途中で見た星空
僕らは、ちっぽけで孤独だという事くらいは知っている。
この広い世界で、僕らは一人ぼっちなのだ。
ずっと、ずっと、これからも。
きっと、永遠にそうなのかもしれない。
だけれど、僕らは希望を捨てないでいる。僕らは、孤独ではないという希望を確認しようとしているんだ。世界の全てを知ろうとして、その過程で確認できたらいいな、と思う。
この夜闇に溶けてなくなった水平線の向こうに、誰かの存在があるかもしれない、と希望を抱いて。あるいは、絶望を確認できるという希望を抱いて。
希望を抱いたまま、頭上にある夜空を見上げる。そこには、満点の星空があって、今すぐにでも空から星屑がキラキラと落ちてきそうな気がする。星の光を遮る人口の光は、この地上のどこにもないのだから。
僕は、星を眺めながら、真横で焚き火をしている相棒を見る。燃え盛る火で、パックに保存していた肉を焼いているようだ。
その肉は、先日、川で狩ったワニの肉だ。その日中にタレと一緒に真空パックに入れ、冷凍したから鮮度に問題はないし、さっき、食品安全確認装置にかけて、問題はなかったから、食べるのに問題ないだろう。多分。
なんだか、肉を見てると、少しばかしお腹がすいてきた。
「ニハル、あとどれくらいで焼けそう?」
僕は、彼女――ニハルに声をかけた。黒髪を腰までのばし、知的さを感じさせる眼鏡をつけている。整った顔立ちが、少しばかし冷たそうに見える。そんな綺麗な彼女の、レンズの向こう側の瞳は、焼けていく肉を見ているだろう。
「まだよ、アルネブ」
ニハルは、そう答えた(ちなみに、僕の名前はアルネブだ。……と自我の再確認をしてみた)。ジュージューと肉が焼ける音がする。タレの香ばしい匂いが漂って、おもわず涎が出る。いけない、いけない。
そうか、まだ焼けないのか。
「なにか、手伝う事ない?」
手持ち無沙汰なので、ニハルに聞いてみる。
「ないわ」
一蹴される。そうか、何もないのか……。
……何もないのなら、と僕は再度星空を見る事にした。
頭上に浮かぶ幾千億もの星。その小さな点のような輝きが、互いに繋がり合っている気がする。昔、人はそれを星座と呼んだらしいけど、今となってはそんな文化は廃れて消えた。残っているのは、文化の残滓だ。
ふと、小さな疑問が浮かぶ。
「……この世界ってさ、この空に浮かぶ星の数だけの人々が、本当にいたのかな?」
僕は、無意識に、誰にともなく呟いていた。
意味も無く、夜風にさらわれて消えてしまうような、そんな小さな疑問を。
そんな今すぐにでもはじけて消えてしまいそうなシャボン玉みたいな疑問を、ニハルは拾ってくれた。
「昔は、いっぱい、いたらしいわ。もっと、数え切れないほどの人たちが。ずっと、気の遠くなる昔に」
ニハルの声が、少し寂しげに聞こえた。彼女の言葉は、沈黙となって夜風に流されて、引き裂かれ、どこか遠くへと消えていった。
西暦と呼ばれていた時代が六千七百年も流れた後、人類の大半は死滅した。
人類の大半が、肉体を捨てて、精神を電脳化したからだ。ブレイン・マシン・インタフェースと呼ばれる技術が作り上げた別の世界に、人々は移住し始めたのだ。
しかし、人類は、根本的な問題に当たり、そして問題に敗北した。
電脳化されていた世界の物理的崩壊である。
人類は、巨大なハードディスクに世界と個々の精神を封じ込めた。その結果、ハードディスクの風化により、データ化されていた人間や世界は、物理的に消滅した。
それから、数年後、残された人類は各地でコミュニティーを作り上げた。国家や政府は、リセットされたため、残された人びとによる独自のコミュニティーが作られた。
そうして、人類は、世界の再建を目指していった。
かつての文明に憧れを抱いて……。
……という過去が世界にはあるらしい。
ひょっとしたら、正確な記録じゃないのかもしれない。
なにせ、かなりの年月が経ち、情報が風化したのだから。風化した情報は、虫に食われたかのような穴が開いて、正確性を失っていった。もう、忘れ去られてもいいのだと、過去が自殺していったかのように。
……正直な話、過去に何があったのかはわからない。
でも、人間は今もしぶとく生きている。
少なくとも、僕らを含めた僅かな人々は。
