No.116382

砂という名の死骸

終焉。消失。人間。それらのキーワードにピンと来る人(?)向け。

2010-01-04 10:43:00 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:581   閲覧ユーザー数:567

「――――」

 消失されていく音を拾うかのように、少年は耳を澄ませている。

 無音の中で爆ぜる量子の感触。少年の神経は、鋭利に感覚に触れていく。

 砂――或いは、小さな生物の死骸が、擦れる音がどこか、遠くから流れてくる。

 伝導の法則と違わない窒素の波を動力源に、音が少年の鼓膜に届いているのだろう。

「――僕は、」

 少年は、分散化しつつある音を吐き出した。

 現象に感慨も何も無い。

 音は、罅割れた世界へと霧散するだけ。

「……僕は、どうして、生まれたのだろうか」

 吐き出された音は、人間から生み出された現象『声』と呼ばれるはずのものだ。

 しかし、少年は『声』を『声』と呼ばず、音と呼ぶ。そこに人間らしさは存在しない。

 ――いや、この抜け殻のような世界に、人間らしさなど必要なのだろうか。

 形骸と成り果てた世界の中で、少年は人間である事を放棄したいのではないか――。

 答えは、少年に与えられない。自己回答も正解の域へと到達しない。

「――この何も無い世界」

 少年は、世界を言語化する。それは、漢字を含めた平仮名で、十文字に満たない言葉で形容されてしまう。

 ――ここには、何も無い。

「――人間が消失した、世界」

 少年は、絶望に繋がれながら呟くしかない。

 ――この世界では、人間の作り出した、過去の栄華は朽ち果てている。

「――僕は、何をすればいい?」

 だから、少年は呟くしかないのだ。

 砂の音を聴きながら、自身への存在定義を問いかけるように――。

 

 ――非現実的な理想主義者が繁栄している現代社会にて、人類は消失し始めた。

 少しずつ、人類は量子へと分解されていった。

 人口は、大幅に減り、人類が滅び行く運命にある事を知ると、人々は争いを放棄していった。

 そして、――残されたのは、少年だけだった。

 理想主義者の作り出した欠陥品に満たされて育った少年は、フラスコの中のホムンクルスのような知識の塊へとなった。

 ――しかし、少年の情緒が発達する前に、人類は消失した。

 ――誰一人残らず。

 

 ……少年は、砂浜を素足で歩く。

(僕は、何のために生まれてきたか)(僕は、自殺する為に生まれてきたんだ)(僕は、世界に逆らって死ぬ為にここにいる)

 少年の脳裏で、様々な感情が軋みあう。フェルトのような繊維の塊のような、純粋な知識が倫理を組み上げる。

 情緒が未発達な為に、少年は明確な答えを見出せない。そこに、正確な倫理は存在しない。量子レベルで分析可能な、答えなど、どこにも無い。

 ……『少年は、人間、なのだろうか』? それとも、『情緒が無いだけなのか』。

「『そういう事なんだ』」

 少年は、答えを見つける。

『人間では、届かない答えを見つける』。

 感激は無い。感嘆は無い。

 喝采は無い。祝杯は無い。

「人間が滅んだのは、」

 少年は、歌う。手を広げ、世界を飲み込むように。

 しかし、しかし、

「『世界が人間を拒絶したからなんだ』」

 そう、人間は不可視の現象にメスを入れた。現象を数値化していった。その中には、人間を壊すものも存在していたのだろう。

 ――『少年は、壊れた人間――人間ではない生き物だ』。

 世界は、傷付けられる人間さえも拒絶した。

 だから、哀しみも、喜びも、怒りも、楽しみも消し去った。

『そういう事なのだ』。

 ――少年は、人間ではないから消されなかった。

 少年は、手を広げ、世界を抱こうとする。

 ――しかし。

「……だけど、悲しいなぁ」

 世界を抱こうとした少年の両手は、重力に従って力無く下がっていく。

 少年は、顔を俯いたまま、『声』を吐き出す。

「『僕は、人間じゃなかったなんて』」

 少年の双眼から、涙が零れ落ちる。

 それは、情緒が作り出した不可視の物質が、身体に影響を与えたのだろう。少年は、『人間らしく、泣いた』。

 

 砂と共に攫われていく少年の肉体。

 海の流れに身を任せながら、少年は、最後に何を想うのか。

 ――それは、誰にも理解されない。少年自身にも理解できない。

 ……だが、少年には何も残らない。世界には何も残らない。

 少年の残滓さえも、時間に攫われ、咀嚼されていくのだ。

 ――世界には、何も残らない。

 

 ……世界の果てを見ながら、

 少年は、終わりを望んだ体を、眺めながら呟いた。

 それは、音にならなかった。

 

(僕は、どこへ消えるのだろう)

 

 答えは、返ってこない。

 ……少年は、世界から消えた。

 

 砂という名の死骸が、海に呑まれて、包まれる。

 母なる海は、亡骸から何を生み出すのだろう。

 世界から消えた、生物を構築するのだろうか。

 それとも、何も生み出さずに世界の滅びを待つだけなのか。

 

 窒素と酸素と二酸化炭素に覆われた世界。

 様々な生き物に満ちた世界。

 死骸に成り行く世界。

 小さな生物の死骸が、擦れる音が、ただ静かに世界に浸透している。

 それは、誰の琴線にも、触れる事は無く、ゆっくりと消えていった――。


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