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デモを報道しないNHK - NHKの「倫理・行動憲章」違反
7/6の官邸前デモについて、政治戦のポイントはNHKが取材して報道するかどうかにある。先々週(6/22)、テレ朝の報ステが小特集の枠を組んで大きく紹介した。この報道は非常に内容がよかった。先週(6/29)、TBSのNEWS23が大きく取り上げ、サンデーモーニングでも意義を評価する姿勢を示した。ここに至って、官邸前デモは社会現象となり、国民的関心事として存在を確立している。会社のお昼休みに、同僚で昼飯を食いながら話題にできる素材となり、デモを騒音扱いして無視する野田佳彦が悪役で、懸命に声を上げる官邸前の市民が正義という一般的構図が、マスコミ報道を通じて通念となる事態となった。昨日(7/4)の朝日の社説は、「反原発デモ - 音ではなく、声をきけ」の題が掲げられ、官邸前のデモだけでなく、6/30-7/1の大飯現地のデモを高く評価する論調となっていて、朝日の社論が再稼働に反対する市民と全く同じ地平に立っている視点を示している。社として市民デモを支持する論陣を張った。こうなると、マスコミの対応として次の焦点になるのが、国民の受信料で経営しているNHKである。順番としては、今週はNHKが取り上げてよいタイミングだ。関連する一つの好材料として、報ステの最近の視聴率が上昇しているという事実がある。再稼働反対の姿勢が明確な番組を国民が支持していて、古舘伊知郎を自らの代弁者として選んでいる。


本当なら、クローズアップ現代でこの社会現象を特集し、国谷裕子が27歳の介護士(主催者の発起人)をスタジオに呼んで話をさせないといけない。国民が見たい知りたいと欲求している報道はそれだ。空前の抗議行動となった官邸前デモを、テレビの特集で詳しく説明するのは、やはりNHKが最も適役な媒体だろう。これまで、官邸前の現場にNHKのカメラは入っておらず、6/29以前の記録を事業者として保有していない。6/29の歩道上でも、NHKのロゴの入ったカメラは目撃しなかったし、NHKの腕章を巻いた記者や職員の姿はなかった。そうすると、NHKは独自に撮影した映像を編集して全体の経過を概説できないことになる。国民の行動の記録として、この官邸前デモの刻々を撮影していないことになる。公共放送がそんなことが許されるのだろうか。恐るべき過失であり、言語道断の不作為であり、公共放送として国民に対する重大な背信行為だろう。6/29の日も、路上を歩いている人々から、NHKが何で放送しないんだという強い不満が上がっていた。午後6時から8時までの間に、あの周辺でNHKを批判する声を何度も聞いた。NHKの「倫理・行動憲章」には次のような原則が宣誓されている。「いかなる圧力や働きかけにも左右されることなく、みずからの責任において、ニュースや番組の取材・制作・編集を行います」「放送の公平・公正を保ち、幅広い視点から情報を提供します」「正確な放送を行い、事実をゆがめたり、誤解を招いたりする放送は行いません」。

また、NHKの「番組基準」には、「政治上の諸問題は、公正に取り扱う」という規定もある。こうしたNHKの内部規範に照らし合わせたとき、今回、NHKが官邸前デモを報道に取り上げなかったことは、明かな基準違反であり、不当な逸脱行為と言わざるを得ない。「公平・公正」とは偏ってないという意味だ。官邸前デモの人数が100人とか500人の程度なら、NHKの不作為も内部コードに抵触していないと弁解ができるだろう。しかし、10万人規模の群衆が集まり、すでに国民的関心事になっている社会現象を放送しないということが、「公正に取り扱う」という基準に収まると言えるのだろうか。 「倫理・行動憲章」はNHKの憲法であり、職員はこれを厳守しなければならないはずだ。「幅広い視点から情報を提供します」と言いながら、NHKは野田佳彦の一方的な官邸会見での再稼働正当化論のみを垂れ流し、それに反対する国民の怒りの声や動きを伝えない。その情報を公共の電波から排除している。この報道姿勢に対して、偏向と呼ぶ以外に他の表現があるだろうか。視聴者である国民がNHKに支払う受信料は、こうした内部規定が遵守され、NHKが「幅広い視点から情報を提供」している前提があって、初めて契約が成り立つものである。放送法第64条のNHK受信料契約義務は、どんな放送でも支払わなければならないという片務強制ではない。国民には、受信料の対価としてNHKに「公正・公平」な放送をさせる権利がある。

今回(7/6)の官邸前デモの焦点の一つは、NHKが正面から取り上げて報道するかどうかだが、もう一つ、重要なポイントがあり、それは7/29の「国会大包囲」のデモへ向けての一里塚という点だ。主催者が、6/29のデモを6車線開放と同時に解散させたのは、警察の要請に素直に従ったからであり、警察と対立を起こしたくなかったからだと推断される。7/6、7/13、7/20とデモは続く。順調に参加者が拡大すれば、7/29のクライマックスは52年前の安保闘争と同じ空前絶後のパノラマを描く見通しが立つ。そうした長期戦の日程と配慮があり、主催者は警察の意向を受け入れて、6/29は即座に中止解散を決定したのに違いない。その判断には一理ある。ただし、ここで考えなくてはならないのは、警察側の政治的思惑である。警察は政府であり、政府の指示に従って官邸前デモに対処していて、地域で普通に小学生の登校の安全を守っている交通警察と同じでない。警察の今回のデモ解散要請の政治には狙いがあり、それは、このデモを主催者と警察の共催イベントにして、再稼働に反対する市民の抵抗をガス抜きする場に意味を変換することだ。このデモから示威行動の性格を脱色し、政治目的の抗議集会の色を薄め、「夏祭り」の市民運動に変質させることだ。実際に、6/29の7時40分の現場では、即中止と解散が必要な混乱状況はなかった。前週(6/22)より混雑したのは確かだが、映像を見ても分かるとおり、危険な状況という事実はない。