僕らは、どこか遠くへと旅をしている。
頭上にある青くて大きな空と同じような、果てしなく広い大地を進む旅を。
故郷を離れて世界を見るために、世界のどこかにいる人間の存在を確認するために。
途方もない事をしていると思うけど、それでも僕らは歩みを止める事無く、進み続けてきた。歩みというより、運転だけど。
その過程で見つけてきたのは、過去の遺産と食事のレパートリーくらいのものだ。
光線銃、超振動ナイフ、太陽光発電機といった便利な遺産。ワニとか、ヘビとか、セミとかが食えるという知識。……あまり大した事ではない気がする。
でも、故郷にいたころに比べたら、かなり充実している気がする。世界を知らなかった僕らが、見捨てられてしまった世界から、何かを見つけるたびに喜びの声を上げている自覚はある。
楽しいのだ。旅が、この世界が。
鳥かごから放たれた鶏は、空を飛ぶ事はできないけれど、世界の広さは知るだろう。それと、同じように。
だけど、どんな場所にでも危険はつきもので、逃げ切れなかったら鶏と同じように世界に食べられてしまうものだ。
少なくとも、常日頃から飢餓とガス欠という脅威がすくそばに存在している。
…………旅をやめるのに比べれば、そんな脅威はとても小さい事のように思えるけれど。
僕らはワニの肉を食べた後、移動用の強化トラックに乗り込んだ。といっても生活スペースと化した荷台にだが。
天井(?)にランプがぶら下がっている。日が出ているうちに太陽光発電で得た電気を元に光っている。電球の光に点滅はなく、それがまだまだ現役である事を教えてくれる。
けれども、ランプの光はどことなく頼りない。しかも、一歩外に出ればそこは深淵の闇だ。ふらりと周囲に溶け込むように、闇に呑まれて消えてしまうかのように。
荷台には、小さなキッチンがある。溜めていた水を蒸留する機械がついている。流しには、使った食器が水に浮かんでいる。故郷にあったようなコンロはない。食材を切るのはそこで、焼くのは基本的に外で、だ。
それ以外には、荷台の隅に様々な物が散らばっている。武器、乾燥食品、ガソリン、工具など。生活スペースにしては、散らかりすぎな気がするけど、気にしない事にしている。
もう夜だ。この時間帯は、やる事が限られてくる。そうなったら、早めに寝るに限る。明日があるし。
車の周囲に罠を張り、もしもの時に備えたから、安心して寝られそうだ。いつもやってる事だけど。これまでも外敵は全て罠で退治できたのだから、今日も大丈夫だ。多分。
二人で、荷台の冷蔵庫の横に置いてあるシュラフを、引きずり出し、ボロい荷台の床に敷く。二枚。雑魚寝でもいいんだけど、固い床だから首と背中が痛くなってしまうのだね。ニハルは、それを嫌うし。
ニハルが、シュラフの中へ潜り込んだ。ごそごそと、身体を動かして寝床に潜り込む。潜り込んだ先は、闇の中か、それとも夢の中なのか。僕にわかる術はない。
僕は、ランプの光を最小限に抑えた。少しばかし、手元と足元が見えるように。ついでに、自分のシュラフの中に潜り込んだ。体を横にして、もぞもぞと潜り込む。
眠りについた瞬間、僕は何処へ行くのだろう? 夢の中だろうか、それとも、深淵の闇だろうか。真実はない。どこにもない。ただあるがままに漂い続けるしかない。それが、人生だと誰かが諦めたように。
そこが海なら、ぷかぷかとクラゲは泳ぐだろう。世界は彼にとって優しくて残酷なものに見える事だろう。だけど、結局のところ、どんな世界にも他者は存在するから、どこにでも弱肉強食なるものが存在する。結果として、ぷかぷかと泳いでいたクラゲは、魚に食べられてしまう。僕もそうなるんだろう。いつか、きっと。
「……ねぇ、アルネブ」
薄い闇の中で、ニハルが僕を呼んだ。
「どうしたの? ニハル」
僕は、ニハルの呼び声に答える。漠然とした不安からの脱出として、蜘蛛の糸にすがるように。
「……もし、私たちが、他の人間を見つけられなかったら、どうするの?」
ニハルの声が少し震えている。この旅で、何度も訊いた問いかけだった。いつもは、その後すぐに「忘れて」と言うはずなのに、そんな言葉は出ないまま。
……さっき、僕が言った事が引っかかってるのだろうか?
