No.116382
冬野 氷夜さん
「――――」
消失されていく音を拾うかのように、少年は耳を澄ませている。
無音の中で爆ぜる量子の感触。少年の神経は、鋭利に感覚に触れていく。
砂――或いは、小さな生物の死骸が、擦れる音がどこか、遠くから流れてくる。
伝導の法則と違わない窒素の波を動力源に、音が少年の鼓膜に届いているのだろう。
「――僕は、」
少年は、分散化しつつある音を吐き出した。
現象に感慨も何も無い。
音は、罅割れた世界へと霧散するだけ。
「……僕は、どうして、生まれたのだろうか」
吐き出された音は、人間から生み出された現象『声』と呼ばれるはずのものだ。
しかし、少年は『声』を『声』と呼ばず、音と呼ぶ。そこに人間らしさは存在しない。
――いや、この抜け殻のような世界に、人間らしさなど必要なのだろうか。
形骸と成り果てた世界の中で、少年は人間である事を放棄したいのではないか――。
答えは、少年に与えられない。自己回答も正解の域へと到達しない。
「――この何も無い世界」
少年は、世界を言語化する。それは、漢字を含めた平仮名で、十文字に満たない言葉で形容されてしまう。
――ここには、何も無い。
「――人間が消失した、世界」
少年は、絶望に繋がれながら呟くしかない。
――この世界では、人間の作り出した、過去の栄華は朽ち果てている。
「――僕は、何をすればいい?」
だから、少年は呟くしかないのだ。
砂の音を聴きながら、自身への存在定義を問いかけるように――。
――非現実的な理想主義者が繁栄している現代社会にて、人類は消失し始めた。
少しずつ、人類は量子へと分解されていった。
人口は、大幅に減り、人類が滅び行く運命にある事を知ると、人々は争いを放棄していった。
そして、――残されたのは、少年だけだった。
理想主義者の作り出した欠陥品に満たされて育った少年は、フラスコの中のホムンクルスのような知識の塊へとなった。
――しかし、少年の情緒が発達する前に、人類は消失した。
――誰一人残らず。
……少年は、砂浜を素足で歩く。
(僕は、何のために生まれてきたか)(僕は、自殺する為に生まれてきたんだ)(僕は、世界に逆らって死ぬ為にここにいる)
少年の脳裏で、様々な感情が軋みあう。フェルトのような繊維の塊のような、純粋な知識が倫理を組み上げる。
情緒が未発達な為に、少年は明確な答えを見出せない。そこに、正確な倫理は存在しない。量子レベルで分析可能な、答えなど、どこにも無い。
……『少年は、人間、なのだろうか』? それとも、『情緒が無いだけなのか』。
「『そういう事なんだ』」
少年は、答えを見つける。
『人間では、届かない答えを見つける』。
感激は無い。感嘆は無い。
喝采は無い。祝杯は無い。
「人間が滅んだのは、」
少年は、歌う。手を広げ、世界を飲み込むように。
しかし、しかし、
「『世界が人間を拒絶したからなんだ』」
そう、人間は不可視の現象にメスを入れた。現象を数値化していった。その中には、人間を壊すものも存在していたのだろう。
――『少年は、壊れた人間――人間ではない生き物だ』。
世界は、傷付けられる人間さえも拒絶した。
だから、哀しみも、喜びも、怒りも、楽しみも消し去った。
『そういう事なのだ』。
――少年は、人間ではないから消されなかった。
少年は、手を広げ、世界を抱こうとする。
――しかし。
「……だけど、悲しいなぁ」
世界を抱こうとした少年の両手は、重力に従って力無く下がっていく。
少年は、顔を俯いたまま、『声』を吐き出す。
「『僕は、人間じゃなかったなんて』」
少年の双眼から、涙が零れ落ちる。
それは、情緒が作り出した不可視の物質が、身体に影響を与えたのだろう。少年は、『人間らしく、泣いた』。
砂と共に攫われていく少年の肉体。
海の流れに身を任せながら、少年は、最後に何を想うのか。
――それは、誰にも理解されない。少年自身にも理解できない。
……だが、少年には何も残らない。世界には何も残らない。
少年の残滓さえも、時間に攫われ、咀嚼されていくのだ。
――世界には、何も残らない。
……世界の果てを見ながら、
少年は、終わりを望んだ体を、眺めながら呟いた。
それは、音にならなかった。
(僕は、どこへ消えるのだろう)
答えは、返ってこない。
……少年は、世界から消えた。
砂という名の死骸が、海に呑まれて、包まれる。
母なる海は、亡骸から何を生み出すのだろう。
世界から消えた、生物を構築するのだろうか。
それとも、何も生み出さずに世界の滅びを待つだけなのか。
窒素と酸素と二酸化炭素に覆われた世界。
様々な生き物に満ちた世界。
死骸に成り行く世界。
小さな生物の死骸が、擦れる音が、ただ静かに世界に浸透している。
それは、誰の琴線にも、触れる事は無く、ゆっくりと消えていった――。
Tweet
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。
追加するフォルダを選択
終焉。消失。人間。それらのキーワードにピンと来る人(?)向け。
2010-01-04 10:43:00 投稿 / 全5ページ 総閲覧数:581 閲覧ユーザー数:567