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今日の、また、「指導者向け研修」。
「ユニバーサルデザイン」を推進している講師が「現場に必要なユニバーサル」…って言いながら「カーテンを使え」って言ったり、準備に「手間・ヒマ・コスト」がかかる「貼り物」を用意しろだとか…。 現場を知らない人だから言える「クソわろた理論」を居眠りしながら聴いていた。
この説の矛盾を解説しよう…
①「集中」させるために「掲示物」が邪魔なら、「掲示板を撤去しよう」という運動を起こすべきである。
「何にも掲示されていない」掲示板は「見る側」も「気持ちが貧乏」になる。 だから、みんな、せっせと「掲示板を埋める」作業に走ってしまうのだ。
②「黒板」は「明治時代からの必須アイテム」である。
そりゃ、時代が変わり、リッチな所では「ホワイトボード」に進化しているけど…。 「リアルタイムに反応できる」「すべてを消し去る事ができる」…。 この価値を超えるアイテムを 他に見た事がない。 …ネットの記事(ブログやコメなど)も、「詳細な記録」が残っている分、「人間関係」「閉じた空間」での「無かった事にしよう」という合意が得にくくなっている…
③人間の「スケベ本能」に矛盾した理論である。
「隠されているから」こそ「見たくなる」のが 生物としての本能である。
「そこにスカートをはいている女性(女の子)」がいるから「スカートめくり」をしたくなったり「のぞき」をしたくなるのである(実行すると犯罪だが…WWW)。 「パンツ一丁」でぶらついている女の子、丸裸で「ふつーどーり」に通りを歩いている子を見かけても「どん引き」「びっくり」はしても「スケベ心(エロティシズム)」は感じないだろう。
「カーテンで隠す」事により、「掲示板へのいたずらが増える」「どんなイタズラが隠されているのだろう」と「集中できない」事態を、想定していない事、また、そんな事象が起こったときに「力尽くで押さえる」現場だったから通用したのだろう…。
本当に「机上の理論」は「提案」としては有効だが、現場としては「帰捨仮説」として「それを否定するモノがない」と確信してから、採用すべきである。
数学的な論法、高校生レベルの「背理法」の応用である。