「…………」
「…………」
僕らは黙ったままになる。この空間が、静謐で息苦しくなった気がした。単なる思い込みだろうけど。
彼女の脳裏に、その光景が浮かんでいるのだろうか? 僕らと、かつて僕らが住んでいた集落の人々以外に、世界には人類がいないと証明するような光景が。
「そんな事、わからないよ」
僕は、ニハルの脳裏に浮かんでいるだろう、孤独で枯れ果てた世界を想像しながら、答える。いつか訪れる時に何を思うかなんて、想像できても、実際に直面した時にどうなるかわかんないから、無意味だ。
「…………」
ニハルの言葉が止まった。なんとなく、彼女がどんな気持ちなのかを少し推測する。
「……怖いのか?」
僕の言葉に、ニハルは無言で肯定した。頷いたような気配もあった気がする。だけど、彼女が、どんな表情をしているのか分からない。
僕は、ニハルが何を考えているのか分からない。でも、なんとなく彼女は、寂しげな世界を想像して、怖い、と思ったんだと、そう思うんだ。そう思い至るのは、僕の自惚れだろうか。わからないけれど。
だから、僕は、続けて言葉を紡ぐ。僕の相棒であり、少し冷たいような顔立ちの女の子であり、僕が大事に思っているたった一人の存在である、彼女に。
「どうして、怖い?」
僕は、ニハルの内面に少しずつ触れようとする。彼女の心は、見えないし、どこにあるのかもわからない。本当は、心なんてどこにもないかもしれない。
それでも、僕はニハルに触れようとする。反応がほしいから、誰かがそばにいると安心していたいから。
「……もし、こんな広い世界で、人が少ないんだったら、……人とはぐれて、どこかに迷い込んでしまった時、もう二度と人と会えなくなってしまうところにまで、迷い込んでしまうんじゃないかと思って」
ニハルの声が少しずつしぼんだように思えた。
……僕は、ニハルの言葉に、かつて住んでいた集落の事を思い浮かべた。あそこは、この世界に比べると、小さすぎた。でも、人はそれなりにいた。そこにいる間、僕らは、無意識に安心できた。はぐれて、どこかに迷ってしまっても、すぐに戻ってこれるほど狭い世界だったんだ。この世界は、残酷なほど広すぎるんだ。
「ニハルは、はぐれないよ」
だから、僕は、ニハルの言葉を否定した。
「僕が、そうしない」
世界が残酷であるなら、僕が寄り添う、と自惚れながら。
「……プロポーズみたい」
ニハルは、クスッ、と笑って、そう言った。僕の言葉を冗談と受け取ったのかもしれないし、嬉しくなったのかもしれない。緊張が解けただけなのかもしれない。でも、彼女は笑った。今は、それで充分なのかもしれない。
「……なんだか、ホッとした」
彼女の言葉。本当に、今は、それだけで充分だったんだと思う。
「それは、良かったよ」
「…………アルネブ」
「ん?」
「……もし、ここが、二人しかいない孤独な世界でも、ずっと一緒にいてくれる?」
「うん。ずっと一緒にいるよ。君が望み続ける間は、いつまでも」
「……ありがと、アルネブ」
ニハルの口から、感謝の言葉が零れ落ちる。僕は、それを少しも聞き逃すことなく、彼女の言葉を心の中に、大切にしまい込んだ。
「さて、もう寝よう。明日もあるんだし」
僕は、言葉をしまい終え、話を締めくくるように言った。夜も更けてきたようだし。
「……うん」
僕の言葉に答えるように、ニハルの頷くような声が聞こえた。
そして、
「……おやすみ、アルネブ」
と、僕らの夜の終わりを告げた。
「おやすみ、ニハル」
僕も、彼女と同じように返す。
シュラフの中で寝転がったままの僕らは、そうして会話を終えた。
やがて、眠りにつく。
僕は、目を閉じると、眠りの国に引きずり込まれていった。
――世界は、とても広くて残酷だ。
その中で、僕は、ちっぽけで孤独だという事くらいは知っている。
この広い世界で、僕は一人ぼっちなのだ。
人が少ない、この広大な世界を持て余す無力な生き物として、一人ぼっちのまま生きていくんだ。
もし、人がいたとしても、結局は個と個だ。それは、永遠に他者と断絶したままだ。きっと、永遠に心なんか繋がらない。
そんな一人ぼっちのままで。
それでも、僕のそばには誰かがいる。
彼女が。
幾億もの星が散らばるような広大な空の下に、僕らはいる。
そこで、二人、寄り添い続けたいと願う。
僕は、彼女の事が好きだ。
彼女は、……どうだろうか?
わからない。
……わからないけど。
それでも、互いに存在を求めあえる間は、傍にい続ける。
この寂しげな新世界で。
多面的な希望を抱いて。
とりあえず、世界の果てを目指して。
僕らは旅をしている――。
CONTINUED? END?
二週間かけて、ゆっくり(一日三十分ほど)かけて書いた短編です。この話は、序章にあたる話です。一話完結型で、一応続きます。
ご拝読ありがとうございました。
…………、……あとがきなのに、気の利いたトークができない(泣)。
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