2012年07月05日

狭山茶文化の魅力とその価値観とは


埼玉県のホームページから
全国にはいくつかのお茶の産地がありますが、その中で狭山茶を産する埼玉県は緑茶生産の経済的北限です。
“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”
 と「狭山茶摘み歌」にも歌われる、狭山茶の特徴である深い味わいは、寒い冬を乗り越えることでいっそう深まり、また“狭山火入”という独特の仕上げ技術により、甘くて濃厚なお茶になるのです。
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/hanasi/

埼玉県の農業行政には「知恵」がありません。ただ、「味」と生産量だけを追い求めています。鎌倉時代から狭山の地に始まった「茶文化」とは、まさに「茶禅一味」の価値観をもつものです。
埼玉県の農業行政はこのことにまったく無関心です。ですからこのような、まったく文化性のない文(心の中にあるものを形式知として「見える化」したもの)になるのです。

【中村家】が積み上げた近年の実績についてその記録を紹介しておきます。


トロフィー3.JPG



トロフィー1.JPG



親王からの褒状.JPG


六畳間ほどの店舗には、明治23年に、【中村家】12代である元狭山村初代村長時代の中村為一郎が、明治23年7月から8月にかけて上野で開催された第3回内国勧業博覧会で狭山茶を出品し、総裁である貞愛(さだなる)親王から授かった褒状のほか、これまでに20回受賞した「農林大臣賞」(まさにギネスものです)などの賞状やトロフィーなどが整然と並んでいる。

入間市二本木の屋号ハケ下の【中村家】15代当主、茶師中村誠忠(のぶただ)は、昭和63年(1988)10月15日発行のアサヒタウンズ多摩版に以下のように話しています。

<引用開始>
「外観、香気(かおり)、水色、味の四拍子揃った、より完成度の高いものをつくりたい。形を良くしようとすると味が落ちる。味を良くしようとすると水色が悪くなる。どうしても反比例してしまうものをなんとか今以上においしくしたい。」
<引用終了>

まるで、濃厚であることだけがあたかも「うまい」ものであるかと勘違いしている現在の狭山茶職人に警鐘をならしているかのようです。 鎌倉時代から【中村家】に伝わっている禅寺御用達のお茶とは、「外観」「香り」「水色」「味」の四拍子揃った「上品」なお茶なのです。

それでは、本物のお茶とは何か考えてみましょう。
決して難しく考えることはありません。私たち日本人は、「お茶する文化」の中で生活しているのです。「お茶する文化」とは、人と人が、温かい緑茶によりこころの平安を共有する日本特有の文化なのです。
それは、臨済宗や曹洞宗の禅寺の文化がやがて庶民の文化になったのが現代の「お茶する文化」です。

お茶も他のさまざまな文化と同様に、大陸から伝わってきた文化ですが、千利休は、狭き入口から入り、こころの平安が得られる狭き茶室の中での日本独特の「わび茶※」を築き上げたのです。
こころの平安が得られる、まさに「自分が居心地の良い居場所」で、外観、香り、鮮やかな緑色、そして、甘さと渋さが繊細に調和した緑茶をいただく、あるいは、お茶をいれて差し上げる、この日本人を日本人たらしめる、まさに共存・共栄のための文化が「お茶する文化」なのです。
そして、それを可能にさせる四拍子揃ったお茶こそが本物のお茶なのです。

※わび茶(わびちゃ、侘茶、侘び茶)は、狭義には茶の湯の一様式。書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室を用いた簡素な茶の湯を指す。また広義には、千利休系統の茶道全体を指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E8%8C%B6

漢方 日本人の誤解を解く 劉大器著では「上品(じょうばん)」をこのように定義しています。

上品(じょうばん)毒性がなく、体に良いもの(上薬)
中品(ちゅうばん)毒性は小さいけれども、薬効があるもの(中薬)
下品(げばん)毒性は強いけれどももの、治病にすぐれている(下薬)

東洋医学の哲学
薬より言葉を用い、メスやハリよりも心で癒し、病気にならないうちに人間を治療す
<引用終了>

東京ディズニーランドのキャストに「カストーディアル」という職種があります。清掃係と紹介されますが、本来の意味は維持管理者という意味です。汚れる前にきれいにする。あかちゃんがハイハイできるくらいの清潔感を保つなど、まさに「病気にならないうちに治してしまう」のです。

茶祖栄西も中国の漢方に学んだに違いありません。健康を「カストーディアル」するために毒性がなく、身体に良い飲み物として禅に取り入れたのです。

ここで、筆者の禅体験を。旅行会社入社後の研修で鶴見の総持寺(曹洞宗の大本山)で禅体験をしました。一泊二食であったと記憶しています。坐禅に関しては知識があったのですが、精進料理というのでしょうか、その食事作法はまったく知らなかったため、正直驚きました。

ごはんと豆腐と野菜の煮物くらいは覚えています。みそ汁は出なかったと思います。驚いたことは、個人に与えられた二度使う茶碗とはしを洗わないことです。
食事が終わると茶碗にお茶を注いでくれます。そのお茶を飲み干すことで茶碗は清潔とされます。はしは、口で(舌で)「きれいにする」のです。

書いていて、今気付きました。有田焼や九谷焼の「茶碗」とは、禅宗のこの「碗」による「ごはん碗」が「茶碗」として使われることから派生して庶民の間に定着してきたものだと・・・

【中村家】が仕えた鎌倉幕府は「皇帝も庶民も関係ない、健康管理は精神管理でもある」という絶対的な教えに基づき、上品な茶をつくり続け、今日に至っています。

明治政府以降の「和魂洋才」政策により、茶の文化はズタズタに切り裂かれ、子どもたちは上薬としての「お茶」を飲まなくなりました。健康を「カストーディアル(維持管理)」できなくなり、精神的に不安定になってしまったのです。

お茶に関してはこれからも勉強したことを書いていきたいと思います。
posted by M.NAKAMURA at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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