自由度」が保証されているのだと思う。「言いたい事は、堂々と言う」「他者からの批判は検挙に受け止める」 そして きちんと「お返事(反論を含めて)」を返すこと。 最近は、心ない「掟破り」が増えている。 このことで「統制」は食らいたくない。
① 「お返事」を返せない人(スルーしまくりも含めて)
② 「引用」だけで「記事」を書いた気になる人
これらの人たちは「自分の発言に、社旗的責任を取ろうとしない」人たちとして、私はさげすんでいる。
まだ「今日の(他人から見てどうでもいいような)出来事」を、せっせと毎日UPしている小学生の方が、はるかに「ネット世界の優等生」であると思っている。
「おとな」の「法人」ほど、動きが遅いb。 それとともに、周囲から教祖同様に持ち上げられている「学者」ほど反応が鈍い。
「個人経営」に近い「職人さん(声優さん・生主さん・演出家さん・脚本家さん…)」たちの方が、「ネームバリュー」とともに「丁寧な対応」をしてくれている。
「お返事」に対して「ぞんざい」なのは、「学者」と「法人」と「デビューしたての中坊」くらいである。
「社会的地位」のある「個人」や「法人」を「中学生以下」の扱い(認識)で対応しなければいけない…。
「保身」に回るなら、「発信するな」… これも「ネット上」…っていうか 学問的議論…の「最初の一歩」だと思っている。
自分の土俵に引きずり込むのも学者のスキル
他人の土俵でも勝負できるのも学者のスキル
「学者」という言葉を「自分の職業」に 置き換えてみる 昨今の私である。