意外なことに、主催者は警察と蜜月の協力と連携を示し、警察車両の上から市民に解散と帰宅を説得した。このことは、現場にいたデモ参加者に少なからず疑念と不審を惹き起こす結果を生み出していて、今週に入っても主催者の判断と行動に対する賛否の議論が続いている。私の結論を言えば、主催者は警察の要請を唯々諾々と受け入れるべきではなかった。現場の状況を独自に正確に判断し、警察の政治的意図を見抜き、警察との間で交渉をすべきだったのだ。許可されているデモの刻限は午後8時で、それまでは、あの場所での抗議集会の権利を持っているのだ。ちなみに、官邸前デモの警視庁での行政上の扱いは「抗議集会」であり、溜池山王方面から官邸前に接近した私に対して、検問所で呼び止めた警察官は、「抗議集会に参加ですか」と質問してきた。デモに不慣れな主催者が、膨らみ続ける人数に懸念と不安を感じていたのは事実だろうし、日没して視界が薄暗くなると、現場の観察が難しくなって、警察の指摘や指導に頷いてしまうのも無理はない。しかし、警察の思惑は何なのか、ここで警察と一心同体で市民に解散を説得し、帰宅を勧告する奇妙な絵を作ったらどうなるか、政治的な意味と影響を二重三重に深慮するべきだったと思う。「前回を上回る参加」を市民に呼びかけながら、全車線開放と同時に、「こんな状況になるのを最も恐れていました」と言って、不意打ちの中止と解散を繰り返していたら、主催者は確実に市民からの信頼を失う。

私の推測だが、野田政権がこの官邸前デモの動きを座視しているはずがないと踏んでいて、対策を綿密に練って無力化を狙っているはずで、その策謀の中心にいるのは仙谷由人だろうと目星をつけている。湯浅誠の麻生邸見学ツアーのデモで3人の逮捕者を出したのは、おそらく漆間巌の直接指示だっただろう。今回は仙谷由人。仙谷由人の狙いは、デモ参加者が主催者に疑念を持つように仕向けることであり、デモがガス抜きイベントに変質するのではないかと危惧させることであり、そうした状況を培養し醸成することで、デモの参加者を心理的に分断して行くことだ。高等戦術の政治である。こうした分断工作に嵌らないために必要なことは、デモの支持者が主催者を賛美し翼賛して斉一化することではなく、主催者が警察(権力)の罠に嵌らないよう注意することである。現場の行動では参加者は主催者に従わなくてはならない。そこは政治戦の戦場だから、兵士が司令に違背して別行動に出る挙は許されない。一枚岩に一致結束した集団行動が当然だ。しかし、だからと言って、時々の司令部の判断や指示が全て正しかったと盲従し礼讃する態度は誤りである。デモの後は客観的な分析と反省が必要で、次の作戦を成功させなくてはならないからこそ、一回一回の行動についての吟味と検討が必要になる。6/29の主催者の行動の結果、少なからずデモ参加者に亀裂が生じた。賛否の議論が起こるのは当然で、亀裂を生じさせた責任は主催者に帰する。分断をどう防ぐかは、全員が知恵を絞るべき問題だ。

最後に、参加人数の主催者発表と警察発表の食い違いについても、そろそろ検証と整合の努力が必要な時期だろう。デモが国民的関心事になり、国民がこの行動を自分の意思の代行表現だと思って積極的に見守ってくれている以上、あまり無責任に放置しておくのはよくない。政治的にマイナスになる。ここまで巨大なムーブメントに育ち、政治的達成を確保している以上、不面目は忍受して過去の数字を訂正する勇気に出てもよいと思う。人数を推定した根拠を国民の前で説明していいのではないか。1か月前を思い出せば、4000人でも歴史的な偉業だったのであり、不滅の金字塔だったのだ。その意義は今でも変わらない。私は、広瀬隆が空撮をすると言うから、その目的はてっきり次の二つだと思っていた。一つは、上空から路上の人数を推定集計すること。もう一つは、7/29の国会包囲をシミュレーションするデータを得ること。理工系らしい広瀬隆の発想だと納得していた。しかし、6/29の空撮は実行されたが、人数のカウントの面では結果が出たという情報に接していない。6/29のデモ参加者の数が10万人でも20万人でもいいが、その数値に空撮写真でエビデンスを提出するものと思っていた。人数の綿密なカウントが空撮の目的でなかったことは、私には少し残念なことである。7/6のデモでも、主催者が人数を公表すれば、直ちにネット右翼から反論と誹謗が上がり、その「サバ読み」が糾弾されるだろう。政治戦というのは、一つ一つの局地戦(情報戦)で勝たなくてはいけない。一つの戦線で崩れれば蟻の一穴を招く。

司令部(主催者)は、参加者数の情報戦の戦場にも兵力を投入するべきだ。


by thessalonike5 | 2012-07-05 23:30 | Trackback | Comments(0)
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