国会事故調 “明らかに人災”7月5日 14時16分
東京電力福島第一原子力発電所の事故原因などの解明に取り組んできた国会の原発事故調査委員会は、5日、当時の総理大臣官邸による発電所の現場への直接的な介入が指揮命令系統の混乱を拡大する結果となったなどと指摘したうえで、今回の事故は「自然災害」ではなく明らかに「人災」であるなどとした報告書をまとめ、衆参両院の議長に提出しました。
国会の原発事故調査委員会は、5日、国会内で20回目の委員会を開き、委員全員が報告書の内容を了承し、641ページに及ぶ報告書を取りまとめました。
この中では、事故当時の総理大臣官邸の対応について、発電所の現場への直接的な介入が現場対応の重要な時間をむだにするだけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大する結果となったなどと指摘しています。
そして、何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなく明らかに「人災」であるなどとしています。
また、国民の健康と安全を守るために、規制当局を監視する目的で国会に原子力の問題に関する常設の委員会を設置すべきだと提言しています。
黒川委員長は、横路衆議院議長と平田参議院議長に報告書を提出し「国会における民間人による調査委員会という憲政史上、初の試みを確かなものとするためにも、報告書を原子力に関する立法や監視機能の充実、強化に資するようにしてもらいたい。この報告書が、避難をしている皆さんの将来と日本の未来に少しでも役に立つよう願う」と述べました。
これに対し、横路議長は「限られた時間の中で、精力的に活動していただき感謝申し上げる。報告書を精査して、政府に対し申し上げるべきことは申し上げ、これからの日本のエネルギー政策や原子力発電所をどうするのかという国会の論議に有効に活用したい」と述べました。
被災者の委員“提言一つ一つ実現を”
原発事故の被災者として、国会の事故調査委員会の委員を務めた大熊町商工会会長の蜂須賀禮子さんは、福島第一原発が立地する大熊町でおよそ30年にわたって花屋を営んできました。現在、会津若松市にある仮設住宅で避難生活を送っています。
原発事故の被災者の1人として国会の事故調査委員会の委員を務め、今回の調査について「40年、50年も原発とともに生きてきたのに、安全・安心だと思って放射能のリスクに関して無関心だったことが委員の仕事を通してよく分かりました。
事故が起きる前に、もっと立地町の住民として勉強しておくことがあったと強く思います」と話しています。
また、調査で明らかになった事故当時の東京電力や政府の対応については、「参考人から話を聞いた時は特に腹が立ち、どんな思いで体育館の中で布団をかぶって寝ていたか、あなたたちに分かるのかと思いました。
避難していた私たちをないがしろにして、自分たちがそれぞれの立場でバラバラに動いていたことなどが分かってきたのは、とてもつらかったです」と話していました。
そのうえで、今後について「日本だけでなく世界も注目している報告なので、国会議員には、今回の報告書で提言したことを一つ一つ実現してもらいたい。
今後も、ほかの委員とともに被災者として声をあげていきたい」と話していました。
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